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白詰草4〜混血の証〜

彼は(イェル)我々を(アンス) 裏切った(ヴァーレンツェ)〟——それは、追跡者ヴェルフォルガーの唯一の行動指針であり、存在意義であり、また、彼らを縛る枷でもあった。


 故に……その言葉が紡がれる時、彼らを縛る枷は外される。それが意味するのは、裏切者えものを容赦なく食い尽くす凶暴な狼が野に放たれるということ。対峙する者への死の宣告に他ならない。人狼がうたう。


〝浅ましき裏切者に、慈悲なき鋭牙えいが

 やしき劣等者に、救いなき凶爪きょうそう

 としき同胞には、無上の愛を

 この四肢が失せようとも

 この魂が呪われようとも

 我らが君主に永遠とわの服従を誓い、

 血の滴る心の臓を捧げよう

 るむことはない

 悔やむことはない——〟


 途端、奴の身体から、視認出来るほどに濃い瘴気が溢れ出す。紅く輝いていた太陽は、その瘴気に呑み込まれるように地平線の向こう、闇へと堕ちた。


〝——彼は、我々を裏切ったのだ。〟


「——行け! これを届けてくれ!」

人狼が詠唱を終え、視線が殺気に変わる刹那、懐で思念をこめた紙片を急ぎ取り出し、後方に放った。紙で出来た蟲形に式鬼が乗り移り、虚空へと失せる。そして、直ぐに視線を前に戻した。


「——ッ!?」

視線の先、そこに迫っていたのは黒い殺意の塊……いや、人狼の脚だ。咄嗟に交差させた両の腕の防御を突き抜けて、鉄槌で打たれた様な衝撃が身体を襲い、後方に勢い良く吹き飛ばされる。

 自分が何回転したのか数えることも出来ず、勿論、受身など取ることも出来なかった。地面に叩きつけられた身体の節々が痛みを訴え、まるで四肢をバラバラにされたのではないかと錯覚するような感覚に陥る。身体が、最早ほとんど言う事を聞かなくなっていたのだ。


「うぅ……」

呻き、目蓋を開くと、崖が眼下に広がっていた。勢いよく流れる川は濁流。余裕など無いのに……そうか、昨日は雨だったなと思い至る。


「貴様ァッ何をした! この私に断りもなく!」

人狼が感情を剥き出しに吠える。後ろ目にその姿を捉えると、深紫の瘴気が膨れ上がった。


「フフッ……」

だが、全身を刺す様に纏わりつく瘴気を受けながらも、私の口から漏れたのは笑い声だった。何とか間に合った。だから、それだけでもう……


「もう遅い……灰ノ国へ〝使い〟を送った。」

「使いだと?」

「私が見た全てを式鬼に込めた。我が国は悟るだろう、お前らの目的を。ヴェルデの思い通りにはさせない……彼女・・がそれを許さない」

私の左手の五指が力なく大地を鷲掴む。指跡が薄っすらと崖際の地面に残った。


「混じり者の分際で余計な真似をッ!」

「混じり者、か……」

人狼の言葉に、幼い記憶が思い出される。白い肌、金色の髪、碧い瞳……灰ノ国の民にはあり得ない容姿。だから、あの国では私は忌み子として蔑まれ、忌避されて来た。


「こんな忌み子は早く消してしまえ」「祟りを呼び込むぞ」そんな風に言われて来た私を、唯一〝綺麗〟と言ってくれたひと……覡。だから、私は彼女の守護となる事を決意し、彼女の手となり、足となり、脅威を払う一刃として全力で支えようと思った……私は、役に立てただろうか?


「チッ! だからこんな猿はさっさと殺ってしまえばいいと言ったのに……もういい、死ね!」

周囲に広がる瘴気が人狼の四肢に集約される。それを見て悟った。


 あぁ、ここで終わりか……

 この様な、異国の土地で果てる事を許して欲しい。いつも力及ばず、貴女に迷惑をかけてしまっていたかもしれない。

 なのに、貴女はいつも話しかけてくれた。

 いつも、一緒に笑ってくれた。

 もしも、もしも、最後に願いが叶うなら……一目でいい、貴女にもう一度だけ会いたかったッ——


 視界が歪む。

 溢れる雫が頬を伝い、顎先から落ち、右手に握られたままの風切を濡らした。


ッ、ゲッ……〟

先程同様、頭の中に直接、風切の笑い声が響いた。


マコト、綺麗過ギルネガイヨ……〟

ワラワセテ貰ッタ礼ニ、小娘、ナンジネガイ、叶エル一助ト成ッテモ良イゾ〟


 何を言って——


〝我ガ身ヲサラセ、月光ニ……スレバ汝ニ、幾許イクバクトキヲ、授ケヨウ〟


 そんな話、信じられるとでもッ


〝死ニ逝ク汝ヲタバカッテ、我ニ何ノ得ガアル? ……迷ウナッ! 抜ケ、小娘!〟


 確かに、手にした怪刀の言う通りだった。ここで風切を抜こうが抜かまいが、私の未来はあと数刻で消えて失せ、屍となるだけ……ならばと、左手で黒鞘を掴み力任せに引き抜いた。

 刹那、風切が震え、巻き上がった周囲の空気が共に啼き叫ぶ。日緋色金の刀身は、降り注ぐ月光を受け眩く光輝き、反射した光が徐々に一枚の大きな羽根を形作った。


〝破ッ、小娘ニシテハ上等カッ!〟

刹那——攻撃動作に移行していた人狼が驚きの声をあげた。生じた光の羽根が私と奴の間を一撫ひとなですると、二つの気流が巻き起こり周囲の物全てを飲み込む勢いで渦を作る。


「グッ、その懐剣……風を使役するかッ!」

人狼が片膝をつき、大地へ伏せ抵抗した。一方で私自身は抵抗する術なく、その渦へ引きずられていく。


「このクソ怪刀ッ! 術者まで巻き込むかッ!?」

忌々しく睨み付けると——


〝焦ルナ、時ハ来ル……フタツノ渦風交ワレバ…… 降リ注グ災禍ハヨドミ、汝ハ時ヲ手ニ入レル〟

風切の……いや、赤目の声が響くと同時に、背後で生じていた渦風がぶつかり合った。


「何だ……」

思わず驚きの声が口から漏れる。先程まで吹き荒れていた風が、まるで海上で凪の間に逢った時の様に止んでいたのだ。慌てて後ろを振り返ると、あろうことか人狼の周囲だけが時が止まったかのように暴風に包まれている。


「これは——」

〝凪ノ時ハキタル……長クハ無イゾ、如何ドウスル?〟

「はッ……決まってる!」

言って、崖際へ這い近寄ると……私は、目の前の崖へ身を投げた。


*****


 暴風が止む。


「チィッ……猿めがッ!」

人狼が一際大きく叫ぶ。乱れた髪をかきあげて、崖際へ歩みを進めた。


「この高さで、無事とは思えないが……」

人狼が自分に言い聞かせるように推測を口にする。しかし、このまま陣地に戻る訳にはいかなかった。そうだ、あの方が来ているのだ。醜態は見せられない。であれば——


「この代償……屍となっていても償わせるッ!」

放った言葉が空に消え失せると同時に、人狼の 姿も消え失せていた。

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