私の中の言葉について
言葉は言葉通りの意味しか私にはありません。
そんなの当たり前じゃん、って思われるかもしれませんが例えば夏に外から家に来た人に「水ある?」と聞かれたらあなたはどうしますか?
きっとコップを出して中に水ないし麦茶を入れて渡すと思います。
けれど私は違います。
「あるよ」
これだけです。(疲れてなかったりして頭を働かせることのできる状態なら水を渡せます)
私にとって行間を読む、相手の様子から察する は困難です。
もちろん知識や経験からできないわけではありません。
だから私は常に人の言葉を私の中にある辞典と比べながら話を聞いています。
これはとても疲れるしトラブルになります。
小学生三年生のときに体育で先生が帽子を忘れたやつには体育をさせないと言われました。
私はある日帽子を忘れたので体育に参加しないで怒られました。
この時怒った先生に帰れと言われてそのまま帰ろうとしました。
この時は自分の行動がなんでいけなかったのか、わかりませんでした。
今ではもちろん理由がわかってます。
先生は子供にとって体育は楽しいものなのでそれをやらせないという言葉で脅しをかけただけだったと。
(私は体育が大っ嫌いですが)
そもそも先生が帽子を忘れたら体育をさせないと言ったことすら忘れていたかもしれないことも。
そんな私の苦い思い出でした。
この時先生に怒られたのは軽くトラウマになっていて、未だに突然思い出して泣くことがあります。
それぐらい当時の私には意味不明でした。
(この先生が怒鳴ったのも一つの原因です)