人形達の捧歌1〜黒白の刻〜
【Date】
『黒白の刻』
【Location】
新大陸:ヴェルデ帝国フィルツェーン要塞近くの遺跡
チリチリと、綿糸が鳴いた。
紅い紅い熟れた鬼灯の様な、妖しく踊る小さな焔が、一つ……その場に在った。
鮮黄色の蜜蝋を纏う蝋燭の頂で、幾重にも撚り合わせられた綿糸が力無く解けては、燃えてゆく。そして、甘い膨よかな蜜の香りと共に、己の身を犠牲にして紅い小さな閃火を絶えず生み出し続けていた。其れは、限りある命の灯火と等しく、何れ消えゆく定め。其れ故に美しく、何よりも儚かった。
ゆらり……燃える鬼灯が大きく揺れて、また一つ新たに色づく。
ゆらり、ゆらり……また揺れて、誘われる様に咲いてゆく。時計の針が時を刻む様に、一定の周期で揺れ煌めいては、時計回りに新たな鬼灯がチリチリと産声をあげた。
ひとつ、ふたつ……数えて二十と四。
薄暗いその場所を二十四の淡い光が円弧を描いて包み込み、辺りを照らしだす。巨大な晶石柱を囲む蜂の巣房を思わせる正六角形の区画。床面には鬼灯に対応するように二十四の刻印が刻まれ、大理石製の天井壁面は鏡面の様に辺りの世界を映し出す。
否、映し出すだけでは無い——其々の鏡面が対面の虚像を互いに貪り、貪られ……蜜蝋が醸す甘い香りがそうさせるのだろうか? 蜜蜂が巣を作る様に白金比の巣房が連続的に幾つも連なり、果ての見えぬ無限回廊が鏡の中に創られていく。
合わせ鏡の内にある数多の巣房が、もしも本当に卵床として創り出されたのならば、この巣に産み堕とされたるは、果たして何者の卵塊なのか。ゆらり、また揺れた。鬼灯だけでは無い。二十四の灯りが生み出す深い深い影……人型の影が同じく揺れ動いたのだ。
そうだ……この調を、この場所で紡ぐために、我々は一体どれだけの時を費やしたのだったか。総計二十四部の異なる旋律。それらが織り成す美しくも狂乱的な蠱惑の混声合唱が絶えず鬼灯を震わせているのだ。
——ニタリ
揺れ動く深い影の中に、薄ら嗤う三日月は妖しく浮き出し、クツクツと、白い吐息を吐き出して——
「——来た」
短い発声。低く唸る様な男の声。意図せず漏れ出た、己の声だった。言葉以上の意味は無い。何者が来たのかという言及は待てども、この口から発せられることはなかった……けれど、その場にいる全ての者には、其れだけで十二分に伝わった。
今から幾百余年も前、この星を巡る神魔と人間による熾烈な争いが終結した。そもそもの争いは人間同士の争いであったが……事の発端が何だったのか、今や誰も覚えていない。いや、正確に言えば、その理由なら溢れるくらいにあった。
偏った思想傾向
過剰な自負心
他者への不満と妬み
限られた資源の奪い合い
そして、其々の正義
それら全てが、神魔からもたらされたモノだと、異邦人……彼の英雄は言った。そう、彼奴が人民の心に植えつけたのだ。思考するという概念を、抗うという意思を。我々が持つこの〝意思〟が神魔によるモノであり、故にそれに踊らされるなと世界に訴えた。そして、彼の者の死没と共に、世界は人民の手に委ねられ……
今日まで、力ある者が民族を統一、国を興し民を抑えてきた。その一方で、抑圧された人民は王と呼ばれる時の覇者に抗った。
革命により、一時の人民による統率を得てそれに酔い、理想を忘れた彼らは利己的に他者を征服したかと思えば、新たな思想に踊らされ空想の世界を維持せんと、また血を流す。
そして再び……民族による優位性の主張に煽られるのだ。そう、どれだけ優秀な頭脳を揃えても、机上で幾ら議論を重ねようとも、我々が真に苦獄と葛藤から解放される事は無かった。差別を訴えれば新たな差別が生まれ、平等が不平等を生み、過剰な権利意識が互いの利害を犯し続け、争いは絶えることがない。
もたらされる情報は常に欺瞞と私利私慾に塗れ、何が正しいのかもわからぬまま、大多数に踊らされるように時代を過ごし、気づけばこの手には醜い皺が……深く、深く、刻み込まれて……蔑むような視線を浴びせられている。
————恐怖だよ。
老いだ。老いがもたらす生への執着、死への恐怖。他者への羨望、己への劣等。強者への従属、弱者への支配……これ以上に恐ろしいものが、此の世にあるのだろうか。永遠に尽きることの無い、幾億もの欲求が我々を支配する。
我々が求めるものは何だ?
恒久の平和か?
明日への希望か?
いや……そんな戯言は、理想に取り付かれた知識人を自称する連中により生み出された、空想の産物に過ぎないのだ。
そうだ、今や語り部無きかつての歴史を……再度なぞる様に、今世において幾度の戦争が起きた? 我々は何処へ向かっている? 分からぬ。其れを知ろうとして、老い始めた身体に延命の技を施し、呪いに触れ、身体を造り変えても、我が問いに応える者はいない。だが、他人よりも長い時を生きた事で、悟り気取ったモノもある。
今も、神魔は動いている。
息を潜め、再びこの世に顕現せんと我らの内に胤を植えているのだ。
ならば、何処かでその胤が芽吹く前に我々が神魔の力を己がモノとし、奴等の力を持って災禍の芽を刈り取り、世を導こうではないか。さすれば、この仮初めの平和を……悠久のものとすることが叶う筈。
神々は我等に命ずる。
清くあれ。不浄なモノは淘汰せよ、と。
悪魔は我等に囁くだろう。
抗うな。奪い、犯し、求めるままに殺し合え、と。
〝侮るでないぞッ……この時代だけは、人類に勝利の喜びをッ〟
心の内で、永年にわたり溜め続けた想いを叫び、かつての英雄が施した封印を書き換えんと、震える指先で禁忌の魔歌に終結点を刻んだ。刹那、二十四の鬼灯は絶叫を上げるかの如く、眩い閃火を立ち昇らせて……深い闇に喰らい尽くされた。
用語解説
◯ヴェルデ帝国
大陸西方に位置する君主制の魔法国家。建国以来、魔法適性の高い血族を至上とし、優生思想を維持してきた。三百年を超える血統選別と交配の結果、金髪碧眼の個体達がその思想の解に到達したといわれる。
《国章
金盾に双頭の黒鷲、鉤爪には血の滴る心臓が握られている。
《軍事
魔法刻印を部隊章にした双頭鷲騎士団を擁し、24の部隊がある。
◯フィルツェーン要塞
ヴェルデ帝国の新大陸における前線基地。