1-16 ライシャの前世
第一章 辺境都市『ムサシノハラ』
「私が前の人生で暮らした世界は、本当に沢山の人族が住んでいたわ。それはもうギジェには想像もできない人の多さ… 雑多で、情熱的で、いつも疾走しているような慌ただしい世界」
「沢山の人か… 『ムサシノハラ』なんて問題にならないんだね?」
壁を背にベッドに並んで座る彼がたずねる。
「うん、そうね辺境都市が、ニ千個も集まったような、とても大きな都市を、鉄製の車や列車が走って繋げていたわ。海には街ほどもある大きな船が荷を運び、空にも百人も乗れる空飛ぶ翼の乗り物があったわ」
「なんか凄すぎて想像もできないよ」
ふふっ、とライシャは可笑しそうに笑う。
「そうね… リフトーバスとは比べられないほど複雑な世界だったわ… 私はその日本と呼ばれた国で生きた『朝比奈 美姫』という名前の女性だったの」
ライシャは真っ直ぐに前を向くと、懐かしむ瞳で記憶をたどり始めた。
◇
機内放送はそのアメリカ製の旅客機が、着陸体制に入った事を告げていた。羽田空港から八時間と少し、飛行機は太平洋の楽園オアフ島に到着しようとしていた。
「うーん、やっぱり八時間は辛いですね。朝比奈さんはハワイは初めてですか?」
隣の席に座る、なかなかイケメンの後輩が、背伸びしながら美姫にたずねる。
「そうね、海外自体初めてなので、よろしくね」
彼女は素っ気ない口調であしらった。彼の名前は『宮田 瑛太』24歳、入社二年目の同じ部署の後輩だった。
二人は外食フードサービス関連を主とした、一部上場の会社に勤めていた。今回はホノルルに進出している店舗の、改修工事の打ち合わせだ。
元々が忙しすぎるブラック企業の上に、連日の出張が重なって、今月は真っ当に休暇を取れていない。
折角のハワイだし、早く仕事を片付けて少しは楽しみたいな。
そのために強引に二日の未消化休暇を付けたのだ。問題はこの邪魔になる後輩をどうにかしないと…。
そうしているうちにも、機はホノルル国際空港に向けて最終ランディングに入っていった。
二日間の綿密過ぎる打ち合わせを終えると、美姫はやっとのことで開放された。
ホテルはメインストリートのカラカウア通りから、アラモアナ通りへの分岐に近い繁華街から少し外れた安めの宿だ。といっても、一応リゾートホテル扱いで、階下にはプールやパブも併設されている。
「朝比奈先輩は、この後は優雅に休暇ですよね?」
宮田があり得ない大きさのステーキと格闘している。美姫はこのイケメン後輩が苦手だった。というかイケメン自体が苦手なのだけれど…。
「そうね、かなりバテ気味だから、少しはのんびりさせてもらうわ」
仕事の打ち上げで、軽く誘われた夕食に美姫が付き合っているのだ。まぁ彼はこの直後に空港に向かい、最終の羽田行きに搭乗予定だった。
これぐらいは、付き合ってあげるよ。明日からはひとり自由にワイキキだもの。
彼女にしてはめずらしく、はしゃいでいるらしい。
パームツリーの並ぶ右通行の通りの先に、真っ青なビーチが見える。水着で歩く背の高い人々や、並ぶショップやホテルのお洒落な人通りや、どこからかいつも流れてくるココナッツの甘い香り…。
それらがこの海辺の観光都市、独特の魅力となっている。訪れてみれば誰もがハワイ大好き!となる気持ちも理解できた。
この島特有の湿度の低い爽やかな海風や、昼間に突然に降るスコールや、短パンTシャツでビジネスをこなす住人の、明るい南国の空気感に酔ってしまうのだろう。
