敵の内情を探る場合
港で買い取った馬に水を飲ませ木につないでいると、森の奥に人の気配を感じた。
「アストールはいないか? ラドローが来たと伝えてくれ」
声をかけるとすぐに本人が姿を現した。ふたりは勝手知ったる森の中を歩きながら話した。
「どうだ、旗色は? 苦戦しているのか?」
「そうだな、とうとう籠城を余儀なくされた」
「予定より二ヶ月も遅いんじゃないか?」
「まあね。それでも予断は許さない。アストール、ルーサーから参戦要請があったらどうする?」
「どうもしない。もう何度も来ている。オレはこの戦争には関係ない」
八才ほど年上のアストールはハンスから見ると、いつもどっしり落ち着いて感じられる。
「城の四方八方から射かけられているんだ。幸いなことに誰も城壁の上には届かない。アストールが敵にいたらと思うとぞっとする」
「それで恐くなってオレの顔色を窺いに来たのか? オレはルーサー王が失恋しようとおまえが一生片想いだろうと、参戦したりはしない」
「信じているよ、もちろん。ただちょっとバカな怪我をしてしまって、強弓が引けないんだ、見てくれるか?」
「おまえが怪我をしたのか? どこかぎこちないとは思ったんだ。左腕か」
メルカットで目立たないよう狩りの恰好をしてきたハンスは、薄手の長袖シャツをまくり上げた。
「ちょうど弓を支える筋肉がえぐれているな。しかし筋肉全部が断裂したわけじゃない。普通の弓なら引けるんだろう?」
「ああ」
「じゃあ、残ったスジを鍛えるしかないな。段階を追って強くしていくんだ。何種類か持って行け。焦らず、子供に返ったつもりで少しずつ慣らしていくんだぞ。無理してもっと傷めると腕が使い物にならなくなる。姫さん抱き上げられなくなるとカッコ悪いからな」
「よしてくれよ」
「うまくいってるんだろう? 姫さんが好きなのはおまえであって、ラドローだけでもなく、ハンスだけでもないってわかったか?」
「ああ、わかったよ。ラドローに操立てしてたからハンスを受け入れ難かったらしい。レーニアに戻った日に顔見せてわかりあったよ」
「そんなことだろうと思った」
「ラドローもハンスもオレの本名の一部だと知らなかったらしい」
「聡明と名高いレーニアの姫さんが? それは笑える」
「だろ?」
「ところでメルカット国民はルーサーのことをどう思ってるんだい?」
「自分とは関係ないというのが大半だな。貧しい者たちが現金収入を求めて徴兵に応じている。そのくせ何故か脱走兵が多いな。人を集める為に、兵の給金がじわりじわりと上がってきている。だんだん国庫に影響が見えてくるだろうよ」
「ルーサーに早く困って欲しいんだが、もともと経済の安定した豊かな国だものな。すぐにはどうこうならないか」
ハンスはやはり戦い続けなければならないのかと、諦め気分に肩をすくめた。
「聖燭台会議の噂は聞いているか?」
「ああ、ルーサーはかなり怒っているらしい。副官を派遣することにしたが、ランサロードが大国だと思いあがってと、弟御を罵っていたそうだ。北の同盟はなるのか?」
「わからない。しかし北の国とランサロードはもう二国間協定を結んでいる。パラスは承諾するかもしれんが、サリウとジャレッドはどう反応するかわかったもんじゃない。できれば五カ国まとまってメルカットに圧力かけて欲しいが、そんな楽な道は取らせてもらえないだろうな」
「おまえがここにいるということは、レーニアの代表は姫さんでもなく、船大工か?」
「そうだ、うちの大統領殿だよ。今回は船大工が聖燭台に列席できるかどうかだけで、会議にならないかもしれない。すぐに散会して戻ってくるかな」
「オレにできることはないのか?」
アストールの質問にハンスは目を丸くした。メルカット国民であり、拘束を嫌う森の民の束ね役としてルーサーに一目も二目も置かれている男だ。恩義もあるだろう。王様に弓を引いてくれとは云い難い。
「夢の戯言として聞いておいてくれよ。独立したらどうだ? 『アストリーの森は自治州ではなくひとつの国と思って欲しい。王様にはもうついていけない』とルーサーに云ってもらえれば」
「かなり大きく出たな。確かに兵隊崩れが勝手に森に住みついて、迷惑はしている。農民上がりの者が多くて森の作法を知らないからな。狩り場を荒らされたり、獲物の痕跡を消されたり、動物かと思って猟のときに誤射しそうになったり。だが、まだ『独立』を突きつける段階ではないだろう。不興を買って今の生活を壊されると皆に申し訳ない」
「わかっているよ」
「考えてはおく」
「ありがとう」
「泊まっていけるのか?」
とアストールは訊いたが、ハンスは辞退した。
「少しでも早く城に戻りたい」
「どうやってレーニアに帰るんだ?」
「メルカット軍に船に乗せてもらうよ。何せオレは実績があるから。お仕着せさえ着ればすぐ仲間に入れてくれるさ」
ハンスはアストールに別れを告げると、馬を駆ってメルカット東の軍港へ赴いた。弓のうまい病痕者のことを憶えている兵士が
「アストールじゃないか、どうしていたんだ?」
と話しかけてきて、すぐに隊長のところへ連れて行かれた。
「今晩遅くの出航に備えよ」
と云われてしめしめと思い、身体を休めることにした。