2-6 天空のスパリゾート
第ニ章 マナナーン・マクリールの幻塔
メイド姿の人形に先導されて、大浴場への廊下を行く主の二人。藤色の鮮やかな絨毯の先にある脱衣場は、大きな入口が一つだけの、明らかな混浴仕様だ。
何故だかギジェが、これが正しいとばかりに、うんうんと頷いている。
「ここで着替えても、湯船が遠いんじゃないかしら…」
裸のままで、大浴場の端から端までを歩くのは、さすがに恥ずかしいのだろう。
「着替えのほうは、湯船の隣に衝立を用意してございます」
メルが服の裾を気にしながら、大浴場への段差を越えた。
磨り硝子で仕切られた浴室は、光量を抑えているのか薄暗く、こちらの脱衣所はさらに闇色に近い。
「だそうだよ。ほら、ライシャ暗いから足元に気をつけて」
ギジェが少女の手を取った。彼女は夜目が効くことも忘れて、されるがままに引かれていく。
植栽の周囲に埋められた、魔道具の間接照明が、複雑な陰影を四方へ伸ばし、その舞台のような、南方の草木と、大輪の花々と、光と影が重なる模様世界を、二人は役者の登場シーンのように進んで行った。
「では、こちらの方に、湯浴み用の手ぬぐいを置かせて頂きます」
メイド服の人形が、植栽と湯船の合間に置かれた、衝立と白木のデッキチェアの上に、抱えていたタオルの一揃えを置いた。
「どうぞごゆっくり、おくつろぎ下さい」
彼女は四つ折りの間仕切りの影に身を引いた。
「やっぱり外が暗いと、硝子の向こうは見えないもんだな」
薄明かりを反す広い硝子は、今は暗い鏡面となって、浴場全体を映している。
ギジェは、湯船に並んで置かれた、低い石材のベンチの上に、葡萄酒と、真鍮の盃を並べていく。今日の肴は、ウニ味噌の炙りらしい。
「ライシャ、素早いな」
彼が宴の準備を終えて振り返ると、いつの間に支度をしたのか、少女の白い美脚が、湯船に降りるところだった。
「まだ見ちゃ駄目だから!」
慌てて全身を湯に沈める。さすがに三度目の混浴だ、要領を得て空きも少ない。魔道士もそのまま、上着をベンチに掛け、対短剣を肩ベルトごと外し、下着と革パンツを一緒に脱ぎ落とした。衝立は… 要らないらしい。
「貴方は… 相変わらず大胆な脱ぎっぷりね」
妖狐は胸まで湯船に沈みながら、目を背後に逸して言う。しかしそのガタイの良い引き締まった姿が、硝子に映って、ほぼ丸見え状態だった。
そして… 相変わらずのご立派なモノで…。
少女が平手で顔を覆うと、彼がすぐ横にやってきて、湯の中に腰まで沈んだ。降ろしたままの白金の細髪が、妖狐の鎖骨を流れて、彼の腕に纏い付いた。
「ふう… 良いね。やっぱり風呂は最高だよな」
両手ですくった湯で顔を濡らすと、硝子を背に深々と息をはいた。ライシャがそっと寄り添って、彼の肩に頬を乗せる。
「うん、気持ち良い… これ明るい時間に入ったら、素晴らしい絶景なんでしょうね」
「そうだな、朝風呂も良いんじゃないか? 世界で此処にしか無い、天空の大浴場だな」
ライシャの濡れ髪を優しく片側に流しながら、キツネ耳と頭を交互に撫でている。少女はさらに身をひねると、彼の首筋に口づけを触れさせた。
「えっと、それで… 何でメルがいるのかなぁー?」
湯船に座り込んだ彼の膝上に、繊細に整った美少女顔の人形が、ちょこんと乗っている。まっ更な関節人形の裸体のままで、胸の膨らみが艶やかに濡れてみえた。
「何かご希望がございますか? ライシャ様」
メルは不思議そうに小首を傾げる。ギジェも素晴らしい自然体で、片腕で人形を前抱きしていた。