「良いな… 俺も無理やり休んじゃおうかな。この会社って人使い荒いですよね?」
あなたは早く東京に帰りなさい… 美姫が心から切望している。
彼女はその生い立ちから、あまり人と関わるのが得意ではなかった。
「そうね、外食産業全体がそんなイメージだものね。私はどうしても、インテリアデザイン関係で就職したかったから、まだ良いけどね」
「俺だって建築関係なんですよ。こう見えて一級建築士持ってるんですよ」
「まぁ… 意外とみんな持ってるよね?」
大学で専攻していた同僚に一級持ちは多い。
「朝比奈さんってクールですよね… 彼氏いるんですか?」
一瞬、むっと顔に出たかもしれない。恋という高校時代の幻想で付き合った一年間から、すでにどれだけ時間が過ぎたのか… 今年で25歳、彼氏居ない歴8年かな? すでに気にもならない長い時間です…。
「こんな忙しい会社に居て、そんな素敵なことに出会う暇があるとでも?」
「ははは、朝比奈先輩でも素敵には思うんですね」
彼との会話は嫌いではない… というか多分好きなのだろう。あまり気を張らない会話を心得ているからだ。しかし、どうしてもそのイケメンな笑顔を、胡散臭く感じてしまう。これは性格だから仕方ない。
「からかうな… 後輩! あなたは早く空港に行きなさい。乗り遅れるわ」
宮田はハワイのクラフトビールを、一気に飲み干した。
「去りがたいですが、宮田 瑛太、お先に帰還いたします!」
彼はテーブルの会計を掴むと、手を上げながらキャシャーへと去って行った。
「まぁ… 悪い子ではないんだけどね」
美姫は苦笑しながら、その背の高い後ろ姿を見送った。
◇
彼女は自分のホテルに戻ってくると、一度軽くシャワーを浴びてから、一階のプール併設のバーで、フルーツ盛り盛りのブルーオーシャン カクテルを楽しんでいた。
ライトアップされたプールサイドのテーブルには、いまだに水着姿の観光客が大勢見える。
「これ、甘いけど結構アルコール強いな」
美姫は大きなカクテルグラスを持ち上げて、マリンブルーの中に浮き沈みする、マンゴーとグワバの果肉を見詰めていた。
と、突然プール全体から、様々な着信音が同時に鳴り始めた。
「え? なに?」
気がつけば自分のスマホからも、着信音がピロピロと響いている。
「Something happened?」
観光客らも騒ぎ出している。それはまるでこのワイキキ中のスマートフォンが一斉に鳴り出したように感じた。
「I here by declare a state of emergency. hehehe」
冗談を言い合う若い短髪の男性たちが、スマホをぐるぐると弄り回している。
「何これ…」
「What is it dizzying?」
隣の席の金髪のペアが額を押さえた。美姫も何か立ちくらみのような、大きく揺れる船上のような、そんな感覚が何度か過ぎていった。
それ以外はまったく何も感じなかったが、気がつくと鳴り続けていた着信音も消え、それ以前に停電だろうか? プールバーは薄闇に包まれていた。
「There's something happening with it.」
金髪ペアは立ちあがると、通りのほうに向かっていった。
「Oh my God, no!」
「eeeeeeeeeek!」
突然遠くで悲鳴が上がった。
「Didn't you hear a scream?」
「what happened!?]
