自信と過信の燻製前夜には
ハンスはアストール宛に手紙を書き、ジンガの二通の書状を丸めこんだ。その上を薄汚い紙で包み封をした。メルカットのお仕着せを着、アストールの矢を背中の矢筒に数本入れると準備万端、ダンジョンから南の岸壁に出た。
日没後の薄明かりが西の空に残る。
――大事な書状を托せるのはアストールしかいない。指揮官は伝令を出すだろうか? もう出してしまったろうか?
西の浜を廻って丘に上がり、城の西側に出た。メルカットのテントに近付くと
「アストールじゃないか! どこに雲隠れしてやがった」
と声をかけられた。三人組が近付いてくる。
「実は左腕を怪我していてね、弓が引けなかったんだ。弓が引けないアストールなんてカッコ悪いだけだからなあ」
「何云ってるんだよ、デルスさまがいれば弓なんてなくても楽勝だぞ?」
「そうなのか?」
「ああ、指揮官さまの頭の中は策略でいっぱいだ」
「オレたちだって弓なんか引いてない。濠やら橋やら食事やら、調べ物に忙しくて」
「次は燻製だからな、く・ん・せ・い」
「魚でも燻すのか?」
余りに得意げな顔を見て、わざと惚けることにした。
「なんだ、ほんとにニブいな。レーニア・ベーコン作戦だぞ?」
「さっき伝令が出て明日には油壺をたくさん持って帰るとよ。城の周りで生木を燃やし、燻りだすってさ」
「そりゃスゴい。デルスさまさまだな」
ハンスはそう云いながら「伝令はもう出てしまったか。どうするかな」と思っていた。
そこへイラついた声が響いた。
「おい、あんまりべらべら喋るなよ。コイツがアストールなわけねえだろう?」
兵がふたり会話に加わった。
「なんだ、知らないのか? コイツは海戦の功労者だぞ? レーニアの新大型船のマストに矢を命中させたんだ。そんなことできるのはアストールしかいないだろう」
「アストールがこんな戦争に顔出すかよ」
ハンスは身の危険を感じざるを得なかった。
「ご丁寧にアストールの矢羽まで真似しやがって何のつもりだか」
話がどちらに転ぶのかわからない、ハンスは会話の行方を見定めるしかない。
「それじゃ、おまえはアストールがどんな顔か知ってるのか?」
「ああ、知ってる。こんな病痕者じゃないことは確かだな」
「病痕があるから森に隠れてるんだろ?」
「それは大誤解だ」
ハンスは黙っていられなくてそれだけ口にしてしまった。アストールを知っているらしいふたりは鼻で笑った。
「コイツがアストールでなくても構わねえよ。一緒に戦った仲なんだ、ほっとけよ」
「だめだね、スパイかもしれねえ、デルスさまの前に引っ立ててご判断を仰ぐさ」
「スパイとわかれば金貨ものだからな」
ハンスはふたりに挟まれて歩いた。外はもう漆黒の闇だ。
「どうする?」ハンスは俯き頭を働かせた。
デルスというらしい、あの指揮官に会うわけにはいかない。遠目ながら矢の照準を合わせあった間柄だ。相手の容姿は思う以上に網膜に焼き付いている。テントの中で顔を合わせば敵だとバレる。
――ではこのふたりを気絶させてでも逃げおおせねばならない。
両サイドの兵に気絶でもしてもらおうと思ったのに、ふたりは指揮官のテントらしきものを通り過ぎ、ハリエニシダの生垣のほうに坂を下りだした。
「あんまり不用意に出てくるなよ」
ひとりが云った。
「敵の陣にのこのこ顔出しちゃ危ねえだろう、冷や冷やもんだ」
もうひとりが云う。
ハンスは驚いて立ち止まってしまった。
「こら、生垣の陰までは歩け」
生垣に三人の姿が隠れるとハンスは思わず座り込んで頭を抱えた。
「うわあ、焦った」
