ヤングエイジ
この言葉は主に小学校三年生をさす教育用語です。
このころから子供は集団中での自己や仲間意識が強くなっていきます。
私はこの発達がほとんどありませんでした。
集団のなかでの自己なんてものはいまだによくわかっていません。
女の子のグループを作る行動が理解できない&教室の中でのグループ構成がわからなくて苦労しました。
小学校は一学年一クラスの学校だったので友達はそんな私を受け入れてくれていて(というよりも一年生から人が変わってないので違和感の抱きようがないので)、ほとんど困り事がなかったのですが中学校になって絶望しました。
訳が分からないのです。
もう人間関係が複雑すぎてついていけません。
私はもともと小学校の時から微妙に人と違う自分を(無意識のうちに)理解していたので、できるだけ普通のラインに合わせようとしていました。
けれど中学校で求められた普通のラインに合わせるために使う労力は尋常ではありませんでした。
暗黙の了解や何となく集まる人が決まっていることなどを理解していませんでした。
アスペルガー症候群である私は空気を読むのが苦手です。
言外の意味も理解することができないので、何となく察することもできません。
そのくせ私は人の感情に対してまるで自分のことのように受け取ってしまいます。(アスペルガー症候群のなかには相手の気持ちが一切分からない場合もあります)
(これらの理由は人と自分の区別が曖昧なことで生まれると言われています)
つらいの一言です。
空気が読めないことや相手の言いたいことを察せないせいで相手をイライラさせたり悲しませるていることは嫌というほどわかるのです。
だから私は必死に普通の人になろうとしました。
空気が読めて人を嫌な気持ちにさせない人間になろうと必死でした。
普通の人でないといけないという思いにとらわれていたのです。
そのせいか私は話すことが苦手です。常にどうしたら相手を悲しませないか傷つけないか考えながら言葉を探します。
そして誰も私のことを待ってはくれず話はどんどん進んでいくのです。
普通の人ならなんていうか、普通の反応は何か、普通、普通…
そんなことを常に考えていました。
この時はアスペルガー症候群なんて知らなければ自分に障害があるなんて思いもよりませんでした。
自分の努力不足。周りの人も同じぐらい努力しているのだ。
そう考えていました。
そして心に限界が来たんだと思います。
けれど今となってはありがたいという思いもあります。
まだ未成年のうちに障害がわかるきっかけになってくれたこともそうですし、普通にこだわったおかげで私はアスペルガー症候群にしてはコミュニケーション能力が高いです。(私がそう思っているだけかもしれませんが)
当時は苦しかったことですが、今にしてみればむしろ必要な経験だったと思っています。