1-1 辺境都市『ムサシノハラ』
第一章 辺境都市『ムサシノハラ』
季節は初冬にあたる霜月の朝だった。しかし世界は未だに暖かく、空には明るい日差しの中で積雲が浮いていた。この人の住む『西の世界』はかなり温暖な気候らしい。
一瞬その雲を抜けて青い乱反射が煌めいた。僅かに白い水蒸気を棚引いて、氷の飛竜が滑空していく。
背に騎乗するのは、群青に近い黒髪の聖職者風の青年だ。彼らは奈落からの孤独な旅を越えて、今ようやくと最初の街にたどり着くところだった。
「見えてきた!」
ギジェは守護者である氷の飛竜に声を掛ける。
見下ろせば、大小様々な端布が縫い合わさったような、典型的なレフトバ-スの入れ替わり地形が続いている。人族の旧世界と神の世界が交互に並ぶ不思議な景観だ。
そんな立体迷路のような模様草原の向こうに、闘技場のような街の外観が現れていた。
「スポイル一度、目一杯まで高度を上げてくれ」
街から見ても、鳥としか分からない高度まで昇っていく。実際、視認を妨げる魔法結界を追加してあるので、まず見られることもないのだが… ようするに完全にビビッているのだ。
一昨日に白い砂漠で出逢ったシルクとの事もある。ギジェは人世界の常識をまるで理解できていないのだから。
直下に街の姿を観察してみた。『輝きの海』から続く川が、街の外壁のすぐ横をかすめている。真上から見た辺境都市は、切ったバームクーヘンを、大きくひと噛りしたような地形だった。
たぶん噛じって空いた場所が正門と中央広場。それを囲むように、低い土地と高い土地が交互に段になって、最終的には大きなすり鉢状になっている。外側の一番高い段差が自然の外壁になっているようだ。
「縫い合わせた大地を上手く使っているんだな」
ギジェは感心したようにうなずくと、正門から離れた丘陵の影にスポイルを着地させた。
「よし、おまえさんは此処で留守番だな。人が来たら氷のふりをするんだぞ」
魔道士は結構な無理強いをすると、氷の飛竜がええっと、驚いた様子でこちらを向いた。
「異論は許さない、そこで待機だ」
ギジェは悲しそうに見送る龍を残して、数キロ先の街に向かって歩いていった。
のんびりと牧草地らしい草原をいくと、途中で街へ向かう街道に合流した。土を踏み固めただけの道だが、馬車も通るのだろう、轍が左右にひと揃いずつ残っていた。
緩い坂を登りきると、巨石を積んで造られた正門が見えてくる。周囲には広く開梱された畑と牧場が、低い生け垣で区画分けされ、綺麗に街を囲んでいた。
凄いな。こんな広大な土地を人の力で管理しているんだ。これだけの土地で芋を育てたら、どれぐらいの収穫ができるのだろう?
針葉樹の森の、狭い砦の畑しか知らない彼にとって、その光景には驚くばかりだ。
そのスケールの大きさに圧倒されながら街道を進むと、荷車一杯に玉蜀黍を積んだ馬車が追い越していった。思わず立ち止まって道をゆずると、麦わら帽子の御者が「すまんね」と片腕を上げていく。
回転する車輪を使って重いものを運んでいるらしい… 見るもの全てが新鮮だった。
街道には街に向かって何人かが歩いていて、ギジェは彼らの後ろをさり気なく付いていくことにする。
革装備の冒険者風の青年と、耳が長く垂れた金色の髪の綺麗な美男子の会話が聞こえてきた。背にはロングボウを背負っている。
「じゃ道具屋で報酬貰ったら一度ねぐらに戻るか」
「よし、それからひと寝入りして、夜は『酒々丸』集合な」
何かの依頼を達成したらしく、上機嫌で美男子の肩を小突いていた。
街に近づくにつれて、十人ぐらいが集団となって門へと進んでいた。
まずい、胸がドキドキする… 痛いぐらいだ。
気がつけば胸の鼓動が激しく高鳴っていた。夢にまでみた人の住む街がいま目前に迫ってくるのだ。興奮でふらっと目眩がするほどだった。
ふと振り返ると、深めにフードを被った背の低い少年が、彼のすぐ後ろを歩いていた。緩めのブーツにショートパンツ姿で、フードの上にはベスト風の革鎧兼ベルトのような装備を身にまとう。
しかしどうみても上等な装備には見えず、あちこちが傷んで綻びが目立った。装備からして、たぶん盗賊系の職業なのだろう。
彼はギジェと視線が合うと、驚いた表情を浮かべてから目を逸した。澄んだ茶色の瞳が綺麗な美少年に思えた。
入場審査とか規制とかを、警戒して身構えていたが、特にお咎めもなくあっさりと街に入れてしまった。門を守る衛兵の姿も無く、自由に出入りができるらしい。
ギジェには理解できてないが、それはこの街の治安が相当に緩いことを示している。
それにしても… 何という人の多さだろう?
