2-18 王都急襲
第ニ章 マナナーン・マクリールの幻塔
落下してくる船体を目の当たりにして、悲鳴を上げる者、腰を抜かす者、凄い勢いで駆け出す者などで、騒然となる大公園。そして誰もが今まさに飛行戦艦が、祭壇を押しつぶし、自分たちに激突すると身を伏せた瞬間、奇跡のように落下が止まっていた。
その墜落寸前で急停止した巨体から、押された大気が突風となって吹き下ろすと、それは真っ白な白煙と変わり、全周に霧のように広がっていく…。
「きゃぁああああ」
悲鳴が上がり、人々は地に這いつくばると、強烈な白き突風に飛ばされないように段差にしがみつく。
それは明確に冷気を伴った、魔力から生まれた濃霧の塊だ。しかし混乱した群衆は、視界を奪うその霧を、不思議に感じる余裕がない。
「な、なにこれ?」
「煙の中に何かいるぞ!」
しかしその中に居る、異形の者共に気付いた輩が、不安の叫びをあげ始める。リング状に広がっていく濃霧の中から、呪いの表情を浮かべた、青白い亡霊達が溢れ出すのを見てしまったのだ。触れられた者は、魔力や魂までも吸われるという冥界の不死だ。
「ふふっ、可愛い魂たち… その恨みと憂いを、存分に晴らすと良いですわ」
冷たい霞の奥から、歌うような美しい声音が漏れ聞こえる。
怪物達は力無く項垂れた姿で、乱された髪や、崩れたボロ布を纏って、ぶつぶつと呪いの言葉を吐きながら、滑るように近づいてくるのだ。
更には、頭上を飛び交う、半身が消えかかった幽霊達まで湧き出してくると、その精気のない死人の表情で、人々の顔を覗き込んだ。そのまさに死そのものである不死の群れに、人々は本能的な恐怖と嫌悪に慄いて震え上がった。
完全に視界を奪われ、湧いた死霊たちに弄ばれて、処刑会場は大混乱に陥っていた。万単位の観客が、我先にと街へ向かって逃げ惑う。
「醜悪な処刑劇をご覧になりたいのでしょ? どうぞ、その身でご参加ください… その醜い心こそ、この死霊達の好物ですもの…」
一陣の風が祭壇で巻き上がり、視界の晴れた処刑台には、黒い魔法陣を地に張った、鳳蝶の仮面の少女が現れる。全身黒い聖職者のローブで覆い、幾つもの突起のある巨大な大鎌を手にした姿は、美しくも残忍な死神そのものに見える。
「こんな… わたしのために! リズ… 死なないで!」
その喧騒の中でも、突っ伏した人狼族に、必死に呼びかけ続ける、片腕のない痛ましい姿の少女… 切断された肩口の傷から、両脚までを鮮血に染めて、意識を失いかけるのを、気力だけで押し留めている。
「良く頑張ったな… シルク」
泣き叫ぶ彼女のピンク髪に、ぽんっと大きな手が触れた。驚いた少女が視線を向けると、黒髪に碧眼を持った、鴉の仮面の黒魔道士が立っていた。
「あ、あぁ…」
吸血鬼の少女は、信じられないものを見るように、その紅の瞳を見開いてしまう。ギジェは少女の無残な現状に、表情を歪めながらもシルクの頭を優しく抱いた。そうして、すぐに磔台と倒れた人狼族の肩に、手を伸ばして同時に触れた。
「緊急離脱する。ふたりとも、痛んだらごめんな…」
上空から狐仮面の少女が、金色の髪を巻き上げながら飛来すると、それと入れ替わるように、磔台とリズの姿が一瞬で掻き消えていた。気がつけば祭壇の全周を、高い氷壁が取り囲み、貴賓席の一角は、蒼い氷塊に閉ざされている。
妖狐の少女が、鳳蝶の死神の横に降り立つと、互いに顔を見合わせてから不敵に笑った。
「そ、その獄墨鋼の大鎌持ちは… 死神の…」
ー 死霊無声呪縛 ー
そこまで言葉にした、元剣聖のラングリアヴァイスの口を、背後から抱きついた、悪霊の腐肉の手が塞いでしまう。ものすごい悪寒が全身に走ると、震えたままで一言も口がきけなくなった。
