1-6 ジクタバの古道具屋
第一章 辺境都市『ムサシノハラ』
「気持ちいいねー やっぱり乗り心地が素晴らしいわ」
少女はギジェに後抱きされた騎乗で、スポイルの背にキスを落とす。
隠れ家を飛び立って半時ほどで、辺境都市の外郭が見えてきた。朝靄の中に浮かんだそれは巨大な闘技場にも見える。
薄曇りの天空は少し肌寒く、今日のライシャは薄い柄のポンチョに、贈られたキャスケット帽を深めに被った、愛らしい着こなしだった。
「スポイルくん… やっぱりあざといよね?」
主の指摘に、ふいっとそっぽを向く氷の飛竜。そうしていつもの丘陵の影に、ふわりとお上品に着地した。
「10日ぶりぐらいかな?」
帽子姿の妖狐が正門を見上げながらそう言った。
しゃんと背を伸ばし、柔らかい笑顔を真っ直ぐに向け、信頼する相棒の横を力強く歩く。初めて出逢ったときの疲労感は微塵もなかった。
とりあえず露天の肉詰めサンドと、バジル味の肉詰めのタコスと、肉詰めの串焼きを買って、泉の縁で朝食にした。
どんだけ肉詰めが好きなんだと、お互いに突っ込みを入れつつ仲良く食べ回す。
そしてまだ人の少ない喫茶店のテラスで、朝の珈琲を注文した。
「うーん、やっぱり店で淹れる珈琲は香りが凄いな… これはまだまだ研究の余地がありそうだ」
ライシャは、にこにこと上機嫌な笑顔で、銀のスプーンをちらっと咥えた。
「ギジェはすっかり珈琲党ね。しかも凝るタイプだから、そのうちお店とか始めそう」
「そんな無謀な計画は無理難題です。未だに人と話すのも躊躇します。人混みにもまだ酔います…」
魔道士は絶望した少年のように項垂れた。
「何でも慣れだと思うわ。それじゃ今日は練習も兼ねて、別行動にしましょう。ギジェは前回と同じ感じで、ひとりで売り歩きをすること。その時間に私は自分の買い物をするわ。そしてお昼の二つ鐘が鳴ったら泉に集合でどうかな?」
「えええええ… それ本気ですか? まずい凄い緊張してきた…」
少女は悪戯ぽく笑うと「練習あるのみだよ」と彼の手をトンっと叩いた。
「そして本日のギジェの初体験は、宿屋に泊まるのはどうかな? お金にも余裕あるんだし、いずれ王都に行ったら、野宿するわけにもいかないから」
「それはお金を払って借りた部屋で、一晩過ごすという修行ですか?」
昔にデニールから聞きかじった情報だ。そして多少の湾曲もある。
「そうなるわね。その後に私は湯浴みも行きたいかな」
「ああ、いつも水浴びばかりだからな。ここでは湯船とかあるのかな?」
「ギジェの村には温泉があったんだよね? いいねー ここはみんなで滝のように流れ落ちる湯を浴びる感じだね。洗うよりそういう娯楽かな?」
「あっ… ギジェ絶対間違いそうだけど、男女で別々に湯浴みするのよ。女子の方に入ったら大惨事だからね」
「なんでそんな面倒な事をするんだ?」
「なんでって… 恥ずかしいからでしょ!」
少し破廉恥な想像をして顔を赤らめるライシャを、彼は不思議そうに見下ろしている。
「今度… 天然の温泉でもいきましょう。北方連山の山麓に温泉が湧き出すエリアがあるのよ、スポイルで飛べば半日ぐらいだわ」
そうして朝のお茶タイムを終えると、二人は街の各階層に解散していった。
ギジェは迷うことなく前回と同じコースをたどった。いやそれ以外に選択の余地はない。
まず冒険者用の道具屋で、鉄の網や、マーキング用の塗料や、油を入れて使うランタンや、大きな麻布を何枚か購入した。
武器屋では前に対応してくれた店主が外出中で、その弟子らしい青年が数点の鉄剣を2金と35銀貨で買い取ってくれた。
前回ミスリルを買い取ってくれた鍛冶屋では、ミスリルの樽を叩き割ってきた端材を売って、12金と66銀貨になった。
「まだまだ買い取るぞ」
鍛冶屋のドワーフのおっさんが、満面の髭面の笑みで見送ってくれた。
ニーンゲイト婆さんからは「あんたライシャとどうなってるんだ?」と散々に問い詰められ。
「大事な相棒です」
連呼でなんとかやり過ごした。実際にキスさえしてません。前に初対面のシルクに怒られたことで自重しているらしい。
ここでは西方の薬草を研究するために、各種の薬草の束と、薬を小分けするための、硝子製の細身の瓶を30本ほど購入する。代わりに下級治療薬を5本を売って、ほぼ物々交換になった。
最後にロゼの店に立ち寄ると、宝石の中玉3個を6金と92銀で買い取ってもらい、抱きつかれたロゼを膝抱きにすると、悶える人形がお腹一杯になるまで魔力を注いでおいた。
「毎度ありがとうございますご主人様。どうぞ末永くよろしくお願いします」
と、いつのまにかのご主人様扱いされていた。いったい何が気に入ったのだろうか?