見渡すだけでも百人を越える人々が行き交っている。しかも見たことのない、耳の長いエルフ族や、獣の耳と尾を持った獣人族や、頭に角のある魔族など… その多彩な人々に圧倒されてしまった。あ、魔族は一応同族だったか。
頭の角も、背の翼も失ってはいるが、ギジェは魔族と天族の、禁断のハーフだった。それは、彼が忌み子として迫害された理由の一つなのだ。
ギジェは田舎者まるだしで、きょろきょろと広場を進んでいく。足元は石畳で綺麗に舗装され、広場の中央は澄んだ水を湛えた泉で、みんな手ですくって口にしていた。
農夫風の麦わら帽子の集団と、プレートメイル完全武装の二人組が、すれ違って街の外へと歩いていった。この時間はむしろ街の外へ出発する人数のほうが多いらしい。人の流れは街中から門へと続いていた。
彼はとりあえず不審に思われないように、泉の縁に腰掛けて周囲を観察してみた。
こ、ここに座っているのは変じゃないよな?
おどおどと周囲を見渡すその感じは、結構不審ではあるのだが…。特に行き交う人が自分に注意を向けることもないので、そこまで違和感はないと思いたい…。
公園の奥のほうには、薄い板で組んだ屋根が百枚も連なった、簡易の野良商店が広がっていた。どうやら誰でも勝手に出店できるフリーマーケットのエリアらしい。今はまだ時間が早いのか1/3のスペースが空いている。
さらに泉を挟んだ反対側には、食べ物の露天が沢山並んでいて、こちらにまで肉の焼けるいい匂いが届いてくる。おもわず腹の虫がぐぅと鳴った。
食べ物なら次元倉庫に沢山保管されているのだが、この嗅いだことのない甘塩っぱい匂いに心が動かされた。
駄目だ、今は我慢だ… もっとこの街を知らないと。
彼は自分をなだめるように、腹の虫を戒めた。
横を見ると先程のフードを被った少年が泉で水を飲んでいた。彼も露天の匂いに気がついてそちらを見た後に、出店スペースまで行って背中の荷を広げていた。
ギジェはもう少し泉の影から街を観察してみた。街を半周する高低差を繋げるように、泉を中心に放射状にトンネルと階段が伸びている。低い側は旧世界の建物が、高い側には神世界の石壁の家々が交互に並んでいるのが面白い。
ただその利用の仕方が、とても混沌としていた。躯体はそのままなのだが、そこに板や鉄板を無造作に貼り合わせて、極彩色に塗ってみたり、無駄に巨大な看板を掲げてみたりと、勢いのあるスラムのような街並みだった。
それは神世界の常識と旧世界の遺物が混じりあい、まさに人種の坩堝にふさわしい、活気に満ちた街に見えた。
その祭りのような華やかさにつられて、彼は再び少年のように胸が高鳴ってしまう。ギジェはついに我慢できずに、泉を離れて露天の前へふらっと歩いていった。
「兄さん、一本どうだい! ヒタキの串焼き一本11銅貨だよ」
露天の人族のおじさんに声を掛けられる。美味そうな焼き鳥の串が何本も炭火で炙られていた。炭火に落ちる肉の油が食欲をそそる。
そうか… 通貨があれば交換してもらえるのか… 単位はバースかな?
ー 好きなもの腹いっぱい! ー
子供の頃の記憶が蘇ってくる。しかし現状この世界のお金というものを持っていない彼は、心を鷲掴みにする串焼きを諦めるしかなかった。
そうだった、義兄が教えてくれたよな、通貨はお宝を売れば交換してもらえるって。
そのために欲しくもない、金塊や宝石を集めておいたのだ。いちおう直ぐに出せるように、何点かを布袋に小分けして持ってはいるのだが。
でも、いったい何処で交換してくれるんだ?
