できることを掻き集めての強さ
メルカット兵たちは午前中をのらりくらりと過ごした。濠から木々を拾いあげたり、林から新しく切りだしたりだ。敵の士気を殺ぐという点で、早朝の作業は思いのほか効果があったと云える。
それでも子供たちのおやつの時間を過ぎる頃には、レーニア城の周りをまた焚き木が取り囲んだ。生木と濡れた木だ、敵は重たい油を天秤棒に担いで橋を渡ろうとした。レーニア側がそれを弓矢で牽制すると、転ぶ者、油を置いて逃げ帰る者が出た。
すると、メルカットは油を小分けにし、数にものをいわせて橋を渡ってくるようになった。こうなると弓で防ぎ切れるものではない。
レーニアは、屋上から弓矢を打ち放ちながら、フォントの指定した水撒きの態勢に万全を期した。各階の窓、屋上にはいくつも、男三人で持ち上げられる大きさの酒樽が配置されている。
橋を渡ってくるメルカット兵がぱたりと途絶えた。
「来る」
ハンスが屋上で呟いた。
ジンガは二階中央窓から、敵が一線に並び火矢を用意するのを見た。
ズサッズサッズサッと矢が木枝の塊に突き刺さる音がする。ちょうど油がかかったところに当たった矢は、ぼうっと燃えあがった。しゅうっと水分が白煙となって立ち昇り、いがらっぽい匂いが広がる。屋上の弓矢隊は皆一斉にむせた。
「よし、弓矢隊、交代しよう。水撒きだ」
屋上でハンスの横に立っていたフォントが決断した。
「水は遠くに投げないで、壁を伝うくらいで良いから。構えて」
心優しく若いフォントは戦っていても言葉が柔らかい。
力自慢の男たちが酒樽を抱えて屋上の縁にへばりついた。
「今だ!」
じゅじゅじゅじゅじゅうっーー
水蒸気が煙幕のように城を包んだ。各部屋の窓から残り火に向けて水がかけられ、炎は消しとめられた。
メルカットは性懲りもなく火矢を打ち続けたが、もう着火することはなかった。
水撒き一度で火が消えてしまったので、準備していたバケツリレー隊はたいしてすることがなかった。まずは中庭の池からの消火用水を赤いバケツで汲み上げる。逞しい女性たちがメイン構成員のリレーは、バケツが二十個も右左と通り過ぎると解散だ。後は、昨日の飲料水を生活用水桶に移し、地下の井戸から青いバケツで飲料水のほうを補充した。
風呂や夕食の準備に携わらない者たちは、大広間に集まり夜できることを確認した。
デルスはまだ出歩くところが見られないからハンスの矢が効いているのかもしれない。となると夜間、暗闇で矢が打てる兵は限られている。
――アストールの仲間たちが率先して打ってこない限りは。
ハンスはちょっと面白いという気分を隠せない。
燃えさしの上にメルカットはまた木々を積み上げている。それらを濠に落とす役、橋を落とす役、夜目の利く見張り役が決められた。
ハンスは片手では足手まといと全ての役割から除外。
そこへフルクが話しかけてきた。
「おい、メルカットのお仕着せ貸せよ。油壺割ってくるわ」
「何だって?」
「おまえほど夜目の利く者はいない。見張りについてくれ」ジンガが差し止めた。
「ハンスが伝令に出て危険な目に遭ってる。やめておけ」
「ハンスとオレの違いがわからないようだな、ジンガ」
「どういう意味だよ?」
ハンスがいつもに似合わず気色ばった。バカにされたと云うよりはフルクの身を心配したからだ。
「コイツは目立つんだよ。目立っていいこともあるが紛れ込むには一般人のほうがいい」
「おまえだってその他大勢じゃない」
「何か違うんだよ。立ち方、歩き方、喋り方か? 立ち居振る舞いってのが。姫さんが惚れても仕方ないなと誰もが思うだろ? その上病痕なんかがある。見間違えるわけがない」
「何が云いたいんだ、フルク」
