ブラッディ・ドール
「────ねえねえ、知ってる?」
中学に進学したばかりの少女、松本美香はとある日の学校の放課後、友達である沙希からこんな噂話を聞いたのだ。
「人形の顔に一つ傷を入れて、復讐したい人を言うと、その人が不幸になるんだって」
美香は昔から不思議な話が好きだった。本も怪談やファンタジーといったものを読むことが多い。その趣味があって仲良くなった沙希といつもそんな噂話を会話に持ち込んでいた。
そして今日もまたイマイチ信憑性がない噂話をしていた、という訳だ。
「へえ。でさ、実際に不幸になるの?」
「さあ。あたしだって試したことないし」
「そっか〜。でもさ、人形に傷を入れるのって……ちょっと嫌じゃない?」
「そこそこ! それが今までの話と違うでしょ?」
意見があったことで二人は盛り上がった。
噂話自体は物騒なものだったが、元々好きなだけで話している二人には怖くもなんともなかった。
「その願い事をすると人形の傷から血が出るんだって。だから『ブラッディ・ドール』って言われてるの」
「『ブラッディ・ドール』? 『ブラッディメアリー』となんか似てる」
『ブラッディメアリー』という、鏡の前で名前を呼ぶと、名前の通り血まみれの少女が現れる……そんな都市伝説は美香も以前から知っていた。
やり方は簡単だったので沙希と家の姿見で試してみたのだが、何も起こらずに苦笑した覚えがある。今となっては二人のいい思い出になっていた。
「名前は似てるけど、やっぱり違うよ。こっちの話は人形だし」
「だよね〜」
そんな風にいつものように軽くおしゃべりした程度のものだったが、美香はその噂話はいつも以上に興味が湧いていた。
美香には姉と弟がいるのだが、姉はいつも意地悪をしてくるので美香は姉のことが嫌いになる時がしばしばあった。
姉の亜美は自分が好きなテレビ番組を見ている時にチャンネルを変えてしまったり、美香が楽しみに取っておいたお菓子を無断で食べてしまったりなど、何かと意地悪してくることがあったのだ。母親もそんなくだらないことで喧嘩するな、と言ってくるが、そのようなことが度々続くと我慢出来なくなってくる。
美香はいつもの仕返し、とその『ブラッディ・ドール』を試してみることにした。
やがて家に帰ってきた美香は、早速自分の部屋から使えそうな人形を探してみる。運良く、クローゼットの奥から幼稚園の頃に遊んでいたフェルトで作られた女の子の人形を見つけ出し、それでやってみることにした。
いくら興味があるとはいえ、一人で試すのは不安だったために、弟の健太にも誘ってみた。健太もまた、姉の意地悪に嫌気が指していた。
「姉ちゃん、いつに試す?」
健太は意外に興味を示していた。
健太は美香ほどではないが、まだ小学生ということもあり、怖いもの見たさで美香の怪談に付き合ってくれることもあった。
「平日じゃあマズそうだから金曜日にしよう。丑三つ時にやるんだって」
「うしみつどき……って何時?」
「夜中の二時」
「ええ〜……、起きれるかなぁ」
「大丈夫。起こしてあげるよ」
健太と今週の金曜日にやることを約束し、それまでのお楽しみということになった。
今まで散々やられてきた仕返しが出来るかと思うと二人は楽しくなってきて、いたずらっぽくニヒヒッと顔を見合わせて笑った。
そうして迎えた、金曜日の深夜二時。
「健太、起きて。やるよ」
美香は片手に人形を持って健太を起こしにきた。
いくら約束していたとはいえ、普通では起きない時間に身体を揺すられ、健太は煩わしそうにうーん、と寝返った。
「姉ちゃん、眠いよ……」
「今やらなきゃお姉ちゃんに仕返し出来ないよ。健太はそれでいいの?」
「やだ……」
「じゃあ起きて。用意してあるから」
健太がようやく起き上がってきた時に、美香は人形と授業で使っていた裁縫道具の裁ちバサミを持って亜美の部屋へと向かう。
物音を立てないようそっと部屋のドアを開き、亜美の様子を伺うと……亜美はもう眠った後で、すやすや寝息を立てていた。その様子にほっとしつつ、美香は急いで『ブラッディ・ドール』をする準備に取り掛かる。
フェルトの人形は幼い頃と変わらず、微笑みの表情をしている。こんな暗がりでは可愛らしい人形も不気味に見えてきてしまう。