そうして一通りの売り歩きを済ませると、20枚の金貨と190枚ほどの銀貨がさらに増えていた。これで自分の金貨だけで150枚を越えている。当分は困らないだけの金額だろう。
と、突然背中でカンっと音が鳴った。
振り向けば髪の長い浮浪児が、驚いた様子で人混みに紛れて逃げていく。ギジェの氷の魔法防壁が作動したようだ。悪意のある行動、つまりスリを働こうとした少年の手を弾いたのだろう。すでに今日は二度目である。
可哀想だけど悪意は悪意だからなぁ…。
あの子の手はしばらく痺れて動かせないだろう。
ギジェは一層目への階段を降りた所で、ばったりとライシャに再会した。
「買い物はうまくいった?」
背中のバックパックを満載にした、帽子姿の少女が駆け寄ってくる。こうみると普通に年相応の愛らしい女の子だ。
「ああ、なんとか終わったよ。ニーンゲイトの婆さんと、ロゼに絡まれて疲れたけども…」
ライシャはふふっと柔らかく笑う。
「そうだライシャ、普通の服とか欲しいのだけど、よくわからないので選んでくれる?」
魔道士のお願いに「おおっ」と驚きの顔になった。それから胸を張って「まかせなさい!」と服屋の並んだ通りまで手を引いていった。
「なんか私まで買ってもらって、ごめんね」
ライシャが上機嫌でギジェの腕を抱いている。結局は通りの洋裁店を全て制覇した。
下着や部屋着からはじまって、皮のパンツやアウターや、絹の上等なローブや、シャツや、飾りベルトなど、あり得ない点数を購入した。
挙げ句に上等な革靴やロングブーツなどの仕立てを頼み、最後は二人でお揃いのように、この街最高級のブラックタイの正装と、ライシャ用に薄い桃色と純白のレースを合わせたフォーマルドレスまで注文した。舞踏会にでも出向くのだろうか?
総額5金と76銀貨も払ったのだが… 彼女が幸せそうなので問題ないです。
そうして引き続きライシャへの付き合いで、古道具屋へと脚を運ぶ。
『ジクタバの古道具屋』
店先にこれでもかと道具が積まれていて、入店するのも一苦労だった。
やっと狭い店内へと踏み入れば、ガラクタと間違うような、旧世界の骨董品やら、乾燥薬草、魔法触媒に、香料、果ては古ぼけて埃の被った兜や、甲冑に混じって、割れた鉄盾やら、脚の無い小さなチエストまで、あらゆる物が隙間無く乱暴に詰まれてあった。
「なんか壮絶な店だな」
ギジェが吊り下がっていた魔獣の頭蓋骨を、手で避けながらぽつりと言った。
「なんだ、乳繰り合ってる餓鬼どもに、売るものなんぞないぞ」
奥の西洋家具の隙間から、白髪でちびっこいノーム族の老人が悪態をついた。
「あなたが有名なノームのジクタバね。何でも売って、何でも仕入れて、何でも買い取ってくれるという、伝説のお店はこちらかしら?」
ライシャの微笑みに、ちびっこい老人は悪党顔でにやりと笑った。
「なかなかわきまえてるじゃないか、嬢ちゃん。何か用なのか?」
「とりあえず、これはご挨拶がわりにどうぞ」
少女は手に提げていた土瓶を差し出した。ジクタバはそれを受け取ると、コルクの栓を引き抜いてその香りを確かめる。
「ほお、果実酒じゃな… ノームのことを良く知っておるな」
彼は一口だけそれを飲むと、うーんと満足そうに目を閉じる。
「よかろう、何の用事か言ってみろ」
「魔法金庫が欲しいの、大きいのが良いわ」
「ほぉ… それなりに高価だぞ。金庫を買って金庫に入れるものが無くなってしまうのではないのか?」
ジクタバは意地悪そうにそう言った。どうみても妖精族とは思えない品の悪さだ。
「在庫はあるのかしら?」
「ふふっ、ちょっと待っとれ」
彼は奥の倉庫らしい、山積みの荷の中から二つの四角い金属の塊を、ひょいひょいっと両手で持って戻ってくる。彼がそれを床に降ろすと、ドスンドスンと地面が揺れた。
「こっちの一斗缶サイズが1金と58銀貨、一俵サイズの大きいほうが2金と25銀貨じゃな」
「大きい方を買うわ」
「即決じゃな気にいったぞ… 使い方はわかるのか?」
「ええ、この最上部のプレートに、最初に魔力を注ぎ込んが人だけが扉を開け締めできるのよね」
「そうだな、しかし重いぞこれは」
ライシャは自分の布袋から硬貨を数えると、小さいサイズの金庫の上に積んでいった。それから樽ほどもある真四角な鉄塊を、ひょいっと抵抗もなく担ぎ上げる。
