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萌ゆる花2〜次ぐ者〜

 真っ暗な…………世界。手を伸ばそうとも、触れるものはなく。耳を澄ませども、聞こえるものはない。

 いつから、此処にいたのか……いつから、この光届かぬ闇の中で、一人立ち尽くしていたのだったか……


 心を偽り、己を殺し、何を求めているのか自分でも解らぬまま……ただ我武者羅に刃を振るい、敵を屠ってきた。

 涙は、とうの昔に枯れ果てて……感情という心の揺らぎすら消えかけていたのに——


〝そうだ……それでいい、それでいいんだ〟


 たったその一言で、全てが壊された。己を飾るなと、本能のままに生きろと、奴は言った。

 ただ、それだけで……私の心を縛っていた鎖は解け、己を囲む檻は呆気なく崩壊して、枯れていた筈の涙が、止め処なく溢れ出す……

 泣き、笑い、怒り、喜び……感情を露わにするという事を、失いかけていた当たり前の幸せを、私は彼奴に——……


*****


 ……心の奥で、何かが騒ついた。

 それが何だったのか、既に思い起こす事は出来ないけれど……嫌なものではない。むしろ、心を解きほぐす様な充足感に似た感覚が生まれていて


 どれくらい、そうしていただろうか……

 いや、そもそも何をしていたのか……

 

 はたと気付けば、辺りは真っ暗な世界で……もしかしたら、ずっとずっと長い間このままだったのではないか? そんな思いが生まれる頃、耳に届いたのは——咳き込む音。


 遅れて、ぴしゃり……熱い液体が頬に降り注いだ。思わず、鼻で息を吸う。

 スン、と鼻腔を通り過ぎ喉奥を刺激する酸味のある匂い……これはそう、鉄の匂いだ。

 

 その、とろみのある熱い液体が頬を伝い、顎先からゆっくりと離れる頃……恐る恐る目蓋を開けた。視界を覆う大きな身体。幾度か瞬きすると、焦点が徐々に戻っていき……


「つく……も?」

「——よぉ、大事なさそうだな」

目の前にいた九十九がそう尋ねた。私を覆う様に背を向こうへ向けながら……どこか、優しげな笑みを浮かべて。けれど——視線を下す。視界にあった異物に自然と視線が向かっていた。


 ……腕だ。

 九十九の左脇腹を、窄めた手刀が貫いていた。


「ヒャハッ!」

耳に届く不快な声。それで、失せていた数刻前の出来事が走馬灯のように脳裏を駆ける。


 ずぶり——私を穿とうとしていた筈の、人狼の凶爪が九十九の身体から引き抜かれた。噴き出る黒の飛沫……色は見えなくとも、直ぐに分かった。


「九十九ッ、血が……」

「アッヒャッ——愚かなッ! この様な猿に構わなけれバ、果てる事も無かったろうにィ——」

そのアイスナーの勝ち誇った様な破顔と言葉で、全てを悟る。


「——五月蝿ぇ……黙ってろッ」

怒気が込められた言葉とともに、九十九が身体を捻り、左手甲で薙ぎ払う。


 肉と骨がぶつかり合う鈍い音が鳴り、声にもならぬ素っ頓狂な喘ぎを発して無防備だったアイスナーが吹き飛んでいった。だが——


「ウ゛ンン゛ッ……」

喉を鳴らし、九十九が崩れ落ちる。慌てて倒れる間際に九十九の身体を抱きとめた。


 ぱたたと、力を込めたからだろうか。傷口……大きく穿たれた穴から血と、内臓かあるいは肉か、原型を留めぬ肉片が零れ落ちる。


「御前ッ——何で……何でッ!?」

「ちと、気張りすぎた……か、な」

深く、長い息を吐きながら九十九が力無くコツリと、私の右肩に頭を預ける。


「しゃ、喋るなッ 今傷を——」


 どうすればいい?

 血……そうだ。止血だ、血を止めなければ……


 外衣を脱ぎながら、足元の砂利を足で払って、露出した地面の上にそれを敷き、九十九の身体を横たおす。二の腕まで隠す左右の手袋を外し、震える指先で何度か結び直して繋げ、九十九の胴を外衣で包む様に手袋で縛った。


「ヅゥッ……」

「——痛むかッ」

「いや…………良ぃ塩梅だ」


 ——駄目だ。

 九十九の言葉とは反対に、じわりと黒い染みが藍染の外衣をさらに濃く染め上げていく。いや、そんな事は分かっていた。此れほどの大きな傷口を押さえたところでどうにもならぬことなど、分かりきっていた。

