1-5 二人の隠れ家
第一章 辺境都市『ムサシノハラ』
「今朝は少し寒いな」
黒魔道士がまだ明け切らぬ空を見上げて呟いた。
手には愛用の素焼きのコーヒーカップをもち、熱い琥珀色の珈琲を口に運ぶ。すっかりと朝のお茶タイムは珈琲へと変わっていた。
「さすがに朝晩には冬を感じるね」
妖狐の少女も湯気の立つカップを手で抱えて、ギジェの隣に腰を降ろした。ほぼ壁のない二階から見る世界は、少し霧に霞んで柔らかく見える。
壁の下から氷の飛竜の頭がぬっと現れると「おはようスポイル」とライシャが手を伸ばして頬を撫ぜていた。もうすっかりお互いに仲良しのようだ。
そういえばこの飛竜は少女を乗せると、丁寧で乗り心地が良い、上等な翼となる。
この龍もどこかがあざとい…。
辺境都市『ムサシノハラ』を訪れて二週間が過ぎていた。
そこは一面がクローバーの丘陵で、その波のように盛り上がる高台に、捨てられた洋館が建っている。
建物の内側の大部分は崩壊していて、外壁だけが過去の形の名残を見せる。朱色の焼き瓦が、崩れた廃材に彩りを与えていた。
ここはギジェ達の新しい隠れ家だった。まだ原型を残している南側の一階部分と、そこから上がれる壁のない二階部分を利用していた。
最初は土塊に戻る寸前のような有様だったが、瓦礫を片付け、土を掃き出し、廃材を組んで補強すれば、いちおう穴蔵よりはマシな空間を確保できた。
何よりここならスポイルを置いても、外壁に隠れて目立たないのが良い。
場所は辺境都市から徒歩二日『孔雀の迷路』と呼ばれる未開の森のど真ん中だ。ライシャが言うには穴場の宝探しエリアらしい。名前の由来は、遠くの山から見下ろすと、レフトバ-スの入れ替わり地形が、孔雀の形に見えるからだ。
「夜少し雨が降っていたんだね。音が聞こえてたわ」
ライシャが魔道士を見上げていった。
「ひと雨ごとに寒くなるのは、西の世界も同じなんだな。今日はもう少し北側を探索してみようか? 空から見えてた遺跡群あたり良さそうじゃないかな」
「そうねそうね! でも本当にギジェ魔力+金属探知魔道具の威力は絶大だね。昨日だって壺に入った金銀のコインを発見したし。トレハン美味しいわー」
守銭奴の瞳を輝かせるライシャにもだいぶ慣れてきた。夢中になってお宝を語る美少女も可愛いものだ。
「そんなにお金が欲しいなら、街で売り歩いた金貨の半分を渡すのに」
あの日の夜に、売上の半分の20金貨を渡そうとして怒られたのだ。
「自分で稼ぐからこそ価値があるのよ。昨日のコインはきっちり山分け頂きますからね」
幸せそうな笑顔の少女に、思わず手を伸ばして髪を撫ぜる。
ライシャは少し驚いた表情を見せたが、されるままにしてはにかんだ。頬の傷もすっかり消えて、フードから開放されたキツネ耳が、垂れたように横伸びしている。
「やっぱり耳は隠さないほうが可愛いな… ちょっと触ってもいい?」
ギジェがキツネ耳のすぐ横に手を置いた。びくっと耳が反応する。
「ええ… 良いけど、そこ敏感だから優しくね…」
黄金色の外側の毛並みをさらさらと触る。ビロードのような艷やかな触り心地だ。今度は内側のもふもふとした白毛に触れると「あんっ」とライシャが反応した。
「すごい良い手触りだよ、もっふもふで気持ちいい」
ギジェは指の腹で耳を挟むと、優しく手触りを楽しんだ。
「あ… ちょっと、それ駄目だから… あぁ」
腰砕けするようにギジェに身を預けると、いつの間にか首に手を回してしまう。
「あぁん… 駄目… だめよ」
少しずつ奥の方へと指を動かす。指先が柔らかい毛並みに包まれて気持ちがいい。
「やんっ… あっ… もう」
身悶えた妖狐の少女が、するりと身を躱して逃げ出した。
「はぁん、も、もうおしまい!」
赤く上気した表情で内股のうえに逃げ腰だ。
「もふもふ最高なのに… ふっ」
そう言いながら両手を上げて襲いますポーズで迫ると「きゃっ」と戯れるように逃げ出した。新調したドレスタイプの革アーマーのお尻から、小さくて可愛い尻尾が上巻きしている。
「ライシャって尻尾も小さいよね? キツネ族ならふっさふさなイメージだけど」
「うん、ちょっと小さすぎてスカートだと収まちゃうのよね」
身を反らせて尻尾を見つめる姿が愛らしい。
「思ったんだけど、ライシャの耳と尻尾って、赤子の時に故意に切られたんじゃないかな? 妖狐であることを隠すためとか?」
