ハンスとラドローの間で
翌日、心地よい緑の風の中パラシーボへ向けて馬を走らせているのに、ハンスの思いは時に沈みがちになった。アストールに「やる気が出た」と言われても、それは比較級だ。
「まだ本来のオレじゃない」と思う。
――オレは弱虫になった。ハンスになってからというもの、おまえの視線ひとつでオレは動けなくなる。
なぜあんなに堂々としていられたのだろう?
アストリーでもランサロードでも森の中にふたりでわけいって、おまえの気持ちなんて知りもしなかったのに構いもせず、どうして愛していると云えたのだろう?
病痕のせいなんだろうか? オレは何も変わってないのに?
おまえが愛しすぎるせいなんだろうか?
今となってはラドローだとばれるのも恐い気がする。 ばれた後で拒絶されるのが恐いのかもしれない。
オレがラドローだと知ったら、おまえの態度はかわるのだろうか? 微笑んでくれるようになるのか?
たったこれだけの病痕がオレをこんなにも卑屈にする。
オレは今のオレとしてできる限りのことをするしかない。そう自分にいい聞かせても心は晴れない。
おまえにとってハンスという男はわけわからない憎むべき相手なのか。
毎日毎日オレを避けて避けて、極力近づかないようにしていた。仕事の話も机をはさんだままだ。
その癖おまえの寝室では、暗闇の中で隣に寝そべるオレを「ラドロー」と呼んで寄り添ってきた。夢の中の出来事だと思っているのだろう。夢の中に恋人が出て来てくれたと。
完璧な身代りだよな。
寝室に鍵をかけないのは、ハンスがラドローの身代りにもってこいだからなのか?
毎晩おまえの隣で眠りにつきたいのに、隠し階段を上がる勇気さえオレにはもう残っていない。
この戦いの先に何が得られるというのだろう?
こんな片思いが世の中に存在するのか――
パラシーボの首都に着くと、早速酒場で周囲の会話に耳をそばだてた。メルカットの宣戦布告とアストールが流した「是非間にたって仲裁を」という噂がきちんと届いているようだ。
昼前の活気に満ちた城下町を城に向かって歩きながらラドローは考えていた。
――パラスには顔を隠さず、面と向かって話してみよう。失踪した自分を必死に捜してくれたのも彼だし、病気に立ち向かう方法をレーニアからいち早くとりいれたのも彼だ。
この街を歩いていて、オレが病痕者だとわかっていても、今では石を投げる子供もいない。
後ろ指さして路地裏から白眼視する大人もいないのだ。
先ほどりんごを買った八百屋のおかみさんも笑顔でつりをわたしてくれた――
王の力量が窺い知れる。パラスは城にいるよりも街を散歩するのが好きで、子供と遊んだりさえするらしい。王の人気は高い。
折しも、遠くから人だかりが近づいてくるのが感じられた。案の定パラスだ。子供や街の人々に囲まれている。
ラドローは目抜き通りから横にそれた路地に身を隠した。
「パラス」
通りすぎざまに低い声でファースト・ネームを名指しにされ、王はあたりを見まわした。狭いレンガ塀の間の路地裏に病痕者が顔を隠して立っている。
「今呼んだのはおまえか?」
「そうだオレだ」
ラドローはフードを後ろに引きおろした。
「ラドロー! 生きていたのか。捜したんだぞ。ああ病気になっていたのか」
王が知人と再会したと見て取って、街の人々は散っていった。
「おまえの国の医者のおかげで死なずにすんだよ」
「よかった!」
パラスは大きな身体でラドローを抱きしめた。
「しかしどうして国に帰らない? 皆心配してるぞ?」
「いろいろ事情があるんだよ。実はお願い事もある。城に入れてくれないか?」
「すぐにお茶の用意をさせよう。昼飯はどうだ?」
「お茶だけいただくよ」




