2-4 大賢者ララニスの書斎
第ニ章 マナナーン・マクリールの幻塔
ギジェが試練の鍵穴に、ゆっくりと鍵を差し込んだ。台座の正面から、格子状の魔力走査線が現れると、彼の全身を縦に横にと走査していった。
その直後、この巨大な塔全体が、まるで息を吹き返すように小さく震え、気がつけばドームの上部にあった魔導ライトが、一斉に点灯して部屋を明るく照らし出す。
- 全システムの権限が回答者に譲渡されました -
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- 第一管理者をギジェ様と認識しま、ゴホ…した -
メルの裏声が淡々と木霊していく…。今ちょっとむせたけど。
「いや、それもういいからさ…」
「さようですか? では、改めてよろしくお願い致します主様。わたくしはこの幻塔の雑務をさせて頂きたく、メイド長のメルとお呼び下さいませ」
「メイド長という事は、他にも姉妹が居るの?」
ライシャが疑問に思って尋ねた。
「過去には私の姉妹があと三人おりましたが、現在可動しているのは、わたくし一人だけでございます。奥様」
「ひとりで、こんな大きな塔を管理しているのね? って、やだ、もう、まだ奥様じゃないからね!」
真っ赤になって視線を泳がす妖狐の少女。
「ではライシャお嬢様、主様、内部をご案内させて頂きます。どうぞこちらへ、お進みください」
「その主様は止めようか? ギジェでいいからさ」
「では、ギジェ様、ライシャ様こちらへどうぞ」
明るくなって気づいたのだが、絵本の様な壁絵のドームは、中央に円形の縦穴があり、その内周に沿って階段が降りている。
「こちらの縦穴は、45階までの直通となっております。各階に搬入口があり、上部から物品を降ろす事が可能です。昔は上部の着陸ポートが、そのまま搬入用エレベーターとして可動していましたが、魔導部の寿命により現在は使用できません」
「エレベーターって何だろう?」
「機械仕掛けで、上下に物や人を運べる箱や台座かな?」
「おおっ、そうなんだね、でもそれ普通に飛べば良くない?」
「一般人は普通に飛べないから!」
自分達の声がドームに反響して耳にうるさい。メルを先頭に、三人は大きな螺旋になっている階段を降りていく。材質は土台と同じ剥き出しのコンクリート製だった。
「こちらの70階は、現在は消耗品等の保管庫となっております。部屋ごとに冷蔵部屋、次元倉庫、真空倉庫など、数種の扉がございます。詳細は後ほど…」
昔のホテル時代のままなのか、落ち着いた濃茶の絨毯の通路に、かなり距離を置いて、巨大な引き戸が並んでいる。
「各所を巡りながら、少しこの『マナナーン・マクリールの幻塔』と、賢者ララニス… お父様について話をさせて頂きます」
「その賢者さまが、メルやロゼを創った錬金術師だったのね?」
「その通りでございます。とても聡明で、ユーモアのある父でありました」
「それにしても… マナナーンとか、ケルト神話に登場する 海神じゃないの? ララニスといい… ネーミングセンスが中二病なのよね」
「お父様は、その名前をいたく、気にいっておいででした」
「格好良いとか言ってなかった?」
「毎日のように、そう伺いました」
「ですよねー」
そのまま階下に降りると、そこは全周がガラス張りの、スカイ展望フロアーだった。今でも状態は良好で、ラウンジの跡らしい椅子の土台や、カウンターだけが寂しく残っている。しかし、その景観は素晴らしく、床も綺麗に掃除されてあった。
「あの神の世界の終焉と呼ばれた、大災害の時、この塔にはかなりの人族の方がいらしたそうです。
しかし、悪いことにその大半が、低層階の商業エリアに立て籠もっておられたそうで… 倒壊こそ免れたのですが、地を這うような衝撃波で、塔の下部の大部分が破壊され、高層階に居た者だけが残されました」
展望フロアーをぐるりと一周して、一行は68階へと再び階段を降りていく、ふと後ろを振り返ると、全周を巡るガラスの向こうを、低い雲が吹き流れて、視界を白く霞ませていた。
「父を含めて、残された四十名ほどの者たちは、中層から下への降りる術も失い、この塔の上層部に閉じ込められて、ただ死を待つしかありませんでした」
68階には、木を基調にした落ち着いた趣のレストランバーがあり、そのまま食堂として使われていた。三十卓もあるような広い室内は、大きなガラス窓からの景観はもちろん、上階へ続く階段の先には、個室のVIPルームまで残されてあった。
魔道士は、生まれて始めて見る、美しい細工のされた豪華な家具や、丁寧に並べられた小物や、インテリアに驚きの表情で見入っていた。
「絶望で自殺するものや、脱水症で命を落とすもの… 生きる地獄だったと聞いております。しかし、いよいよ全員がもう駄目だ、というところまで追い詰められたとき、その中の一人に初めて魔法の発現が起こり、そこでこの世界にある別の力…魔力に気づきました」
