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萌芽する色2〜溢れる白露〜

 さらさらと綺麗な音を奏でる川のせせらぎと重奏するかの様に、私の手元で一定のリズムが生まれていた。九十九に言われた通り、銀米を竹筒に入れて川の水で研ぐと、白いとぎ汁が川の流れに乗って細長く下流へと伸びていく。その光景を3回ほど見届けた頃には、銀米の輝きが一層増していた。


「冷たぁッ……さっさと終わらせよう」

川の水は、まだ冷たかった。グラン山脈を構成する山々に降り積もった雪が溶けて、渓谷に流れているのだろう。これに身を投げたのか……と、振り返るだけで身体に鳥肌が立った。

 銀米とは灰ノ国では、貴族・豪族が口にする一級品だ。山村の農家が地方領主に米を収め、地方領主は貴族・豪族に米や税を納める。その過程で、良質な米が選別、精米され銀米に至る。存在自体は知っていたが、まずお目にかかることも、口にする事もなかった。聞く話によれば、噛み締めるほどに甘味が口に広がるという話だが……


 まだ知らぬ味に思いを馳せて、両端がフシで塞がれた男の二の腕より太い長さ一節分の青竹に銀米を注ぎ込む。その青竹を二本両脇に抱えて、天幕脇に戻ると、九十九が丸太に腰を下ろして火床かまどの支度をしていた。


「青竹、ここに置いておくぞ」

「おぅ」 

九十九の後ろに銀米が入った青竹を置くと、ちらりとこちらを一瞥いちべつして、土盛りした砂地の上に乾いた小枝を組みあげる。近くには、小鍋と蔦で編み込まれた魚籠ビクに入れられた川魚が数匹、それに先ほど摘んできたのか数種類の山菜、キノコ類が麻袋から顔を覗かせていた。そして、小枝を積み終ると、九十九は丸太から腰を上げ、右太もも側面に装着された革鞘に差し込まれている二本の刀剣類のうち、刃渡り一尺程の鉈を抜き出して、振り上げる。


 残った一本は鞘と取っ手の形状からして剣鉈だろうか。狩猟民族らしいと言えばらしいが、腰の〝得物〟は使わないのだろうか……いや、そもそもあれは鉈なのか? あれでは、巨大過ぎて振り上げるばかりか、普段持ち歩くだけでも……と、九十九の立ち姿を改めて見て、後ろ腰に引っ提げられた目測で刃渡りが三尺に届くのではという程に長大な大腰鉈に目が行った。


 鉄蛇鬼アラハバキだから造作もない、か……


 九十九の右手甲の紋が目に入り、巨大すぎる〝得物〟に納得がいった。これほど巨大な鉈であれば大型獣相手でも渡り合えるかも知れない。そんな結論が出る頃、小気味よい音と共に、振り下ろされた鉈の刃が丸太に真っすぐに振り下ろされた。


「何を?」

「あぁ、薪用にな」

私の問いかけにそう返答すると、丸太目掛けて右手に握った鉈を再度真っすぐに振り下ろして、丸太を八分割にする。

 次いで、何度か自身の身体をまさぐった後、懐から取り出した黒い火口袋ほくちぶくろから麻紐を一つ取り出し、ほぐして火床の上においた。そして、鉈の背側で石英の塊をカツカツとおもむろに打ち付ける。

 すると目の前で橙色の火花が生じて、生まれ出たばかりのソレは中空を暴れまわり、そのうちいくつかの火の粉が火床の上に置いてある麻紐を見つけると、嬉しそうに飛び込んだ。


 シュッと、まるで獣が餌を貪る様に、火の粉は麻紐に一瞬にして食らいつき、徐々に燃え上がり始めるとさらなる餌を求めて、樹脂が塗られた小枝を伝って薪へ達した。程なくして、その薪が微かな火柱と共にモクモクと白い煙を上げ始め、少しばかり離れた私の身体を暖め始める。


「成る程……これで暖をとる訳か」

火床の中心で生まれた火種は、酸素をとめどなく取り込み、一人でに炎を生み出し続ける。時間が経てば、火力も落ち着いて良い釜戸代わりになるだろう。


「そういうこった」

私の言葉に相槌を打つと、九十九は、パチパチと音を立てながら燃える火床の周囲を手ごろな石で囲い、魚籠から川魚を取り出し竹串に刺してその脇に並べ始めた。火種を木の棒で突きながら火力を調節し、石で作られた釜戸に銀米の入った青竹と根菜類とキノコが入れられた小鍋を並べる。私も、近くの小岩に腰を下ろして、米研ぎで冷えた指先を前に伸ばした。ジクジクと指に熱が伝わった。


