2-2 その少女は海を割る
第ニ章 マナナーン・マクリールの幻塔
二人は砂浜から一段上がった岩場の上で、買い置きしてあった、ケバブサンドを頬張っていた。香ばしく焼かれたボア肉の切り落としを、沢山の野菜と共にサンドされた、お気に入りの屋台ジャンクだ。遠征したときに割と良く食べている。
早朝からすでにニ区画のサルベージを終えて、軽い昼食と珈琲ブレークの優雅なお時間だった。昨晩にまとめてドリップした珈琲も、次元倉庫から引き出せば、まだ温かい飲み頃だ。
「金塊も結構掘れたけど、その凄い数の、指輪やネックレスどうするんだ?」
宝石商と呼んでいた店舗跡から、ごっそりと拐ってきた、数百点もの装飾品の山を思い出して言う。
ライシャは珈琲を一口含むと「うーん」と背に振り返る。
「腐食したり傷だらけだったりだから、台座や鎖と石を分解して、金属は溶かして、宝石は磨いて個別に売るかな。小粒の石は、どうしようか?」
よっぽど嬉しいのか、背負ったままのお宝の袋を、ジャラジャラと鳴らして首をひねる。肩に担いだ大きな麻袋が、まるで漫画に出てくる強盗のようだ。
「まぁ分解するのは得意だからねー。作るのは、全般的に苦手なんだけど…」
今のは地味に自傷発言だな…。
「じゃ、海でも割ってみようか?」
ギジェも立ち上がり、使っていた珈琲セットを収納していく。
「えー まだ、その話って生きてたの?」
「これも魔力操作の練習だって」
「むむー」
ライシャは背にする宝の麻袋を、渋々と彼に手渡すと、海原へと向き直る。沖の二箇所に未だに凍結したままの氷海が、霧を上げているのが霞んで見えた。
「私は何をすればいいのだろう…」
天に向かって両手を掲げ、困り顔でモーゼの海割りのポーズをしてみた。手渡された宝の袋を次元倉庫に収めながら、魔道士も渚に並ぶ。
見た目には、黄金色の髪を海風になびかせて、大空を仰ぐ華奢な美少女が、絵画の如く美しいのだが… 当然、海が割れることはない。
「前から言いたかったんだけど、ライシャの重力魔法って、下方向だけに思ってるみたいだけど、それ思い込みだと思うよ?」
両手を綺麗に伸ばしたままで、「え?」と少女は首を傾げる。
「私は重さを操作しているんだけど…」
「重さ、重力ってさ、下方向に働く自然の力だろ? それを上方向へ魔力のベクトルで支えたり、逆に下方向に力を加えたりしてるのが、君のスキルなんだよ」
「ふむふむ」
「俺は魔力の流れを見れるから、ライシャは無意識かもしれないけど、空を舞う時とか風魔法だけでなく、重力魔法で、横方向にも加速してるんだよ。だから、あんなに直線的な動きができるんだぞ」
「そそそなの? 私そんな事してたの?」
驚いて両手を下ろした少女が、彼の腕に軽く触れる。
「ああ、完全に無意識にね。重さを操作するのではなく、力の方向を操作するイメージでちょっと飛んでごらん」
妖狐の少女は、少し困り気味の垂れ耳で、しばらく考えていたが、手を優しく横に開くと、そっと体が宙に浮かぶ。ドレスアーマーのレースの裾や、細髪が柔らかく宙に漂うと、次の瞬間、どーんと上空まで一気に登っていった。
「きゃああああぁぁぁ・・!」
あっという間に、小さくなっていく彼女の悲鳴が水面に響き渡る。ほとんど瞬間移動に近い加速ぷりだ。
「凄いなライシャ… 俺は自力じゃ浮くぐらいしか出来ないから、羨ましいぞー!」
元は魔族の翼で飛べたらしいのだが、生き死にを繰り返すうちに、背の翼は角と共に退化してしまったのだ。
「すごーーーーーーい!」
今度は横方向に鋭角にターンすると、高速でストップ アンド ゴー を繰り返している。
それからも妖狐は、氷の翼竜のように滑空したり、大きく弧を描いたり、急停止して今度は風魔法に乗って緩やかに漂ってみたりと、下から見ていても、はしゃいでいるのが良くわかる。
「ほら、やっぱり君の特殊潜在能力は、凄いじゃないか」
何故かギジェも満足げに頷いてみせた。
そのまま半刻ほど、大空を飛び回っていた少女が、頭上数メートルまで、瞬間移動のように急降下してくると、最後は漂う綿毛のように柔らかく着地をした。
「だいぶ慣れたー! 楽しいよこれ」
「うん、それは良かった。ちなみに君が弓の射撃で、超遠距離から的を外さないのも、その力で微調整してるからだけどね」
「そうだったのか… 本当に目からウロコだよ。なんかギジェのほうが、私より私の事をわかってる感じが、とても素敵です…」
「いっつも、君のことを見てるからだね」
その言葉に照れた様子でうつむくと、ぽふっと彼の胸に抱きついてみる。
