地下牢での過ごし方
応接間に通されたパラスはルーサーに何も云うことができなかった。
「殺しちゃいけない」
と繰り返しただけだ。ルーサーに
「何故だ? 木こりひとり殺してもたいしたことなかろう?」
と云われ二の句がつげなかった。友人だというわけにもいかず、基本的人権尊重の議論を展開するほど弁のたつパラスでもない。
「じゃあそいつに会わせてくれ」
というとルーサーは
「勝手に会って楽しんでくれ。姫の居所を聞き出してくれると殺さなくて済むぞ。ムチもあるし」
と自室へ引き取ってしまった。
パラスは案内に従い、のしのしと地下へ降りていった。そして大きなからだで躊躇なく拘束されたハンスを抱きしめた。
「おいおい、パラス、汚れるぞ。こっちはたれ流しなんだから」
「そんなの問題じゃないよ」
「刑場で仲間が助けてくれることになってるから、そんなに心配そうにするな」
「オレはどうしたらいいんだ?」
「レーニアの者が漂流してる。もし頼ってきたらこっそり上陸させてランサロード国境の森にでも住まわせてくれ」
「うちでもいいぜ」
「ルーサーとけんかになるよ。森に隠れさせた方がいい」
「わかった」
「ありがとう、パラス。来てくれただけで十分だ」
パラスが帰ってハンスは牢番に話しかけた。
「なあ、たれ流しは勘弁してくれないか? そのたび服も濡れるし、匂うし。瓶をあてがってくれりゃ上手にするぜ。床掃除するより楽だ」
「見たくねぇよ」
「こっちこそ見せたくねぇよ!」
赤面して声を上げたら、牢番たちには気持ちが少しは通じたようだ。
「手につくと病気がうつるかもしれないから嫌だ」
「つかないような大きさの、取っ手付きの瓶でも探してこいよ。おまえたちにはうつさないって」
「ほんとか?」
「本当だとも」
次の日ハイディは懸命にルーサーの説得を試みたが徒労に終わった。
パラシーボでのピオニア姫との会談を再度提案したのだが「私は戦争に勝ったのだ」と一蹴された。
「木こりを生かしても殺しても姫はルーサーのものにならぬ」と断言したが「それならば殺してしまうに限る」と笑われただけだった。
逆に「何故そんなに確信をもってピオニア姫の肩を持つのか」と訊かれ答えに窮した。レーニア国民がランサロード沖にいたことは云わないに越したことはない。
「では、王が目の仇にしている木こりを見せてもらえましょうか?」
「あんな病痕者に興味があれば土産話に見ていくといい」
ルーサーは何を云われても意に介さず、終始上機嫌だった。
ハイディは薄暗い地下牢に入るとそのひんやりした空気の中に漂う不潔な匂いに顔をしかめた。しかし最低の礼儀はつくそうと丁寧な言葉で語りかけた。
「ランサロード国のハイディと云います。お伝えすべきことがあります。奥様、ピオニア様は昨日まで我が国沖に停泊しておられました。意気消沈されてはいましたが健康ではいらっしゃいました。我が城へ会見にこられ、処刑の取り止めを交渉して欲しいと私に懇願されました。今日、その努力は致しましたが、ルーサー王を翻意させることができませんでした。力不足お許し下さい。その上、国の皆様を我が国に上陸させるわけにもいかず……」
しばしの沈黙の後低い声が響いた。
「云いたいことはそれだけか、ハイディ?」
ハイディははっと顔を上げて二、三歩囚人に近づいた。
――そんなことあるはずがない。
「大声だすなよ」
ハンスは目で笑った。
「兄上!」
ハイディは兄の胸に取りすがった。
「何てことだ。どうして、どうしてこんなことに?」
「おまえも恋をすればわかる」
「わからない、どうして帰ってきてくれないの?」
「おまえがいればいいだろ?」
「ピオニア姫のせい?」
「オレのせいだよ」
「愛してるの? ランサロードより?」
「そうだ」
「どうしたらいい? どうしたら兄さん助けられる?」
ハイディはハンスの修道服の胸あきを両手で掴んで顔を近づけた。
「オレの方は大丈夫だ。仲間が準備してくれてる。姫はどっちに行った?」
「ルーサーの思いつかないとこに行くって教えてくれなかった。上陸受け入れなくてごめんなさい」
「当然だ。国を守る者として当然の判断だ。入国を許すほうがおかしい」
「でも……」
「例えば北の国経由で入ってきた時に住むところを考えてやってくれ。頼む」
「わかった。じゃ、北の国に手紙を書くよ。住むところはこっちで用意するから、最寄の港にすぐ上陸させて陸路南下させてくれって」
「そうしてくれると助かる。オレのマスク取ってみろ」
「こんなふうになっちゃったんだ」
「オレはもうラドローアンスじゃない。ハンスという名の木こりだ。王妃には決して云うなよ。父上にもだ」
「戻ってこないの?」
「うちには決して戻らない。早く結婚して子供をつくれ。そうしたら父上も譲位されるだろう。オレに継承権がなくなったら父上には一度会いたい」
「そんなのいつのことだか。兄さんが戻って姫と継いだらいい」
「だめだ。それこそメルカットと大戦争だ」
「そのためにこうなったの?」
「そうだ」
「わかったことにしとくよ。けど、決して死なないで」
「大丈夫だ」
牢番は立派な服装の人が仲良く話して帰っていく自分の囚人を不思議に思った。暴れるでもなし、叫ぶでもない。水をやれば「ありがとう」と云うし、たまにパンをやると笑って見せる。「瓶を頼む」と恥ずかしそうに云うと小水だ。
最初は病気が恐くて階段の中ほどから眺めているばかりだったが、だんだん馴れて最下段に座っておしゃべりをするようになった。
牢番の一番の関心事は「どうやって王家の姫君をものにしたか」だった。
ルーサーは日に一度はハンスの様子を見にきた。しかし、折檻する以外は階段の最後の段に立ち止まり、ハンスと同じフロアには降りなかった。そこからではハンスの横顔しか見えない。
「姫はどこだ。しゃべる気になったか? しゃべれば殺すのはやめてやる」
「知らねぇ。島の中にはいなかったかい?」
「もぬけのからだ」
「じゃ、旅にでもでたんだろう。置いてきぼりくらっちまった」
「刑場には会いに来てくれるんだろう?」
「こねえよ。わしは見殺しにされるだ。死にたくねぇよぉ〜」
そんなやりとりが続くだけだった。
ここらで『残酷な描写』が出るかもと思っていたのですが、無くて済んでしまいました。




