1-13 パラヅゥの滝
第一章 辺境都市『ムサシノハラ』
長湯から上がると、ふたりは殆ど裸のままで、氷翼に抱かれて眠ってしまったらしい。
目が覚めると並べた寝袋の上で、麻布と掛けていた毛布と、互いの髪や手足が色々と絡まって壮絶な感じだった。
「うっ… なんか私達すごい乱れてるね」
まるで情事の跡のようだが、縺れるように抱き合って眠っただけだ。
「スポイルちょっと外に出たい」
魔道士がそう言うと、重なっていた翼が左右に開いて、朝日が眩しく差し込んでくる。けっこう遅くまで寝ていたらしい。
「どうせ裸だし朝湯でも楽しもうか?」
「ふふっ そうね、折角だものね」
ライシャは髪を手早く結なおすと、全裸のままで岩棚に立ち上がる。
降り注ぐ柔らかい朝日の中で、華奢な少女の裸体が淡色の絵画のように美しく見える。「ギジェもおいでよ」彼女はそのまま、くるっと片足で回って見せた。
「なんかもう吹っ切れた?」
逆に彼のほうが少し照れてしまっている。互いに全裸で荒々しい渓谷の中に立つと、少女はギジェの手を引いて湯の中に身を沈めた。
明るい光に照らされて、隠すものもなく晒された肢体は、生命あふれる健康的な色気で清々しく誘惑されてしまった。
◇
二人は一度、野営地を片付けると周辺を巡ってみる事にした。再び地獄の黒馬に騎乗しての『源泉の谷』観光だ。
見上げる連峰の上部ではやっと始まった紅葉が、赤や黄色の帯となって山肌を染めている。あと半月もすれば山全体が華やかに色付くだろう。
黒馬は渓谷の奥へと進み、立ちあがる巨大な間欠泉を近くに見上げ、岩場と沢の合間に広がる湯の池を覗き込んだ。周囲は強い硫黄の匂いが立ち込めている。
「ちょっとこの池の泥を採取していくね」
ギジェは泥沼の底に四角いプール状の硬氷を召喚すると、その下を次々と氷塊で押しあげて、目前まで浮かび上がらせた。側面に空いた細い隙間から湯だけが流れ落ちていくと、残った黄色味の強い泥を氷ごと次元収納に回収した。
「泥なんてどうするの?」
振り向いたライシャが不思議そうに訪ねてくる。
「こういう火山性の泥沼からは、硫黄を抽出できるんだよ。錬金で使う材料だね。良い機会だから」
「そうなんだ、何が作れるの?」
後抱きの騎乗にいると、妖狐の綺麗なうなじから甘い香りがする。しかしそれも、流れてくる硫黄臭さに、すぐに侵されてしまう。
「酸や爆発する火薬とかになるんだよ」
耳もとに顔を近づけて、力づくで甘い香りを堪能した。
「ああん… なんかちょっと危険な香りがする」
「ははっ、酸は脱色とかに使うから、機織り場とかで売れると思うんだよね」
さすがに硫黄臭も限界が来て、黒馬を谷の出口へと向かわせた。
「ギジェはほんとうに博識だよね」
少女が何故だか自慢げに言う。
「師匠が良かったんだとおもうよ」
ギジェはもう一度ベリー味のキツネ耳の香りを堪能した。
◇
二人を騎乗させた黒馬は、昨日来た道を逆に走ると、渓谷を下って高原まで戻って来た。遠くに山羊イノシシの群れが、急な岩肌を器用に昇っていくのが見えた。 エアレーの群れ… 美味しそうだ。
「ギジェ、左手の尾根をひとつ越えてみてよ」
少女が温泉の渓谷の左隣の谷を指差した。
「ああ、何かあるのかな?」
「うんうん、昨日ちょっと見えてたけどね」
ライシャの言う谷間に向けて、岩の大地を駆けていくと、結構な水量のある沢に突き当たった。その沢沿いを登っていくと、低木の林の影から絶大な水柱が見えてくる。
「凄いでしょ?」
「色々な景色をみてきたけど、これはこれで凄まじいな…」
目前に表れたのは高さ二千メートルはありそうな垂直の岩盤と、その頂から轟音を立てて降り注ぐ膨大な水量だった。
「あれが『パラヅゥの滝』よ、西の世界では一番の高さを誇る、別名『神々の衣錦』と呼ばれる大滝なの」
流れ落ちる高度が高すぎて、滝の中央から下が霧雨のように広く拡散している。それは開けた滝壺を叩く、永遠に降り止まない豪雨のようだ。
