城の守りは
「やばいな」
ジンガとハンスは城の二階中央、ステンドグラス窓の裏からメルカット軍の動向を見ていた。新しい指示を受けたのだろう、きびきびして俄然動きが違う。
「指揮官を殺せるときに殺さなければならなかったかもしれん」
「イヤだったんだろう? 職業軍人であれ、こんな戦いで殺してしまうのが」
「綺麗事云っている場合じゃなかったようだ。上が怪我しても士気が落ちない。逆に奮いたってる」
「やらせておけよ。船の用意は万全だ。いつでも逃げ出せる」
「それまでどれ程みなに苦労をかけなきゃならないか……」
「おまえな、それを止めたがいい。いつまでたってもオレたちに遠慮し過ぎだ」
「所詮よそ者だからな」
「そんなこと誰か口にしたか? 態度に表したか?」
「いや、みな優しいよ」
「いい加減、自分の国だと思え。それが無理なら嫁さんの国だろう?」
「そうだな」
「おい、あっちで何か濠に投げ込んでいる。犬の死骸か?」
ジンガが指さした。
「濠の水を汚してくれるのか。沸かしてでも飲むのは気持ち悪いかもな」
「そうだな。下肥なんぞも来るみたいだぞ」
「ああ、品のないことをしてくれる。真面目な戦争だな」
ハンスは淋しげに笑ってみせた。
「病気を出さないようにせねばな」
「お、他にも何か運んでくるぞ? 小さなボートに載ってる」
「陣中見舞いか、暑中お見舞いか?」
「フルーツ詰め合わせセットみたいだな」
「指揮官はこの一週間で城を落とせと云われているだろうから、即効性のある、毒入りとかかもな」
「では子供たちに触らぬよう念を押さねば」
「ああ、夜中に『宝探し』と称して城を一周し、卵を見つけてくるのが流行ってるようだから、釘を刺さなくちゃな」
濠を見下ろしたまま目を合わさない親友の淡々としたコメントに、ハンスは自分の声もどうしようもなく沈んでいくのを感じる。
「裏の林では木を切り倒していた。橋を作って渡ってくるつもりだ。営林大臣としては許し難いが、問題は枝葉を捨ててないことだ」
一通りの戦争は国元で経験してきた自分の知識が、手足に絡んで自由を奪っていきそうだ。
「何に使うんだ?」
ジンガは楽観も悲観もしない、物事をありのままに見る男。
「燃やすんだな、城の周りで。火攻めだ」
「厳しいな」
「ああ、全体会議を開いていろいろ説明してくれ。その前に書状を書いて欲しい」
「どこへ?」
「ランサロードと北の国、だろうな。文面は姫さんが手伝ってくれると思うが、『ルーサーの横暴に一度は国を開け渡す。しかし我々は負けたわけではない。必ず島に戻る。レーニアとしては話し合いでこの諍いに決着をつけたい。その期間だけ身を寄せさせてもらえないか』」
「おまえは、ランサロードに上陸できるのか?」
「ああ、何とかするよ。知り合いに出会わないよう」
「わかった」
夕食後大広間で、今は十人ばかりに減った怪我人も含め、二百人が床に座り込んで全体会議を行った。
ジンガはまず子供たちに、濠に浮いている食べ物に手を出さないよう言い渡した。
「オレたちあんなもん欲しがるって思われてるの?」
「ここには生クリームもプディングもあるのに?」
「フルーツは生よりジャムのほうが甘くて美味しいよ」
「ぼく、マーマレード食べれるようになったよ!」
大人たちから笑いが漏れた。
子供たちはこの狭い城内で退屈しがちなところを、大人たちの手伝いを率先してすることで気を紛らわせている。水を汲んだり、家畜の世話をしたり、畑の除草をしたり、洗濯した包帯を巻いたり、年下の子の面倒をみたり。
ピオニアは折りをみて、本を読み聞かせたり、字を教えたりもした。
「井戸の水がこれからどんどん減ってくる。無駄遣いしないように」
「お風呂に入らなくていいなら大歓迎だよ!」
七、八才の男の子たちは喜んだ。
「だめー!」
母親たちが叫ぶ。
「これまで通り、順番でみんな入るの!」
「汚くしてるとみんな病気になっちゃうのよ」
ピオニアが諭した。
「濠の水が汚されてしまった。フォントの云う事をよく聞いて、必要なときしか触らないこと。触ってしまったら手をちゃんと洗うこと」
「はーい」
「それから、敵は橋を作っている。明日からはちょこまかと渡ってくるだろう。もう『宝探し』は無しだ。まずは城全体の戸締りを確認すること。一階各扉には見張りを置く。子供たちは窓に近付かないこと。うら若き女性はグループで行動し、できる限り城の中央にいて欲しい」
「私は? 私は?」
と、おかみさんと呼ばれる中年女性たちが茶化した。
笑いの渦が収まるとジンガが言葉を繋ぐ。次の言葉は少しばかり深刻だ。
「敵は城の周りに木の枝をバラまいて火を点けるかもしれない。そうしたら煙が入ってきてみんな大変だ。元気な者全員で屋上や窓から水を撒くことになるから、その分担をフォントに決めてもらう。それから、針が使える者はこれからマスク作りをする。全員分作るから、女性陣に任せきりにしないこと。漁師組は網が縫える、船大工は帆が縫える、できないとは云わせないからな」
「ほいほい、ジンガさまの仰る通り」
漁師のフルクがおちゃらけたが、場の雰囲気を和らげようとした発言だとハンスには見えている。
「火の勢いで窓が割れたり、もしかすると煙を入れようと敵が窓を割ってくるかもしれない。大きな窓のカーテンはキルトに替えたらどうかと思うんだが」
ハンスの提案にジンガが応えた。
「そうだな、ガラスが割れたときはキルトを濡らして火を防ぐことにしよう。アンナ、マスク作りのほう、指揮取ってくれ。キルトのほう、ピオニアさま、お願いします」
「じゃ、キルトのほう、針仕事のできない男の子たちで担当しましょ。ほら手を挙げて」
「はいはい、はーい」
縫物の嫌いな男の子たちが十八人も手を挙げた。
「だめよ、五人いればどんどん済んじゃうわ。プルムとゼランはまだちっちゃいからお母さんと一緒にいなさい。残り若いほうから五人」
「えー、オレたち針触ったことない」
「だめよ、いい機会だわ、これをチャンスに習いなさい。ところでハンス、あなたはどうして手を挙げてるの?」
姫は自分の彼氏のテレ顔に笑いかける。
「オレ、針だけは苦手なんだ」
「うそでしょ、うそつきは三倍させるわよ。その服に隠しポケット作ったのは自分でしょ」
「いや、これは誰にも頼めないから……」
「マスクも誰にも頼めないの!」
「待て待て、夫婦喧嘩よりハンスは他の仕事があるだろう?」
「ジンガ、甘やかしちゃだめよ」
「違いますよ、姫さま。もっと危ないハンスにしかできない仕事があるじゃないですか」
「あったかしら?」
「さっきの手紙、手伝ってもらった二通の手紙、どうやって発送するんですか?」
ハンスが急に立ち上がって嬉しそうに云った。
「そうだよ。オレが配達するしかないじゃないか」
「城を離れる気なの?」
ピオニアばかりでなく、大広間中の皆が動揺した。
「離れると云っても一時間もかからないと思うよ。メルカットの伝令に化けるだけだから。すぐ帰ってくるさ」
「気をつけてね」
「オレにとっちゃ、針で指を刺すより安全だ。マスクはアンナ、頼んだよ」
アンナが頷いて全体会議は解散した。