「ああ、確かに尻尾はそうかなって思ってたけど… そう言われると、耳もそうなのかな? あえて猫人族に見えるように、上部を切り取ったのね。記憶はまったく無いんだけどなぁ」
自分のキツネ耳を触りながら、何かを想っているようだ。
「でもそれはライシャを守るためだよね」
「うん、そうよね… でも妖狐の魔力って尻尾に宿るのよ。だから私は魔力がすごく少ないの」
再び尻尾に振り向いた拍子に、短いスカートから太腿が顕になった。何気ない女性の魅力に思わずドキっと見詰めてしまう。
「俺も似たような感じで、角と翼の名残があるんだよ。俺のは退化しちゃったんだけど」
ほら、と言って耳の上の尖りに触らせる。
「ホントだ… ってギジェは魔族だったの? 人族かと思っていたわ」
驚愕の表情で彼を見上げる。
「言わなかったかな? 魔族と天族のハーフらしい、俺もまったく記憶がないんだけど。まぁどちらの種族にも嫌われて、奈落に捨てられた忌み子かな」
「そうだったのね。忌み子で捨てられたあたり、きっと似てるのね私達」
ライシャは優しく眼を細めると、彼の背中に抱きついた。
「今度はわたしがギジェ耳を触ってあげよう」
「あ、これ、けこうくすぐったい… やめ」
二人は朝日が高く登るまで、そのまま仲良く戯れていた。
◇
「反応はこの辺りなのに何もないわね」
ライシャが腕の魔道具を操作して赤い光点を探っている。反応は強、ほぼ直下、距離は数メートル以内だ。
周囲は高く茂った広葉樹の森に埋まり、崩れた壁だけが残る石積みの遺跡群の一角だ。繋ぎ目は苔に埋まり、蔦やシダ植物に覆われて、どことなく熱帯の森を連想させた。
「地下室への入り口とかあるのかな? ライシャそこを動かないでいて」
長方形に敷き詰められた敷石のあちこちが、植物に押されて歪んでいる。ギジェは意識を魔力に集中して、その石の通路一面に霧の薄膜を発生させた。
「ライシャ霧をよく見てて、どこかに地下室や洞窟への入り口があれば、そこらの空気が動くから」
「さ、さすが歩く宝物庫、お宝ハンターの師匠だわ」
「俺も盗賊の師匠に教えてもらったんだよ。本来は湿った葉を燃やして煙を起こすんだけどね」
しばらく観察していたが、視界の中で怪しい場所は見当たらない。離れた大岩の上でスポイルの氷の身体が、寝返りを打ってこちらを見ている。
ごめん暇なんだね…。
「ダメね、普通に埋没してるのかな?」
ライシャは光点が示す辺りを、脚の裏で叩きながらゆっくりと歩き回る。フクキの大木まで行き当たると、再び向き直ったところで、はっとした。視線が大木の枝を伝い頭上へと移っていく。
「ギジェ見つけたかも! あ、まって」
その瞬間妖狐の少女は、身軽に遺跡の壁を蹴り上がると、あり得ないジャンプ力で森の頂上付近まで飛び上がる。そして一瞬、綿毛のように緩やかに漂うと、引き絞った長弓で鋭く矢を撃ち出した。
脚の完治したライシャは不自然なほど身軽だった、妖狐の特殊能力なのだろう。
そんな高度からの精度の高い射撃術が、肉食獣の頭部を串刺しにする。200メートルは離れた遺跡の影だ。すでに第二打を構えていた弓が降ろされる。さすが良い腕だった。
聞いたところだと弓の射程は500メートルを越え、特殊な能力で400メートルまではほぼ狙いを外さないらしい。
そして一方のあっさり倒されたのは、単体の凶牙イタチ。
温暖な森に住む人の倍ほどもある大型のイタチで、草原や岩陰から一瞬で襲いかかる肉食獣だ。その敏捷性から危険視されているのだが、実は接近される前にすぐに分かる。その体臭が異様に臭いのだ… 別名悪臭キャット。なぜ猫なんだ! と色々と突っ込みどころの多い獣だった。
匂いに敏感な獣人系の亜人には、200メートルの遠方からでも存在が丸分かりな残念な獣なのだ。
「さすがだよライシャ、あれ持って帰って食べる?」
頭上を見上げながら声を掛けた。
「悪臭キャットは勘弁してー 鼻が曲がって居られないもの。それより、ちょっとギジェこの太い枝を切断できる?」
「できるけど、それ切ったらライシャも落ちないか?」
「平気だからズバッと切ちゃっていいよ」
魔道士は「いくぞ」と声を掛けながら、硬氷の大鎌を召喚してその枝を分断した。
ザザっと枝葉が音を鳴らすと、上空から大きな枝とそれが絡みついた四角い木箱が降りてくる。そう、ゆっくりとまるで水中に沈むようなモーションで。