その特殊な環境からか、渓谷全体がシダ植物や不思議な水生植物に覆われて、咲く大輪の花々に神々しさを感じてしまった。
「この滝に打たれると、無病息災と長寿の祝福を得ると言われているの」
え? 何その呪い…。
ギジェはぞくっと身震いした。
それって、俺にとっては一周回って不幸になりそうだ…。
「という事で! 行くのだ黒馬くん」
ライシャが黒いたてがみを撫ぜながら促した。とたんに走り出す漆黒の馬が、滝壺を風の様に走り抜ける。頭上を完成度の高い七色の虹が渡って見えた。
「うわーー!」
「きゃあああぁー」
まるで嵐の中で揉みくちゃにされるような、大粒の風雨に一瞬でずぶ濡れになる。雷雨の中を全力疾走している気分だ。
「あはははははっ」
二人で川に落っこちたように、毛先からびしゃびしゃと水滴を滴らせて、ライシャが良い笑顔で笑っていた。
「これで私達は安泰ね」
「酷いな… 何その満足気なキツネ耳は!」
妖狐のキツネ耳が自慢げに反り立っている。二人は騎乗のまま、ずぶ濡れで抱き合うと水を滴らせた。
「ああ、金属探知魔道具を濡らしちゃった」
彼女は腕の魔道具を慌ててスカートの裾で何度も拭う。二人は騎乗から降りると濡れた髪や服の裾を絞ったりしていた。
「これって冬にやることじゃないよな」
「平気平気!今日も暖かいほうだよ。それよりこれ大丈夫かな?」
ライシャは水滴を落とした魔道具を掲げて、試しに魔力を注いでみる。とたんに目前に強烈な紅色の光点が、最大強度で反応を見せた。
「凄い… なにこの反応… 金脈でもあるのかな?」
妖狐のキツネ耳がぴくぴくと興奮気味だ。守銭奴の血が騒ぎ出したらしい。その瞬間、強烈な魔力の波動が衝撃破のように襲ってくる。
「くぅ…」
ギジェが咄嗟に少女抱きかかえて、自分の結界でそれを防いだ。
地獄の黒馬が怯えたように悲鳴を上げると、黒毛は逆立ち燃えるような瞳が大きく開かれる。全身に青白い稲妻を立ち上げると、高位電撃魔法である突貫電撃を撃ち放った。
紫色の雷撃が滝裏へと吸い込まれて、閃光と熱波が降水を消し飛ばした。岩場の一部が崩壊して爆圧がこちらまで届いてくる。
「きゃ…」
もう一度凄まじい魔力の津波に数メートルも押しやられる。
強烈な悪寒に身体の震えが止まらない…。ライシャのキツネ耳が、怯えてぺたんと垂れてしまった。
降る豪雨のような降水が、何かに触れてワッと蒸発した。とたんに物凄い熱圧と、物理的な衝撃を伴った光が押し寄せた。
崩れた岩場が純白の光を浴びて、霧のように蒸発した。まるで天日のような白一色の輝きが、不思議な雨色に沈む渓谷の深部を照らし出す。
「まさか… なんでこんな処に…」
広げられる巨大な翼は、神々しくも七色に輝き、長く伸びた光りの首は、怒りの眼差しを此方へと向けていた。
- 我が翼の安息を妨げる愚か者め -
明らかに空気を伝って届いた声では無かった。男とも女とも付かない声音が、魂の側で直接反響する。
「ギジェ… あれ、あれって」
少女は濡れた衣服のまま魔道士に抱きついた。
「ああ、『神々の衣錦』のご利益よ… やっぱり不幸になったじゃないか!」
奈落で鍛えられた魔族のハーフの魔道士も、伝説の中だけで語られるその姿に、脂汗が浮いてくるのを感じていた。
「そりゃお前も怯えるよなぁ…」
精霊界の強烈な光りを受けて、ヨロヨロ後退する魔界の馬。
その虹を映した眩い躯体と、炎を巻き上げる純白のオーラ。それは不死の象徴でもあり、炎の精霊界の頂点にいる神獣だった。神の膝下にある忠実な下僕であり、神に準ずる絶対的な信仰の対象だ。
「不死鳥か… 光りの陣営に属する『生と死を司る』怪物め」
彼の呟きが聞こえたかのか、その白色の瞳が煌めきを鋭くすると、オーラを後方に吹流しながら、大滝の頂点まで加速する炎の鳥。恐怖に尻込みして、ゆっくりと後退していく地獄の黒馬。
「お前は魔界にお帰り… 無駄に殺される事も無い」
ー 召喚削除 ー