どうみてもこの食べ物の露天で、交換できるとは思えない。
ギジェは広場に面した一層目の外周を巡ってみる。ここらは街の繁華街らしく、派手な看板を掲げた店が目を引いた。食べ物屋や酒を飲む店が多いのだろうか? 雰囲気でそれぐらいは分かった。
何店かは大きな庇の下に、木のテーブルを並べた風通しの良さそうな店構えで、スタイルの良い人族の女性が、片肘を付いて黒い飲み物を飲んでいた。
たぶん茶の一種なのだろう。こちらまで何かを燻した良い匂いが届いてくる。
ギジェは短いトンネルを潜って、二層目の外周を覗いてみた。こちらは商店街のようで、様々な品が店先に並べられ、また吊るされていて活気があった。
「ああ、すいません」
人通りもかなり多く、人に慣れない魔道士は何度も謝り、流れに翻弄されながらも、なんとか店舗を覗いていった。
広場からみて右手側から、野菜や果物の青果、肉や燻製、調味料などの市場になっていて、そのまま左に巡っていくと、鍋や包丁などが並ぶ金物屋や、古道具屋、魔法の薬や薬草の店に、何軒かの服を扱う店もある。
本当に何でもあるんだな。物が多すぎて目がちかちかする。
ギジェは階段を昇って上の段も覗いてみた。一層目は宿屋が数件と、見るからに豪華な食べ物屋があり、結構木々が多めに残されていて目に優しい。
合間にあった細長い公園からは、下の広場が見渡せた。
二層目の高台には、武器屋や防具屋、装飾品などを扱う店がギッチリと並んでいて、一番北に当たるエリアは、鍛冶場や機織り場が密集しているようだ。
それにしても、どこで貨幣が手に入るのだろうか?
彼にはまったく検討もつかなかった。そして人に話かける勇気も出ない…。
しかし、こう見ていくと、剣や斧などの近接武器を持った、戦士風の住民は結構多いのだが、魔法職らしい風貌の者はひとりも見掛けない。やはりこの残り物世界では、物理攻撃一択の、魔法職不遇な状況のようだった。
魔力とは、この世界の万物に宿る、あたりまえの力なのだが、それを操作するのは極めて難しく、経験に頼った繊細な作業なのだ。実際に現存する軍隊では、武器を使った物理攻撃こそ最良とされている。
一般的に魔法とは、日常的に使う生活魔法や、魔道具、強化魔法、回復魔法ぐらいまでが限界で、攻撃魔法のような、苛烈な魔法発現まで操作できる人間は、希少なのだ。
しかも大部分の魔道士は、術式を記した魔法帳や、それを刻印された魔道具に魔力を注いで魔法発現をするものだ。
ギジェのような完全無詠唱で、膨大な魔力を、しかも高速で発現する者など、ほとんど皆無なのだろう…。
魔道士は、いい加減に疲れ切って、元いた泉へと戻ってきた。結構な時間が経っていたらしく、日がだいぶ西に傾きつつあった。
彼は次元倉庫からこっそりと、山羊イノシシの肉を炙った手製の焼き串を取り出して噛じる。そういえば朝から何も食べていなかった。
彼が焼串を頬張っていると、朝の少年がこちらをチラチラと伺っている。ずっと露天を出していたようだ。何かが売れている感じはしない。
魔道士は少し勇気を出して、その少年の露天まで歩いていった。広げられた茶色い麻布の上には、錆びた短剣や、少し欠けた杯や、汚れた水筒らしいものが並べられている。
少年がギジェを仰ぎ見る。やはりフードに深く顔を隠したままだった。
「ねぇ君、俺の持っているものと、お金を交換してくれないか?」
ギジェは背のバックから、布袋を取り出すとゴソっと少年の前に、中身を開いた。平たい金地金や、大粒の紅柱石を数点飾った髪飾りや、宝石の原石がごろごっと転がった。
「ちょっと!あなた」
少年は驚きの声を上げると、そのお宝を袋に突っ込み、ギジェに突き返す。
「え、あ、なんかまずかった?」
ギジェの言葉に、何故か深くため息をつくと、少年は自分の売り物をまとめて店仕舞いをした。
「ちょっと君こっちきなさい!」
少年は魔道士の手を取ると、右端の通路に向けて有無を言わさず歩きだした。身長差で子供が父親の手を引いているようにも見える。
「あ、なんか、俺やちゃったかな?」
「そうよ! 誰も後ろから来きてない? あとその暑苦しいコート脱ぎなさい。目立って仕方ないでしょ」
ギジェは少年に連れられて、街の最奥まで連行されて行った。季節は初冬、しかしこの街は暖かく、小春日和がうららかに続いていた。