 治癒術の一つも使えない、己の力量不足がこんなにも、こんなにも恨めしいとは……


 歯を食い縛る。

 溢れてくる。


「——何故、私などを庇う! 如何してッ!」


 生まれた憤り。

 それを九十九にぶつけていた。

 この短い間に、何度助けて貰っただろう。

 分かっている。此奴は悪くないのに……私が力不足だったからこうなったとわかりきっているのに——悔しさが止まらないんだ。


 かぽぅん——と、突如鳴り響いたのは、甲高くもくぐもった響き。

 九十九を問い詰めようと前屈みになった私の懐から、一本の懐剣が落下し、九十九から流れた血が作る血だまりの中へと落ちたのだ。

 途端、ぬくい風が、ごうっと頬を撫でる。落ちた懐剣は、一人でにカタカタと震え出し、そして——


ぎゃぎゃぎゃッ——〟


 鳴いた。かつてない程に大きな声で、愉しそうに鳴いていた。そう、間違いなく〝赤目〟の嗤い声だった。

 これまでのように頭に響く声ではなく、風切の刀身が鞘の内側で震え、音を発している。そして、ふわりと私達の直上に浮かび上がると——


 ごう——風刃が闇を裂いた。

 風切から発せられる風の流れが、つぶてを巻き込み刃を成して縦横無尽に疾り、翔び、そこにある全てのものを刻み込む。


「くっ!?」

咄嗟に、九十九の身体を覆う様に身構える、が……音が消える。草木の葉擦れも、渓谷と岩肌の喧騒も、消え失せて……自分と九十九の微かな吐息だけが残されていた。


 面を上げた。広がったのは、音も光も時すらも切り刻まれて、外界と隔離された澱みの世界。

 ……跳ねたつぶてと、舞い散る木の葉も等しく、自由を奪われ中空に留まっていた。そして、この世界を創造し得る唯一の存在が、その中心で大きく叫ぶ。


呀々(オォ)呀々(オォ)ッ……此のてつの匂い、此の味……娘ェェぇえッ! 貴様ぁッ誰某だれがしと共に在るッ!!」


 浮かぶ風切。鞘が弾け、風切の刀身が露わになる。杢目の様に渦巻く日緋色金の刀身、九十九から流れ出た血が、まるで其処にあるのが当然と言わんばかりに地表を離れ、宙に浮かぶ風切の切先に吸い上げられる。そして、渦巻く涛乱刃どうらんばを伝うように中心へ集まり……猛禽の眼を形作った。


 ぎょろり——射抜かれる。

 鋭い視線、眼にするものの心身を奪うと謳われた神獣の赤い瞳がこちらを見据えた。


「フン……何処かで、見た事のある……懐刀と思いきや……赤目かよ」

声を挙げたのは九十九だった。知っているというのか、灰ノ国の宝剣を。何故……九十九が? 生まれた疑問の答えが出る前に、風の主が騒ぎ出す。


矢張やはり、矢張り矢張り矢張りッ! 貴様ぁ……〝次ぐ者〟カァッ!」

九十九を見据える赤目が、そう言い放つ。強烈な殺気とともに。


「つ……次ぐ、者?」

「知らぬか小娘ぇ……血血、無理も無い。偽りの歴史を信じて疑わぬ愚かな貴様等にんげんどもに、解る訳が無いわなぁッ!」

恐る恐る声を発した私の問いに、嬉々としてそう応えた。


「偽りの……歴史だと?」

「然りッ——謳い、語られた歴史のみが真実であると疑わぬだろう?」

「当然ではないかッ! かつての災禍を再び起こさぬように我等は——」

「——ならば何故なにゆえ斯様かように成る?」

つい、と赤眼が黒白の空へ向けられた。


「それは……」

反論しようとして、言い淀んだ。赤目の指摘するとおりだった。かつての英雄達によってもたらされた安寧の時代は、大国同士の戦乱と此度の神魔解放によって呆気なく崩壊してしまった。


「血ッ血ッ——答えられまいッ!」

「ッだとして、何だというのだ。よもや、こうなる様に仕組まれていたとでも言うつもりかッ!」

「ほぅ、察しが良いなぁ」

「馬鹿な……あり得ぬッ!」

「疑うか、ならばかつての当事者に聞いてみるが良い」

言って、横たわる九十九を風切の赤眼が睨みつけた。


「なぁ、次ぐ者よ……かつての貴様等の愚行は、必竟しょせん、唯の悪足掻きだった訳だ」

「ぴぃぴぃ、五月蝿ぇぞ……」

苦痛に表情を歪ませた九十九が赤目を睨み返す。だが、それだけだった。肝心の事を否定しない。


「赤目、先刻から一体何の事を言っているッ」

含々(ふふ)……かつて、神魔が争いし刻、愚かにも神族われらに歯向い、魔族どうぞくを裏切り、鬼へと堕とされ……己が護ろうとした民草にすら本来の姿を忘れ去られた存在——」


 何を言っている?