「さて、と……魚も米も出来るまで少し時間がかかる。それまで、ちょいとさっきの話の続きといこうか」

「そうだな……」

「で、お前さん……何処から来た?」

「私は……私は、お前の言うように総府に仕える密偵で相違ない」

「にしちゃ若いな……今、いくつよ?」

「今年で十八になる」

「十八!? あの島国も相当な人手不足の様だな」

九十九が驚きの声を上げ、こちらに視線を寄越す。その表情にはどこか疑惑の色が残っていて——


「む、それは聞き捨てならん! これでも幼少期から覡のお付きとしてだな——」

「わかったッてばな……そもそも、いつから総府はこんな辺鄙へんぴな所にわざわざ隠密を?」

「ふん、1年半になるか……ヴェルデ帝国が軍備を拡大し、新大陸に手を伸ばし始めてからだから、ここ2~3年の間の話だ」

「ヴェルデ帝国?」

「なんだ、まさか知らんと言う訳じゃなかろうな?」

「世俗には疎いんだ……特に最近のはな」

「はぁッ? それでよく盗賊などやってられるな。いいか、ヴェルデ帝国というのは、神魔戦争が終結してから西の大地アークレシア大陸の諸国が合流して興った君主制の魔法国家だ。皇帝カイザーを長とし、その下に24名の隊長が率いる双頭鷲騎士団ロクシュトールが組織されていて——」

「んぁ? 待て待て、神魔戦争が終結してからって、おい……今何年だ?」

「はぁッ——本気で言っているのか? 神族と魔族が封印され、このティアの天空に黒白の双月が観測されてから……黒白暦こくびゃくのこよみとなってから今年でもう三百と二十六年だぞ?」

「は?…………」

私が呆れてそう言うと、九十九が鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をして、視線が虚空を彷徨っていた。


「おーい。大丈夫か?」

九十九の目の前で手のひらを振る。すると——


「——プッ……ダッハッハ!」

突如、大声で笑い始めた。


「おい、本当にどうした?」

「ククッ、道理で……三百と二十六年か! いや、そうか、はぁ~すまんすまん。時が経つのは早いもんだなぁ」

目じりに浮かんだ涙を拳で拭って、九十九がそんな事を言った。未だにクスクスと笑い声を漏らす九十九が、沸騰した小鍋にキノコと山菜を入れながら、川魚……マス類の向きを変える。ジュッと、岩鱒から落ちた脂が火床に落ちて小さな悲鳴をあげた。


「ん? という事は、今はもう——」

「あー待て待て、いちいち質問されるのも面倒くさい……とりあえず現状を説明しながら私が話すから、お前は黙って聞いてくれ」

「おお、それがいいかも知れんな」

「いいか、まず——」


 そうして、九十九に事の順を追って説明した。新大陸の領土や失われた技術を巡って各国が凌ぎ合い、さらなる力を求めたそれぞれの陣営が紛争を頻発させた結果、封印の均衡が崩れ各地にかつて滅した筈の常世乃者が現れ始めたこと。

 一時的に各国が常世乃者への対応に追われた結果、現状は各陣営が決定力を欠き、膠着状態が続いていること。

 灰ノ国は、そんな各国の動静を注視し、最悪の事態……神魔戦争の再来を阻止するため、状況によっては交渉、武力介入を行ってきたこと。


 それらを話し終える頃には、一刻ばかり時間が経過していて、丁度昼過ぎ……辺りには米の炊ける匂いと川魚が焼ける香ばしい匂いが漂っていた。


「ほぉ、そんな事になっていたとはなぁ」

私の説明を聞いた九十九が神妙な面持ちでそう呟いて、小鍋に炒り味噌を入れ調味し始める。やけに豊富な調味料も盗んできたものだろうかと一瞬脳裏をよぎるが、もはや気にすまい。


「呆れた……まさか、本当に何も知らないとは」

「ハッ、歳をとると覚えが悪くてな」

「何を馬鹿な……見た目からして、私と10も離れてはおらんだろうに」

「まぁいいじゃねぇか、それよりも……魚も焼けたようだし、飯といこうじゃねぇか」

そんな私の皮肉に再度笑いを漏らした後、九十九は青竹を火床から降ろし、小鉈の刃を真横から水平に入れて上半分をパックリと開いた。途端、白い湯気が立ち上り、甘い芳醇な銀米の香りが私の鼻腔を刺激する。

