1-8 冤罪事件
第一章 辺境都市『ムサシノハラ』
開き戸の隙間から差し込む光が、二人の顔に当たっている。ギジェがその明るさに眼を開けると、目前に光の中で輝く美少女の横顔があった。
前にも同じ景色を見たことがあるな。
魔道士は苦笑すると、ライシャの顔に掛かった輝く金髪を、優しく肩口へと指で寄せた。すっと少女の口元が幸せそうに緩む。
「おはよう… ギジェ」
薄く眼を開けたライシャも、彼の黒髪に手をやってふわふわとかき混ぜる。そうしてお互いに顔を寄せると、朝のキスを柔らかく交換した。
「こんなに幸せな目覚めはいつ以来だろ」
ギジェが少女の耳を優しく愛撫した。キツネ耳がぴくぴくんと反応する。
「あっ… あ、朝から… もぅ」
お返しにっと彼の耳たぶを甘噛すると、ギジェが、くっと身悶えて面白い。
そうして寝起きのしばらくを、ふたりで戯れてすごした。
朝食を終えて宿を出ると、朝の八つ鐘が鳴っていた。二人は恋人のように手を絡めて公園をゆっくりと歩く。昨日の余韻が未だに残って、なかなかこの散歩道を去りがたい。
「今日はどうしようか、道具屋も行くんだろ?」
ギジェは泉の広場を見下ろすと言った。朝の収穫を終えた荷馬車が、東側の集積場に入っていく。
「そうね、とりあえずゲンジとメリルの顔を見ておこうかな。まだ教会に居る時間だし」
「そうだね、そうしよう」
二人は東端の貫通通路を最上層まで昇っていった。
ライシャが裏口の鉄の扉を開くと、ゲンジが勢いよく飛び出してきて抱きついた。
「ライシャ、ライシャどうしよう! メリルが…」
少年を抱きしめながら彼女は素早く聞き返した。
「どうしたの? メリルがどうかなったの?」
大泣するゲンジの背を優しく撫ぜる。
「昨日の夕方、三層の肉の買い取り所の前で、ボナエルン一家の下っ端に絡まれて、連れていかれたんだ… スリをしたとか言って、やってないのに」
「ボナエルン一家って何者だ?」
ギジェも少年の肩に手を置いて、なだめるように聞いた。
「この街で一番大きな組織よ。悪事も治安もどっちも奴らが取り仕切っているわ」
ライシャが厳しい顔つきで答えた。少女の手が固く握られていく。
「ゲンジ、メリルが連れて行かれたところわかる? ボナエルン一家の『御殿』?」
「違うとおもう、四層西から上のスラムの方だった。途中まで追ったんだけど、最後蹴られて…」
「昨日ならまだこの街から出ていないはず。あいつら…」
「ライシャ、この街は広くはない。俺の使い魔で探しだそう。大丈夫すぐに見つかるよ」
ー 召喚闇夜蜂鳥 ー
ギジェの魔法名だけの詠唱で、地から黒い魔力の渦が巻き上がると、とたんに20匹の雀蜂サイズの鳥達に集約する。
音もなく宙に漂う彼らが主の周囲に輪をつくった。ゲンジが「わぁ」と驚いて奇声をあげる。
「召喚魔法とか初めて見たかも」
ライシャが飛び回る小さな使い魔を見上げている。
「ギジェは魔法使いなの?」
少年が瞳を輝かせて尋ねた。
「そうだよ、しかも俺は強力だ。検索項目『メリルとボナエルン一家』西側をしらみつぶしにたのむぞ」
小さき使い魔達が西の方角に散っていった。
「あの大きさだから屋内や狭い通路までも、入り込んで探せるんだ。少しだけ時間をもらうよ」
「じゃ、ギジェは此処で使い魔を操作していてね。私達は四層あたりを探してみる」
「何かあったら、ゲンジを此処に来させるか、使い魔に手を振ってくれ、視覚の同期もできるから」