周囲が騒ぎ出して、美姫も不安になって席から立ちあがる。誰も知る者の居ない、異国でのトラブルに急速に不安になっていた。
突然、ドンという地響きと共に、何かが崩壊する轟音と振動が響いてきた。咄嗟に音の方向を見ると、植え込みとフェンスの向こうに、崩れていくピンク色の高層ホテルの名残が見える。
それは凄まじい土煙を吹き上げながら、瓦礫と粉塵の中に崩れていった。
「に、逃げるのよ美姫!」
自分に言い聞かせるように言葉に出したが、腰が引けて一歩が踏み出せない。すぐに濛々とした破片と煙が、こちらまで飲み込んで視界を真っ白に煙らせる。
「There's something out there!」
凄まじい悲鳴が土煙の中から聞こえてくる。どこかでパンパンと銃声の音が聞こえている。
美姫は自分に平手打ちすると、やっと脚を動かしてホテルの中に走り込んだ。そこもやはり暗闇と白煙の中で、視界は殆どなかったが、薄くみえる通路の奥に『EXIT』と緑に浮かぶ表示がみえた。
「確かあの先に非常階段があったはず」
彼女は意を決して通路の壁を手で探りながら、自力で非常階段まで辿り着く。外からは、車の衝突する音や、銃声や、悲鳴が混じり合って届いてくる。
「いったい何が起きたというの?」
状況がまったく理解できなかった。だが何故か一階に居てはいけない、という直感のような衝動に突き動かされていた。美姫は自分が宿泊している11階まで、スマホの灯りを頼りに非常階段を登っていった。
彼女が9階に差し掛かったとき、突然壁面が破裂するように倒れてきた。
「きゃぁ!」
大きなモルタル片に脚をすくわれて、階段の手すりへと叩きつけられた。
「い、痛っ… あっ」
右脚を壁の名残に挟まれる苦痛に、悲鳴をあげてしまう… え! そこで目前に信じられないモノがあって息を飲んだ。
壁から階段へと、頭を突っ込んだ石像が、彼女のすぐ側で埋もれているのだ。蝙蝠のような潰れた顔に、鷲のような大きな翼。重量が何トンもありそうな、巨大な石像がどうして9階の壁面を突き破るのだろう?
「痛い… どうしよう痛くて抜け出せない」
完全に脚を挟まれて動けない美姫。突然、目前の石像の口が、ガチガチと歯ぎしりを始めた。
「キャっ!何よこれ!」
それはまんま映画のCGのようにみえた。あまりに不自然で現実感がまったく沸かない。しかしそれは硬質の石像の姿で、歯を鳴らし、翼を動かして、美姫を喰らおうと躙り寄ってくる。
「嫌っ! やめて!」
必死に脚を抜こうともがくが、激しい痛みで引き出すことができない。迫ってくる鋭い歯並びが、彼女の手のバックに齧りついた。
美姫は咄嗟に尻の横にあった、モルタルの壁の一部を、力任せに口の中に突っ込んだ。偶然にも口一杯に、つっかえ棒のように挟まった破片を、なんとか外そうと身を捻る石像の巨体。
そのとき、彼女の脚を挟んでいた残骸が、巨体に押されて大きく動いた。再び激しい痛みが右脚を襲ったが、奇跡的に乗っていた壁がずれて、その場から自由になれた。
「うっ… 足首、酷いかも…」
必死に階段の手すりにつかまると、脚を引きずりながらも登っていく。石像は翼が邪魔で、それ以上奥には入ってこれないようだ。
彼女は全力で11階の扉を押し開くと、廊下へと転がり出る。暗くてよく見えないが、脚の怪我はかなり酷そうだった。一歩踏み出すとごとに苦痛が襲い、すでに立っていられないほどだ。脂汗が吹いて視界が掠んでしまう。
『 ROOM 1107 』
気がつけば自分の部屋の目の前にいた。美姫はスカートのポケットから、ルームキーを探し出すと、何度も失敗しながら鍵穴に差し込んだ。もっと新しいホテルだったら、カードキー仕様で開けれなかったかもしれない。
美姫は何とかドアを開くまでは出来た。しかし半身を部屋に入れたところで、崩れるように力尽きて、そのまま意識を失ってしまった。
◇
気がつくと彼女は、部屋のシングルベッドの上だった。視界は薄暗く、全てが慣れない旅行でみた、悪夢のように感じられた。
「痛っ… 」
身を起こすと、すぐに右足の痛みが蘇がえって、現実に引き戻されてしまう。気がつけば足首から膝下に添え木が当てられて、包帯で固定されていた。
「え? いったい誰が…」
そう声に出したとき、ドアの鍵が外されて背の高い男性が入ってくる。一瞬身構えた美姫の視界に、大きなバッグを背負った宮田が立っていた。
