1-18 神の世界の終焉
第一章 辺境都市『ムサシノハラ』
このホテルに閉じ込められて二週間が経った。
見下ろす視界に動くものも無くなり、まれに鷹虎や翼人間などの、有翼な魔物が通りを横切るぐらいだ。
すでに食人木の触手は17階まで届き、食料も尽き、二つのバスタブに貯めてあった水も、殆ど残っていない。
「瑛太… その時が来たら、私を撃ってください。お願いね」
美姫の脚の怪我は、快方に向かいつつあったが、体力的にも、精神的にも限界が近かいのだろう。弱気な言動が増えていくばかりだ。
「その時が… きたらね」
二人は廃墟の一室のような、荒れ切った部屋に座り込み、互いに支え合うように壁にもたれていた。
もう何をする事もなく、この二日ほどは互いに抱き合い、快楽を貪るだけを繰り返している。今も瑛太はズボンのみ、美姫もキャミソール一枚の姿だった。
「コーヒーまだあったかな?」
瑛太がだるそうに立ちあがる。
「インスタントなら少しあったかも… シュガーはないわ」
「お湯を沸かすよ」
折り曲げたハンガーと、皿とアルミホイルを組み合わせただけの、手製の簡易コンロに、足元に並ぶウィスキーの瓶から、少しだけのガソリンを浸した。
マッチで火を付けると、小さな炎が水を温め始める。ミニキッチンの窓には、ダンボールが押し込まれていて、小さな光さえも漏らさないよに工夫してあった。
「火があると落ち着くわ。ゆらゆらと揺れて綺麗ね…」
その頼りない炎は、まるで二人の生命の残り火のようだった。
「そうだね、こういう状況になると、火があるだけで安心できるよな。原始人が洞窟で、焚き火を囲っていた気持ちが、なんとなく分かるかも」
美姫も立ち上がると、二人並んでその小さな炎を見下していた。いつの間にか黄昏時も過ぎていて、もうすぐ長い闇の時間が訪れる。
と、そのときカーテンの隙間から、幾つものフラッシュのような輝きが点滅する。
「なんだろう? 嵐かな」
瑛太がリビングの窓辺に走って外を覗い見た。まだ夕暮れの名残がある西の森で、天翔る天使達の翼が、幾重にも輪を作って旋回しているのが見えた。
天使たちはあの光の槍を波状的に、二隻の軍艦に向けて放っている。
「沖に残っているミサイル駆逐艦が攻撃されてる」
光の矢が連続して甲板に命中して、火花を散らし弾けている。さすがに船の装甲を貫通出来るほど威力は無いようだ。
駆逐艦の主砲が毎分20発で速射を初め、二基の近接防御用の機関砲が射撃を開始した。
さすがの武装天使も、近接信管で目前で破裂する砲弾と、毎分3,000発で襲い来る圧倒的な弾幕に、光るゴミのようにボロボロと、森へと撃ち落とされていく。それはまるで夜空に舞う、輝く紙吹雪のようで幻想的だった。
「ついに天使と戦い始めたよ。心情的にどうなんだろうね? 仮にも彼らの信仰の対象だったのに…」
「でも、この世界の天使って頭に輪っかないよね? 何か気になるのよね」
実際に彼らは天族という種族で、神の使徒とは似て異なる者なのだが…。 ドン、ドン、ドンと対空砲火の鈍い音が、花火のように響いてくる。
「あっ、ミサイルを打ち上げた」
駆逐艦の前後のセルから、連続して垂直発射されていく、ミサイルの長く白い煙の帯び。
最初の十発ほどが、周囲を取り囲む武装天使の群れに、距離を開けて着弾していく。爆煙と飛び散る翼が花火のように美しい。その合間を抜けて数発のトマホークミサイルが、ニ方に散るように飛び去っていく。
「今度は天使が負けてるかんじ?」
「あの光る槍が軍艦には、あまり効果ないみたいだね」
「ねえ? あれなにかな、空に大きいものが突然表れたわ」
いつの間にか美姫も窓の横に並んで、小さく空を指差している。天使たちの光の槍が消え、代わりに輪の一部が激しく回転しながら光を放つと、その中心に巨大な岩塊が召喚された。
それは輪の中心に発現していた魔法陣が消えた瞬間に、超重量の質量兵器となって、手前の軍艦へと落下していって直撃した。
艦尾を押し潰された船体は、跳ね上がるように艦首を垂直に立ち上げると、あちこちで誘爆をしながら、そのまま深い水たまりに沈んでいった。
「ねえ… 空から山を落としたけど… あれも魔法なの?」
真っ赤な炎を吹きながら沈んでいく軍艦が、瑛太を絶句させている。
「ごめん、俺にもよくわからない… 現代兵器と魔法との死闘としか…」
そこで戦場とは反対側の、突塔が並ぶ天使の街に、巡航ミサイルが命中して大きな爆発を続けて起こした。塔の何本かが折れるように崩れていく。
さらに東の彼方の大森林でも、同じような連爆の炎が見える。ここから見えない場所にも、天使の拠点があるのだろうか?
