1-4 ライシャのお買い物デート
第一章 辺境都市『ムサシノハラ』
すでに昼に近い時間、ギジェとライシャは泉の広場までやってきた。
ギジェはローブ姿に革ベルトだけを付け、ライシャは馴染みの深めに被ったフード姿だ。
とりあえず互いの手には、ヒタキの串焼きと、山牛のケバブサンドと、腸詰め肉とトウモロコシの炒めものと、トマトソースのペンネをタコスの皮で巻いたものなどで、かなり手一杯になっている。
全部で1銀と32銅貨だった。普通に屋台の端から順番に買っていっただけらしい。
二人は泉の縁に腰を掛けると、互いのジャンクフードを交互に食べ回していく。一見すると仲の良い兄妹か恋人のように見えるのだが…。
「なにこれ! やばいめちゃ美味いんだけど… 幾らでも食べれるな」
「ちょとギジェ、肉詰め全部食べないでよね。 私まだ食べてないんだから!」
現実はけっこうシビアな奪い合いだった。
「あっちの肉詰め焼きも買おう。こんな美味しいものがあるなんて『ムサシノハラ』侮れないな!」
「わたしも半年ぶりに食べたわ… もうなんか泣いちゃいそう」
二人は7件目ぐらいまでを食破したが、さすがにそこらで満腹になってしまった。
「なぁライシャ、昨日気になったんだけど、あそこの庇のある店が出してた黒い飲みものって何だろ? お茶なのかな」
少女は泉の水を手ですくってコクっと飲んだ。それからフードの隙間の瞳を向けて「ああ、喫茶店 騒がしい精霊 ね」っと納得した。最近流行りのカフェテラスだ。
「黒い飲み物って珈琲かな? 旧世界のお茶みたいなものよ。私は好きだけど、飲んでみる? ギジェのおごりで」
すると魔道士はノリノリで、ライシャの手を引いて喫茶店まで走り出した。
うさぎ耳の女給が二つの珈琲カップを運んでくる。可愛い銀のスプーンと黒糖の入った小壺も並べて横に置いた。
「1銀貨になります」
彼女は笑顔のエプロン姿だ。ギジェが銀貨を手渡すと、可愛らしくお辞儀をして、丸ふわな尻尾を揺らしながら戻っていった。
「凄い良い香りがするな」
ギジェがカップを手にしてそう呟いた。
「最初はそのままで、そのあと壺の黒砂糖を少し加えて、飲んでみるといいわ。好みがあるから、私は砂糖多めでいくね」
「ここでは乾杯とかはしないんだ?」
「しないわよ、もうちょっと優雅?な嗜好品だから。この心落ち着く香りを楽しむものなの」
ギジェは軽く口に含むと、雑草茶から渋みを一切取り除いたような、甘い苦味に「おおっ」っと頷いてしまった。鼻腔に残る香りがまた素晴らしい。
「これは好きかもしれない」
今度は黒砂糖を少し足してみる。さらに甘みが加わりこちらも美味しい。
「メープルシュガーもあいそうだな」
「メープルシロップとか持っているの? このあたりだと凄い高級食材よ」
「ああ、なるほどサトウカエデは寒い地方の木だからか、じゃあ今もっているメープルは貴重品なんだ」
「そうね… 故郷の味なら大切に食べてね」
ライシャは優しい瞳でそう言った。暖かな昼どきに、二人で広場の露店で食べ歩きして、手を繋いで流行りの喫茶店に入り、向き合って珈琲を愉しんでいる。この柔らかい日差しでさえ夢のようだ。
というか… ほとんどデートじゃないの!
はっとして頬を赤らめる。
昨日までは、痛む右足と頬を隠しながら、空腹の中で半ば絶望していたのに… この黒髪の魔道士は、少女の気持ち一切を安らぎへとすり替えてしまった。
でも彼の距離感はちょっと近めよね…。
そう心で苦笑した。
喫茶店を出た二人は、そこから勢いをもって売り歩きをした。
まずは冒険者の装備を扱う店で、大きめの肩掛け鞄を買い、そのまま店の裏でこっそり数本の鉄剣と短剣を引き出して、紐で縛って武器屋に持ち込んだ。
「あー、そうだな鉄の両刃剣が二本で67銀貨、短剣二本で38銀貨、黒刀の大剣が1金と74銀貨… 全部で2金と79銀貨でどうだ?」
「あ、じゃおじさん、この黒鋼の矢10本も付けてよ」
「なんだよ、ライシャには叶わんな」
顔見知りらしい人族の武器屋が、髭を触りながらすぐに折れていた。
「あの、この剣って売り物になるかな? いちおう雷撃ダメージと硬直効果付き鉄の短剣なんだけど」
ギジェが鞄から一本のショートソードを引き出した。
「どれ、貸してみろ」
店主はその剣を握り、一度振り、魔力を通すと、剣先から刀身、柄までゆっくりと品定めする。
「これはお前さんが打ったのか?」
「あ、ああ… 自己流すぎて人に見せたこともないんだ」
「売るなら8金で買ってやるぞ、作りも丁寧で付属魔法も使い勝手が良い。鍛冶屋をやるならうちに卸さんか?」
ほっとした表情を浮かべると「では買い取りをたのむ」と笑顔で言った。
「ギジェは凄いね。鍛冶屋で十分稼げるんじゃない? 鉄の短剣でこれなら、黒鋼の大剣に同じ魔法効果つけたら凄そうだよ」
「いや、これは趣味だからなぁ、黒鋼の大剣か… 打つのに一ヶ月かかるけどな」
そう言いながらライシャの頭を、ぽふぽふと嬉しそうに触っていた。
そのまま数件先の鍛冶屋まで歩いていくと、そこでミスリルの端材10点を3金と75銀貨で売りさばく。まだあるなら35金までなら買う、と言われたが、さすがに大きいパーツは出せなかった。
もういっそ氷の拳で殴りまくって樽パーツを砕いてくるか?