 九十九に聞こえてしまったのではないかと思う位、一際大きく喉が鳴る。それがスイッチとなったのか、早く早くと私を急かすように口腔内に唾液が止めどなく溢れ出しはじめた。


「クク、いい反応だ」

「う、五月蝿い! 仕方無いだろう!」

抗議しつつも両の目はソレから離れず……湯気が晴れ、視界に入ったのは銀米の名の通り、一粒一粒が白銀に輝き、己の存在を主張するがごとく立ちあがる魅惑の光景。

 きのこと山菜の汁物に、銀米の青竹炊き、岩鱒の焼き物……正に山の恵み。こんな何もない筈の山奥だと言うのに、腹塩梅からしてもこれまで私が口にしてきたどれよりも、ご馳走だと言えるだろう。


「ほれ、好きなだけ掻っ込め」

九十九が青竹を削って作った箸と一緒に、蓋を外した銀米と、汁物が注がれた青竹の椀を寄越してきた。何か主導権を握られたようで、何処か癪にさわるものがあったが押し寄せる食欲には抗えず、おずおずと手を伸ばし受け取る。


「ち、馳走になる……」

言って汁物を一口。


〝ズッ……〟と、口腔内に溜まっていた唾液が、きのこと山牛蒡など山菜の出汁が十分に出たスープで喉奥に流し込まれる。「熱い」という感覚の後に、味噌と出汁が合わさった汁が喉ちんこに触れて、それが通り過ぎた後に、土と山の香りがフワッと鼻を突き抜ける。久し振りに口腔内に入ってきた塩分ミネラルに粘膜が過剰に反応して、キュッと縮こまる感覚を得た。そして——


 ——美味いッ!?

 ジワリ……体に染み込むような感覚が広がった。身体が、さらなる味を求める。次は銀米だ。竹箸を青竹の中にある白地に突き込み、一口分の銀米を掬う。目の前まで持ち上げると、ホワホワと湯気が立ち昇り、それを躊躇なく口に運んだ。


 寒気だ。感じたのは背筋を走る寒気。断じて不味い訳ではない。いや、簡単に言えば美味すぎた。まだ、一噛みしかしていないのに……椀を握る左手は微動だにせず、美味い、と言葉を発することすら出来なかった。無言で口を動かした。歯を押し返す心地よい噛みごたえ、咀嚼する度に感じるコメの甘味、香る青竹の芳香。


「な? ゲロ美味いだろ?」

九十九の問い、台無しである。しかし——


「何だ、これは? これが銀米……」

「天高く伸びる天竹アマタケ……別名「甘竹」とも言われるほどに、糖分を多分に含んだ青竹を器にして炭火で炊いた銀米は、天竹から程よく甘味を吸い取り、芳しい香りを手に入れる……ただ炊いただけじゃ銀米といえどもこうはいかねぇ」

九十九が解説する。確かにその通りだった。口に入れた瞬間に青竹の香りが広がり、一口噛めばくどさの無い優しい甘味……いや、旨味が口一杯に広がっていた。米の一粒一粒が立っており、汁物の余韻と合わさって、口腔内で渾然一体となる。


 この時点で、私の理性は崩壊しており、最初に感じた羞恥心や誇りといった私の心を縛る枷は、次々と外れていって、ただ、本能の赴くままひたすらに目の前の飯を貪り始める。

 岩鱒の塩焼きを背中からがぶりと齧りつけば、皮がパリッと弾け、皮下の旨味の濃い脂が驚くほど柔らかい身と共に口の中を駆け巡り、休む間もなく汁と銀米を放り込む。身体の細胞一つ一つまで広がる、その滋味たるや——絶頂の如し。


「——んぁあッ!」

息をするのも忘れ、飲み込むと同時に酸素を求めて艶っぽく喘いでしまう。


「ふふ……」

「むぐぅッ、ンン……な、何が可笑しいッ!」

「いや、なぁに……恥じる事はない、それでいい」

「どういう事だ?」

かせを外せ、己を飾るな、誇りや尊厳など投げ捨ててしまえ……欲望が、本能が叫ぶままに全てを望み、貪り尽くせ。追い求めろ。全てを奪え。生あるモノの命を喰らい己が糧とする。それが……」

「……それが?」

「それが、生きるって事だ。誰に従うでもない、誰に頼るでもない、己自身が生きたいように、御前テメェ自身の力で好きなように生きればいいのさ」

生きる……銀米を咀嚼しながら、火床で紅く燃ゆる炭火を見つめた。生じる膨大な熱量が直上の大気の密度を変えて対流を起こし、ゆらゆらと陽炎を生み出していて、何故なのか、理由はわからなかったけども、灰ノ国の覡の面影が浮かんで見えた。


 ふと、思う。

 こんなに……こんなに、美味いものを好きなだけ口にしたのは、いつ振りだったか。祖国で始めて味わった餡菓子か? それとも、ヴェルデで食べた白パンと葡萄酒?

