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紫狼の跫音2〜陽炎の如く〜

「猿が……あまり嗤わせてくれるなよ」

失望——生じたソレは、やがてふつふつと憤怒の感情となり、抑えきれず表面化していた。しかし、それも致し方無いというもの……こちらの着地際に放たれた攻撃は、小刀ナイフの投擲という、なんともつまらないものだった。


 迫り来る二本のナイフの軌道を予測。着地と同時、振り払った。その軌跡を追うように空間がグニャリと歪む。そこに到達したナイフは糸に絡まったかの如く、途端に水平方向に働く運動エネルギーを失い、僅かな抵抗力を加えるだけで触れてもいないのに吹き飛んでいった。

 視認できるほどに具象化した亡者達の思念が、物質世界への干渉を可能としている。かつて我々を裏切って来た愚か者共の魂が、己の愚行を後悔し叫べば叫ぶほど、我が力は大きくなるのだ。ジロリとナイフの投擲者に視線を投げる。


 フンッ……恐れをなしたか?

 先程の攻撃で通用しないと、何故分からない?

 私の力の源が、亡者の魂にある事を見破ったまでは期待出来るかと思ったが……どうやら見込み違いのようだ。時間をかけて楽しむより、嬲って愉しむか……


 深く、深く、息を吸い込み止める。両手の五指に力を入れると、小気味良い音が響いた。次いで指先に意識を集中し、局所的に鉤爪を形成する。


「カカッ!」

殲滅対象の悲痛の叫びを想像して、思わず嗤いが漏れていた。こればかりは……抑えられたモノじゃあないナァ……。鉤爪から視線を前に戻す——

 

 ——ん?

 ……あぁ、またやってしまったか。


 すぐ目の前に生じていた物質世界こちら精神世界あちらを繋ぐ(クロス)型の歪みを見て悟る。まだ殺すつもりでは無かったのに、既に術を始動していたのだ。


 第一爪——右前腕の振り下ろし

 第二爪——左前腕の振り下ろし

 

 この二撃が既に打ち出され、胸の前で腕が交差していた。イケナイ癖だ。気が高ぶるといつもコレだ。 本来ならばもっと痛めつけて……嬲って嬲って嬲って、悲痛な叫びに酔い、苦悶の表情に悦びを感じて——やがて訪れる甘露な瞬間ときに、この身を震わせたいというのに……この癖の所為で愉しむ暇もあったものではない。

 そんな後悔が生まれる頃には、生じた歪みを広げる様に、間髪入れず、第三爪——右後脚の回し蹴りがそこに真一文字を加えていた。

 軸となる左脚を回転の中心に据え、回し蹴りの勢いそのままに身体を一回転。再度目の前に捉えた歪みに、第四爪となる左後脚の蹴り上げを加えた。


 大地から天空まで真っ直ぐに伸び上がった左脚に誘われるように月面宙返りを行い余計な力を逃す。己の体がふわりと舞い上がり、跳躍の頂点で廻る最中、四つの爪により物質世界に生み出された、精神世界への扉となる二重十字が目に入った。ウゾウゾと瘴気が踊る。


 出たがっているのか? そこから……ならば、我が命に従え——


〝——(ヴァウ) (ヴァウ) (ヴァウ)…… 歌え、亡者よ。死をもって、生を滅ぼし——〟


 吟唱歌ぎんしょうかを紡ぐ。

 かつて滅びし神魔が使役した力。それを解放する為の韻律いんりつを。


〝……生者の肉を、貪り尽くせッ——高貴なる狼(アデルヴォルフッ)!!〟

五歩格の韻律に誘われて、精神世界の扉から生前の己の姿を成した亡者達が這い出して来る。着地した頃には、亡者共は巨大な狼の姿をかたどるように腕という腕を伸ばし、我先に我先にと見苦しく這い進んでゆく。


“GyaGyhaaeeyea————”

響くそれは狼の咆哮か、それとも亡者共の叫び声か。そこに在る空気も大地も光さえもえぐり、貪りながら、猛然とえさに襲い掛かり大きく口を開けて、ソレを呑み込んだ——土煙が舞い上がり、轟音が渓谷に鳴り響く。


