1-11 ナイトメアーと遠乗り
第一章 辺境都市『ムサシノハラ』
教会の改築工事が始まって一週間が過ぎ、外壁の基礎工事に続いて、毎日順当に大石が積まれていった。
ギジェ達はいよいよ教会本体の工事が始まるのを見届けると、一旦隠れ家に戻ることにした。
「隠れ家も良い感じに、家らしくなってきたね」
ライシャが壁際に並べた大型のトランクに、自分の荷物を整理して収納している。『ムサシノハラ』に滞在していた一週間余りの間に、数点の家具や魔道具なども見繕って購入してあった。
それらを『孔雀の迷路』にある廃屋の洋館に配置していったら、意外と居心地の良い部屋になってしまったのだ。
「なんか宿屋の部屋より充実してないか?」
窓には硝子の代わりの透明度の高い氷が入り、立派なダブルベッドと革の二人掛けソファ、広い楕円のテーブルに対になる椅子、大きな飾り枠のあるクロークとチエストなど、赤茶色に統一された家具は見た目にもお洒落に収まっている。
ベッドと反対側には鉄製の薪ストーブがあり、壁を突き抜けて煙突が伸びていた。
「ギジェ、先にシャワー使わせてもらったよ」
ライシャが寝巻き用のワンピース姿で、髪を手ぬぐいで拭きながら戻ってくる。今日もほんのりと石鹸の香りが爽やかだ。
「シャワー部屋は問題なさそう?」
「うんうん、とても快適だよ。さすがギジェ良いお仕事です」
「水場があると何かと便利だからな。気に入ってもらえて良かったよ」
ソファに並んで座ると、ギジェが濡れ髪のままの妖狐を引き寄せた。
隣の半壊している部屋には木組みした上に、鉄の大樽が二個乗せられていて、上下に水と火の魔道具を設置して、湯を沸かせるようになっている。
そこに筒状のシンプルな開閉弁が刺さっていて、簡易のシャワールームとなっていた。湯船は無いが魔力を注ぐだけでお湯を使える事に、けっこうライシャには好評だった。
ちなみにその部屋の壁穴には、ライシャの魔法金庫が収めてあり、その手前を巨大な大岩で塞いであった。その分厚い一枚岩は、妖狐の重量操作の魔法以外で、動かせる者は稀だろう。
ライシャは彼の腕から一度離れると、窓際の石棚に大量に並んでいる蝋燭に火を灯していく。日によって灯す種類を変えて、その影の揺らぎやアロマの香りを楽しむのだ。
少女は明るくなった部屋のテーブルに、メモ用の黒板や魔法帳の項目を広げると、日課となっている術式の勉強を始めていた。
これだけ優雅にのんびり暮らせるのも、魔法によるセキュリティが充実しているところが大きい。洋館の四隅には、メインになる防衛用の術式アンカーを埋めてあり、登録した者以外の侵入を、氷壁の瞬時の生成という方法で遮断していた。
もちろん外からは見えないように、視認妨害の結界も重ねてある。よほど近くまで接近しなければ、洋館の存在自体に気づかないだろう。
こうしてより隠れ家として完成度が上がりすぎて、この10日程はギジェはだらだらと寝転んでくつろぎ、ライシャはテーブルで勉強をして過ごしていた。
「居心地が良すぎるのはまずいな」
今日も朝食の後からずっと部屋に籠もっている。
「昨日は焚き木拾いにいったじゃない」
「幾らでも収納して運べるから、隣の部屋が焚き木で埋まってるけどな」
ふたりでソファにだらっと腰掛けて、ギジェは珈琲のブレンドを試し、ライシャはギジェに教えてられて、今も真剣に術式の記号化を勉強している。少女はすっかり魔法の勉強に夢中になっていた。
話を聞けば重力魔法も、初期のギジェ同様にまったくの独学だった。
想像力のみで無詠唱発動しているため、魔力の効率が最悪だったのだ。元々少ない魔力量も重なって、持てる力のほんの一部しか活用できていなかった。
そこでギジェが初歩の魔法講座から手解きを始めたのだ。最低限の基礎だけでも術式を記号化できれば、消費魔力も少なくなるし、魔法操作の安定も図れる。
それにしても元々賢い娘らしく、すごい勢いで知識を吸収していく様は、子供の頃のアーリィを思い出させた。
◇
「ギジェ、ちょっと見てくれる?」
先に起きていたライシャが、ギジェの寝起きを待っていたかのように、声を掛けた。
「おはよう、どうしたの?」
妙に嬉しそうにソワソワしている少女が、手を取ってベットから彼を引き起こす。