「了解」
ライシャとゲンジは、最初に3層の西端にある、広く仕切られた一角へとやってきた。大きな壁と鉄柵に囲まれた、ボナエルン一家の『御殿』と呼ばれる本拠地だ。
高い鉄柵の向こうに三階建ての白亜の屋敷が見えている。更に左右には本館までの道を守るように、長い平屋の軒が並んでいた。
門には三角屋根の詰め所があり、ガラの悪い剣士が数人詰めている。
「あの中に知った顔はいる?」
「メリルを連れて行ったやつはいない。あいつはチンピラだから多分、下部組織の奴だとおもう」
「わかった」
二人は一度、泉の広場や飲み屋周辺を探し歩き、それから西の四層へ足を踏み入れた。
教会のある五層と同じく、バラックや廃屋が目立つスラム街だ。朝から道端で酔いつぶれるドアーフや、派手に殴り合いの喧嘩をしている荒くれ共も目立つ。
二人が絡んでくる酔払いや、物乞いを躱しながらも、四層から五層へと探し歩いたが、メリルを拐った犯人は見つからなかった。
「何処に隠れてるんだろ」
ライシャが悔しいそうに口を引き結ぶ。二人が西の直通路を降りようとした時、ゲンジが急に腕を引いて石壁の影に身を隠した。
「あいつだ」
階段を昇ってくる二人組が、ライシャたちの脇を通り過ぎる。少女達は目配せをして、こっそりと後をつけていった。
男どもがたどり着いた先は、狭い空き地と、鉄板が何枚も打ち付けられた建物の廃屋だった。ゴロツキらしい短剣持ちと、両手剣装備の大男が、見張りをするような挙動で立っていた。
ライシャは一度、道を戻ると上層の物置小屋の影から奴らを観察した。ゲンジに確認させると、右側の短剣持ちの男を見て頷いた。
そこにギジェの使い魔が飛んできて目前で滞空する。ゲンジが廃屋を小さく指差すと、大きく上下に動いて理解の合図を示した。
すぐに違うもう一匹のハチドリがやってきて、廃屋の周囲を飛び回ると、すっと鉄板の隙間から中へと入り込んだ。
数分を黙って待機していると、目前の使い魔がぐるぐると大きく円を描いて、当たりの意思を二人に示した。
「ゲンジここに居て、ギジェがきたら場所を教えて」
「うん」
ライシャは背中の長弓と腰の麻痺の黒刀を確認すると、そこからふわっと空へ舞い上がった。彼女は男どもの頭上から地に降り立つと、一度深く息を吸ってから睨みつけた。
「うちの子を返しなさい。中に居るのは確認ずみよ」
突然の啖呵に一瞬たじろいた大男たちも、相手が背の低い少女だと見ると、途端に態度を一変した。
「なんだいお嬢ちゃん、俺たちに言い掛かりでもつけんのか?」
短剣の男がすらりと剣を抜き、大剣の男は嫌らしい笑いをにやにやと浮かべている。
「昨日あんたが拐ったメリルの仲間よ!今なら黙って許してあげるわ」
妖狐の少女は一歩も引かずに、背筋を伸ばして綺麗に立っている。
「面白いこと言うね嬢ちゃん、俺達はボナエルン一家のもんだぜ、許してもらわなくて困らねぇな。がははははは」
短剣を少女の首もとでチラチラと動かし、大剣の男が肩口を掴んで言う。
「何ならお嬢ちゃんも『カタコンブ』へ売り飛ばしてやろうかな?その前にたっぷりと泣きわめかせてやるけどよ」
ライシャがキツイ怒りの表情で男を見た。
「あんた今もって言ったわね?」
次の瞬間、ライシャの両手が二人の大男を頭上高くに持ち上げた。
「え? ひっ」