「オレがメルカットのテントに入っても、お仕着せ着てりゃこんなツラのヤツいたか、で済むんだ。あれだけ人数がいりゃ、隣の部隊かなってもんだ。ついでにオレはメルカット型船に乗ってハンスを迎えにいってる。あんとき、艫にわざと火を点けて、操船不能になったと見せかけた。メルカット兵たちには外海に出る前に海に飛び込むよう指示してる。憶えている者がいたら、その時の苦労話をすればすぐ打ち解ける」
ハンスは「同じ女が好きなら考え方も似るもんか?」と自問した。もしくは、自分が片腕使えないからその分補おうとしているとか。それとも純粋にピオニアにいいところを見せたいだけか。いずれにせよ、恋を誤魔化さない点で、フルクはルーサーよりもよほどいい男だ。
「さっきの攻撃で油使い果たしてるかもしれないわ。そこまで危険を冒す意味がある?」
「あるんだよ、姫さん。ヤツらはまだ半分しか使ってない」
フルクが断言した。
「見たのか?」
「ああ、ちょうど目が覚めたときに、六つの大甕を乗せた馬車が港から上がってくるのが見えた。使い果たせる量じゃない」
「そうか……」
「甕が割れなきゃ水でも混ぜてくるさ」
「それなら重曹でも持ってくかい?」
パン焼きの得意なキミが訊き、雑貨商をしている夫のセトが笑った。
「それがいい。甕の口が固まるかもしれねぇ」
「固まるって?」
「石鹸になるかもって話さ。水筒にお湯いれて持っていきな。重曹なら爆発することもない」
フルクが目を輝かせた。
「爆発ぅ? 何か入れたら爆発させることもできるのか?」
ハンスが水を差した。
「やめとけ。それこそ危険だ。メルカットに死人が出ても困る。真似されてこの城を爆破されるのも嫌だ」
「そうだったな、敵を殺しちゃいけない戦いだったけか」
フルクはお仕着せを着て、お湯入り水筒を腰に、薬包紙に小分けにした重曹をポケットにしのばせた。
「姫さん、ちょっとはオレのことも応援してくれよな」
ピオニアにいつものにやけた笑顔を向けた。
「無理しないでね。危険だと思ったらすぐ帰ってきて。何もしなくたって応援してるから。みんなを乗せた大型船を操縦してもらうほうが大事だからね」
「ああ、こんなオレでもできることはあるもんだな。じゃ」
「罪な女だな、おまえも」ふたりきりになるとハンスが云った。
「何人の男を迷わすんだろうな」
「あなたひとりでよかったんだけど……」
ピオニアは肩をすくめた。
「私ものうのうとはしていられないわ。私よりあなたのほうが視力がいいと思うの。橋を落とす間、屋上から援護の矢を打ちたいから私の目になって」
「黙射できるのか?」
「たぶん。父に身体の基本の形を叩きこまれたから、結構同じところに飛ばせると思う」
「そりゃすごい。じゃ、屋上で練習だ」
薄暗がりの中で濠の向こうのターゲットを決め、ハンスが掛け声をかけてピオニアが打つという動作を繰り返した。
「そうだな、ブレが少ない。使えそうだ」
「お褒め頂きまして」
「おまえは何でもできてしまうんだな」
「あら、剣は下手くそだって云わなかった?」
そう云われたのはアストリーの森で水芭蕉を見た時、ピオニアがまだ覆面をしていた時だった。
「下手じゃない。サリウには敵わないと云っただけだ。騎士の心を忘れたルーサーになら勝てるかもしれない」
「どうだか。子供の頃何度も剣はじきとばされたわよ?」
「それはルーサーが青年でおまえが少女の頃だろ? 今アイツはふんぞり返った王様だ。おまえ、もしものときはとことん自分を守ってくれよ?」
「もちろんよ。ここまでみんなに迷惑かけて、今さらルーサーの側女になんてなれないわ」
ふたりは恋を貫くしかない。