「先生! 新しい魔法の技が完成しました… ので、早く見てよギジェ」
彼はそのまま、壁の無い二階へと引きづられて行った。
初めにライシャは石床に転がる小石を3個ほど拾うと、それを家の外に向けて、アンダースローで軽く投げる。それは驚くほど高くまで飛び上がると、そこから凄い加速をしてズシン、ズシンっとクローバーの原に穴を開けた。
「魔力が安定したので、かなり距離が離れていても重さを操れるようになったのです。今のは投げた瞬間に重さを1/10にして高くまで飛ばして、そのあと1000倍にして地面に落としたの」
「凄いな… 小石が爆弾並の威力になったね。俺の氷の防壁より使い勝手が良さそうだ。魔力の消費はどうなの?」
「えへへっ、これもギジェ先生の教え方が上手だからだね。ほんの一瞬だけ荷重するだけだから、魔力効率も凄く良いよ」
「ライシャが優秀だからだよ」
「でねでね、こっちが本番だから」
妖狐の少女が背の長弓を構えると、丘陵の遥か遠くに見える森の巨木に狙いを定めた。
彼女が矢を放つと、それはかなりの放物線を描いて高くまで上がり、次の一瞬で雷のように目標へ到達した。凄まじい轟音とともに巨木も周囲の木々も、粉々に破裂して放射状に吹き飛ばされた。こちらからみると土煙がきのこ雲のように立ち上がっている。
さすがのギジェもちょっと引き気味だ。
「す、凄い威力だけど… どうなってるんだ?」
「落下の途中で、瞬間的に鏃の重さを100万倍に増やしたのよ。けっこうな大技でしょ? さすがに魔力は使うけどね」
「むしろ今の攻撃で倒せない相手とか嫌だな… 短い時間で頑張ったね。さすが女狐だね!」
「女狐いうな!」
二人は笑いながらハイタッチして喜びあった。
「ということで私の新技も完成したし、温泉にでも行きましょう」
ライシャがそのまま彼の首に抱きついて提案する。
「前に言っていた山麓にある所だね?」
かなり暇をしていたらしい魔道士が食いついた。
「うんうん、すぐに出発すればスポイルの翼なら昼過ぎには到着出来るよ」
「新しい氷の飛竜用の鞍も完成してるし、乗り心地も試してみよう」
二人はそうやって慌ただしく準備をすると、北方連山に向けて飛び立って行った。
◇
久しぶりに見る高い峰々が、幾重にも連なって近づいてくる。標高は三千メートル級だろうか、ただ山頂の近くまで深く緑に覆われているのが、西の世界の山並みらしかった。
「このあたりまで来ると、入れ替わり地形が無くなるんだな」
レフトバ-スの複雑怪奇な模様地形が消えると、山麓に向かって草原と森が交互に広がる台地が見渡せた。一部には高原の花の群生が鮮やかに岩場を覆っている。
「ライシャ、新しい鞍の乗り心地はどう?」
前に抱くようにして騎乗する少女は、お尻の下の厚めの革に何度も座り直してみる。
「柔らかくていい感じだね。これなら長時間乗っていても、お尻と尻尾が痛くならないわ」
座る部分だけでなく、掴むためのリングや脚を掛けるステップまで鞍と一体化してあった。前後には大きめの鞄もあり、飛行中の食事まで出来る優れものだ。
「そう?良かったよ。冷気を遮断する薄い結界はあるけど、やっぱり直に氷は痛いもんな」
「でもなんか、こうして本格的な鞍を乗せていると、とても馬ぽく見えてくるのが不思議ね。君は馬になるのかいスポイルくん」
そう言ってライシャは氷の飛竜の背を撫ぜる。
「ああ、それじゃここから馬で行こうか? せっかくの遠出だし馬の遠乗りも楽しもうよ」
「えっ? どうするの?」
ギジェはニコリと笑うと、地上に見えている紫の花の群生へと、氷の飛竜を降下させていく。
一瞬、世界に紫の花びらが舞い上がると、透き通る氷翼が地上でたたまれていた。周囲はラン科の華奢な花々が、紫と白の模様を描いて美しい。
ギジェは少女の手を取って、花の絨毯へと降り立たせた。
二人は並んで目前に迫る荒肌の山々を見上げてみた。鬱蒼とした草木の合間に、岩の露出する谷が幾つも開けて、火山性の白煙を高くまで上げているの箇所が見て取れた。
「ギジェ見える、あの大きな滝のある渓谷の右横、煙がいっぱい上がってるあたりが温泉よ」
「ああ、分かりやすい目印だな、では馬を召喚するよ」
ー召喚悪夢黒馬ー
召喚魔法の黒い魔力の渦が四足獣の形に集約すると、地獄の黒馬が現世の大地に召喚された。