「——ッ!!?」

そして、微かに聞こえた息を呑むその音は、大地を揺らし、森を騒つかせる轟音に直ぐさま掻き消された。

 ゆっくりと歩み出す。一歩、二歩……歩みを進める道、亡者が喰い散らかしたその場所は、大地が大きく抉れ、薄くなった空気を元に戻そうと、ゴウッと周りの空気を吸い込んで突風を呼び込んだ。土煙が晴れる。そして、頬を撫でる風とともに微かに届いた血の匂い。


「ほぉう……」

思わず感心した。


「ゼェッゼェ……」

吐血。肋骨が折れでもしたか? 呼吸が乱れている。そして、僅かな水分すらも奪われた、乾いた大地に落ちた血は、啜られるように染み込んでいく。まるで大地がもっともっと血を寄越せと訴えているかのようだ。

 握る得物は未だ手放さず大地に突き刺し、片膝立ちでこちらを睨む。ツツッと、頭部から流れ落ちる血が右目を潰している。


 まさかまさか、餌が未だ存命とは……どういう誤算だ?

 折角、餌を喰わせてやろうと思ったのに、あの亡者共は辿り着けずに霧散したというのか……


 疑問が次々と生まれてくる。しかし、それは予想を覆した餌に対する期待の現れでもあった。


「簡略式とはいえ、五歩格ペンタメトロスの吟唱歌をしのぐとは……なかなかどうして」

ツカツカと、歩む歩行速度が速くなる。笑みが漏れる。心が踊る。いつの間にか、駆け出していた。


 そうだ、今すぐ嬲ろう。先ずは指を折る、次は手首を逆に、そこから前腕、二の腕を潰し、次は脚を曲げよう。そしたら次は目を潰し、鼻を削ぎ、耳を落として……どんな悲鳴リズムを聞かせてくれるだろうか? 


 啞ァ、聴きたい。

 聴きたい聴きたい聴きたい……今すぐ聞かせてくれ! そのリズムを!


「ハッハァッハッ……!!」

あと一歩、我慢出来ずに、目の前に迫った餌に手を伸ばした。途端——


“————ェ”

何かが聞こえた。脳を揺さぶるような音が頭に響く。


「あぇ?」

グニャリ、視界が揺らぐ。その視界の端にニヤリと口元を歪める餌の顔が映った。


 これは……まさ……か、精神干渉型の——


 体ごと倒れそうになる所を、すんでの所で四つん這いで留まった。


 力が入らない。

 目蓋が重い。

 眠い……ひたすらに眠い。


「ゼェッ……だから、“待て”と言っただろうに」

刀剣を支えに、餌が立ち上がる。そして、こちらに刃を向けた。


 ——は?

 この私が…………られる?

 こんな、猿に、この……ワタシ、が?


 未だ揺らぐ視界と意識の中で、フツフツと煮え滾るモノがあった。怒り……それを超えた何か。その感情が爆発する。


「ァァ……ふざけ、フザケルナ、ふざけるな、巫山戯ふざけるナァッ!!」

叫びとともに、未だ音が響き続ける両の耳穴に指を突き入れた——づプゥッ、と柔らかい膜を突き破り、その叫び声は消えた。そう、全ての音とともに。


「Gyhaア゛アaeeZAaaァァァ——ッ!!」

迫る刃の速度が落ちる。予想外だったのだろう。我が行動と反撃が。その隙を狙い、右手刀を形作る。己の骨を伝い脳内で響く音は、雑音が混じり酷い、これ迄に聞いた事のない不快なリズムだった。そして——突き出した手刀が猿の汚い肉に突き刺さる。


「ハッ——は、Hazぇ?」

しかし、手応えの無い感触。皮膚を突き破り、肉を抉る感触も、熱い血潮のヌメル感触も……感じられなかった。


 ——違う!

 ワタシが感じたいのは、こんな……こんな、ものじゃあァァ……


 揺れる焦点を猿がいる筈のその場所に合わせる。徐々にピントが合わさっていく。それと共に、猿の姿が陽炎の如く薄らいでいった。


 これは——幻覚ッ!?

 嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だァァ……こんな筈では……


 目の前で紙片が舞った。それは、確か最初に猿が使った札と同じ様な模様のモノで……


「Iヌゥzz!!ーー」

上方から雑音こえが聞こえた。見上げると先程まで目の前にいた筈の……裏切者が、そこにいた。

【用語解説】

◯吟唱歌

 かつての、神魔による事象介入を人間が実現する為のすべ。特定の韻律、調子、詩歌を組み合わせる事で、神魔のソレを模倣する。当然ながら精度と規模は遠く及ばない。

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