「いやいやいやいや… おかしいでしょ? 何でメルまで裸なのよ!」
「主様がご入浴の際は、メイド一同もご一緒するのが、習わしなのです」
「それは… ララニスの命令かしら?」
「もちろんでございます。欠かさずこうやって、抱きしめて下さいました」
ギジェの胸に全身を預けると、スリスリと頬を寄せて懐いてみせた。
「あのエロオタ駄賢者め! 泣いてやって損をしたわ!」
「もちろん主様を、隅々までお洗いするのも、わたくしたちの責務でございます」
「いえ… それはわたしがするから! ていうか、メルそこはわたしの特等席なの!」
「主様… わたくし、あの… こうして触れてくださるだけで、この数十年が報われた気がするのです」
色白で美しい造形の西洋人形が、柔らかく目を細めて、ギジェとライシャを交互に見る。
ああ、ずるい… そんな儚げな表情をされたら、何も言えなくなるじゃないの…。
「お父様が亡くなってから今日まで、わたくしは何人とも関わらず、機械人形達と同じように、繰り返すだけの日々でした… その寒いような、何かが足りないような、逃げ出したいような、不思議な想いにずっと捕われていたのです」
湯が跳ねたのだろうか? メルの紅柱石色の瞳から、水滴が涙のように頬を伝う。
「メル… その感情を私達は、寂しいって言うんだよ」
ライシャは人形を排除する代わりに、彼ごと抱きしめていた。メルは一瞬驚いた表情を見せたが、二人に前後から抱きしめられて、淡く頬を染めてみせた。
「さみしい… 寂しい」
無垢な眼差しで妖狐を見詰めながら、何度も言葉を反芻する。
「ライシャ様… わたくし、本当に、存在し続けて良かったと実感しております… この世に生まれ出て、喜ばしく思います」
少女は自分よりかなり小柄な人形の躯体を、ぎゅっと前抱きにすると、赤みの強い金髪にキスを落とした。人肌よりも硬い関節人形の躯体が、彼女の胸に冷たく押し付けられている。
「そして、その暖かな気持ちは、幸せという事だ」
「しあわせ… はい、ギジェ様。わたくしは幸せです」
二人の合間から、するっと抜け出すと、人らしい少し泣きそうな笑みを浮かべて立ち上がる。「しあわせ… 幸せ…」湯船で両手を広げて、くるくると踊って見せた。人形とはいえ、その華奢なあられもない姿に、目のやり場に困ってしまう。
「妖狐さん、君はやっぱり優しいな…」
人形が抜けて、そのまま重なった互いの肌が、暖かい湯に濡れて心地良い。ギジェが少女の腰を引きよせると、綺麗な双丘が柔らかく胸板に押し付けられた。
「あっ… だ、だって、辛かったり、哀しかったり… そんな事が多すぎる世界だもの。寄り添って癒せるのなら、それは救いになるでしょ?」
彼の脚の合間で膝立ちをすると、深い蒼玉色の瞳を愛しそうに覗き込んだ。
「わたしたちが、互いを癒せたようにね… 一人ぼっちは寂しいから」
透明な金色の濡れ髪が落ちて、ギジェの首筋に張り付いている。彼は滴る湯の雫を受けながら「そうだね、ライシャ…」と、口元を柔らかく緩めて笑った。
そうして、ゆっくりと互いの唇を求めると、湯煙の中で互いを抱きしめる。丁寧で優しく、でも決して離れないという、誓いにも似た長い抱擁とキス。次第に魔道士も膝付きで立ちあがると、見下ろす姿勢で彼女の裸体を包み込んだ。
「んんっ… あ…」
ようやく離れて息を吸うと、さらに激しく互いを求めた。彼の舌が奥くまで届き、それに自分が熱く吸いついた… すぐに息が上がり鼓動が早く打ち始める。