レストランの奥を覗くと、広い厨房に魔導具の調理器具が綺麗に整頓されていた。どうやらメルは料理もできるらしい。話を続けながらも、調理用のお玉を片手でくるくると回して見せる。
「最初に発現したのは、水魔法だったのは、無意識に飲み水を求めたのだと思います…。 その後は、続々と魔法を発現する者が現れて、特に父は、突出した魔力を持っていたそうです… 今で言うと魔王様や、ギジェ様のように」
ギジェは魔王と同列らしい…。
「父たちは、元々中層上部にあった、次世代型コンピューターの、閉鎖的ネットワークシステムを、実験的に可動していた技術者でした。彼らは魔術の術式と、旧世界の科学の言語との親和性を導き出して、それを融合させていきました」
食堂の隣には、広い宴会場として使われていたホールがあり、ララニス達の居間か客間だったのだろうか? 白を基調とした、上等な調度品や西洋家具が綺麗に置かれた、宮殿の一室のようになっている。
前世の血が騒ぐのか、ライシャが色々と弄りたそうに、合間を見て回っていた。
「彼らは塔を修復し、段階的に改装しながら、魔導人形や、私達の祖先であるホムンクロスを創り出して、狩りをし、作物を育て、材料や情報を集めて、この塔の全周を何重もの多重結界で覆っていきました」
67階には、プールのような大浴場があり、現在は、大小いくつかの湯船のうち一番小さい窓際のひとつだけに、湯が張られてある。
残りの大きい湯船には土が入れられて、さながら植物園のような植栽がされてあった。濃い緑の熱帯の植物が茂り、色彩の強い花々が咲いている。なかなかセンスの良い使い方だった。
「そうしてこの塔の最盛期には、世界の多くの場所を、居ながらに観察出来るほどになったと聞いています。
しかし、そのあたりで、仲間の者たちが、次々に寿命で亡くなり始め、父が光の魔術… 生命と命のあり方を解明するころには、すでに数名しか残されておりませんでした」
その下の66階から60階までは、ホテルの客室がそのままにされてあり、特に上階のスィートルームは、現在も使用できるほど、綺麗に保たれてあった。通常の部屋は数が多すぎて、全てを把握することは出来ないそうだ。
「父の書いた、命の延命、若返りの術式はとても複雑で難しく、その効果は、その者の魔力に影響されたそうです。そうして、なんとか延命した者たちも200年程で死に絶えてしまい、最後にはこの巨大な塔に、父一人だけが残されました」
58階、59階は天井が吹き抜けになった、大きな室内プールの名残があり、今は幾つかの硝子仕切りで区分けされて、寒暖地方ごとに薬草やハーブを栽培する温室になっている。
「これは素晴らしいな、こんな畑が欲しかったんだ」
ギジェが目を輝かせて、それぞれの草葉を真剣に観察していった。
「わたしたち姉妹が生まれたのは、それから、更に150年程後の事になります。それまでの期間は、とても寂しい想いをしたと、何度か聞かされておりました。
父はその長い時間を掛けて、私達を大事に大事に創ってくださいました。この身、この髪の、この指先に至るまで、その愛を今でも感じることができます」
そうして57階へ降りた全員が、驚いて声を上げてしまった。部屋のドアは全て外され、廊下には通るのも不便なほどに、テレビや、掃除機や、なぜか有名なインスタントラーメンの看板や、まとめて転がるビーチボールや、幼児用の車やプラスチックで出来た巨大な積み木まで… まるで文化祭直前の学校の廊下のような有様なのだ。
「ここから下層は『賢者のエリア』と呼ばれております。わたくし共も、余程の事がなければ立ち入らなかった階層です」
「凄い凄い!懐かしいわ… こんなに旧世界の品々が残されているなんて、奇跡みたい」
ライシャが目を輝かせて、ひとつひとつを手にとって見惚れてしまう。
コレクションなのだろうか、部屋の中にも、これでもかというぐらい、旧世界のジャンクな遺物が、大量に積まれてある。一応テーマはあるのか? 車ものだったり、怪獣系だったり、可愛いフリルのミニチュア家具の部屋になっていたりと、ゴテゴテと極彩色に飾りつけられてあるのだった。
「父は一度だけ、街に住もうとした時期がありました。そのほんの数週間だけ主をしていたのが、妹が経営を任されている装飾店で御座います。しかし、どうしても父には馴染めなかったらしいのですが…」
56階、57階も同じ様にあらゆる旧世界の遺物が、ぎっちりと詰め込まれてあった。
途中の廊下の曲がり角に、あの汚い日本語で
- この先です -
と書かれていたので、ライシャが次なる期待に身を乗り出して角を曲がると
- バカが見るー! -
とご丁寧に七色の吹き出し付きで書かれてあり、妖狐の怒りを倍増させていた。
「おのれ!駄賢者め!こんな古典的な手に引っかかるってえええ!」
妖狐の少女は地団駄を踏んで悔しがった。
55階から53階までの全フロアーには、大量の本や書籍が山のように積まれてあったが、殆どは日本語か英語の文字で、ギジェには読む事が難しいようだ。