何が起きたか理解できないゴロツキが、空中で手足をバタつかせて逃れようと暴れている。「ヤっ!」と少女は鋭く叫ぶと、大男二人を凄い勢いで鉄板へと突き飛ばした。
ズドンっとそれを折り曲げながら、土煙を上げて瓦礫の下に埋まってしまう。
そこに廃屋よりも高く飛び上がった妖狐が、体重を五倍にして大剣の男のあそこに飛び降りた。巨漢が「ぎゃあああああっ」と無様な悲鳴を上げて、身体をくの字に折って失神する。少女は汚いものを踏み潰して、さも嫌そうな顔をした。
「ひぃいい」
短剣の男が折れ曲がった鉄板の下から、這い出そうともがいているところを、脚で踏みつけて徐々にその重みを増していった。
「ぎゃっ ぎゃあ、ぐあぉ… 止めてくれ」
八倍の重みを掛けたまま、ライシャは鉄板をガンっと踏みつけた。どこかの関節がゴキっと曲がる音がする。
「やめぇ… あいつが、俺の金貨をスッたんだ… 犯罪は死刑か農奴送りが決まりじゃねえか… ぐええ、もう上にはそう報告した、ぎゃあ」
「メリルはスリなんかしない! ていうか、あんたあの子の金貨まで盗んだのね」
ガンっともう一度鉄板ごと蹴った。骨が砕ける音が響く。
「あの金貨は私達が贈ったのよ!この盗人め!」
ライシャが12倍まで荷重を増やしたところで、男は泡を吹いて失神した。
少女は二人の剣を取り上げると、重量を数グラムにして廃屋の屋根に投げてしまった。
それから、崩れた鉄板の影から内部をこっそりと覗き込む。意外と広い暗がりの奥に、ゆらっと光る二つの目が見えた。闇に潜んで奇襲を狙っているのだろう。
しかし本来は夜行性の妖狐にとって、闇は天日と同じく丸見えだった。スキルでいえば『夜眼』とでもいうのだろう。
ライシャは背の長弓を美しく構えると、鏃の平らな打撃用の矢を掴み取った。廃屋の外から弓を引き絞り、細い隙間の暗がりに向けて矢を打ち込んだ。
とたんに「ギャっ」と声があがり、どさっと何かが倒れる音がする。
少女は入り口から無音で滑り込み、暗闇の奥まで歩いて行った。奥の壁際に、額を平たい矢で直撃された男が、脳震盪を起こして転がっていた。
足元に落ちていた弩弓に気づくと、その弦を腰のナイフで切断した。
「ライシャ大丈夫か?」
そこで背後から愛しい人の声が響く。
「うん。平気よ、こんな奴ら相手にならないわ」
ギジェは苦笑を浮かべながら少女の髪に手を添えた。
「ライシャ暴れすぎだから」
金色の髪をぽんっと優しく触ると、ふさふさの短い尻尾が、嬉しそうに左右に揺れている。ギジェは右奥にある地下への階段を目配せをした。
「私を犯して奴隷として売り払うって言うのよ。しかも、多分メリルもそうする気だったのよ。それでちょっと切れちゃった」
少女は悪戯ぽく舌を出した。
「なんだと! ライシャにそんな事しようとしたのか… 皆殺しだな」
真顔で恐ろしい事を言う黒魔道士。
「ちょっと手加減しなさいよね」
今度は少女が苦笑した。
そうして明らかに怪しい奥の階段を、ゆっくりと降りて行くと、ギジェが手を上げて止まれと指示をした。
焼き煉瓦で囲まれた地下室の長い通路。
魔道士が指先で大きめの氷塊をつくると、ひょいっとそれを投げこんだ。とたんにカチっと何かが作動して、天井全部が落ちてきた。濛々と上がる土煙に二人とも咳き込んでしまう。
「教会にあるトラップもこんなんじゃないのか?」
「こんな大袈裟にしたら、地下室自体が埋まるからね」