「宮田君? どうして此処にいるの?」
思わず気が抜けた声になった。
「朝比奈先輩が心配で、引き返してきたんですよ」
「な、何でそんな… だって外大変な事になってるのでしょ?」
「そうですね、正直信じられない事態です。ですけど、どのみち飛行機だって飛ばないだろうし… 先輩と一緒に居たほうが良いかと思って」
なぜだか、自然と涙が溢れて頬をつたっていた。 あ、あれ… 自分の意思に反して流れる涙は止められない…。
「先輩だいじょうぶ?」
美姫はそれに動揺すると両手で顔を覆い隠した。
「大丈夫… 安心したのと、ちょっと嬉しかったからかな」
「そう、なら良かったです」
宮田は背の大荷物を部屋に落とすと、ドアノブに紐を掛けて外側に開かないように工夫をした。
「しかし、アメリカってこういう時、すぐに暴動になりますよね。おかげでそこのコンビニから、好きなだけ食料とか持ち出してきましたよ」
「暴動が起きてるの?」
あまり馴染みの無い言葉に、事態の緊迫度がわからない。
「それはオマケみたいなものです。窓の外を見てみますか? 肩を貸しますよ」
「うん。この脚は宮田君がやってくれたのね。ありがとう」
「すいません、話しかけても意識が朦朧としてたんで、勝手に添え木当てしまいました。早くしないと鬱血が始まるから」
宮田の手を借りて起き上がると、片足で跳ねながら窓辺に近づいた。
「カーテンの裾から覗いてください。見つかると危険だから」
いったい何に見つかるのだろう? 美姫は壁を背により掛かると、カーテンの端からそっと外を覗き見た。
「こんな… こんな事ありえないよ」
外は日の出の時間なのか、淡い朱色に染まる細雲が最初に見える。しかし11階の窓から見下ろす世界には、もうあのワイキキの美しいビーチは無かった。
「なんで? この部屋から海が一望できたのに…」
そこには広大な森が広がっていた、それはカラカウワ通りに近づくと、モザイクのように、森と町並みが交互に並んだ、不思議な景観へと続いている。
通りにそって視線を移すと、その森と街の境界にあったらしい、高層のホテルが倒壊して周囲を瓦礫で埋めている。
「何が起きたら、こんな事になるのかしら」
「まったく理解できないですね。俺も色々考えてみたけど、どうすればこんな事になるんだろ?」
彼も美姫のすぐ横に立つと、同じ隙間から外をみる。
「俺の乗ったバスは、高速に乗ってすぐに、この状態になったんだけど、ハイウェイの目前が突然崖になったんですよ。俺、見てたんです。頭がふらっとして、目眩かな? ぐらいに思った瞬間に、まるで映像を切り替えるように、自然な感じで崖に向かって走っていましたね」
「わたしもその目眩は感じたかも」
「バスはギリで軽く衝突しただけでしたけど、そこからワイキキまで二キロぐらいかな? 凄いことになっていて… とにかく世界が切れ切れになっているというか、森と街のエリアが交互に続く感じで、その境界面がまるで凄まじい切れ味の刃物で、すっぱりと切断したような…」
少しためらうように宮田が言葉を切る。
「建物も道路も、下水管や車や… そして生きものまで…」
彼はその境界で運悪く切断された死体を、何人も見ていた。そしてもっと信じられないものも…。 宮田は背にあった拳銃を手に取ると、マガジンを抜いて残弾を確認する。
「それ銃でしょ?どうしたの?」
「道で拾いました… こんな状況なので自衛です」
美姫が視線を通りまで落とすと、赤い染みや、ゴミのような人形が、沢山転がっているのが目に入った。
「あれって… まさか、まさか…」
「あまり見ないほうがいいですよ」
宮田に震える身体を支えられて、ベッドの縁までなんとか戻る。
「人だけじゃないです。人形の魔物というか、怪物というか… そんなモンスターの死骸も沢山あります」
そこで、はっとして昨日の石像を思い出した。
「非常階段に動く石像が居なかった?」
「ああ… あれはもう死んでました。死んでるのか、石像に戻ったのか良くわからないけど」
「昨日あれに襲われたの。だからこんな怪我を…」
宮田は美姫の片手にそっと手を添えた。
「先輩、先入観なしで聞いてください… たぶん俺たち、まったく違う世界に、飛ばされたかもしれません」
そう言った彼の瞳にも、困惑が色濃くあった。
「違う世界って…」
「魔物や怪物が住む、神々の世界… 空想上の世界に…」