「そういえば、おまえを召喚するのも久しぶりだな?」
下僕のたてがみをワシワシと撫ぜると、嬉しそうに首を擦り付ける地獄の黒馬。
「立派な馬だね。触って大丈夫かな?」
「押さえてるから撫ぜてごらんよ」
彼女はそっと驚かさないように手を伸ばす。馬とキツネの仲はどうなんだろう? そんな無意味な想像をして苦笑してしまった。
「こんにちわ、黒馬さんどうぞよろしくね」
ライシャが首を優しく撫ぜると、ブルっと息を吐いて気持ちよさそうに赤眼を閉じている。
「君は冷たくて、すべすべで、ずっと撫ぜていたくなる綺麗な毛並みだね」
妖狐の少女はその首に手を回して、そっと身を寄せて抱きついた。黒馬も顔を寄せて少女に甘える素振りを見せる。お互いの意思相通は上手く行ったようだ。
ギジェはその背に跨ると、騎乗から「おいで」と手を差し伸べる。ライシャもスポイルで慣れたもので、その手を取るとふわりと魔道士の前へ飛び乗った。
「いくよ!」
ギジェがたてがみを手にして促すと、地獄の黒馬は風のように走り出した。浮き上がる四脚は可憐な花を傷つけることもなく、岩も小川も何事もなく綺麗に越えて駆けていく。
「黒馬くん!君は凄いね。地から浮いて走るんだね」
加速した勢いですっぽりと、ギジェの腕の中の収まっている少女が、楽しそうに黒馬を褒めている。それに応えるように、さらに加速する黒い疾風が花々の群生を越えて、目前の湖畔に走り込んだ。
「わー とても綺麗な湖。見てあんな深い水の底まで見えてるよ?」
「本当だね透明度が素晴らしい… 上から見てみよう」
魔道士は黒馬の速度を落とすと、躊躇することもなく湖水に向かって歩を進める。
「えっ?えっ」
ライシャの驚きもそのままで、水面に点々と波紋だけ残しながら、湖の上を歩いていく地獄の黒馬。
「凄いな、この子は本当に浮いているんだね」
「この馬は、半幽体として、こっちの世界に居るとも居ないとも言える、ちょっと変わった状態で召喚されてるんだ」
「そう言われると、どこかでするっと落っこちそうね」
少女はそう言って笑顔になる。見下ろした湖水の底には、煌めく翠玉色に輝いた水草の原と、そこに落ちる自分達の影が揺れて見える。
「騎乗はできるけど、剣などの攻撃はすり抜けるという、とても厄介な子だよ、だから地獄の黒馬なんて呼ばれてるんだ」
「こんなに可愛いのにね」
こうやって地獄の魔物として恐れられる黒馬と、すぐに仲良くなる姿が、やはりアーリィと重なってしまう。
これは悪い癖だよな… ギジェは自分を強く戒めた。この妖狐の少女は妹の代わりではないのだから…。
「ねぇ見て、輝く水色の蝶々たちが…」
いつの間にか周囲を、青や緑の幽体のような輝きが、蝶のように舞っている。
「ごめんなさい。此処はあなた方の湖水なのね」
ライシャが「行こう」と黒馬に呼びかけると、彼は身を翻して湖畔へと戻っていった。
「きっとこの湖は精霊達の聖なる泉なのよ。私も少しだけど、精霊たちの囁きが聞き取れるから」
湖水全体が柔らかい光に包まれて、蝶々の瞬きが円を描くと、黒馬の影が回り灯籠のように流れて見えた。
「お邪魔しました。またお会いしましょう」
ライシャがそう言葉にすると、煌めきが応えるように優しく瞬いてから消えていった。
そうして珍しい精霊達の泉と巡り会えた後は、時には草原を疾走して、また時には川辺をのんびりと散策しながら、二人は乗馬での遠乗りを楽しんだ。
こうしてのんびりと地上を行くと、レフトバ-スの濃い自然も、密着して互いに伝わる熱さも、より身近に感じることが出来た。
「あ、ギジェそっちの支流のほうに昇っていって、この谷を行くと目的地だから」
「なんかこういうのは良いな、ちょっと胸が高鳴るよ」
ギジェが笑顔で少女の肩に手を添える。
「この沢って温泉が流れ込んでいて温かいんだよ」
後手に彼と手繋ぎしながら、僅かに湯気の漂う沢を見下して言う。黒馬は起伏の荒くなった岩場をも、ひょいひょいと身軽に昇っていった。
そうして幾つかの段差を越えていくと、谷間が急に広くなっていた。その渓谷は平たい段差が何層にも重なり、強い硫黄の匂いが漂っている。奥に長い渓谷の先は湯煙に霞んで見通せなかった。
「良いねー 凄い雰囲気あるよ」