「あぁっ… これ以上は、駄目よ… ギジェ」
妖狐の少女が、無理をして口づけを離すと、上気した表情で彼を見詰めた。
「あの娘が見てるもの…」
甘えるような、妖しい大人の口調でそう言った。そうして、しばらく呼吸を整えると、次元倉庫からオリーブの石鹸を引き出した。
「メル、此処に来て、このベンチに座ってくれる?」
ライシャは子供をあやすように、人形の裸体を抱き上げて、石材のベンチへと座らせる。「あぁ」っと、すぐに背後から自分も抱え上げられて、メルの横に並んで座らされてしまった。ミイラ取りがミイラに… 的なやつである。
「ほら、俺はライシャを洗うから、君はメルを洗うといいよ」
そうして、少し意地悪な笑みを浮かべると、手ぬぐいを泡まみれにして、彼女のお腹にふわっと押し当てる。
「きゃっ… もう、わたしにも手ぬぐい取ってください」
少女は受け取った手ぬぐいで、優しく石鹸の泡をつくると、人形の背中にそれを移していく。女性らしい繊細な手付きで、関節人形の各部を洗い、彼の大きな手が自分の胸を柔らかく揉み洗いしている。
「あぁん… もう、そこを重点的に洗うのは… ずるい」
紅く火照った胸の膨らみを、幾度もぬるぬると洗い上げると、可愛い突起が指の合間で上下に跳ねた。それでも、ライシャは彼に身を任せたまま、自分はメルの全身を泡だらけにする事に必死のようだ。浴場にベリー系の甘い香りが広がっていく。
「ほら、二人とも、まとめて洗ってやろう」
ギジェが大きく腕を回すと、ライシャを挟んだまま人形の体を抱きしめる。そうして、泡だらけの姿で三人が一塊になると、互いに泡を塗りつけながら、泥遊びのように戯れていた。
「たいへん心地よく、幸せでございます。なにかお腹の奥がジンジンと温かいのは、何故なのでしょうか?」
「それは… んっ、あぁ… 女の幸せかな…」
少女はメルの首筋を甘噛して抱きしめ、ギジェは濡れそぼったキツネ耳を、口に含んで柔らかく喰んだ。そうして、そこらじゅうを泡だらけにしながら、妖しいスキンシップを楽しんでいた。
「それでは、わたくしは先にあがらせて頂きます。たいへん幸せな刻でありました」
少し上気して、とろんと妖しい表情で腰を折る人形の姿。その人形らしからぬ女性の色香に、少々引き気味な主の二人。
「なんだろ、このひとっ風呂だけで、大人の階段を駆け上ちゃった感じは…」
全裸の西洋人形が、小さなお尻を左右に振りながら、大人のランウェイ・ウォーキングで去っていった。
うーん、末恐ろしい娘…。
「ほら、ライシャこっち来て、足湯をしよう」
二人はワインの置かれたベンチの前に移動すると、膝下だけ湯に残したまま、湯船の縁に腰を降ろした。
妖狐の少女も十分に上気した紅色の肌を、大きな手ぬぐいで隠している。メルが気を効かせて、大きめのタオルを追加してくれたのだ。しかし、どうみても裸エプロン以下の隠蔽具合だ。色々と見えてしまい、逆に欲情してしまいそうだ。
「葡萄酒はわたしが開けるよ」
陶器で出来た葡萄酒の瓶が、寸胴のワインクーラーの氷水に沈んでいた。少女が口のコルクに指先でトンと触れると、それはまるで手品のように、独りでに持ちあがり、最後はころっと床へと抜け落ちた。
ライシャは手にした陶器から、盃へと紫の赤葡萄酒を注いでいった。
「新居に乾杯!」
ギジェが盃を手に掲げて見せる。
「うん。新しい我が家に!」