撃沈されて燃える、重油の黒煙の向こうに、まだ健在な駆逐艦が一斉にミサイルを打ち上げ始めた。まるで打ち上げ花火のように、同じリズムで次々と空に放たれていく白煙の列たち…。セルに格納されているミサイル全てを、一気に打ち上げる勢いだ。
その頭上にも天使達の、リング型の召喚魔法陣が展開されていく。
夜空の広い場所で、何発もの火炎が破裂して、その天使たちを吹き飛ばした。隊列は酷く乱れて、すでに広く狭く渦を巻く、銀河の大渦のように見えている。
と、その瞬間、世界の全てが真っ白い閃光に満たされた。
二人は危険を感じて壁際に身を隠した。熱線が数秒続くと、通りを埋め尽くす食人木の蔓の森が、煙を上げながら苦しそうにのた打ち回る。
閃光が薄くなると、西の方向に真っ赤に燃える巨大な火の玉が、きのこ雲となって立ち上がって行くのが見えた。森をなぎ倒す衝撃波が、こちらに猛然と迫ってくる。
「美姫伏せて!」
瑛太は彼女を庇うよに抱きしめると、ミニバーの横に倒れこんだ。
ドーンと凄まじい音で部屋の全ての窓が割れ、爆風が室内を吹き抜けていった。あらゆるものが部屋を舞い、何かがテラスに突っ込んできて、部屋を明るく照らしている。吹き戻しの爆風がきて、もう一度ゴミが部屋で渦巻いた。
「美姫、大丈夫か!」
耳鳴りがして音が聞きづらい。彼が美姫を抱き起こすと、背中からガラス片や泥がパラパラと床に散らばった。
「耳が痛い… 何が起きたの?」
「核を使った… 米軍が天使の街を核攻撃したんだ」
そこで再び閃光が破裂した。今度は東の森の彼方で、二発同時の熱球が夜空を真っ赤に焦がしている。二本のきのこ雲が、この狂った世界に止めを刺すように、猛然と高く立ち上がっている。
「多分… 自分たちが沈められる前に、天使を道連れにしたのかも」
耳鳴りの残る聴覚が、空の高いところで、鋭くひび割れる響きを聞き取った。
いや、それは心に直接届くような、音なのか声なのか区別がつかない何かの軋みだ。世界の大事な場所が壊れてしまった… 強い哀しみの感情が何処からか伝わってくる。
いつの間にか湯を沸かしていた火が、リビングのカーテンに燃え移って、小さく燃えていた。
彼が火をどうにかしようと、よろよろと窓のサッシュに近づいた瞬間、カーテンの裏から光の長剣が突き出して、瑛太の肩を刺し貫いた。
「痛っ!」
彼はくぐもった悲鳴を小さくあげ、美姫がえっと息を飲んだ。
今度は白銀の鎧姿の脚が現れると、彼の胸を蹴り飛ばす。剣が抜け背後の壁まで突き飛ばされる瑛太。ぐっと壁に背を打ち付けて、血を流しながら床に倒れた。
歯を食いしばりながら視線を上げると、それはテラスからカーテンを裂いて中を覗き見た。美しい鋼の甲冑で身を守り、焼け焦げた二枚の輝く翼と、手には輝きの長剣が握られている。
「て、天使…」
核爆発の衝撃波で、このテラスまで吹き飛ばされてきたのだろう。何かのダメージがあるように、半身がだらりと力抜けしてみえる。
瑛太が激痛に耐えながらも身を起こすと、視線をミニキッチの影にいる美姫に向けた。
彼女も床に座り込んだまま、目前に転がる拳銃を見詰めていた。蹴られたときに彼の背から転がり落ちたらしい。美姫が銃に手を伸ばそうとすると、首を振ってそれを制した。
大きな兜がすっと中を覗き込む、防具によって顔は見えないが、二メートル近い長身だ。それは瑛太に眼を向けると、再び片腕だけの鋭い突きを繰り出した。
「ぐっ… うわっ!」
再び同じ右肩を貫かれている。今度はそのまま、グルっと剣を捻って傷をえぐった。血が飛び散って剣と床を赤く汚していく。
美姫はその光景に震えるしか出来なかった。目前に居る輝く翼に、聖なる何かを感じることはできず、それは殺意に満ちた危険なる外敵でしかない。あの階段で襲われた石像と同類の、ただの魔物なのだ。
騎士天使は街を焼かれた恨みを、彼で晴らそうとしているように、何度も剣先を出し入れして弄んでいる。
