萌芽する色1〜九十九〜
【Date】
黒白暦326年、4月24日昼時
【Location】
新大陸:盗人の野営地
「鉄蛇鬼か……」
男が天幕から出る間際に「取り敢えず着替えておけ」と、こちらに投げて寄越した上衣に袖を通しながら、私は再度、反芻する様にその言葉を口に出した。
伝え聞くところによれば、かつて、妖魔の身ながら神魔を喰い殺し神域にまで迫ったが故に、地下深くに封印させられし大蛇を蛇神として崇め、神魔戦争に際しては、その大蛇復活を目論み混沌……つまり、魔族側について総府と対峙した種族。鉄蛇鬼一人いれば、雑兵程度であれば百人を屠るとまで謳われたその力は、まさに鬼の如し。
結局、異邦人が暁月家の当主と共に大蛇の復活を阻止し、後に愚かな英雄と呼ばれた——その魂が封ぜられた人型を従えた事で戦局は一気に人間側に傾き、終結。その後、一部は朝廷に従い、今ではその力を認められ総府直下の隠密となっている。覡専属の部署である我が『八葉』とは別の組織になるため、私自身直接見た事はないが……
「——痛ッ!?」
考え事をしながら作務衣に袖を通したがために、右の二の腕に出来た擦過傷に袖口が触れて、鋭い痛みが走った。それで、改めて自分の身体を見て気付く。
「はぁ……なんて様だ」
そっと、右手で左腕をさすった。所々、暗紫紅色に色付いた身体の打撲痕は、咽び泣く様に鈍い痛みを訴えており、よく見れば、右大腿部と左脛、それに左前腕に包帯が巻かれ、香る青臭い匂いは薬草由来の塗薬のもので……あの男から応急措置を受けた事が分かる。
そうだ。よくよく考えれば……は、はは、裸同士でぇ~そのぉ~何だ? く、くっついていた事だって、救護措置と私の体温低下を妨ぐ為の行為だろう……そうに違いない。
「いや、そうであってくれ!」
思わず、胸の前でギュッと両の拳を握りこんだ。何にせよ情けない話だ。追跡者に潜入を気取られたばかりか任務を果たせず、あまつさえ盗賊如きに施しを受けるとは……
やるせない思いが胸を締め付ける。「これからどうするか?」そんな風に考えを巡らせても明確な答えは導き出せず、まるで霧の中に迷い込んだかの様に、思考は形にならず霧散した。
「駄目だ、少し落ち着こう」
自分に言い聞かせる様に呟く。そして、気分転換がてらに、改めて天幕の中を確認した。広さは四畳半程。高さは大人一人分程か。近くの雑木を刈り取ったであろう細木で円錐状に骨組みされ、それを覆う布幕は綿麻性だろうか? 触れると肌触りの良さの中に僅かに硬さ……シャリみを感じる。
「良い野営用天幕だ。まだ真新しい……これも盗んだものだろうか?」
ぼんやりと先の男の顔が浮かんだ。そう言えば、ここは何処なのだろう。男が戻ってきたら——いやまぁ、外に出てみればわかるか。
「と、その前に……履物、履物っとぉ……」
流石に、何も履かないで外に出る趣味は持ち合わせていない。上衣と共に渡された履物を手に取り、目の前で広げてみる。
「……ん?」
なん……だと——
*****
【その後、四半時足らず……】
「そうか、上流域からここまで流されて来たのか……」
天幕は、南北に延びる流れの緩やかな河川の西岸、その砂地に組み立てられていた。東岸は河川に侵食されて切り立った崖になっている。そして、天幕の背後には、木々が立ち並び森林地帯を形成していた。
川岸まで歩みを進める。
一歩一歩踏みしめるたびに、角の丸い小石がジャリジャリと鳴った。少し大きい平らな岩の上に立ち、川面に視線を下ろす。
「綺麗な川だ」
川底が透けて見え、私の影に驚いた小魚が四方八方に逃げていく。そののどかな光景に、つい先日まで命のやり取りをしていたのが嘘のように思えた。と、そこに——
「おーい、あんまり屈むと尻が丸見えになるぞぉ」
「なッ!?」
背後から投げかけられたその一言に「ハッ」と我に返り、両手で太腿部までずり上がった上衣の裾を下に引っ張ると、漆黒の如く濃い藍色で染められた生地が縦にのびた。構わず、直ぐに後ろを振り返る。
「みみみ、見たのか!?」
予想どおり、そこに立っていたあの男を非難を含めて問いただした。
「いや実は、俺は……盲目なんだ」
「え?」
言われて、男の両目に注目する。確かに量の目蓋はぴったりと閉じられていて瞳は窺えない。
「あ、そうか、すまん…………って、ならば何故私の服装が分かるッ!」
言って、足元の小石を拾い上げ男の顔めがけて投げつける。
「おっとぉッ」
案の定、男はそれを難無く躱して見せた。どう考えても盲目の人物が出来る芸当ではない、キッと男を睨みつけた。
此奴ッ——危なく騙されるところだったッ!
