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灰ノ国4〜黒白の刻〜

「————ッ!!」

つぶされる——ッ。土蜘蛛と月魄院の衛士の狭間に飛び込むと同時、上方から振り下ろされた一撃を防ぐため短刀を振り上げた瞬間、そう思った。


 左の視界で血潮が飛ぶ。腕が悲鳴をあげるより速く膝が大地に接し、振り下ろされた鋼は打ち込んだ短刀をものともせず、容赦無く右の肩に食い込んだ。

 しかし、まだ、骨には達していない……という事は、何とか間に合ったということか?

 チカチカと視界を走る星が徐々に消えていくと、何処かに飛んでいった焦点がようやく戻ってきて、目の前の男の輪郭を鮮明にしていく。


「女……何のつもりだ?」

理解出来ない……そんな含みを持たせた衛士の言葉が私の耳に届いていた。本来であれば、土蜘蛛を絶命させていたであろう一刀は、私が間に入った事でその目的を達し得なかった。

 とはいえ、容赦無く左肩の肉に食い込むソレは、返答を誤れば、そのまま振り下ろされ私ごと土蜘蛛を両断するだろう。


「……この妖の目的は——人喰いにあらずッ!」

乱れる呼吸を整える為、喉奥に溜まった唾液を飲み込むと、ゴクリと音が鳴った。その後に絞り出した答えが辺りに広がっていく。


「何を言うかと思えば……」

面は見えなくとも、眼の前の男が憤っている事が容易に分かった。身体に食い込む刃がカタカタと震えていたからだ。


「此奴……覡の従者か?」

後方に位置するもう一人が確かめるようにそう言うと——


「左様」

私の代わりに屋根上から鬼喰人が答えた。クックッと笑い声を漏らしながら面を隠す頭巾を右手甲で除けると、白い肌の上に、小刀で切り裂いたかのように切れ長の眼が浮かび、こちらを睨むように見据えている。


「……嗤わせるのぉ。其れが、先の問いに対する主の答えか?」

「……仰せの通り」

らば答えよ。何故、その解に至ったのかを」

説き伏せられるだろうか? この答えは、あくまで私個人の推論の域を出ない。土蜘蛛の“中”をあらためれば、直ぐにでも答えは出るが……手順を誤れば全てが無へと帰すだろう。何れにせよ……やるしかないッ!


「——傾聴けいちょう願います!」

「許諾した……申せ」

許しの言葉と共に肩から刃が離される。ジクリと呻く痛みを心で抑えて口を開いた。


「……我らが美夜古を護るは、星蝕ほしはみ霊鳥れいちょう幻狼げんろう六亀ろっき麒麟きりん——これら神獣宿る五門を基点とした城塞一体型の方陣結界。故に、門の破壊無くして、妖の類は京を侵すことあたわず」

「……然り」

鬼喰人が頷く。


「常世乃者とて、例外ではありませぬ。然れど、この妖は現に結界を食い破りました。明らかに、結界への耐性を持ち合わせております」

「馬鹿な……そのような事があり得る訳が——ッ」

衛士の一人が声を上げるが、鬼喰人から発せられた覇気を受けて口を閉じた。


「その目星があると言うのだな?」

「はい……唯一、この結界を破れる存在が有ります。我らが従える——」

「式神か」

口に出すまでも無く、鬼喰人は解へと至った。それも当然だろう。この国で最も式神を従える事に長けている人物なのだから。


「はい、灰ノ国の術師が従える式神ならば、結界に拒まれる事は無い。恐らく、この土蜘蛛は……」

そこまで言って、先の光景が蘇った。泣き、笑い、人と妖の狭間で苦しむのは、誰の感情だろうか? 肉体を失ってなお、昇天する事を赦されぬ魂魄が土蜘蛛の内側で彷徨っているのかも知れない。そして、其処には——


何処いずこかに於いて人を喰らい、美夜古へと向かっていた式神をも喰らって常世乃者と成り果てたのでしょう」

「その式神、誰が物と推知する?」

「……」

式神が妖程度に喰われるという事は、式神自体がその力を失いつつあったという事だ。つまり、その術士の生命力が削がれていた事になる。そして、決して多くない蜘蛛型の式神を従える人物に、私は心当たりがあった。


彼乃地アイデアルに渡りし……八葉はちようの一人とッ」

巫女は「四葉」から連絡が無いと言っていた。その状況下であの子が式神を飛ばしてきたとなると、考えたくは無いけれど、何か……急ぎ凶報を伝えようとしたのではないか?

 おそらく今は、頭胸部に撃ち込まれた槍によって一時的に土蜘蛛が昏倒したところに、式神が覚醒して“灰ノ国の覡の下へ”という指令を達成しようと暴走しているのだろう。だから、今ならばまだ間に合う。先ずは、式神を鎮めて——


「——成る程のぉ」

頭上から声が聞こえ見上げれば、ふわりと、羽衣が舞うかのように鬼喰人が舞い降りる。そして、優雅なその姿に一瞬時が止まったかのような感覚を得た。何をするのだろうか? そんな疑問が生じるいとますら与えさせる事なく歩みを進め、気が付けば、私の隣に立ちながら土蜘蛛に視線を投げかける。


如何いかなるゆえ有ろうとも、鬼は鬼……」

頭巾の脇から覗く鬼喰人の眼が光り、喉元に血管を浮き立たせ、放つ言葉に力が籠る。


 ——ッ!?