美香は人形の左の顔にハサミを当てる。だがやらなくてはいけないことはわかっていても、人形の顔を切りつけるのは流石に抵抗があった。今では使っていなくても、幼い頃は大切にしていた人形だ。自然とハサミを持つ手が震える。
「姉ちゃん、早くやろ」
健太の言葉にハッとして、美香は目的を思い出す。
「そうだね……仕返しが大事だもん」
美香は決心して人形に当てていたハサミに力を込める。
人形の顔はハサミによってあっけなく切り込みが入れられた。美香はなんだか痛々しく思い、今更ながら人形に「ごめんね」と謝った。
「姉ちゃん、次は何するの?」
「えっとね……人形を置いて、それでお姉ちゃんに復讐したいって言うんだって」
美香は人形を亜美に向けて置く。
そして健太と共に手を合わせて祈った。
「姉ちゃんに復讐したいです。お願いします」
美香は、正直この願い方であっているのかわからなかった。沙希に手順は聞いたものの、願い方までは聞いていなかったのだ。
だが今更後に退けない。健太と二人でとにかく人形に願った。
そうして人形に願った後、様子をしばらく伺っていた。
だが人形は五分、十分……と待っても一向に変化がない。
「姉ちゃん、これで本当に合ってるの?」
痺れを切らした健太が不安そうに美香に尋ねる。
美香はうーん、と考えてみた。
「もしかしたらずっと見てるのが悪いのかも。一旦、ベッドに戻ろう」
健太もその案に賛成し、二人は自分達の部屋に戻って布団に潜り込む。
眠らないよう、目をちゃんと開きながら耳をすませる。そうして何分か経った時……
カサッ……。
何かが擦れる音が聞こえてきたのだ。虫とかでもなく、布が何かに擦れた音のように思えた。
二人は顔を見合わせ、亜美の部屋に戻る。
すると……人形は亜美に向かって数センチ動いていたのだ。
風ではない。人形が確かに不自然に動いてるのだ。
二人は背筋に冷たいものを感じると同時に興奮した。
噂話は本当だったのだ、と。
「姉ちゃん、やったね!」
「よーし、また部屋に戻ろう」
二人は再び部屋に戻り、人形の動きに期待した。
今度はしばらくしないうちに、
カサッ……カサッ……。
……今度はよりはっきりと聞こえてきた。
二人はわくわくしながら人形を見に行った。
「えっ……」
二人は人形を見て言葉を失った。
人形は亜美の方向ではなく……部屋の外へと出ようとしていたのだ。
「ど、どういうこと? ちゃんとお姉ちゃんにって、願ったのに……」
「あ。もしかして……僕、亜美『姉ちゃん』に願ったのに、人形が美香『姉ちゃん』と勘違いしちゃってるのかも」
「ええ⁉︎ やめてよ、私が不幸になっちゃうでしょ‼︎」
「ご、ごめんってば。今からでも間に合うよ」
健太が素直に謝ったことで美香は言い返すのが出来なくなる。健太が今度はしっかり亜美に対して人形に願う横で、美香も念のため、と人形に願い直した。
しかし、それでも何処か不安は残っていた。ぞわぞわとした嫌な空気が肌を撫でるような気がして、二人もそれっきり何も喋らないままそれぞれの部屋へと戻った。
人形が部屋を出ようとしていたのは、もしかしたら自分達を不幸にしようとしているのでは……と。
…………。
………………それから何分経っただろうか。
浅い眠りにつきそうになっていた二人は、人形のことが気にかかっていた。さっきまでうとうとしていたこともあり、音を聞いていなかったために余計に現在の状況を知りたくなってくる。
部屋から出てきた二人は手を繋ぎ、お互いに「怖くない、怖くない」と言い聞かせながら人形を見に行った。
そこには……
「ヒッ……⁉︎」
二人は声にならない声をあげた。
人形は支えもないのに立ち上がり、廊下を少しずつ歩いていたのだ。今度は間違いなく、自分達の部屋に向かって歩き出している。
そして……暗がりでよくは見えなかったが、人形の切り込みから『何か』が滴っていたのだ。
月明かりが差し込むとそれをしっかりと見ることが出来た。……その『何か』が床にべったりと付着している。それが何なのかわかった時、美香は自分の頭からサッと血の気が引くのを感じた。
二人は恐ろしさのあまり、思わず後ずさった。だが、人形はおぼつかない足取りながらも、ジリジリと確実に距離を詰めてくる。
「ね、姉ちゃん……、どうしよう……」
「どうしようって言ったって……」
二人は今になって『ブラッディ・ドール』を試したことを後悔した。
「に、逃げよう……。早く……!」
逃げる? 何処へ?