「今の… すごい幸せな気持ちになりました。もう、すごい好き…」
胸の少女を片手で抱きしめ、もう片方で金髪をさらっと撫ぜる。
「うん。俺も、すっごい好きです」
復唱するように言葉を続けた。周囲を炎の明るさが、ひらひらと舞っている。リンディが二人をからかっているのだろう。
遠くの海でやっと氷結から開放されたらしい、超巨大なスライムもどきが、青いネオンのように内管を輝かせながら、どかーんと海面から身を持ち上げた。
「ライシャ、ギガント・アカンソリニゥムが… あれ、怒ってるな」
「もう、野暮なんだから」
そう言うと、背の『エリスと黒鋼の長弓』を引き絞ると、超遠距離から海ウシに向けて矢を放った。
それは綺麗な放物線を描いて天に舞い上がり、そして突然キーンと耳鳴りを残して雷撃のように命中する。起き上がっていたギガント・アカンソリニゥムの巨体が、一瞬、縦に潰れるのがみえた。直後、巨大な爆発となって周囲の海水や流氷ごと、木っ端微塵に消し飛ばしてしまう。
「ちょ、ライシャ、やりすぎ…」
爆発による水柱が、巨塔のように立ち上がると、それは崩れて大波と変わり押し寄せてくる。
妖狐の少女は、彼の手を握ると、そのまま二人で十数メートルまで飛び上がる。
「ちょっと調子にのりました。てへっ」
そう可愛く舌を出す… うん、今のは結構、わざとあざとい…。二人は手繋ぎのまま空を漂い、浜辺を広く舐めていく、白い波飛沫を眺めていた。
「よしっと、それじゃこれからが本番だな」
何度か押し寄せた大波が静まるのを待って、二人は波打ち際へと舞い戻った。ギジェが腕組みをして一歩下がる。
「最後は想像力の話になるけど、君は触れたものの重力ベクトルを操作できるけれど、じゃぁ地面に触れても、大地をコントロールは出来ないよね?」
「そんな大きなものを操れるほど、魔力もないものね」
「だよね、でも、例えばさっきの銀行?の建物みたいに、それ自体は地面と一体化してるのに、ちゃんと建物の輪郭だけを選んで、綺麗に土台ごと引き抜いて見せただろ。それも多分、無意識なんだろうけど。
だったら触れた地面の一部… 例えば小さな正方形を意識して、それだけを持ち上げる事できるんじゃないか?」
「うーん、触れたもの全部ではなくて、その一部を… って想像をするのね」
妖狐の少女は、濡れた砂浜にしゃがみ込むと、手のひらをそっと置いて瞳を閉じる。とたんに、目前の白砂が揺れだすと、すっと形を保ったまま宙に浮いた。
「いいね!さすがセンスあるよ… でもなんでハート型なんだろう…」
「無垢な心の表れです…」
軽く頬を染めたライシャの手元に、白いハートがやってくると、開いた手の合間で、さらっと砂に戻って崩れ落ちた。
少女はにこっと微笑むと、今度は数個のハートが、砂から起き上がり、ギジェの周りを踊るように回り始める。
「素晴らしい、さすが優等生ですね」
褒められると、ますます頬が赤くなる彼女が愛らしい。
「これって、まるで土魔法のようね。あまり複雑な形とかは無理だけど」
「だから凄い特殊潜在能力なんだって。さぁ、もう理解できただろ? 海に触れて大きな二枚板を想像して、それを左右に開いていけば… ね?」
「でも、それだけの面積を動かすには… やっぱり魔力が足りないと思うのだけど」
「だから、ほら、魔力をどうぞ」
そう言って笑顔で手を差し伸べる。ライシャは「あぁ」っとはにかむと、淑女のように丁寧に指を重ねた。
彼女は伝説級ブレスレットの追加効果、魔力吸収と魔力貯蔵を発動した。
淡い輝きが、繋いだ指先から流れ込むのが見え、魔道士に一瞬だけの、軽い目眩が通り過ぎる。
「だいじょうぶ?」
初めての魔力吸収に、心配そうに彼を見上げた。
「ああ、魔力は無駄に多いから、いけるだけ吸っていいよ」
「なんか… 吸うとか、やらしいからー!」
そのまま暫く指を絡めていたが、いつまでたっても満タンにはならない。心なしか魔道士の顔色も悪くなっていく。
「ああ… これ駄目ね。いくらでも吸収できそう。ギジェの魔力を丸ごと蓄えれるのかな? 怖いなこの伝説級魔道具…」
「結構、吸われてるよな… これさ、魔力の少ない一般人や、魔物に使ったら、一瞬で魔力切れ起こして倒れるぞ… それぐらいエグイ吸引効果だな」
「もう十分だね、じゃやってみようかな… っと」
ライシャは波打ち際で綺麗に屈むと、寄せる波間に手のひらを浸した。
「我は従順なる貴方が下僕なり! 無垢な願いに慈悲で答え、行くべき指針を示したまえ!」
ー 海裂きの奇跡 ー
両の手を真っ直ぐに差し上げると、声高に詠唱を終える… もちろん全部フェイクである。妖狐のただの自演行為だ。