それは焼けた翼が、窓枠に当たるのを嫌がるように、テラスから奥までは入ってこない。しかしその長大な剣は、リビング全体を余裕で狙えるリーチがあった。
天使は再び剣を引き戻すと、今度こそ最後言わんばかりに、半身だけで綺麗な突きの構えを見せる。
美姫… ごめん。
今、この瞬間にも剣が突き出されようとした所に、美姫が手に持った瓶を投げつけた。天使は反射的に、その瓶を真っ二つに両断する。
パッっと炎が立ち上がり、美しい鋼の甲冑が激しい火炎に包まれる。
彼女は、すぐにもう一本を手に取ると、再び天使の胸鎧に向け投げつけた。ガシャンと割れる瓶から溢れた、ガソリンに引火して爆発的に燃え上がった。
「ウモオオオオオオオオオオォ」
獣のような叫びを上げながら、無茶苦茶に暴れまわる剣が、壁や窓枠を傷つけて、テラスのテーブルを破壊した。魔法ではない純粋な火力に、天使は為す術もなく火達磨になると、最後は手すりから身を乗り出して、地上へと落下していった。
「瑛太くん、大丈夫?!」
腰砕けして床に倒れた彼の元の走り寄る。右肩から腕の先まで真っ赤な血で黒く汚れていた。
「うっ… 助かったよ、美姫…」
何かあったときのために、携行缶から瓶にガソリン移しておいて正解だった。
彼女はベッドのシーツを破いてくると、肩の酷い傷口にウィスキーの残りを振り掛けてから、キツく止血をした。
そこまでやり切ると、ようやく事態に恐怖して、震えながら座り込んでしまった。テラスが盛大に炎を上げて、その熱風で顔が熱い。すぐに部屋の中まで延焼してくるだろう。
「俺は美姫に、何回惚れ直せばいいんだろ?」
震える彼女に抱かれながら、そう言って髪に静かに触れる。核爆発の高熱で燃える森林が、広大に黒煙と火の粉を巻いて夜空を染めている。天空には曇天の一部を蒸発させたきのこ雲が、高く高く昇っていく。
「なんてことを… 」
美姫はまさに、この世の終わりの光景を、ただ震えながら眺めていた。
◇
二人はよろけながらも、屋上の扉を押し開いた。真っ黒いアスファルトの床に、ゆらゆらと白い灰が降り積もっている。放射性物質を大量に含んだ死の灰だ。
そこには大きな貯水槽に、空調設備やエレベーターの機械室などがあり、その横に保守用の物置と事務所が一緒になった、狭い部屋が見えた。
お互いに肩を貸しながら、その事務所の窓を開けると、運良く鍵は空いていた。錆びの目立つサッシュから、室内に入り込んで内側からドアを解錠した。
「爆風を背にしていたから、窓が割れてないな」
「よかった、さすがにこの灰を吸い込みたくないもの」
まさに足元に火が付いている今、放射線障害を気にしている場合でもないのだが、やはり気持ちは悪いらしい。
街のあちこちでも火災が発生して、世界中が紅蓮に燃えているようだ。爆心地の上空で炎の竜巻が暴れているのが見えた。
「冷蔵庫にミネラルウォーターとビールが残ってるわ」
事務所の古びた冷蔵庫に、ダースで連結しているビールと、水のペットボトルが数本入っていた。
「こっちには、ワインもあるぞ、安物ぽいけどラッキーだな」
穴だらけの古い黒革のソファに座り、足元に水とビールとワインの瓶を転がして互いを抱きしめる。
「痛むでしょ? 大丈夫?」
「このぐらい平気だよ。とりあえずビール飲もう、のどが渇いた」
結構な大怪我なのは分かっている。今でも片腕からは血の雫が垂れ落ちているぐらいだ。しかしそれも、今となってはどうという事はない…。
「うん、ビール開けれる?」
瑛太は笑うと片手で器用にプルリングを引き上げた。軽く缶をぶつけ合うと、二人は喉を鳴らして、ほぼ一気に飲み干した。
「美味しいね」
「酒に、素敵な女性と… もう何も欲しいものはないよ」
寄り沿って互いに背を預けながら、ビールの合間に濡れた唇を何度もあわせた。
「私はもう少し時間が欲しかったわ… ゆっくり先の事を考えてみたかった」
瑛太はワインのボトルを膝にはさんで、スクリューキャップをねじ切ると、そのまま直接口をつけて飲んだ。