「それはこっちの言い分だ。下手な助け舟だしゃ、こっちが疑われる。アンタが左腕怪我しなきゃ、アストールもこの戦争、知らぬ存ぜぬで通すつもりだったんだよ。あそこまで心配しやしなかった」
「傍で見ていられないから志願したんだ。普段は小隊長の命令をしっかり守って働くが、どうしようもないときだけはアンタを助けるって」
「ありがとう、確かに少し甘くみてた」
「そうだろう? 今度の指揮官は本気だ」
「ああ」
「それで、何の用で出てきたんだ?」
「手紙を出したくて」
「手紙? 命が危なかったんだぞ?」
「かもな。でもこれだけはどうしても出さないといけないんだ」
「誰宛だ?」
「アストール」
「なんだ、それなら簡単だ」
「メルカットの伝令云いくるめて持って行かそうと思ったんだよ」
「遅かったな。まあ、オレが持っていってやるよ」
「ほんとか?」
「ああ。アストールの偽者を捕まえたんで、アストールに面通しする。罰はアストリーの森で決めることになった、とおまえは陣に伝えてくれ。アンタは城に戻る。これでいいだろ?」
「願ってもないことだ。本当に助かる」
ハンスは年上のほうに手紙を渡した。
「気を抜くなよ、こっちはスパイだとバレるわけにはいかない。本当に困っているときじゃないと助けないからな」
ちょっと若い方が云った。
「心得た。しっかり火攻めにしてくれ」
三人は笑ってそれぞれの方向に分かれていった。
レーニア城に戻りながらハンスは独り言を云ってしまった。
「ああ、オレ、やばかったんだな。仲間がいてくれなかったら、自分で船漕いでメルカットへ渡るしかなかったのか。最初の三人組は『再会を祝して一杯』とか云い出しかねなかったし。火攻めまでに戻れないなんてことがあったら、城の皆に申し訳が立たない。状況判断が甘かった、思いあがっていたかもしれない。それにしても、アストールと仲間たちにはまた借りができてしまった……」
ハンスは城の地下を抜け執務室に顔を出すと、「レーニア・ベーコン作戦」で燃やされる枝葉には油がかけられる予定だと報告した。
ピオニアはカーテン替えの仕事を終え、マスク作りに参加していた。なぜか青少年たちの「いてぇ!」「糸が通らない」「これでいいんじゃね?」といった声に囲まれている。微笑ましいと思ってしまった。
フォントのほうの様子を見ると、こっちはまたたくさんの樽とバケツを用意していて、消火用水専用として赤く塗っていた。飲料水は青、生活用水は黄色、庭撒き用が緑、の三色に加えてカラフルなことだ。こちらも、まだベッドに行きたくない若手が活躍している。
「屋上までバケツリレーをするとしたら、このくらいの数はいるでしょう。できれば中庭の池の水を使いたいんで」
「結構大きな池だよな」
ランサロード城の水周りとは比べ物にはならないが、レーニア島の規模から考えると城の大きさも構造も危機管理が縦横に考慮されている。
「真ん中の噴水池だけじゃないですからね。壁に半円形の六つの池があるでしょ、昔、泳いだり水浴びしていたらしくて、背丈ほど深さがあるんです。それらが碁盤の目状に水路で繋がってる。かなりの水量です」
「水源は?」
「実は井戸と一緒なんですが、汚される前にお濠から汲んで満たしてるんで、飲料水に影響が出るのはまだ先です」
「助かる。おまえの専門知識には頭が下がるよ」
「船で真水が大事なのと一緒です。こんな小さな島国だからこそ水は大切で、歴代の王もそれを知っていた。木々も大事ですけどね」
水道局長と営林大臣は顔を見合わせて笑った。
――自分の力を信じて、でも過信することなく着実に。
フォントと話してハンスは再度肝に銘じた。