学校に行かなくなって 1
私が学校に行かなくなったきっかけは学院祭だったと思います。
学院祭では準備の段階からいつもと雰囲気が変わることが私にとっては苦痛でしかありませんでした。(詳しい説明は後々別の話でします)
私はその準備で浮足立つ学校に通うことが徐々にできなくなりました。
そうはいっても私は中高一貫校でしたのでその学院祭の準備には同じ学校で3年間経験しています。
今更どうしてなのかはいまだによくわかっていません。
理由としてはその年に行事の順番が変わったこと、もう一つは高校になって外部生が居たことでしょうか?けれどその程度で私が果たして学校に通えなくなるほどの原因だったのかといわれると違う気がするので本当にこれは謎です。
そんな私は学院祭には参加しませんでした。友人には迷惑をかけたという思いでしたが友人はむしろ最近休みがちな私をとても心配してくれました。
その学院祭をきっかけにその後も私は一週間に2度ほど休むようになりました。
友達に学院祭不参加だったことを責められたり、おそらくですが陰口を言われているといったことはなく、むしろ友人関係はいたって良好でした。
それなのに私は学校という場所に行くことにとても神経がすり減らされる思いでした。
そうして私は徐々に学校に行く回数を減らし遂に学校に行けなくなりました。
先生が心配して家に行くとおっしゃってくださったのですが(この先生は私が中学3年の時と高校1年で担任でした)私はこの申し出を断固として拒否しました。先生のことは好きでしたので先生には理由がないと思います(でも少し熱血のような感じは苦手でした(笑))
学校というものにかかわることそのものがとても嫌で嫌でしょうがありませんでした。
学校を休学することになった時に置き勉していたものは母にもってきてもらいました。
保健室登校などの選択は私にはありませんでした。一度それでいいからと学校の近くまで母に車で送ってもらったのですが(その日はとても気分が落ち着いていていけそうな気がしていました)私は車から降りようとして体が固まってしまい泣き出して過呼吸を起こしてしまいました。その日は当然帰りました。
私はバスに乗ることがこのころからとても苦しかったです。人が多いところが怖かったんだと思います。
なので保健室登校というのは必然的に仕事をしている母にとても負担をかける行為です。それをしてもらったのに車から降りれなかったということが私にはとてもつらかったです。
ですので保健室登校をして母に迷惑をかける覚悟が学校に行くことができなかった自分が居たことでぽっきり折れました。
私の両親は教師ということもありこういった状態の子供を多くみてきたこともあって比較的あっさりと学校に行かないという選択肢を受け入れてくれたように思います。
けれど学校に行かなくなってすぐに私に通信制の高校に通える、高認を取らないといけないなどと知っているからかいろいろと言われました。
私はこの時とても弱っていてとてもそんな気分じゃなかったのにです。
すいません、少し愚痴っぽくなりました。
今回はここで終わらせます。
少ししか書いてませんがやっぱり当時を思い出すのはとてもつらいです。
この先を書くのは待っていただけると嬉しいです。
またこの先を書くエネルギーが溜まるまで今回話に出てきたことの説明やもう少し昔のことなんかを話せたらいいなと考えてます。
お付き合いありがとうございました。