次は二層目外周にある薬剤店に足を運んだ。入り口の壁面には、薬草採取の依頼カードが、何枚も重なって張り出されてあった。
西方の薬草にも興味が惹かれる。彼は極寒の森林の植生しか知らないからだ。
「ニーンゲイト婆さん居る? ちょっと見てもらいたいんだけど」
ここもライシャの馴染みらしい。 狭い店舗の壁一面に、乾燥させた薬草の束が吊るされていて、その懐かしい香りに義母の背中を思い浮かべた。
店の奥からいかにも魔女といった風貌の老婆が現れる。背丈からいって小人族らしい。
「声が大きいよあんたは」
ニーンゲイトと呼ばれた老婆は、片耳に指を突っ込んで言った。
「この回復薬って売れるかな?」
妖狐の少女が、ギジェの薬の瓶をカウンターに並べて聞いた。小人族の魔女は、カウンターの反対に回って踏み台に上がると、薬の瓶に手をかざして、何やら「うんうん」と頷いている。
「これはどこの錬金術師が作ったのじゃ? こんな濃度の濃い治癒薬は初めてじゃな… これは10倍に薄めて、初級回復薬にしたほうが、みんなに行き渡って良さそうじゃ」
「売り物になるの?」
「そりゃ、しかもこの大瓶だからの、この下級治療の瓶で65銀貨、こっちの中級のは… 2金と30銀貨かの?」
老婆は頭の三角帽子のつばを掴んでかぶり直す。大きすぎて座りが悪いらしい。
「それじゃ下級を5瓶と、中級を5瓶売りたいわ」
「ちょっとまってな… そういえばあんた脚を怪我したと聞いたが、どうしたのじゃ?」
「この中級治療薬を使ってるわ」
ライシャは何故かギジェの顔に振り返る。
「ほう… なら安心じゃな」
老婆は何かを目で語ると、ひひひっと笑って支払いの準備に奥へと消えた。
そして最後はこの界隈では有名な装飾品店『ロゼの人形館』の扉を開けた。扉に吊るされたプレートには -魔力での支払いも可- と書かれてあった。
暗い赤紫の店内に壁に埋もれる四枚の硝子ケースがあり、その中に一体ずつ等身大の西洋人形が静かに座っている。
まるで生きているかのような、リアルな彼女たちは、それぞれに可愛いドレスを着せられて、指に手足に、そして首にと大量の装飾品を身に付けている。
こんな精巧な人形も、また透明な硝子ケースも珍しいギジェが、驚いた様子で彼女たちを覗き込んだ。
「そちらの陳列ケースの中身は、全て売り物でございます。もちろん、わたくしの妹たちもでざいます」
最奥の硝子のカウンターから声を掛けられた。
全身を覆う黒いローブ姿に、紅柱石色の美しい硝子のような瞳、濃い金色の髪が柔らかにロールを巻いている。胸には大量のネックレスの束が飾られ、指にも十数個の指輪が並んでいる。
「実は、わたくしも売り物でございます。買ってくださいますか?」
彼女は顔こそ真っ白で綺麗な少女だったが、首から下が関節の可動する人形のままだった。
「この店の副店主、ロゼでございます。どうぞお見知りおきを… 店主様は、ほんの98年と7ヶ月ほど留守にしております」
美しい姿勢でにこりと作り物のような笑顔を見せる。
「本日は何をご所望でしょうか?」
「こんにちは、ロゼ。今日は宝石の買い取りをお願いに来たの。見てもらえるかしら」
ギジェとライシャはカウンター越しに並んで、小袋の宝石を彼女に見せる。
「ギジェ、ロゼはホムンクロスなのよ。ここの主人の錬金術師が昔に造ったらしいのだけど… 今は彼女がこの店を仕切っているの。たまに生き血を少し分けてあげるか、魔力を注いであげると喜ばれるわ」
「拝見させて頂きます… 蒼玉色と紅柱石の小玉が2金と20銀貨、2金と35銀貨になります。藍玉と、柘榴石の原石は各1金と15銀貨、それに金剛石の金の指輪でございますね。」
ロゼは片目用の魔力拡大鏡を装着すると、商品を綺麗な布に挟んで値段を決めていく。