「貴様のは、ただの細目だろうがッ!!」
「お〜御明察。というか、見たも何も……何で下履いてないんだよ」
「履けるかッ! あんな、あんな破廉恥な召物……」
そう、結論から言えば、先ほど履こうとした履物を、私は身に付けてなかった。いや、履きたくても履けなかったのだ。
「何なのだ、アレは!? あんなピラピラした丈が短くて切り込みの入った履物はッ!あれでは前垂れだけつけて袴を履いていないようなものではないかッ!!」
「んなこと言ってもよぉ〜、お前さんの軍服はまだ乾いてないし、乾いたところで、どうせあちらさんにはもう潜入がバレてんだろ? 今更着れんだろうに……というか、履いてない方がよっぽど破廉恥だろうよ」
耳穴に小指を突っ込みながら、男は興味なさそうに語る。
「ウッ!? そ、それは……そうかも知れんが」
「なぁに、褌締めてるのと、大して違いはない。女物があるだけありがたいと思え。それとも……誘ってんのかよ?」
「なッ——否!! 断ッ断固として、否だッ!!」
怒号——いや、龍が咆哮するが如く響いた私の声は、止まり木で休んでいた鳥達を大空へ羽ばたかせ、川の小魚は岩陰に身を隠し、樹木の蜜を吸っていた甲虫を大地へと叩き落とした。その一方で、目の前の男は両耳の穴に指を突っ込み、何食わぬ顔で明後日の方向を向いている。
チィッ——調子が狂う……
「終わったか?」
「……ふんッ何でもない!」
「あそう……じゃあ、ほれ」
「ん?」
男はおもむろに私に布袋を手渡した。
「何だこれは……」
受け取り、口紐を緩めて袋を開けると、中に入っていたのは白銀色の小さな粒で……
これは、まさか——
「銀米かッ!? よくこんな所で……」
「こないだお邪魔した資産家の貯蔵庫にあったもんだ。どうせ、ちゃんとした喰い方も知らねぇ連中に食われるよりは、俺たちに食われた方が銀米さんも喜ぶってなもんよ」
「お邪魔って……ン、ンン゛ッ、まぁお前の言う事にも一理ある、入手の経緯については深くは聞くまい」
「ふふ、まぁどうでもいいが……九十九だ」
「ん?」
「俺の名だ。お前、名は? 呼び名も無いんじゃ頼み事も出来やしねぇ」
ああ、そう言えば、お互いに名乗っていなかったか。
「姓はない、皆は、私を四葉と呼ぶ」
「ほぅ、白き詰草か」
九十九と名乗ったその男は、何か、感心したように己の顎を手でさすると、小脇に抱えていた円柱状に切り取られた二本の青竹をこちらに寄越してきた。
「ならば四葉、それを川の水で研いで、晒しといてくれ。三十分程経ったらこの青竹に銀米を詰めて、指の第一関節あたりまで湧水を注ぐ。働かざる者食うべからずってな」
「相、分かった!」
頼まれた事を快諾し、青竹と米袋を脇に抱える。そして……「銀米が食べられる」その事実に、私の羞恥心は何処かに行ってしまったようで、
「あぁ……下、履いてからな」
そんな九十九の忠告に——
「応ッ!」
潔く、返事をしてしまっていた。
【用語解説】
【用語解説】
○四葉
ようやっと名前と素性が明かされた主役の一人。灰ノ国の民と大陸人との混血と思料される。金髪蒼眼。体格は女性にしては長身の部類。覡に仕える八葉の一人。ヴェルデ帝国の動向調査の為、潜入していたものの追跡者に捕捉され今に至る。
○九十九
ようやっと名前と素性が明かされた主役の一人。鉄蛇鬼の一族と思料される。黒髪細目無精髭。盗人を公言している。
○銀米
総府に献上された各地の米を選別した極上の米。市場には滅多に流通せず、貴族豪族の腹におさまるのが常。