その黒衣の少女の正体に、気付いてしまった英雄剣士は、背後に転んで腰を抜かした。他の英雄パーティーや、半吸血鬼のルインガーダまで、醜い悪霊達の呪縛に抱かれて、全員言葉を失っていた。
「ううぅ…」
狩兵のタチアナが、その悍ましい恐怖に、狂ったように呻き声を漏らし、魔道士のシャルロットは、迂闊にも魔力探知を使った瞬間、その紫髪を地につけて、震えながら嘔吐していた。
こ、こんな… 絶大な魔力を持つ者が、三人も存在するなんて…? 絶対に対峙してはいけない、神にも近い魔神達なのよ… わたしここで死ぬのね…。
魔道士は絶望に何度も胃液を吐いて、完全に戦意を失ってしまった。それほどの巨大な魔力の力場が、この円形劇場を覆っているのだ… よくみれば、騎士団所属の魔道士達も、シャルロットと同じように、隊列の後方で地面に顔を押し付けて転がっていた。
そこで、両手斧の戦士と、半吸血鬼の暗殺者が、二人の侵入者に向かって、同時に飛び掛かった。
だ、駄目よ! 刺激しないでよ!
魔道士が吐瀉物で汚れた口のまま、言葉にならない叫びをあげた。
戦士は凄まじい踏み込みで一気に距離を詰め、半吸血鬼は暗殺術の素早い動きで、視界から消え去った。たった数メートル程の間合いに、熟練の戦士たちの攻撃が、二人に確実に届くように思われた…。
「お座り!」
妖狐の少女が小さく呟くと、氷の円陣にいる全ての敵が、潰れるように床に押し付けられた。半吸血鬼は短剣を手にしたまま、叩き落とされて石床に激突し、斧の戦士の突き進む巨体が、その場で地を踏みしめるように動きを止める。
最初の強力な下降気流に乗せて、小麦の大袋を空中で撒いてあったのだ。その広く四散した小麦の粉に、ライシャが質量操作で凄まじい重力を掛けていた。全身に小麦粉を付着させた者達が、その加重に耐えきれず、押し潰されてしまったのだ。
「うむうううううう!」
それでもその重量を引きずったまま、能力向上の技能で、無理やり斬りかかろうとする斧戦士。
死神が「あら?」と可憐に掌を伸ばすと、 ー即死呪術ー と優しく死の宣告をした。
迫りくる巨体から、パンと魂が弾き出され、制動を失った肉体が人形のように崩れ落ちる。幽霊そっくりに見える戦士の魂は、何が起きたのか理解出来ずに、その場で周囲を見渡していたが、やがて全てを悟ったように、悲しい表情で空に溶けて消えてしまった。
命中すれば確実に死に至る、最凶の黒魔法に全員が表情を引きつらせた。半吸血鬼のルインガーダも、恐怖と怒りにぶるぶると身を震わせている。
何なんだ、こいつらは! この圧倒的な魔力は何なのだ? 何故こんな怪物共が吸血鬼を助けに来る…? 王国の敵は、吸血鬼だけではなかったというのか?
震える腕を必死に伸ばして、ベルトに隠されている短銃を抜こうとする。
もう少しで、この呪われた身の復讐を果たせたというのに! こんな小娘共に、私の計画が潰されるというのか… ?
ルインガーダの手が短銃を握り締めた瞬間に、その腕ごと短銃の銃身が、メリメリと音を立てて拉げ、潰れてしまった。
「うぅうううううう!」
手の指を潰された痛みに、悲鳴にならない叫びを上げる。ゆっくりと再生していく指の中で、くの字に折れた短銃だけが残されていた。
「ちょっとそこの半吸血鬼、次に動いたらあそこを潰すわよ?」
妖狐の少女が、処刑人二人を弾くように、祭壇の下に吹き飛ばしてしまう。彼女は狐仮面の奥から、怒りに燃える茶眼で睨みつけてくる。ルインガーダは全身に、脂汗が吹き出るのを感じていた。
何故… 私が半吸血鬼だと知っている? くそぉ、無声の呪縛で犬どもに命令も出来ないではないか… いや、それを知っていて言葉を奪ったのか? どこかにスパイが居たというのか…?