目前に着底した壊れる寸前の木箱の上に、ライシャが弓を片手に胸を張って立っていた。今のも彼女の能力らしい。
「これが種明かしだったわ。地下じゃなくて頭上にあったの」
二人で絡みついた枝を引き剥がし、木箱の側面を力ずくで壊すと、中に金色のコインが何枚も転がって見える。手にとって日にかざすと、紛れもなくライシャ大好きの金貨だった。
「これ、財宝というか… 落とし物?」
中の布袋を引き出すと、袋が破れて金貨がこぼれ落ちた。
「ちょっとギジェ凄いんじゃないのこれ?」
少女が屈んでいたギジェの背中をどしどし叩く。瞳が完全に金貨になっている…。
「とりあえず、これバラバラになりそうだから、このまま収納して塒で数えよう」
魔道士はそういって、そっと壊れないように次元空間に収納した。
「それとね、まだこの周辺に弱めの反応が沢山あるのだけど… これってこぼれ落ちた金貨じゃないかな」
腕の金属探知魔道具が良い仕事をしまくっていた。
「さぁ一枚残らず探し出すわよ!小銭掘りの始まりよ!」
いやそれ小銭じゃないんだけどね…。
◇
隠れ家に戻って木箱を壊すと、金貨の袋が3つ、銀貨の袋が12個も収まっていた。小銭掘りで拾った金貨が14枚、袋ひとつは50枚の金貨入りで、破れて転がっていたものと合わせて金貨176枚、銀貨は袋一個が100枚入で約1200枚が今日の収益になった。
「一人金貨88枚、銀貨約600枚って… ちょっとギジェ私のキツネ耳触ってくれる?」
ギジェは眼を輝かせて、後ろ抱きから両耳の内毛を、もふもふと挟み込んだ。
「ひやっ… ああぁん… ふぅ」
一度手を止めてお互いに眼を逢わせる。更にもふもふと弄り倒す。
「やっ… うん、そこ… ふぅ… 夢じゃなかった!!」
「もう少しもふろうか?」
「やっ… これ以上はちょっと、切ない気持ちになるもので… でも、凄いね。やっぱり飛行帆船から落ちたのかな?」
なんとなく後ろ抱きのまま、敷かれた麻布の上に転がった。
「飛行帆船って空を飛ぶ木の船?」
「うん、まれに『ムサシノハラ』にも来るよ。『豊穣祭』の時とかに」
「豊穣祭? それは何んだろう?」
ギジェは寝転んだ妖狐の尻尾が、自分の腹に当たるのが気になってしまう。
「えっとね『アシュタロテの豊穣祭』といって、夏の終わりに一年の収穫を豊穣の神様に感謝して… て、まぁみんなで馬鹿騒ぎをするお祭りね。一年で一番街が賑わうから楽しみにしてて」
「おー すごい、楽しみすぎて今から眠れない」
パタパタと動く可愛い巻き尻尾… まずい、こっちも触りたい。
「いや、まだ半年以上はあるからね… まぁその飛行帆船から、何かの事故で落っこちて、あの木の上に引っかかっていた。というのが最も考えられる可能性かも。よく見ると銀貨も酸化して黒ずんでるし、ずいぶん長い間あそこにあったのでしょうね」
こっそり尻尾に触ろうとして、ライシャにピシャりと手打ちをされた。
「ちょっと尻尾は駄目だからね! ねね、明日は一度街に戻ろうか? 少し買い物もしたいし」
「そうだな、スポイル用の鞍に使う金属の輪とか、皮細工用に何点か欲しいものもあるから良いと思うよ」
「うん、じゃとりあえず夕飯にしよう」
二人は稼ぎを安全な次元収納に収めると、石を組んだだけの釜戸に火を入れる。今日は根菜と山羊肉の鍋に、すいとん入りになる予定だ。小麦粉と葉物をごそっと引き出して手渡した。
「そういえばライシャの稼ぎどうしよう? さすがにずっと俺の次元倉庫に入れておくのもな、自由に使えないし」
「あ、それも含めてのお買い物なの。私もついに魔法金庫を買う時がきたー 現状この世界で一番安全な保管の方法よ」
「そうなんだ、なんかそれも面白そうだね。とういうかライシャも空間魔法練習する? 初歩さえできるようになれば、次元倉庫を魔道具化して渡せるとおもうよ?」
「それ凄いね、是非教えて欲しい」
ライシャが根菜を麻痺の黒刀で一刀にしている。魔剣がすっかり芋皮まみれだ。
「ああ、キツネ耳もふもふに、尻尾も付けてくれたらいつでも良いよ」
「なっ、なんですって!し、尻尾とかハードルが高過ぎるからね!」
ライシャは顔を真っ赤にして魔剣を突きつけた。
え?尻尾ってそういう扱いなんですか… ? 可愛いからもふりたいだけなのに。