黒白
満天の黒は宵闇がもたらしたものではない。間隙なく天を覆い尽くす雲のせいである。その趣は、正に天空そのものがあの黒と化けてしまったかの様で、、、。気持ち、この町の雰囲気もあの曇天同様生気に聊か欠ける、モノクロを見るような若干の物寂しさと物憂いさが蔓延っている。濡れたコンクリートが憂鬱に拍車をかける。対して、モノクロ特有の趣というべき味は一切この町に呈していなかった。
「こんちは、、、、」
「よお、いらっしゃい」
ここがどこか、この人は誰なのか、そんなことはどうでもいい。ただーー厨房を悉く囲むカウンターの最奥に、気だるげに御猪口を口付ける女がいた。女は矢庭に酒を煽ると、力強く放った。
「もう一杯」
綺麗な人だ、そう「思った」といえば何か違う。僕の、多分もっと始原的な心の働きが連関していて、僕は、何かちょっと思う間もなく見蕩れてしまった。殊に襟元から覗く首筋と捲った腕の純白が、ワイシャツの青と長い黒髪に、背景との対照を施すことで皓々と輝いている。先刻までの食欲が嘘のようだ。昨夜から何一つ口に入れていないはずが、腹は時々滑稽に鳴くだけで、何だか欲望が満たされた気分だった。
それにしても女はよくお酒を飲む。酒には滅法強いらしい。僕がこの店に来て幾品か注文する間にも既に二升瓶位ポン酒を開けている。
僕もそろそろ目前の刺身やらをみて食に手を付けようと思った。しかしながらそう思ったのは、女の段々酒癖の悪くなるのを見て失望したり、いつの間に降った雨の音を受けて先の憂鬱が甦ってきたというのもあったりする。だから、共に再来した欲望に僕は従順した。
店を出ると、不意の光芒に眩しく、反射的に手を翳した。コンクリートは既に乾きを現し、蔓延っていた陰気は見る影もなかった。どうやら数時間前には雨が上がっていたらしい。ふとーー手前の横断歩道を怪しく渡る女を見つけた。あの人、、。
純白は、陽射しを以てその輝きをこれでもかと強調している。一度沈んだはずの心機が甦った心持ち。
黒雲は、出すものを出した風にさっさと天を退き始める。あれは僕と同じだ。一時的に、根源たる、原始たるものの存在をひた隠そうと、抗おうとするけれど、いずれはその源の光芒に押し負けていくのだ。
走行音と人の声が佇む僕に纏う。それでも気にならない。目処はこんなにも分かりやすいのだから。
僕は、怪しい光に魅せられるように、遠方に退け溜まる黒雲に向かって歩む純白をしばらく見ていた。