分厚い氷の壁外から、整列していた第一騎士団の兵たちが、貴賓席の氷壁を砕こうと、各自の得物を振りかざすのが見えた。しかし凍結地獄の氷床には、傷一つ付ける事は出来ないだろう。
「まぁ、沢山の殿方が… 怖い顔」
冷笑を浮かべた死神の少女が、片手を胸に添えながら、王都直下の地下墓地に眠る、亡霊を大量に招いて充てがった。すでに隊列も崩れていた3000名の騎士たちが、巻き上がる濃霧の中で、腐ちた姿の無数の悪霊に絡まれて、収集がつかなくなる。
「悪政や裏切り、粛清によって害された者たちです。二世紀分の恨みをどうぞ見せて差し上げて…」
逃げ惑う兵士たちに、追いついた亡霊が伸し掛ると、すぐに意識を失いバタバタと倒れていく。
その悲鳴と騒乱の只中で、二人の少女は凛として祭壇の上に立っていた…。
凍りついた飛行戦艦の甲板に、瞬間移動した魔道士は、両手で触れているリズと、磔台のシルクの状態を確認する。人狼族の美女は、すでに尖った耳先まで真っ青で、言葉も失い小刻みに震えていた。
「リズのほうが危険だな… シルク、もう少しだけ頑張ってくれ」
胸を剣で貫いている美女を、そっと膝に抱えると次元倉庫から、数本の細首の治療薬を引き出した。
「リズをお願い… 死んだら嫌だよ…」
愛する少女が弱々しく呼びかけると、小さく頷いて答えようとする人狼族の美女。
「重短剣を抜くが、その前にこの中級治療薬を飲むんだ。その深手では吐くかもしれないが、我慢しろよ…」
リズの細く滑らかな顎に手を添えると、無理に上を向かせて薬液を注ぎ込んだ。ゲホゲホとむせながらも、どうにか一本を飲み込んだが、すぐに吐血と一緒に一部を吐き出してしまう。
「それだけ飲めば上等だ。これだけの刺創だ、体内からも修復する準備をさせないと、抜いた直後に失血死しかねない」
そうして一度、甲板に丁寧に寝かせると、突き出ている血まみれの刀身に、指先で軽く触れていた。その瞬間、胸にあった重短剣は、物質転送されて背後の氷床へと転がり落ちた。
幅の広い傷口からは、盛り上がるように血が溢れてくる。ギジェはすぐに、もう一本の中級治療薬を、胸と背中へ流していった。
「リズ… 最後にこの治療薬を飲んでくれ。そう、焦らないで良いから、全部飲むんだぞ」
朱色の陶器に入った上級治療薬を、喉を下るのを確認しながら、ゆっくりと飲ませていった。
「始めて使ったけど凄い効果だな。みるみる傷口が塞がっていく… 君はもう大丈夫だよ」
緊急用に小人族の錬金術師から買っておいた、最高級の治療薬が役に立った。一本、8金貨もする高級品だ。
「あ、ありがとう、ございます… ギジェ様」
荒かった息が落ち着いてくると、薄く目を開いてそう微笑んだ。普段のきつい美人顔と違って、安堵して少し涙を堪えた優しい表情は、無防備で可愛いと感じてしまった。
「礼なら、特別に治療薬を売ってくれた、ニーンゲイト婆さんに言ってくれ」
「は、はい… お願い、ギジェ… シルクを…」
「わかってる」
リズを静かに床に横たえると、磔にされた、無残な吸血鬼の少女へと向き直った。シルクは人狼族の美女が落ち着いたのを見て、ぽろぽろと涙をこぼしていた。その健気な姿に、苦しくも温かい何かが、彼の胸を締め付けた。
「遅くなってごめんな… こんな酷い事をされて…」
黒魔道士は、彼女の肢体を貫いた、細槍を転送で吹き飛ばし、髪を縫い付けられていた太釘も消し去った。首が座らない彼女の頭を、優しく胸に抱きしめると、絡んだピンクの髪を丁寧に解いていく。
「シルク俺の血を吸ってくれ… それが一番の薬だろ?」
その言葉に驚いた少女は、少し悲しい表情で頷いた。
「そっか… 聞いたん… だね…」
ギジェには知られたく無かったな…。