 ゾクリ、寒気が背筋を駆け上がる。

 それが、脳天から抜けていった後に身体の内に残っていたのは「怖れ」という感情のみだった。

 

「人にわざわもたらす……禍津日まがつひなり……」

容赦の無い圧倒的な怒気が身体に突き刺さる。鬼喰人が声を発する度に空気が震え、其処に在る万物に伝播していたのだ。カタカタと震える身体を抑えつけながら、その男を仰ぎ見ると——


惑月まどひづき……』


 ゆっくりと、言葉を紡いでいた。それが合図だった。空気も草木も、家や柱といった人工物……先程まで震えていた全ての存在がピタリと物静かになり鬼喰人に隷属している……いや、従わされていた。そして、その発せられた言葉が意味するのは——


「ま、枕詞まくらことばッ——何をッ!」

鬼を滅する破魔の詩。それを発動せし鍵……それ以外の何物でも無い。


“急くな。巻き込まれるぞ”

「カッ……ハ……⁉︎」

止めようと、身体に力を入れた途端、頭の中に直接声が響き、上方から何かに押さえつけられるかのように自由を奪われていた。動けぬ私など意に介する事なく、破魔の詩は紡がれる。


『刻を忘れし愚者おろかもの……半弧に欠けし、その身を寄越せ……』

ひるすぎの未だ夜来ぬ空の上で、一人寂しく薄っすらと姿を見せていた弦月げんげつは、鬼喰人が空に掲げた右手の指先になぞられた途端、空から姿を消した。すると、あろうことか、己を呼び出した男の目の前に音も無く顕現する。まばゆく輝く其れは自ずと弓の形を象っていき、あるじの手に収まった。鬼喰人が弓張月ゆみばりづきの弦を引き絞り、放つ。


“——弾音びぃん……”


 また引き絞り、放つ。


“————弾音……”


 甲高くも美しい音が響き、反響する其れは徐々に大きくなっていく。その音に呼応するかのように、弓と弦の狭間に一本の矢が形造られていった。


『我がみたまは揺らぐ事なく、一条の矢となりて、悪しきを討ち滅ぼさん——』

両の拳で弦月と光の矢を打起こし、引き分け、保つ。その美しい所作が見るものを魅了し、そして——


『悪しきをはらえ——弦月めいげんの光よ』

矢は放たれた。飛翔する一条の光は、吸い込まれるように土蜘蛛へと撃ち込まれ、ぽっかりと拳大の穿孔を開けた。途端——


“いやぁぁァアAhaaa————ッ!!”

耳をつんざく土蜘蛛の悲鳴——が、轟ッと風が嘶くと、穿孔の中へその悲鳴すらも吸い込まれていく。土蜘蛛を成す体組織がみるみる粒子となって霧散していった。


 これでは……四葉の思念など残る訳が無いッ——


 どうにかして止めなければと思っても、身体は言うことを聞かず、喉からか細く空気が漏れただけで。投げる視線の先で、巨大な体躯を成す節足は既に飲み込まれており、なかば程まで溶けた腹からは、ズルリと長い消化器官と思しき臓物がそのまま穴へと吸い込まれてく。

 誰もが、圧倒的な力を目の前に動けずにいた。そして、残すは頭のみとなった時……何故か、鬼喰人が舌を打った。刹那——


 光が膨らむ。穿孔へ消えた筈の光が漏れ出し、幾条もの光線を次々と天へ、大地へ撃ち込んでいき——炸裂。膨大な光が辺りを包み込み、目を眩ませ、耳鳴りを起こさせた。


「チッ!」

「くッ——!?」

思わず、瞼を閉じた。一陣の風が過ぎ去ると、砂塵と共に微かな甘い香りを鼻腔に届かせる。ゆっくりと、眼を開けた。


 土蜘蛛の頭胸部から幾つものツタ……幹とも言える程太い其れが、絡まるように天へと延び蕾をつけていた。女人の人面は消え失せ、土蜘蛛は既に事切れている。香るのは、甘く、先程まで荒んでいた心を落ち着かせる位に柔らかい匂い。

 何が起こったというのか? 鬼喰人の反応からして、術が正常に発動した訳では無さそうだ。ならば、これは一体——


「——変わらねぇなぁ。鬼喰人……いや、世無」

霞む視界の向こう、ゆらりゆらり歩みを進める影がそう告げる。


「星蝕之門の前で、寄生型の種を仕込んだ。少し発芽が遅れた様だが……何とか間に合ったか」

光の残滓が消え失せると、その姿が露わになった。ボサボサの頭髪。伸び放題の髭。身に纏う衣服は薄汚れており……一見して浮浪者のような出で立ち。およそ、皇国に出入りできるような身なりではなかった。しかし、鬼喰人を知っているという事は、朝廷に所縁のある者なのだろうか? そして、名を呼ばれた鬼喰人は心当たりがあるのか——