咄嗟にそう口にしたものの、どうすればいいかなんて分からなかった。しかし、今はそんな場合ではない。こうしている間にも、人形はどんどん近づいてくる。
二人はとにかく外に出ようと、玄関を目指した。夜中にもかかわらず、騒がしくなることも気にせずただ廊下を駆け抜ける。
いつも何気なく歩いている廊下のに、果てしなく長く感じた。歩いても、歩いても……一向に外に通じる扉が見えてこない。そして、
「あっ……!」
逃げている途中、健太は足を滑らせて転んでしまった。
「だめ、走って!」
美香がそう言っても健太は今ので腰が抜けてしまったようで立つことが出来ない。
「……ッ⁉︎」
そんな時、人形がまた二人の視界に入った。
血がだらだらと滴り、もはや人形とは思えないモノと化していた。
「いやぁ……」
なす術がなく、美香は涙を流した。
二人共座り込んでしまい、人形がどんどんにじり寄って来る……
「どうしたの⁉︎」
二人が悲鳴をあげたことで、近くで寝ていた叔母が飛び出してきた。
「おばさん……私、私……」
二人の視線の先に人形が一人でに歩いているのが叔母も気づいた。
「色々聞きたいことはあるけど、まずはそっちを何とかしないとね」
叔母は心理学の専攻者で、美香が怪談好きになった一つの要因でもあった。だからこういったものに詳しかった。
叔母はキッチンから塩を持ってきて、人形の前に盛った。それから手を合わせるとこれもまた持ってきていたマッチに火をつけ、人形に触れないようにそれを上から落とした。
古い人形に火はあっという間に引火し、人形は火に包まれる。叔母は床に火がいく前に水をかけて止めた。
そこには人形の形は既に失われており、燃え残った顔の一部だけが取り残されていた……。
「おばさん、ごめんなさい……」
二人が落ち着いてきた頃に、叔母に今までの経緯を全て話した。
「全く。こういうことはふざけ半分でやっちゃいけないよ。たまに、科学でも解き明かせないあり得ないことだって起こるんだから」
「はい……」
「それで、人形で何をしようとしていたの?」
二人は亜美の意地悪の仕返しにやろうとした、と説明した。そして、亜美が不幸になるはずなのに何故か自分達が不幸になりかけたと言った。
それを聞いた叔母は「馬鹿だね」と言ってため息をついた。
「何で人形が二人に向かって来たのか、わからない?」
「ううん……」
「『ブラッディ・ドール』は復讐したい相手を不幸にする。つまり、お姉ちゃんにとって一番の不幸は美香ちゃんと健太君がいなくなることだよ」
「え───」
「亜美姉ちゃんにとって不幸は、僕たちがいなくなること……?」
二人は顔を見合わせた。
意地悪はしてくるけど……確かに、怪我をしたら心配してくれたり、寂しい時は一緒に遊んでくれたりなど、いつも何かと気にかけてくれる亜美が、二人は本当に嫌いという訳ではなかった。亜美も同じく、自分達を大切に思ってくれていることが二人はようやくわかった。
……美香はしばらくして人形を拾いにいった。
ほとんど焼けてしまったが、顔はかろうじて残っていた。あの切り込みから出ていた恐ろしい血も、すっかり消え去っている。
「ごめんね……。今度、ちゃんと直してあげるから……」
美香はそう言って人形を抱きしめた。
「美香、健太、どうしたの⁉︎」
騒ぎを聞きつけてか、亜美も二人のもとに来た。
二人は亜美を見た途端、亜美に飛びついた。
「姉ちゃん……!」
「ごめんね、ごめんね……」
「えっ、えっ、どうしたの?」
急に飛びついてきて謝りだした二人に亜美は訳が分からず、ぽかんとした。
叔母は亜美の前で泣きじゃくっている二人を見てクスッと笑った。
「亜美ちゃん、たまには一緒に寝てあげたら?」
「え? 別にいいけど……」
亜美は泣いている二人を放っておけず、三人で部屋に戻った。それから何事もなかったように、三人は穏やかに眠りについた。
美香が抱えている人形の顔は、何処と無く幸せそうに微笑んでいるかのように見えた……。