52階の最奥までやってきた。通路には巨大な宇宙船の模型や、抱えるほどの地球儀などが、相変わらず散らかっていて、その突き当りに大きめの重厚な扉があった。扉の三方枠に何故か古代文字が刻まれていて、ギジェが何かを思うように、その文字列を観察している。
赤茶色の扉の中央には - 入室禁止 絶対入ったら駄目だよーん - と毎度の走り書きがされている。足元にも - ここから先は命の保証はありません - とうねった日本語が残されてあった。
「大賢者ララニス様の書斎で御座います」
言葉が言い終わる前に、妖狐の少女がバンっと扉を開け放った。
「居たな!この駄賢者めぇえ!」
二十畳ほどの、すでに小ぶりに見える部屋の中には、壁一面の漫画やグラビアの棚があり、大型液晶スクリーンが三枚横並びしてあった。
本物なのか、モデルガンなのかわからない、銃のコレクションが、いくつも壁に飾られてある。好きな物を好きなだけ詰め込んだ、子供部屋のような有り様だ。
壁際には大きな書斎用の机があり、何冊ものファイルやノートパソコンや、カードゲームのコレクションが、崩れ落ちそうなほど積まれている。大きな陶器の大皿の上には煙草の吸殻が山のようになっていた。自作なのだろうか、大小様々なフィギュアが何台も飾られていて、そのうちの一つは、メルの顔にそっくりだ。
「ちょと寝てないで起きなさいよ!賢者ララニス!」
机から少し離れた場所に、肉厚で高級そうな、高機能のディスクチェアが置かれて、そのいっぱいまで倒された椅子の上で、サンタクロースのような、長い白髭を蓄えた老人が眠っている。
ほらやっぱり、メルに死んだような口ぶりで話させて、本当は後で驚かせようとしてたんじゃないの!
「ちょっと!そこの駄賢者!起きなさいよ」
ライシャが再び大声で呼びかける。しかし、彼は微動だにしなかったのだ。
「あれ… 彼はだいじょうぶなの? 具合悪いとか?」
さすがに様子がおかしいと気づいた少女が、メルに向かって問い直した。
「お父様の最後の願いなのです。わたしは何があっても、こちらの書斎に入ることは出来ません」
「え? 最後って… だって彼まだ、生きているんじゃ…」
膝にブランケットを掛けて、気持ちよさそうに眠っているだけの彼に、少し困惑してしまう。よく見れば、胸で重ねた手の中に、手紙らしい一枚の便箋が握られていることに気がついた。
「手紙?」
少女は慌てて部屋に入ろうとして、ギジェに細腕を掴まれる。
「まって!ライシャ、この部屋に入ってはいけない」
驚いた様子で、耳をぴんと立てながら、彼を見返す妖狐の少女。
「メル、賢者ララニスは数年に一度だけ、この部屋から出てきたと言っていたよね?」
「はい、晩年のお父様は、この部屋で大半の時間を過ごされておりました」
「そうか… 賢者ララニス、貴方は最後まで世界の行く末を見ていたかったんだな…。
この部屋は、違う次元に隔離された別空間なんだ… 試練の間にもあったあれだな。この部屋の時間の流れは、多分1/1000ぐらい遅くなっているよ、もしかしたら今はほぼ停止しているかもしれない」
「彼は何でそんな部屋に籠もっていたの?」
「この部屋で一晩過ごせば、外界はニ、三年の時が過ぎる… 彼は自分の寿命を悟り、最後の何ヶ月かを掛けて、歴史の先を見たかったんだよ」
ライシャは言葉を失って黙ってしまう。それは彼の想いを探っているようにも見えた。
「君がこの部屋に入って、あの手紙を取ってくるだけで、もしかしたら数年が過ぎてしまう… そんな部屋だから」
「そんな… それじゃ彼は…」
「この部屋は賢者ララニスの棺なんだよ」
彼は好きな物で埋められた、大好きな場所で眠りに就いたのだ。
「まるで生きているかのようなのに…」
さすがのライシャも瞳を滲ませて、長い時間を生きた、同郷の老人を見下ろしてしまった。
「ねぇギジェ、あの手の中の手紙を取ることはできる?」
「ああ、空間魔法が使える俺なら、次元倉庫と似た術式だからね」
彼はドアの目前までいくと、鍵を掠め取ったように、何もない空間から手紙だけを引きだした。手紙はギジェには読めない文字で書かれてあり、それは彼の手から少女へと、大事そうに手渡される。
製紙された便箋の滑らかな指ざわりに、懐かしさを強く感じた。ライシャは薄い欄に沿って書かれた、悪筆の酷い文字に目を落とした。
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わたしは生涯を掛けて待ち続けていた。夢見たと言ってもいい。世界が成熟し、科学と魔法が融合した、多種族による素晴らしい文明が開花することを。数百年もの時間があれば、それは十分可能だと思えたのだ。
しかし、現実はこの忌まわしい通行不能な怪奇な地形と、多くの凶暴な魔物に脅かされて… 更には種族間の戦いの果に、残っていた街や文明も、次々に滅び、世界は衰退していく一方だった。
目を覚ますたびに、世界を見渡して絶望するわたしの苦悩を、誰が理解してくれようか? わたしは傍観者では、いけなかったというのだろうか?