「俺は美姫と一緒だから、それだけで幸せだよ。 悪夢の中での至福の時間て感じだった」
「そうね、こんなにゆっくりとした、満たされた時間は久しぶりだった。私達はこんな事に巻き込まれなかったら、一緒に過ごすことなんて無かったのかな?」
「そうだな… 朝比奈先輩と宮田くんでは、進展はなかったんだろ?」
瑛太が苦笑しながら、互いの額をこつんとぶつけた。美姫は幸せそうに瞳を細める。
窓のこちら側まで、火の粉がパチパチと舞い始めた。多分ホテルの逆側は大きく火災が広がっているのだろう。
そのとき、何かパリパリと薄氷が砕けるような、響きに気づいて視線を上げた。それは、ふたりとも同時になった。
「何かしら…」
美姫が声にすると本能的に彼に身を押し付ける。低く垂れ込めている曇天の上空に、千本もの雷のような亀裂が走り、バリンと音をたてて空間ごと砕けてしまう。
その大きく開いた虚無の闇から、青い輝きがゆっくりと大きくなってくる。それは雲の峰の合間から、幾筋もの光の帯を降ろしながら、だんだんと光量を強くしていった。
「怖い、震えが止まらないわ。あれはなんなの? まるで月が落ちてくるよう…」
その青い輝きに強さは無く、月明かりのような薄く淡く、巨大な球形に見えていた。しかし、この世界特有のリングを巻いた本物の月は、すでに森の地平線ぎりぎりに昇っている。
「美姫、多分あれって… 世界の終焉かもしれない」
「そうね、わたしもそう感じる」
理由は分からないが、その淡い光の奥には苛烈で、想像を遥かに超えるマイナスの力場が、集約されているのが感じられた。
それは例えば数億の悲しい物語を集めてしまったような、冷たくも心に届くそんな悲哀の塊のような何かなのだ…。
「見ていると、震えるほど恐ろしいのに、なんだか、寂しくて、悲しくて、でも静かに心が満たされてしまうの。そうね… これに滅ぼされるなら、仕方ないかも」
そう、その滅ぼすモノの哀しみに、無条件に同情してしまう… そんな切なさの共感のようなものだった。
良いのよ… それはあなたの仕事なのね。哀しまずにおやりなさい… と。
美姫も彼の手からワインを奪って一口飲んだ。少し苦くて酸味のある赤ワインが流れ込む。
「んっ、美味しい」
二人はソファに深く腰掛けたまま、手を繋ぎ互いの身体を抱き締める。涙が次々と溢れてきて、止められなくなっていた。
東の空を覆い尽くした巨大な光球が、静かに大地の果てへと届こうとしていた。
輝きの中央にキラキラと光る何かが現れる。それは星の雫のように煌めく尾を引きながら、幾重にも重なった丸い翼で、必死に羽ばたいているように見えた。
そう、もう少しね頑張って…。
涙に濡れる瞳でそれを見詰め、それから瑛太に笑いかける。
「瑛太、正直あなたを愛してるのか、まだちゃんとわからないの」
彼は優しく笑うとぎゅっと手を強く握った。
「でもね、今、貴方が一緒に居てくれて、とても嬉しい」
「ああ、こちらこそ、とても幸せだったよ、美姫…」
二人は深く熱いキスを絡める。世界の終わりを惜しむように、この想いがどこかに続くようにと…。
本当に月の大きさ程もある光球が、大地へと到達した。
地平線を一条の閃光が横走りすると、星の裏側から破裂した赤い輝きが、膨れあがってくる。
「もし来世があるなら、こんどこそ美姫を助けるよ」
「はい、ずっと待っているね」
浅い地殻ごとめくり上げるような、赤い大地の津波が押し寄せてくる。それは広く浅く、しかし確実な破壊力でこの星の半分を、大きな穴へと掘り返していく。
真っ赤な熱と瓦礫が、音よりも速い速度で押し寄せてきた。きつく抱き合う二人を、世界の終焉が飲み込んでいった。
ありがとう… いつかまたね。
その日、世界の神々は死に、人族もまた絶滅に恐怖した…。
いつも読んで下さって有難うございます。そろそろ忙しくなるので、更新が不安定になりそうです… 長い目で見守って下さると有り難いです!




