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王族に生まれてしまったら  作者: 陸 なるみ
第十章 王子でも民でも譲れないもの
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初恋の相手の夫に会えば


 海峡を渡るのは一日仕事だった。途中からラドローもオール漕ぎに参加した。早朝に出発したのに、対岸が見えてきたのはもう日が傾いてからだ。

 グザビエは人気(ひとけ)のない浜辺に漁船を停め、サリウとラドローは浅瀬に飛び降りた。革袋の荷物をそれぞれ受け取ると、サリウが「後を頼む」と云う。グザビエは黙礼しただけで船を返した。


「馬を見つけて一時間ほど走らなければならない」

 南に向かう大路に沿った旅籠で、繋がれた馬を買い取ることにした。サリウがフランキの民の言葉まで達者で驚いた。


 馬で駆け抜けた土地の景色は不思議にサリクトラに似ていた。塩田が続く。区分けされた、浅く四角い池が整然と並んでいる。水面は赤茶色で泥の畔には白い縁取りがこびりついているように見えた。

 サリウは二度ほど道を尋ね、日もとっぷりと暮れてからジャン・オーギュストの屋敷、シャトー・ル・クロワジックに到着した。


 馬を繋いでいると領主が玄関から姿を現した。

「よく……来て下さった。望みを失いかけていた」

 そう聞こえた。ジャン・オーギュストは思ったより年上、四十才に届いているようだ。

 相手の方も齢の差に驚いていた。

「あなたがたは……本当に私が待っていた方々なのか?」


 玄関の松明にサリウの珍しい笑顔が映しだされた。

「サリウランディ、キング・オブ・サリクトラです」

 と云って右手を差し出した。ジャンは両手でその手を包むように握り締めた。

「ジャン・オーギュスト、コント・デュ・クロワジックと申します。あなたさまが、王……」

「はい、義兄上(あにうえ)、お初にお目にかかります。お蔭さまでこの十年、姉は幸せに暮らせていたようで……」

「失礼致しました、私はマチルダの父上に使者を出したつもりでいたので……」

「父は四年前にもう」

「そうでしたか……。海峡の向こうのことはこちらには伝わってこないようで」


 気持ちよく整えられた応接間に通された。暖炉に火が入り、テーブルの上にはお茶の用意がしてある。どこかしらサリクトラ城の内装に似ているのが、女主人の出自を主張しているように思われた。


「そして、こちらは?」

 ジャンは、従者にも見えるもうひとりの男の、顔の病痕が気になっているようだ。ラドローは真っ直ぐ顔を上げて自己紹介した。ハンスになってから使っていなかった長い名前を口にする。

「ラドローアンス・ザ・セカンド・フォン・ランサロードです」

「何と!?」

 ジャンの驚きに微笑で返して握手を求めた。ジャンはがっしりと握ると、

「ラドロー皇太子は行方不明だと聞いていた……」

 と云った。

「いろいろありまして、皇太子は廃業です。しかしこの名を名乗ることは現王の了承を得て参りましたので、出廷資格に問題はないはずです。ただ、この病痕、マスクでもしたほうがいいのか、ご助言が欲しい」

 率直さが自分の身上、ラドローはジャンに何を云われても従うつもりだった。


「フランキは南に位置するせいか、この病は多い。特に貧困層にですが、南部では重症患者も後遺症に苦しむ者もたくさんいます」

「隠さないと法廷からみな逃げ出してしまうでしょうか?」

「いや大丈夫かと思います。一度かかってしまうと二度はうつらない。治った者からうつることはないと云われていますから。ランサロードのような北の、それも王子様がこの病気になるとは俄かに信じがたいですが。身分を疑われるほうがあり得ます」

 ジャンは初対面で失礼があったのではないか懸念した。

「それは剣と紋章を見てもらうしかない……」


「あ、ラドロー王子と云えば、北の剣豪と名高い……。それでわざわざご加勢下さる?」

「いえいえ、今ではサリウ王のほうが強いでしょう。私は病や何やらで剣の修練は怠っていた。明日から少しずつ勘を取り戻します。マスクしないでいいなら助かる、果たし合いで視界が遮られるのは楽じゃないので」


「なぜラドローがここにいるかは義兄上、明日ゆっくりお話します。姉の身に起こったことも、こちらでの生活も教えていただかねば。明日の夜には首都への移動ですね?」

「ええ、明後日朝十時出廷ですから」

 

 ラドローはジャンが敬語を使うかどうか戸惑っている気がした。自分のフランキ語にも限界がある。

「ジャン・オーギュスト殿、できれば王だの王子だのという肩書なしでお話したい。ついでに年上年下ということも忘れませんか。お許しいただけますか?」

「私は一介の伯爵、いくらなんでも……」

「私は義弟です」

 サリウの目が面白そうに輝いている。「おまえらしいな」とでも云いそうだ。

「法廷で何が出てくるかわからない状態です。仲間はこの三人だけ。結束が何よりも大切ですから、古くからの友人というふうにいきませんか?」


 ジャンにはまだ躊躇いがある。

「マチルダは並みの女性ではないと思ってはいたが……」

「こちらではマチルダと名乗られたのでね、サリクトラの華、プリンセス・マリティアは。私はもう十三年お会いしていない。牢でつらいだろうが、少しでもお元気でおられることを祈っています。あのひとのことだ、自分ひとり死んでしまえばいいと思っていそうだから。私は諦めるつもりはありません」

 にっこり笑って見せた。

 ジャンは一番関係なさそうなラドローがそんな言葉を吐くのを不思議な思いで眺めていた。


 長旅の疲れを癒すために早めに就寝し、ラドローは妻を思った。

「ピオニア、送り出してくれてありがとう。おまえは母親になる。オレは父になる前に、初恋の許嫁を助ける。やり遂げて見せる。それがオレの信じる道だ。あのひとを勝手に死なせやしない。あの事件の後、捜しも助けもせずに『死んだ』という言葉を鵜呑みにして諦めた、子どもだったオレのへの罰だ」



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