しかし私は神ではない、ましてや、この世界の人間でさえないのだ。そんなわたしが、歴史の流れに関与して良いはずが無かった…。 いや、そうする事が恐ろしかったのだ。 ただの臆病者なのだ…。
今なら理解できる。わたしの望みは、ずっと変わらず唯一つだった。失われてしまった、成熟してむせ返るような、あの懐かしいクソ世界を、もう一度見たかったのだ。
何もかも飽和して、雑多で個性がありすぎて、また無個性すぎる、人々のあの熱気と、無気力の只中に浸りたかっただけだ…。
この最後の瞬間になって、はっきりと自覚できる。私は、只々帰りたかっただけなのだと…。あの時代の無限に生み出される、アンダーグラウンドな文化の海に溺れていたかった…。
誰がこんな世界を望んだというのか? 誰一人として幸せにしない、ただ暮れていくだけの、この残り物世界に何の意味があるのだ? 数百年もの時間を掛けて、黄昏ていくだけの人の営みを、ただ眺めていた人生に、何の意味があったのだろうか…。
しかし、それもこれで終わりだ… この手紙は誰にも読まれずに、この塔と共に、ただ朽ちていくのだろう。
願わくは、もし、この乱筆を読む者が居たならば、この内気で、頭でっかちで、何一つ成さなかった、ただの引きこもりで、弱虫の私の代わりに、この世界の進む先の、たった一つでも良い、手助けしてやってはくれまいか…。
この神無き捨てられた世界に、欠片でも良い… 幸あらんことを祈ろう…。
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握るようにした手紙の端に、水玉が弾けて染みを残した。溢れてくる雫を必死に留めようと堪えていた。
駄賢者め、泣いてあげるもんですか… でも…。
少女は、いつの間にか、ぽろぽろと涙を零しながら、その手紙を抱きしめていた。
そうね… ただ帰りたいだけよね…。
それは彼女もまた、ひとりで抱えていた感情だったから。
押し寄せてくる望郷への想い…。繰り返し夢に見る、蒸した雑踏で立ち止まる自分の姿…。二度と感じることの叶わない、あの走り続けていた日々の熱…。彼の憂いが、自分のものと重なって胸を締め付ける…。
どうして、こんな哀しい事ことばかりが起きたんだろうね…。
溢れてくる涙を止められずに、小さく嗚咽を繰り返してしまう。ギジェがそっと寄り添って、後ろから少女を抱きしめた。
きっとこの異世界転生者の少女だけが、唯一の理解者になれたのだろう…。失ってしまった遠い日常を、一緒に見れるただ一人の同志だから。
「もう、バカ賢者! こんなに沢山の遺物って… 全部わたしに残してくれたような、ものじゃないの!」
イラっとさせられたけど、でもあなたは、寂しがり屋で、意外と優しい、ただのシャイな人だったのね…。
「ちゃんと話しをしてみたかったね…。大賢者ララニス… いえ、中二病で、筋金入りのオタクな、鈴木大樹さん…」
手紙の最後の一行 - 鈴木大樹 - の一筆を読んで微笑んだ。
「ねぇギジェ、わたし… この塔に住みたいわ」
黒魔道士は何も言わずに、ただ優しく笑ってから、頷いてみせる。
「そうしたら、わたしも『賢者ライシャ』って呼ばれるのかな?」
そう呟いた妖狐の少女は… いや、朝比奈 美姫は、優しい涙目で、精一杯の笑顔を浮かべてみせた…。