「でしょでしょ。あの段差を流れ落ちてるのも、みんなお湯なんだよ」
「それじゃ、もう少し上の方に昇ってみようか?」
黒馬は流れ落ちる湯の滝の横を、沢登りのように何段か昇っていくと、いい具合の平らな岩棚と、その前で細長い池になっている湯の溜まりを見つけた。
「ここ良いんじゃない?」
二人は騎乗から飛び降りると、湯けむりを上げる池に近づいて、それぞれに手を浸してみる。
「ここは熱いかな?」
「こっちは冷たいよ」
どうやら崖の岩場の一部から、冷水が流れ込んでるいるらしい。二人はゆっくりと互いに近づくと、手を取り合った所で、もう一度湯に手を沈めてみた。
「丁度いいね」
手を繋いだまま一緒に言うと、何故かぎゅっと抱き合った。程よい湯加減で満足できたらしい。
「ギジェ見て、あそこ凄いよ」
ライシャが指差した渓谷の奥で、熱湯と蒸気の噴水がすごい迫力で、百メートル近くまで吹き上がっている。
「間欠泉ってやつだね、定期的に熱泉を吹き上げるらしい」
「こういう見慣れない景観って、旅してる感じで凄く良いわ。ちょっとだけ世界の果てに、二人で居るような気分になったもの」
少女はギジェの腕を抱いたまま、その絶景を楽しんでいた。
「世界の果ては、もっと凄まじいけどね」
魔道士が苦笑して金色の髪を引き寄せた。
この場所で野営する事に決めた二人は、食事の道具や、デッキチェアーや、寝袋などを岩棚に並べていく。
いつのまにか背後に降り立ったスポイルが、翼で抱えるようにテント状の空間を造っていた。守護者の腕に抱かれて眠れる、超安全な簡易寝床だ。
その間にライシャは火を起こして、作り置きしていたトマト煮のソースを温める。そこに茹でたペンネを加えて、夕飯のひと皿を仕上げていた。もちろん肉詰めも忘れていない。馬鈴薯と交互に串に挿してオリーブオイルと塩で味付けした。
日もだいぶ傾いた宵闇の中で、焚き火と灯の魔道具が周囲を照らし始める。低いデッキチェアーを二台並べて、合間に出来上がった温かい食事と、今日はぶどう酒を用意した。
こういう野営も手慣れたものだ。
「今日のソース美味しいわ、やっぱり何度か煮込んだほうがいいね」
温泉をちら見しながら、少し落ち着かない少女が言う。このあと一緒に入ることを考えると、すでに頬や尻尾の付け根が火照って熱くなっている…。
「そうだね。こんな絶景を見ながら、一緒に食事してるから、よりいっそうの美味しさだよな」
彼がふと矛盾に気づいた。人恋しくて街を目指したのに、結局は無人の荒野に居るほうが、安心できてしまう… まぁ、これは育ちの環境の問題が大きいから仕方がない。
暮れていく荒々しい渓谷の只中で、二人は食事とグラスのワインを楽しんだ。
そうして美味しく食事を終えて、三杯目のワインに酔いも回ってきたころで「じゃ、温泉を楽しみますか」といって椅子から立ちあがる。
ギジェはその場で、肩からあるベルトを外し、上着を脱いで横の岩に乗せ、するっと簡単に革パンツと下着まで脱ぎ落とす。
「ちょっと、ギジェ… さん」
薄闇のなかで完全に全裸になった魔道士が「何してるの、ライシャもおいでよ」といって手をとって急に立たせる。
「いや、ちょちょちょっと待って… 心の準備が…」
開いた掌で顔を覆っているが、指の隙間から全体像が丸見えだった。思いのほか広い肩幅、引き締まった肉体の陰影に、ちょっとうっとりと見惚れてしまう。
「ええ? ここなら誰も見てないし、良いよね?」
ああ… ちょっとギジェさん、大事なものがくっきりと… 少女はキツネ耳のもふもふまで真っ赤になると「さ、先に入ってて!」とスポイルテントに逃げ込んだ。
「そお? じゃ先にはいってるよ… おぉ!良いお湯だあぁ」
彼はノシノシと岩場を歩くと、程よい湯加減の岩の間に身を沈ませた。底は岩盤で、腰を落としても痛くなくて程よい感じだ。
「ライシャおいでよ、最高だよこれ」
ああ、すごい緊張してきた。
男性との混浴なんて、そんな大それた事をする日が来るとは信じられない。
まぁ誘ったのは自分なんだけれど…。
湯浴み用の手ぬぐいで前を隠した少女が、白い全裸を紅く火照らせながら岩場へと進みでる。
渓谷に昇った月に照らされて、その肢体は白く淡く、妖精のように可憐にみえた…。