ライシャが手を振って否定する。
「奥に一人いるな」
「ええ、デブの大男だわ」
「ちょっと懲らしめてくる」
その瞬間、ギジェの姿が周囲の土煙を棚引いて消え去った。「ぐえっ」と奥の闇中から汚い濁声が聞こえてきた。ガランっと剣が床に倒れる音が響く。
突然明かりが地下室を照らし出した。壁掛けにされていた魔法ランプが点灯したらしい。
壁に埋められた二箇所の鉄格子と、首を押さえられて壁に押し付けられている、汚いデブ男が視界に見えた。大きな牛革の椅子や、食べ散らかされたテーブルの上に、一本鞭が乗っている。
「お前らなんだ… 手、手を離せ、俺はボナエルン一家のグワテ様だぞ… 犯罪者の処遇は、俺様に任されてるんだからな」
「メリル、大丈夫なの? ああぁ… 何んて酷ことを」
鉄格子の向こうには、二人の少女が床に伏せていて、二人とも衣服は剥がされ、背中に鞭打ちの酷い傷が血を吹いている。
「この外道め」
ライシャが腰の麻痺の黒刀で、醜いデブの手の平を貫いた。
「ぎゃああああっ」
麻痺のダメージが乗って、感電したヒキガエルのように、痙攣しながら床へと崩れ落ちる。
ギジェが手のひらで格子を横撫でにすると、巨大な氷塊が格子の合間にギシギシっと生まれて、鉄の檻を押し広げた。ライシャが壊れた格子の合間からメリルを助け起こす。
「ライシャ… ギジェ来てくれたぁ。へへっ良かった」
メリルを優しく膝に抱く。ギジェが手早く中級治癒薬を引き出して手渡した。
「酷いことされたんだね。ごめんね来るのが遅れて… ごめん」
彼女がこんな仕打ちを受けていたときに、自分が幸せに浸っていたのが許せなかった。
「大丈夫、背中を叩かれただけだよ。もっと金貨持てないか、隠してないかって」
彼女の背に薬剤を流すと、凄い勢いで傷が消えていく。最後にこくんっと一口飲ませた。
「もうひとりの子は?」
「彼女はミナリィ、西区のスラムに居た最近に街に来た子みたい」
ライシャはミナリィにも薬を与えて抱きしめた。
「この見た目豚族のゴミ野郎どうする?」
ギジェがやっと麻痺から開放されたグワテの背中を蹴り飛ばした。
「俺にこんな仕打ちをするとは… そいつらは、もう上に犯罪者として報告したからよ、この街では生きていけないぜ… げへへ」
その瞬間、グワテが左手に握っていた火の巻物を投げようとした。しかしそれは氷の壁に遮られて、自分の手元へと跳ね返ってくる。
グワテを包んだ氷の半球の中で、紅蓮の炎が燃え上がった。
「ぎゃあああ!ぎゃあああああぁあ、た、助けてぇぐれええ」
自分の火炎の巻物で焼かれるデブ男の悲鳴が酷い。
「結構威力あるんだな、狭いところだと気を付けないとな」
魔道士が格子の側で腕組みをして感心していた。
「ライシャ、二人を連れて外に出てくれ。こいつらの落とし前は付けていくから」
妖狐の少女は頷くと、二人と手を繋いで地上へと昇っていった。
見下ろすと全身生焼けになり、命も危ういグワテがヒーヒーと息をしている。
「今回は利き腕一本で許してやる… まぁお前はもう助かりそうにないけどな。他の三人とも二度と荒事は出来ない身体にしてやろう」
ー 凍結の荊棘 ー
「ぐぎゃああ、ぎゃああああ」
丸焼けの豚男の右手に、氷の荊棘が絡みつき食い破り潜り込む。そして苦痛が限界まで来た所で、腕の芯から完全に凍結した。
「弱い者の痛みを知れ」
ギジェは無表情にその腕を踏み砕いた。