黒馬は哀しそうに主を見ると、背景に溶けてやがてこちら側から消滅する。
「いいか、ライシャ良く聞いて! アイツは俺が足止めする、君はスポイルに乗ってどこまでも逃げろ」
ギジェが空に手を振ると、とたんに蒼い翼が背後へと着地した。
「嫌よ… 貴方だけ置いてなんかいけない!」
「此処に居たら確実に殺される… さすがにあの神様級には絶対に敵わないからな」
「だったら… だったら一緒に貴方と死ぬわ」
ギジェは感極まって、少女の細い肩を強く抱きしめてしまった。
「君さえ生き延びれば、絶対にまた逢えるから」
ギジェの腕の中でいやいやと身を振る少女。
「君に言えなかった秘密があるんだ… 俺は不老不死の呪いを受けている。俺は歳も取らないし、もしここで灰も残さず殺されても、二年も掛からずに蘇るんだ」
ライシャは驚きの表情で彼を見る。
「死にたくても死ねない身体なんだ。もし此処で二人とも死んでしまったら、俺だけが生き返って、君の居ない世界に絶望する… それだけは絶対に許せないから」
彼は大きな薄茶の瞳を見詰め、彼女は濃い藍色の瞳を見返した。
「本当に生き返るの?」
「ああ… 奈落の深部で100回は死んでるよ。この秘密があったから、君を受け入れるのに迷ってしまうんだ」
「え… だって、そんな事が…」
色んな想いが絡み合って、何も言葉にできなくなった。
「ライシャお願いだ、二年ぐらい待たせるかもしれない、けれど絶対に『ムサシノハラ』に帰るから! 俺たちのためだ、さぁ行って!」
スポイルの背に、ライシャを押し上げて預けた。
「本当ね? 絶対に戻ってくるのね? 約束よ」
名残惜しそうに繋いでいた二人の指先が、ついに離れてしまう。
「ああ約束だ! いけ! スポイル全速で離脱しろ」
ふっと浮き上がった氷の飛竜が、超低空で谷間を駆け下りていった。
飛竜の背から振りかえる少女の姿を、見えなくなるまで、ずっと目で追っていた。
「さてと… これで心置きなく殺れるな」
黒魔道士は防御結界を無詠唱すると、何重にも周囲を凍結地獄の硬氷で覆っていく。 魔法、物理と両方を防御する多層結界だ。
- 死をもってその矮小な身の程を思い知れ -
「出来れば見逃してくれないかな? 出会い頭の事故みたいなものだろ」
どこかで不死鳥がニヤっと笑った気配がした。
体の殆どは精霊界に存在し、こちら側に実体化しているのは、膨大な熱量だけの半幽体だと伝えられる。触れることも、ましてや切ることもできない最悪の敵だった。
まぁ、それ以前にあの超高温のオーラに、近づいただけで消し炭なんだけどな…。
上空から一気に降下する炎の鳥が、螺旋を描く火炎の烈風となって襲いかかる。魔道士は一瞬で瞬間移動すると、巨石の岩陰で直撃を回避する。
盾にした大岩の影を通り過ぎる不死鳥。大気は燃え、木々や下草は一瞬で黒く炭化して、岩の表面が薄く放射熱で溶解を始めてしまう。
「凄まじい熱量だな… 距離はあったのに結界の三層目まで蒸発したか」
彼を守っていた氷塊の結界は、卵が砕けるように蒸気となってから消滅した。すぐに新しい結界を追加修復して追撃に備える。
ゆらりと立ち上がるように、上空へと舞い戻る炎の鳥。それが通過した谷間は、黒く焼け焦げた灼熱の絨毯のような有様だ。
耳元でふふっと笑う声がした。一瞬だけ気を取られたが、すぐに頭上の焼き鳥に意識を戻す。
「ライシャ… なるべく死なないように頑張るよ」
ー凍結魔法最大自付与ー
黒魔道士の周囲に超低温のオーラが集約し、谷底を強烈な冷気が覆っていく。彼の魔法攻撃力、魔法防御力、最大魔力が跳ね上がった。
ー 凍結地獄凍結防御最大 ー
ギジェの全周を覆う刺々しい結界が、青白く輝きだす。炎の鳥の熱圧で赤く燃えていた岩肌が、一瞬で白く凍結した。近づくものを全て凍結させる、絶対零度の広範囲防御結界だ。
「不死鳥よ、あんたの熱量にどれだけ耐えれるか、我慢比べといこうじゃないか」
ギジェはお返しにとニヤっと笑い、革の黒コートを足元に投げ落とした。