しかし、実際に、ゴーっと海鳴りが響き渡ると、目前の海原に白い飛沫のラインが走り、波立ち、荒れる海が、細長い扇状に左右に裂けて別れていく…。
「凄いなライシャ… 想像以上の大魔法だぞ」
沖、ニキロぐらいまでの海底が、見事に顕になっていく。割れた海水の絶壁の中央で、美しく手を差し上げる可憐な少女。差し込む光の帯がまるで後光のように彼女を包む…。その荘厳な光景は、まさに神の御業にも見えた。
「ギ、ギジェ… 左側何かおかしい… 何かに引っかかって、押しても引いても… 」
何故か苦しそうに、上げた手を震わせはじめるライシャ。よく見ると、割れた扇の左半分が、中途から鋭角な角を立てて狭まって見える。まるで、そこに見えない壁があるように…。
振り向いた困り顔が、ふるふると蒼白になっていく。
「ライシャ!そのまま耐えていて! 海を凍らすから!」
ー 凍結地獄平原 ー
黒魔道士が腕を突き出して、口先だけで詠唱した。凍結地獄から召喚した絶対零度の下降気流が、裂け目を中心に数キロに渡って、大洋を完全凍結させていった。
「はぁあ… 危なかったぁあああ」
少女は凍った砂浜に、がくっと両膝を付いて、荒い息を整えている。
「どうしたの? 詠唱を間違ったとか?」
「あれはただの演技だから… モーゼ感を出したかっただけですから! というか、ギジェの氷の魔法恐ろしいです。視界一面の海を一瞬で凍結だよ?」
「いまの魔法、一番得意なやつだから」
「そうなんだ… なんかね、伝説の海割りの場面を想像したから、勢いで広めに裂けちゃったんだけど、左側に凄い抵抗感があって、なにかに挟まったまま動かないし、途中で止めたら大津波になるだろうし… すごい危なかったんだよ」
「なるほど… 確かにあれは怪しいな」
巨大な氷の渓谷の先、扇型の壁の途中に、目に見えない四角い壁が突き出るように跡を残している。凍結していると証拠写真のように一目瞭然だった。
「あそこ、何かあるよな… 巨大な真四角の目に見ない… いや見せないようとする何か? かな。見ようとすると凄い嫌な気持ちになるしな」
「ああ、やっぱりそうなの? わたしあそこ見たくない、あっちに行きたくないの。なに? この気持ち悪い感じは…」
「多分、精神的な結界があるのかも、やんわりと気づかせないように、その場に近づかせたくない状況とかに、効果あるからね。あと魔物避けにも良いらしい」
黒魔道士は頭上に、氷の槍を一本だけ召喚すると、その見えない壁に向けて射出する。ほぼ直線に加速した青い閃光が、見えない境界に触れて、ぼよーんと柔らかく跳ね戻された。
「これさ、精神的、視覚的、物理干渉軽減、魔法隠蔽等々… 超高等な多重結界が、何重にも取り巻いてる、ある意味、魔法要塞レベルの代物なんだけど…」
「これはお宝の匂いがぷんぷんするね!」
「そ、そこなんだね… リンディ頼みがある、あの魔法結界の視覚的な部分だけでいいから、中和できないかな? 俺がやると、壊わしちゃうからさ」
ギジェの言葉に、揺らめく炎の瞬きが大きくなると、オレンジ色のちっさい銀河の様な魔法陣が生まれ、それは魔道士と少女の目前に降りて、すっと溶けるように取り付いた。一瞬だけ視界が朱色に染まると、それは身に染み込むように薄れていく。
「ああっ、凄いなこれ… こんな大きいものが目前にあったのかよ… どんだけ高度な魔法防壁なんだよ!」
黒魔道士は少し自信を無くして、がっくりと項垂れた。
見上げるほどの高さにそびえる、巨大な四角い塔の姿。下部は崩れた部分を補修するように、砂岩や岩礁の岩々が積み重なって広がり、下部から2/3までを、岩に纏う蔓草や木立や、張り出した大木が大いに茂った、宿り木のようになっている。
そしてその上部は、美しい白い壁と、原型を留める強化ガラスの窓が、横並びする近代的なビルの形を保っていた。
その骨太の末広がりに見えるシルエットは、ギジェが見たこともない美しい建築物だった。
「うん、すごいねこれは。これってさ… たぶん、横浜ランドタワーだよね?」
「え? ライシャこれをシッテイルの?」
「なんで片言なのよ… 『横浜ランドタワー』地上七十階建ての、横浜みなとみらい地区に建っていたシンボル的な塔ね。階下はショッピングモール、中央はオフィス、上階は確か高層ホテルが入っていたはずよ。
あの『神の世界の終焉』を耐え、更に数百年もの間、形を留めているなんて… 本当に奇跡よね。 すごく懐かしいわ…」
少女は彼の背後から寄り添うと、そっと腕を絡めて、広大な氷原に建った、過去の幻を見上げていた。




