発達障害の子に苦手なことを努力させるのは間違っているのだろうか
ごめんなさい、はじめに言わせていただきます。
いつも以上にめちゃくちゃのめっちゃんです。
ほかの話も思いの丈を叫んではいるのですが、それでも人に読んでもらうことを意識して書いています。ですが今回はまったく読者様のことを考えてない愚痴になってしまいました。
かなりしっちゃかめっちゃかなのをお許しください。
結論から言わせていただくと私は間違っているとは思いません。
例えばその努力をすることで二十歳になった時の能力がなにもしなかった場合より明らかに伸びる可能性があります。
この事はとても大事なことです。
すいませんここから少し辛辣なことを言わせていただきます。
現状、障害者雇用は給料が低いです。その分仕事に配慮してもらえるというメリットがありますが。
この障害者雇用に入ると生活がぎりぎりになる恐れがあります。
ならば障害者雇用でやれるほどの能力が生まれつきあるのであれば幼少期にもっと努力をしていれば通常の雇用のほうがいいと私は考えます。
ただしこの努力は理解のある人の支援の下でないと二次障害を起こします。
私はただひたすらに普通になろうと(その時は自分が自閉症なんて知りませんでした)努力した結果学校をやめて強迫障害を起こしました。
けれどその努力のおかげで私の能力は通常の雇用で何とかできるものになっています。
そしてもう一つ作業所というのがあります。ここで働くのは学校の延長のような状態です。
つまりは働いているのにお金が無くなるのです。
つまりその仕事場に行くための交通費や食費(仕事場で配られる弁当など)で収入がマイナスになるのです。
おかしいです。
これ働く意味とは何なのかを考えないといけません。
障害者が働くことに意味があるんだ!なんて言わないでください、障害者だって遊びたいですし、できれば国のお金に頼りたくありません。
ならばやはり幼少期の努力にすべてがかかっていると思うのです。よりお金がもらえる仕事に就くために努力をしないといけません。
はい、理想論を語らせていただきました。
ぶちゃっけ言っていいですか。無理です。
いえ、努力するのが無理なのではなく努力する環境が整っていなければ、努力しても恵まれないことが多すぎます。
私は幸いなことに幼少期の環境に恵まれました(後日書きます)から通常の雇用でやれています。
とはいえ一度精神障害になりました。
職場にも恵まれています。私が自閉症なのは伝えていませんが精神障害なのは伝えてその上で雇ってくれました。
こんなの稀なことです。そもそも通常の雇用で障害者だといったら門前払いを受けます。
努力をしていて普通の人とそんしょくなかったとしてもです。
さて、努力する環境についてですね。
これは親の理解がないと無理です。
親がこの子は障害者なんかじゃない(障害者だと知らなかったもこの場合入れさせてもらいます)と思い適切な支援をしないとどうにもなりません。ただ子供は自分の特性に困り果ててしまうだけで終わってしまいます。
そして親が理解していても子供が障害者だと伝えられた教員の理解がなく、できないことをしかりつけられたり、もしくはあなたはやらなくていいのよなんて言ってしまったら目も当てられません。
障害を適切に理解していない教員の典型ですね。無理にやらせることも、やらせないことも支援ではありません。こんなことをしてはストレスで倒れるか、成長しないかのどちらかです。
一番いいのは励ます程度にとどめておき、子供に自分はできないのだというメタ認知をうながすことだと私は考えています。
それさえできれば後は子供が勝手に努力をしようとしてくれると私は考えています。
ですから教員はまずはメタ認知を促しそのうえで子供にあったことをさせればいいのではと考えます。
こんなことできる教員がどこにいる!て話ですよ。
(支援学校の先生についてあまり詳しく知らないのであくまでも通常級の話をさせていただいてます)
いえ、いるのかもしれませんが絶対的に少なすぎます。
仮に努力が実を結んで少し無理はするけど何とか普通にやれる。という状況になったとしても壁があります。
企業側ですね。
障害者なんて伝えたらポイですよ。おかえりくださいて言われてしまいますよ。
ふざけんな!ですよ。
じゃあ障害者だって伝えないと思うかもしれませんがそれはあまりよくありません。
感覚過敏やメルトダウン、言葉の捉え方に発達性協調障害などなどすべて療育や努力や経験で何とかなります。けど何とかなってるだけなんです。
理解のない環境だと体を壊します。
他の人がしないことに頭をフル回転させているんです。
じゃあ障害者雇用でってなってしまうじゃないですか!むしろ能力は健常者なのに!
おかしくないですか!
障害者じゃない人にも苦手なこととかがあってそれをフォローしあったりしているじゃないですか。
私が求めているのはその程度でけれど障害の特性に乗っ取ったものでと言ってるだけなんですよ。
むしろ人におんぶにだっこなんて思ってなんかいませんよ!
空調の音がうるさいから窓際で仕事をすることや空いてる部屋または人の少ない場所で仕事をさせてもらえるだけでいいんですよ。
(まあ、欲を言うと私が言葉の意味を考える必要のない指示にしてもらいたいな…)
今回は国に給料あげろ、みたいなことは書きませんでした。
もちろんそこにも問題があるのですが能力に見合った給料というのも一つの平等な形であるとも考えているからです。
また払う税金が少ないなど、措置が取られていることを考慮してです。
そして私がそのことを語るにはあまりにその手の知識がなさすぎるからです。
それらのバランスがどうとかがよくわかっておりません。
ですのでそこは書きませんでした。