小がらな少女と巨大な鉄塊の構図が凄い不自然だ。子鬼のようなジクタバが、にやっと笑みを浮かべていた。
「おじさん、どうもありがとう… あっ」
そう言って一旦背を向けてから、もう一度ノームの老人に向き直る。
「おじさん、ちょっと内密に見て欲しいものがあるの。ギジェ、例の大粒の紅柱石の髪留めを出してくれる?」
「え、良いのか?」
「ええ、そして入り口を見張っていて誰か来たら教えてね」
ライシャはギジェから受け取った髪留めを、こっそりと自分のポンチョの裾に隠しながらジクタバに見せた。
「おおぃ、なんつうもの持ってるんだ。こっちに来い」
二人は店の一番奥へと進み、ジクタバが使い込まれた、虫眼鏡に似ている魔道具をかざしている。
「あんたこりゃ特級品じゃないか、魔法効果も凄いぞ。攻撃力上昇、魔法攻撃力上昇、魔力吸収、体力吸収、火炎耐性… これをワシに見せてどうするのだ」
「何でも買い取る伝説のお店でしょ?」
妖狐が妖しい笑顔を浮かべて言った。
「そうくるか… だがさすがに、これほどの品になるとな… 王都のオークションにでも出さんと… これをワシに預けるのなら売上の10%の手数料で何とか捌いてやるぞ」
「ふーん、どのぐらいでいけそう?」
「このクラスだと上流貴族の結婚の儀でも扱われる品だからの… 白が11ぐらいだな」
白金貨11枚、110金貨ということらしい。
「ギジェこれお店に預けていいかな? 多分うまくやってくれそう」
「ああ、俺は構わないよ、どっちみち売りたかったからな」
「すこし時間はもらうぞ、三週間後にまた来てもらおうか」
「それで結構よ、ありがとう」
二人は大きな金庫を肩に、狭いを入り口をギリで躱して出ていった。
「男の方は見ない顔だが、何者なんじゃ… まぁこんな大商い持ってこられたら、伝説の店に恥じない仕事をせんとな」
そう言って悪そうな顔で目を細めた。
二人はすぐに狭い裏路地に入って、かさばる魔法金庫を次元収納に収めてしまった。
「しかし、ライシャこんな重いものよく持てるな… 俺でも結構重いぞ?」
「あら、言ってなかったかな。私は重さを操れるのよ、一度触ったものや、自分の体重なんかをね。だからあんなに高く飛べて、どんなに重いものでも片手で持てるのよ。ただし魔力の続く間だけど」
「それって凄い能力だな… 在来の魔法の区分けに入らない力だぞ。特殊潜在能力というやつだろ?」
「そんな大したものではないってば」
ライシャは前をゆっくりと歩いて、第一層上部の公園へと、折返しの階段を昇っていく。
木立の向こうに、三階建の蔦に覆われた洋館が見えてきた。横に長い石造りの壁に、明るい瓦屋根の趣のある宿屋だった。
「この宿でどう?『ムサシノハラ』ではけっこう綺麗な方の宿かな」
「ラ、ライシャが良いなら、俺はそれで構いません…」
「なんで敬語なのかな?」
少女は帽子に手をかざして花のように笑った。
「いらしゃいませ、『宿屋 ニアフォンテン』へようこそ」
受付でエルフらしいポニーテールの女性が、笑顔で出迎えてくれた。石と木で造られた入り口は清潔で感じが良い。
「あの、えっと、しゅ、宿泊したいのですが…」
ギジェは第一声から怪しさ満点だった。妖狐の少女はクスクスと笑いながら彼と腕を組んでいる。どう見ても訳ありの妖しい男女だ。
「はい、お泊りはダブルでよろしいですか?」
「で、でぶる?」
緊張しすぎて直立不動のお人形状態だ。
「はい、それでお願いします」
ライシャがたまらずに助け舟を出した。
「料金は一泊二名さまで7銀30銅貨になります。お食事は如何されますか? 朝夕付き二名で2銀貨になりますが」
「では食事付きで、どちらも部屋までお願いします。夕飯はすぐに、朝食は朝の鐘七つにお願いします。あ、どちらも珈琲二杯を追加でお願いね」
「はい、では全部で10銀貨と80銅になります」
とりあえず支払いだけはギジェが頑張った。
「ではお部屋は二階205号室になります、階段上がって右奥です。ありがとうございました」
二人はルームキーを手にすると、まるで恋人のように寄り添ったまま階段を昇っていった。
「俺はライシャを尊敬した!素晴らしい手慣れだったよ!」
ギジェは小声でそう褒め称え、ライシャは「手慣れとか人聞きが悪いから」っと突っ込みを入れていた。