「誰かと思えば……貴様か。余計な真似を」

苛立たしい声を出していた。


「いやぁすまん。聞こえてしまったからなぁ。妖に喰われし女子おなご御霊みたまの悲鳴を。お前にも、聞こえていたと思ったが……」

そんな歓迎されていない物言いにも意を介さず、最後にそうポツリと呟き、青々と茂った樹木を見上げる。


「だからどうだとうのだ? 鬼はすべからく滅すべし……其れが我が使命よ。貴様の様に巫山戯た志で灰ノ国が守れるか?」

「巫山戯た、か……確かに、俺は祓いのすべをお前のように操る事は出来ない。しかし、土蜘蛛ごと喰われた御霊を滅せば、其奴は……虚空を彷徨い永遠に苦しむ事になる。ならばせめて、白檀びゃくだんの香りと共に夢の中で安らかに眠れと思うのは、そんなにも……可笑しな事かよ?」

その言葉と共に、ポッと一輪の花が咲き、光の玉が空へ駆け上がっていった。


「昇ったか……綺麗だなぁ」

「貴様……何者だッ!」

ようやく我に返ったのか、私の近くで黙っていた衛士が声を張り上げ、直刀を構えた。


「よい、相手にするな……其奴そやつは蟲薬院の“呪禁師”よ」

「蟲薬院の……此奴が?」

衛士が信じられないと言った声を上げる。私も同様の印象を持ったが、蟲と植物の性質を利用し、祓いの儀を使わずして穢れた魂を潔め、天へ返したのを見せられれば、納得するには十分だった。と、その事実を飲み込んだ後に、自分がやらねばならない事が急に浮かび上がった。


 式神は——式神は残っているだろうか? 慌てて土蜘蛛の頭に近付き触れると、砂の塊が崩れる様にパラパラと壊れていく。


「おい、何を探している?」

すると、浮浪者……呪禁師が背後から声を掛けてきた。ツンと、汗の臭いが漂ったが、其れを気にしている暇は無かった。


「護符が中に在る筈——探してッ!」

「あ、あぁ」

合点がいかない様子ではあったが、男は私と共に土蜘蛛の頭を探り始める。すると、程なくして——


「お、あったぞ」

「——貸してッ!」

奪う様に取り上げる。果たして、掌に収まっていたのは、四葉の印が刻まれた式神宿る護符であった。直ぐに小刀を懐から取り出して、親指の腹を切り、己の血を護符に垂らす。ジワリと赤が広がり——式神がその姿を現した。


「式神か」

感心した様に男が声を上げる。その眼下でキィキィと鳴声を上げる小型の蜘蛛は、残された僅かな力で前へ前へ這いずり進む。


「我、其方に血を捧げしあるじの同胞也。託されしつとめめを此処に果たせ」

ソッと手を置いて語り掛けると、悟ったのか式神は蜘蛛糸を放出して一枚の魔鏡を造り、託されし言葉を発した。


「刻、來り……彼乃地にて、双頭鷲は、禁を破り神魔を解放せん……大地は震え、大気は吹き荒び、世界は色を失い……歴史は繰り返す」

所々途切れていたが、その言葉と共に魔境に映像が流れていく。


 双頭鷲の国(ヴェルデ)が大陸に建造した基地。発掘された祭壇。そこに刻まれし魔法陣。四葉が見たであろう景色は、最後に長身の大陸人を映して消えていく。


「大陸人め、愚かな……」

呪禁師が声を上げる。悟ったのだろう。しかし、これが真実ならば——


「——急ぎ総府へ!」

鬼喰人を見上げ、訴える。総首長へこれを伝えるならば、灰ノ国の要人たるこの男に頼むのが最善だろう。しかし——


「——いや

「何故ッ!?」

「もう、遅いわ……」

断ったかと思うと、鬼喰人は、そう言って空を仰ぎ見ていた。つられて、皆が空を見上げる。途端に辺りが暗くなった。雲が陽光を遮ったのかと辺りを見回すが、直ぐに違うと思い至った。白、黒、白、黒……その二色だけが全てを呑み込む。


 色が失せたッ!?

 これは、まさか——


「黒白の刻……」

呪禁師がポツリと呟く。空を仰げば、太陽は消え失せ、黒と白の双月が世界を呑み込んでいた。其れが意味するのは、神魔が解放され、彼らが再度、世界を奪い合うという事だ。

 皆が空を見上げていた。これから辿る世界の行く末を、其々(それぞれ)が恐れ、慄き、思案しながら、力なく立ち尽くす。四葉……彼女は新大陸で何を、何を見たと言うのだろうか?

【用語解説】

◯蟲薬院

 総府の機関の一つ。小規模な部署ではあるが、新薬開発や疾病対策を所掌する。


◯呪禁師

 蟲薬院に所属する官司。薬草、益虫はもとより、毒草、毒虫までもを熟知し、流行病のほか、いわゆる呪術対策を担うこともある。

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