そう言って一気に飲み干すと、互いの盃を空にした。すでに結構な長湯で喉も乾いていたらしい。
ぴたりと膝を揃えた女の子座りで、ライシャが再びお酌をすると、盃を悪魔の液体で満たしていく。
「ふふ… すごく美味しいね。ねぇ、ちょっと明るすぎから… もう少し暗くならないかな?」
濡れタオルに手を添えて、恥ずかしそうに呟いた。とたんに魔導照明が灯りを落として、手元のランプ一つだけが、小さな火種を不安定に揺らしていた。
「あれ、これって言葉にしただけで、操作できるの?」
「そうだね、君もこの塔の管理者だから、その権限で出来ることは多いはずだよ」
「そうなんだ… 魔法世界もこうなると便利だね。というか… この青い明かりは何なのかしら?」
何時のまにか浴室全体が、淡い青色の輝きに浮かび上がっていた。少女が不思議に思って、湯船に立ち上がると「ああ…」と口元に手を添えて、驚きの声を漏らしてしまう。
「ギジェ外を見て… 素晴らしいから」
彼の手を引いて立ち上がらせると、青く輝く硝子の外を指さした。
「これは凄いな… ギガント・アカンソリニゥムの光かな?」
浴室の照明が消えたおかげで、宵闇の海と空がはっきりと見下ろせた。それは満天の星々の煌めきと共に、青い蛍光色の洪水が、見事に海中を埋め尽くしているのだ。
「それだけじゃないわ。これは夜行虫じゃないかな… 海洋性の微生物が青く光を放つ現象なの。でも、これだけの規模になると、神々しいぐらいだね」
「ああ、だから輝きの海なのかな?」
「うん… そうなのかも。すごく綺麗…」
ライシャは手繋ぎをしたまま、彼の傍らに寄り添った。そのうっとりと甘えた声に、すぐに筋肉質の腕が下りてきて、彼女の細身を優しく抱いた。
魔道士は手にあった、三杯目の盃をぐいっと流し込む。口元から紫の雫が一筋溢れて、首まで流れ落ちた。少女はその赤い筋に口元を寄せると、妖艶な表情で舐め取って見せる。
「ねぇギジェ… わたしね…」
小さく囁いた甘い声が、彼の唇で塞がれてしまう。激しく求め合う熱い口づけ… ぽちゃんと真鍮の盃が、湯の中に落ちて、ゆらゆらと光を反しながら沈んでいった。
「欲しい… ライシャが…」
彼女を抱き上げてしまうと、濡れた垂れ耳の側でそう囁いた。
「…うん」
首に腕を回してぎゅっと身を押し付ける。まわりの暗さが、少しだけ彼女の背を押していた。羞恥に火照った身体が、赤く染まっていくのが自分でもわかった。
「いいよ… ギジェ…」
妖しい表情で微笑むと、彼の頬に手を添える。魔道士はその華奢な裸体を、浅くなっている硝子窓の縁まで抱えていった。そこで丁寧に湯の中に座り込み、硝子に寄りかかるようにして、熱情が込もったキスを交わしあう。
絡んでいく互いの舌と唾液を、何度も味わって水音を漏らし、彼はライシャの尻尾の付け根に触れ、少女は彼の黒髪に指を絡めて引き寄せた。
「んっ… あ… そこ、気持ち良い…」
魔道士は口から首筋、胸へとキスを丁寧に落とすと、今度は舌で濡らしながら、再びうなじまで戻っていく。少女の紅色に染まった汗ばむ裸体が、幾度か反応してビクっと跳ねる。
「寝室に行くかい?」
湯の中で広がった尾を、優しく手のひらで纏めながら小声で聞いた。青い宇宙のような硝子窓を背にして、二人の陰影が艶やかに浮かび上がっている。
「このままで… いい… きて」
細腕を広げて、潤んだ紅茶色の瞳で彼を見上げた。魔道士はその子供のような小柄な裸体を、優しく抱きしめると、浅い湯の中に押し倒していった…。