 赤目は、一体何を——


「——然も(そう)!! 其の者こそ、貴様等がッ〝愚かな英雄〟と忌み嫌う者。神魔に次ぐ者……真名を奪われた八欲をつかさどりしてつの大蛇よ!」


「なん、だと……」

「余計な事を……燃すぞ、鳥野郎ッ」

「血ッ血ッ——嗤わせるな蛇よッ! 神魔の力の源は生ある者の〝畏れ〟と〝怖れ〟——このいずれかよ! 真名を失い、愚かにも受肉した貴様に、民草から忘れ去られた今の御前に、何の力があると言うのだ!!」


「馬鹿なッ……愚かな英雄は、異邦人と各地から集いし英雄達を裏切り、討たれたと伝承にあるはず! それにあれから既に三百年以上の時が流れた……今世に存在している訳がッ——」

吹き荒ぶ風が唸りを上げる。赤目の言葉を否定しない九十九の代わりに、私が声を上げた。なのに……


「そうだ……俺は彼奴らを裏切った。討たれる筈だった。俺はあの時……討たれる、べきだった」

「当に消え失せたと思っておったが……よもや生きておるとは、面白い。それに其の身体……成る程、脱け殻の様なものかよ。然しまぁ、それも幾許かの命か」

水っぽい咳が九十九から漏れる。


「血血……此れが御前の選択とやらか? 何時なんどき目醒めたかは知らぬが、貴様も見ただろう……今世の姿を! 己等が命を賭して護った矮小たる人間共が、浅ましく争う様を!」

「…………」

「——何も言えぬか!」

「あぁ、確かにッ……争いは、今も続く。人は弱い……ともすれば、己すら信ずる事が出来ぬほどにッ」

力の入らぬ九十九の手が私の腕を震えながら掴んだ。


「然もあらん! 故に、我等が理を維持する為の駒となっていたのだ。だと云うのに、人に力貸し、知恵を授け、感情など……余計なモノを授けおって! 此の世の理を崩したのは、他ならぬ貴様等だぞ!!」

「余計な……もの、か。俺……ちの選択は、間違っ……いたのか? 散って征った……あの、戦友達の……」

「——憐れ! 憐れだぞ次ぐ者よ! 総てを奪わんとした、かつての欲深き妖の王たる姿はどうしたァッ!」

「フゥ゛ッ……」

「九十九ッ喋るな!」


ふん……最早、まともに応える事も出来ぬばかりか、人に護られるかッ! よもや、此処まで堕ちるとは……ぎゃぎゃぎゃッ——ならば消え往け! 再び、全てを失い、失せるがいい!!」

「——け、どよぉ……確かに、確かに……此処に在るんだ」

九十九が呟いた。赤目の問いには答えず、その細い両の眼でじっと、私を見つめていた。そして——



〝夢見の国を追いかけ続け


 かつて果てた此の地にて


 ……我が心は未だ彷徨う〟



「何を……」

戸惑う私の頬にそっと、左手を伸ばして……尚も、私に語りかける。



〝今宵巡りし白詰草よ


 そのつの葉濡らす


 夜露よつゆいだいて


 お前は何に……震えるのか〟



 つぅ……と、知らぬ間に溢れ出た雫を九十九が震える指先で拭った。

 如何して泣くのかと、何故泣く様なことがあるのかと、私に問いかける様に謳いながら……


「御前がッ……御前が、私に与えるから! 勝手に、御前がぁ……忘れていたのに! 勝手に与えるからぁッ!」


 感情という、心の揺らぎを——私に与えるからッ!

 こんなにも、心が乱れるんだッ

 知らなくて、よかったのにッ……こんなにも辛くなるなら、知らなくてよかったのに——


 問い詰める。

 頬から離れた九十九の手を掴み取り、胸元に引き寄せて……問い詰める。


〝未だ咲かぬ花弁の色を……


 如何して、決める事が出来ようか


 如何して、散らす事が出来ようか〟


「————ッ!」

喉が詰まる。声にならぬ喘ぎだけが鼻奥から漏れ出して……握る九十九の手から熱が、力が、抜けていく。


 この感情は……何なのだろう。

 満たされていた心から、全てが流れ出す。

 何処かに、穴が空いてしまったのではないかと疑うほどに、止め処なく流れ出す。

 それを、解っているのに……自分ではどうしようも無くて——

 

〝教えてくれ、希望無き此の世にて


 輝き失わぬ、其の碧眼は……何を夢見る〟


「駄目だッ……目を閉じるなぁッ!! 出来ないよッ……私だけじゃ、何にも——こんな私じゃぁ……」


 何にも、出来ないのに——残ってくれと、共にいてくれという、この小さな願いすら、叶わぬというのにッ!

 九十九が誰かなど、どうでもいい。ただ、共にいてくれと、伝えたいだけなのに——

 今更、この気持ちに気付くなんて、そんなの——非道いじゃないかッ


 強く、強く、抱き締めた。

 柔らかな微笑みを残す、男の体を。

 決して……離さぬ様に、耳元で囁く……最後の言葉を、聞き届けながら——



〝恥じる事は無い、其は美しい……


 ……咲き誇れッ————白詰草よ〟


【用語解説】

◯妖の王

 灰ノ国が起こる以前の島国にて、北部一帯を支配した鉄の大蛇。ただただ求めるがままに全てを欲したため、遂には神魔の怒りに触れ、其の身体と真名を奪われたといわれる。


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