 いや、いずれの時とも何かが違う……でも、これと似た感覚を私は知っている——


「お前のその瞳、綺麗だなぁ……」

「え?」

不意に、本当に何の前触れも無く、向かいに座る九十九が、私の顔を見据えながらポツリと呟いた。その「言葉」と陽炎のせいで、九十九の顔に彼女の……覡の顔が重なる。それで、思い出した。


 幼き時にあった出来事が、そこだけ切り取ったかのように思い起こされる。父の顔は知らず、母も私が物心つく頃に流行病に罹って亡くなり、身寄りの無い私は総府が管轄する地方のやしろの下働きとして、村から追い出された。忌み子として忌避された私は、当然、そこでも孤独だった。


 掃除、洗濯、炊事、雑用の日々……出される食事はいつも腐りかけの余り物や喰いカスで、臭うそれを何とか胃に入れて飢えを凌ぎ、寒い冬も馬小屋のワラを纏い震えながら過ごした。

 そう、何の希望も夢も無く、何の光も無い世界……そこに訪れた一筋の光が彼女だった。ある日、お忍びで社に訪れた覡の一団。気紛れで有名な覡は従者の制止を聞かず、薄汚れた私に懐から小袋を取り出して——


「お主……綺麗じゃのう」

そう言って、私に砂糖菓子を食べさせ、自分の下に引き取ってくれたんだ。そうだ……あの時だ。巫女と初めて会った時に貰った、小さな小さな糖花アメを口にした時、確か同じような……

 

 ジワリと何かが込み上げる。

 それが溢れないように、身体の奥に飲み込もうとして——銀米を噛んだ。さらに噛む。噛む。飲み込む。熱い汁を啜り、岩鱒の骨身をしゃぶり、また、銀米を噛む。口一杯に頬張って味わう。なのに、ソレはひとりでに止め処なく溢れ出してきて——


「美味いか?」

飯を掻っ込む私に九十九が呼びかける。

 

「ッ……ぁあ、美味いッ」

「そうか……ま、お前さんのは少し、塩辛いかもなぁ」

もう、止められなかった。目尻から熱い雫が溢れて、頬を伝い、ポツリと地面を濡らす。視界はさらに歪み、拭っても拭っても、溢れてくるモノは零れ落ちる。


「ッ……」

 悲しいから流れた訳じゃない。

 悔しいから流れた訳じゃない。

 恐ろしくて流れた訳でもなかった。

 何故、腹は減るのだろう。

 何故、コレはあふれるのだろう。


 私は何の為に生きている?

 新大陸ここには使命を果たす為に来た。己の心を殺し、与えられた人格を演じて……たとい、任務の為に殉じる事があろうとも、それが灰ノ国の——覡の為になるのならば構わないと、己に言い聞かせてきた。でも、それは私の本心なのだろうか?

 もしも、九十九の言うとおり、自分の本能に忠実に生きる事が、人として生きるという事ならば……


 私が、今したい事って何だ?

 私の、今の望みって何だ?


「四葉、お前はこれから何を成したい?」

その疑問に重ねるように、九十九が問いかけてきた。その問いかけで、あぁ、そうかと、こんなにも簡単な事だったのかと今更ながらに己の本心に気付いた。

 

 そうだ、彼女にもう一度会いたい……

 また一緒に……


「……たい。あの人に、覡にもう一度……会いたいよぉッ……」

「そうだ……それでいい、それでいいんだ」

「ッ————」

自分の心が慟哭する。これまでずっと隠してきた、蓋をしてきた己の感情は、初めて枷が外された事に戸惑い、涙と泣き声となって吐き出され、熱い……ただひたすらに熱いモノが止め処なく溢れ出す。


 生きている……

 私は、確かに此処に、此処に生きているんだ。


 私の咆哮するような泣き声が、ただただ、その場に響き渡っていた……

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