すでに暗転しかけている意識で、ぼんやりとそう想ってしまう。
「大丈夫だから、俺の血なんかで良いなら、好きなだけ飲んでくれ…」
シルクの髪を抱き締めたまま、そっと自分の肩口へと、彼女の唇をずらしていった。朦朧とする意識のままに、小さく可愛い口を開くと、かぷりと頸動脈に噛み付いた。
まるで赤子がミルクを吸うように、幸せそうな表情で、喉を小さく鳴らしている。魔道士の血液が、半吸血鬼の毒を浄化しながら身体を巡る… すぐに霧状の魔力が蒸着して傷口が消え始め、ギジェに支えられ肩の大傷も、押し付けられた細腕との切断面さえ、見る間に繫がり修復されてしまった。
「さすがだ… 素晴らしい再生能力だね」
脊髄の損傷も綺麗に再生されると、全身の感覚が戻ってくるのがわかった。そこでようやくと彼女を拘束するベルトと枷を、下から順番に弾き飛ばし、最後に胸まわりの帯を外して、倒れてくる小柄な細身を抱きとめる。
「ギジェ… ギジェ… うぅ… 来てくれたのね」
身体は既に全回復しているが、隷属の命令が効いたままらしく、自由に体を動かすことが出来ない。彼はその震える細身を抱き締めると、血で汚れた全身を労るように優しく撫ぜた。きつく拘束されていた、深い紫色の痣が、溶けるように消えていく。
「はぁ… よかった… 君が生きていてくれた…」
大きく安堵のため息をつく彼に抱かれて、抑えていた様々な想いが、溢れ出して止まらなくなってしまう。
こんなわたしを助けるため、王国を敵にする友達がいる… わたしのために、命を捨てようとした、大好きな恋人も助かった…。
想いが大きくなりすぎて、言葉にも出来ずに、ただ嗚咽が身体を揺さぶった。
「こんな… こんな、わたしでも… 生きていて良いのかな…?」
切れ切れにも、必死に絞り出した言葉に、ギジェは堪らなくなって、強く抱き締めていた。その一言で、この小柄な少女が、どれだけ深く傷ついていたのかを、悟ってしまったから…。
そこに、無理やり立ち上がったリズも加わると、三人で膝をついて座り込むように抱き合った。
「良いに決まってるだろ! 俺たちは君を失いたくないんだ…」
「で、でも… だって…」
「シルクに出逢ったあの日を、感謝せずにはいられない! 君が導いてくれたんだよ… みんなで一緒に生きていこう… そうだろ? リズ」
途中から慈愛で胸が苦しくなると、言葉が震えて何度も詰まってしまう。それでも魔道士は、二人を守るように、肩を抱いたままでいた。
「シルク! シルク! シルク! ごめんなさい! わたし… もう復讐なんてずっと忘れていたの! わたしのせいで! ごめんね、ごめんなさい…」
人狼族の美女が、泣き顔でくしゃくしゃになりながら、許しを願うようにすがりつく。
「ごめん… わたしこそ、ごめん! そう… わたしも生きていたい! みんなと一緒に… 一緒にいさせてよ! わぁああああん あぁああああ…」
シルクが感極まって、子供のように泣き出した。大声を上げて、過去の苦しみを吐き出すように、感情のままに泣き続ける。
母様、お父様… 村のみんな、熊人族のゼギュウス、エルフの伴侶エイバンス、美しいダークエルフのジュデル、わたしのために自ら滅んでいった下僕たち… そして、わたしにもう一度命をくれた、異国の白い髪の女性… ねぇ、わたし… もう少し生きてみるね… パナゥラメ メンリィナ…。
吸血鬼の少女は、何千もの犠牲の上に、此処に生き残っている。きっとそれは、今日のために… この瞬間のために、生かされたのだと思えたのだ…。
「うああああぁぁぁん… ありがと… ありがとう… ありがとぉ…」
シルクが吸血鬼の真祖に覚醒して170年… ようやく心から涙を見せれる、本当の仲間と巡り逢えたのだ…。




