萌ゆる花3〜終の挽歌〜
事切れた蛇の脱け殻に、一茎の葉草が寄り添っている。
地を踏む強者に潰され、砂泥に塗れ……華は疎か蕾すら付けること能わず。醜く、浅ましく地を這い、光届かぬ地の底でしか殖えることの出来ぬ、名も無き草木。
「何時まで、其うして居る積もりだ?」
俯向く、その葉草に問い質す。今の御前のその行為に幾許の価値があるのだと、応えてみろと誘うが——
「…………」
返す言葉は無く、面を上げる事も無かった。
糞ッ——御魂を崩じたか……心を持たぬ人形など、最早、骸と違わぬわ。
卑しい、余りにも卑しい……
忌まわしき異邦人も、墜えた次ぐ者も、かような存在に、何を求める?
よもや、此の世界を統治させようとでも云うのか?
——愚にも付かぬわッ!
所詮、独りでは何も出来ぬ簇り。精々が、屍となりて他の生物種の贄となる他あるまい。此奴等の言葉で〝雑草〟とは能く云うたものだ。望まれぬ存在、創造主が見捨てし愚かな生物種。其れこそが人という胤。
此奴もあの時は、或はとも惟うたが……
「……吽?」
不意に此の刃を震わした響めき。誘われるように、其れが発せられた方へ眼を向けると、紅血が刀身を舐めるように滑った。その久方振りの感覚に、未だ落ち着かぬ我が眼は二三天地を往復して、漸く目を懸けるべき標を捉え得た。そう、山稜を飛び出したる、其の一条の光芒を。
「彼の光は……」
空を震わせ、雲を割き、高々と駆け昇る光の軌跡を眼で追うと、それはやがて、黒白の天を衝いた。
「戯けがッ! 人の身で御し得ると惟うたかッ!」
全天を覆うほどの眩い光と其の影で産まれる深い闇。訳を悟るには其れのみで事足りた。愚かな存在が神魔封印の要を破り、鍵たる光芒は、創造主が創りし天蓋に昇り還ったのだ。彼の光景、忘れる事が有ろうか?
否、軀奪われ姿変われど、刻まれた此の記憶から葬る事は出来ぬ。
天地を繋ぐ一条の光の弦が、天蓋に審判の音を震わせて、此の天球は高らかに終焉の調べを刻むだろう。
やがて、漆黒の帷が西へ沈み、渇いた醜い産声が霞を呑み込む。
東の海原から暁は昇るだろう。大地を焼く焔の波を携えて。そして、天球は砕け、文明は死に絶える。
幾度も繰り返された破壊と再生は、万物に記された記憶の轍を踏み直し、新たな路を探し出す。故に、何者も此の世の理を知らぬのだ。
然も……草木であれ、人であれ、神魔でさえも知る事を赦されぬ。総ては、創造主の意のままに。
そして、彼の光弦こそ、創造主の戒めを打ち破る〝第八音〟を奏でる唯一無二の存在也。
「神魔戦争の折は、此の天穹に顕れたのみであったが……」
〝慟哭〟或いは〝咆哮〟
天穹が、哭き惑う。猛々しく、時に淋々と。
雷鳴の如く鳴り響き、囀りの様に甘く鳴く。光の弦が震え歌う度に我が身の内で、要らぬ八色の情が震えるのは、人を喰らい過ぎた此の身故か。だがこの音、是こそは——
〝終の挽歌〟
「啞々、此れがあの——」
何者も抗うことの出来ぬ創造主の調べ。正に完全調和、一寸の狂いも無い純正律の織り成す〝天球の音楽〟よ。故に、この波動の前では、我が異能も幼子の児戯の如く力を失い、宙空に留まっていた葉や礫は大地へと還った。
「——アヒャッ!」
不意に届いた不快な愚者の笑い。宙から視線を降ろす……俯く葉草ではない。其の先、細身の男が揺れるように力無く立ち上がった。残る左目を爛々と輝かせて。
彼奴、大陸の男……未だ動けたか。
「さぁぁああアッ! 目覚めよォッ!! 魔を統べし者!! 我が身に力をッ……裏切者を裁く混沌の力ヲ!」
嬉々として叫んだ。終の挽歌が何を意味するかも知らずして、己の都合に合致する未来しか見えぬのだろう。
男の声に、周りの闇が反応する。暗がりから暗がりへ溶けるように移り、男の影に同調していく。
「をぉぉ……漲る! 漲るぞカオスよ——もっとだ!! もっと——」
〝——パき゜ゃ〟
「……ぇえ?」
男が破顔する。悦楽の笑みを浮かべたまま、己の左腕だったモノを窺う目元だけが震えだしていた。然も、左手の五指から肩まで、元からそうであったかのように五本に割れ、うねり動く異形の存在を見据えながら。
「なっなん——ぺきゃぶぇッ!?」
発声……の瞬間には既に異形の左腕に頭から呑み込まれ、絶命。旨そうに肉を咬み、脳髄を啜り立てる音だけがその場に響く。
「糞……喰われたか。どうやら此奴とて、魔族の単なる贄でしかなかったか」
終の挽歌がもたらすは、万物に対する創造主の戒めの解除だ。即ち、かつて異邦人がねじ曲げ、我等に仕向けた封印の力も等しく消えゆく。人類だけが理から解放されるとでも自惚うていたか……神魔を従えるというのならば、それ相応の力を示して見せねば何者も応じる事はないであろう。
「ぁぁ、ぁぁあ……」
食い終えたのか、うごめく肉塊が残る二足を用いて不器用に歩み出す。胴体に寄生した五本の指が餌を求める触手の如く宙空を彷徨って、その先には未だ俯く葉草が一人。
「——拙いッ」
吽……拙い? 何故、拙いと思う。唯、草木が一茎朽ちゆくだけだというのに、何が問題だと?
「破ッ! 蛇めがッ……此の我をも毒したか?」
蛇の世迷い言に毒されたか。それとも、少し永く共に在りすぎたか? 或いは先の天球の音楽に、これまで喰らった者らの感情とやらが高ぶり影響されたか……
「良いだろう。一時だけ毒されるのも一興か」
不思議と今は気分が良い。
「——小娘! 四葉とやら、立つがいい。我が刃を振るえ。未だ不様にも生きたいと抜かしおるならば」
呼び掛け、娘を見やる。面はなおも俯いたまま、両の腕に蛇の抜け殻を抱き微動だにせず……
「…………」
矢張り、応じぬか。
「……ぁぁ……ぁ……」
その間に、下等魔族となり果てた肉塊が迫る。もう腹を空かせたのか、いや、そもそも思考するという概念すら持ち合わせぬのか、ヒタヒタと歩みを進め——
「——あッアッアッ!」
失せた頭部の付け根、喉を鳴らしながら——その触手を餌に伸ばした。
〝来たれ——阿訶美苔利命よ〟
「——阿?」
その刹那、我が身を震わせたのは、懐かしきかつての真名の、心地良い響きであった。
【用語解説】
◯終の挽歌
天球の文明が終わりを迎える時に奏でられるという音楽。その音色と共に昇る陽光によって肉体を有するあらゆる存在が焼き消され、創造主は新たな文明を再度構築し始めるといわれる。
◯天蓋
赤目が言及したこの星を覆う何か。
◯ 阿訶美苔利命
赤目の真名。