「こちらの指輪は生命力上昇の魔法効果がございますので、7金と65銀貨で如何でしょう… 全部で14金貨と50銀貨でございます」
「ありがとう、それでお願いするわ」
ドールな彼女が再びにこりと会釈をかえした。
「ロゼ、俺はギジェという。魔力はいるかい?」
「はい、お願いできますでしょうか? わたくし魔力が欠乏すると可動に支障がありますもので」
彼女はそう言うと、人形の手をギジェに向かって差し出した。魔道士はその手を取ると、ゆっくりと魔力を送り込む。
「あっ… ああああっ… うんっ…」
ロゼが人形らしからぬ、妖しい喘ぎで瞳を閉じる。
「あんっ… そこ、もっとお願いします… やん」
魔道士も流石に赤面しながら視線が泳いでいる。
「はぁはぁはぁ… あぁん… はぁん、ぁん」
ライシャも長い睫毛で、パタパタと瞬きすると、顔が真っ赤に染まっていく。
「あぁあ… はぁはぁ… 大変に… あぁ、美味しゅございました。はぁ…」
ようやく満足したらしく、繋いだ手を大事そうに手離した。
「大変に素晴らしい魔力で、お腹一杯まで満たして頂きました… 販売価格の14金と50銀貨を一割増にさせて頂いて、こちら15金と95銀貨とさせて頂きました。ありがとうございました」
「なんか逆に申し訳なかったね。ありがとう」
「なんでしたら、わたくしも無料でお付けいたしますか?」
ライシャの肘が彼の腰にゴチンと当たる。
「あ、いや、そこはお気持ちだけで結構です…」
「是非またいらしてください。手ぶらでも歓迎いたします… あんっ」
ロゼは二人を出口まで見送ると、人形の微笑みで丁寧に腰を折った。
「よ、良かったじゃない、懐かれて…」
なぜかライシャまでが人形の表情で、心なしか冷ややかだった。
結局42枚の金貨と、300枚ほどの銀貨がギジェの次元収納に収められた。たいしたものは売っていないのに、一日にして小金持ちだ。ちなみに金貨40枚は、ライシャの去年までの年収の三年分らしかった。
「ライシャ、とりあえず食料と、みんなの寝袋を買おうか?」
「うん、 え? 寝袋を買うの?」
「みんな藁の上で寝てるんだろ? 俺も良い寝床は欲しいんだ」
「じゃ、道具屋に戻ってみましょう」
途中の第一層で大量の野菜と芋と豆類を買い込み、小麦とトウモロコシの粉も、大袋で幾つも買った。そして調味料に何故か詳しいかったライシャに頼んで、数種類の調味料も買い込んだ。
最後に、一番最初に鞄を買った店で、四人分の平型で綿がしっかりと詰まった寝袋を手に入れた。
ギジェは帰りの道すがら、服屋の店先に吊られていた、つばの短いキャスケット風の帽子をライシャにプレゼントする。
緩くて柔らかい木綿生地で、大きく頭を覆ってキツネ耳も隠せそうだったのだ。
「こんな高級品… あ、ありがとう」
「君にとても似合いそうだから。傷が消えたら使うといいよ」
何この、デートの最後にサプライズなプレゼントって… 無自覚なら恐ろしい子。
そう思いながらも、にへらっと笑って贈り物を抱きしめる。
「それに、食事の後に、さっき買った珈琲豆と珈琲粉砕機の使い方を習わないとだからね」
ギジェの鞄の中には、珈琲粉をドリップする布袋や、黒砂糖の大瓶や、二人お揃いの珈琲カップが収めれられている。
なんか本当に同棲生活の始まりのようね… ってなんでだー と勝手に動揺してしまう妖狐の少女。
「そういえば何か大事なことを忘れているような」
ギジェが階段を昇りながら真剣に首を捻る。
「何か忘れ物でもしたの?」
ライシャは後ろに手を組んだまま、照れた表情で覗き込む。
「あぁあああああああ! スポイルを忘れてた!」
氷の翼竜に、ただの氷でいろ! の命令からすでに二日目の夜になろうとしていた。
「すまぬ、明日は戻るからな」
もう一日… 頑張れスポイル。