九十八話 日記:11月29日
また、ページをめくる。
その先に何があるのかが知りたくて、少年は日記に目を通す。
途方もない虚無感と積もり積もる苛立ちを隠そうともせずに、八つ当たりのように日記に目を通す。
『11月 29日』
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朝起きると、どんよりとした曇り空だった。
俺は目元を擦りつつ階段を降りる。
「おはよう」
「おはよー」
雨乃も今起きたのかパジャマ姿でソファの上にぼんやりと座っている、魂が抜けてそうなほどボンヤリと。
た
「雨乃ちゃーん? 起きてる?」
「うーん、食べる」
「おっとコイツは寝てやがるなぁ?」
おらぁ! 朝だァ! と言わんばかりに頭をわしゃわしゃしてやるとビクッと震えて意識を覚醒させた。
「おはよ」
「おう、おはよう」
雨乃は満足そうにそれだけ言うと、バタりとソファに倒れ込む。
「やけに眠そうだな」
「寝てないからね」
「何してたんだよ」
「本読んでた」
「何読んだの?」
「ドグラ・マグラ」
「……あれ、読むとヤバくなるんじゃなかったけ?」
「脳内でチャカポコチャカポコがエンドレスリピートしてる」
血色は悪いものの、何故か何処か充実したような表情に、あの本はヤベぇんじゃねぇかという不安感と読書好きとして是非とも読んでみたいという知的好奇心がだらだらどろどろと溢れ出る。
「……今度貸して」
「いいわよ」
チラリと時計に目をやれば約束の時間まで余裕はあまり無い。
「どこか出掛けるの?」
「うん、ちょっとな」
約束は山ほどある、やらなきゃいけないことも山ほどある。
「雨乃、朝ご飯作ってくれ」
「パンあるよ?」
「いや、お前の手料理が食いたい気分なんだ」
俺がそういうと不思議そうな顔をしながらも、少し照れたように微笑んで頷いた。
さて……と、荷物を準備して着替えるとするか。
「メニューのご指定は?」
「シェフのおまかせで」
それだけ言って階段を駆け上がる。
事前に買っていた白紙の日記とペンをセカンドバッグに放り込む。
Gパンを履いてセーターの上から茶色のコートを羽織れば完成、あとは髪やらを整えるだけ。
「……」
手紙でも綴ろうかと迷う。
まぁ、慣れんことしても空回りそうだし。
空白の日記帳を取り出して、最後のページに雨乃に向けたメッセージを殴り書きする。
『--------』
こんなもんでいいか。
ページを再び閉じてバッグに入れ階段を下る。
「鮭があったから、日本の朝食風で」
上機嫌でテキパキと家事をする雨乃の背中をぼんやりと見つめながら幸せな嘆息をつく。
震えるスマホに目を向けると待ちわせ予定の彼女と心配性なボクっ娘幼馴染からLINEが来ていた。
『大丈夫なのかい?』
夢唯からのLINE、その一文から彼女の心情が伝わってくるようだった。
『心配すんな、俺だぞ?』
だから、少しでも彼女の気持ちを軽くするために軽い口調の文を送る。
「できたよー」
スマホの電源を落とし、雨乃の待つテーブルに着く。
味噌汁と鮭の焼けた匂い、昨夜の残りの白ご飯に卵焼き。
「「いただきます」」
幸せな朝を迎える。
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「雨、降ってるけど行くの?」
髪を整えていると、雨乃が少し詰まらなさそうに呟いた。
「あぁ、絶対に行かなきゃいけねぇんでな」
「……誰?」
「学校の友達だよ」
「男? 女?」
「男」
何故か浮気を疑われている気分になる、勘弁して欲しい。
「んじゃ、そろそろ行ってくる」
バッグを取って、振り返ると心配そうな顔の雨乃がいた。
「……嫌な予感がするわ」
「大丈夫だよ」
「見えないの」
「何が?」
「夕陽の心が……」
消え入りそうな声が空に浮く。
ここに来てイレギュラーか、まぁ好都合なイレギュラーではある。
「不安なの……なんだかとっても」
「……」
「行かないで……夕陽」
伸ばされた手を優しく握る。
大丈夫だと嘘をつく、安心してくれと虚偽を吐く。
いつものように、変わらぬように、何でもないように取り繕って。
「大丈夫だよ、雨乃」
今生の別れのような行動をついつい取ってしまう。
握った手を引き寄せて抱きとめる。
「帰ったら、海を見いに行こう、空を見に行こう、昇る朝日を見に行こう。いつかの約束みたいに、世界一綺麗な景色を探しにこう」
「……夕陽?」
震えた声が彼女の鼓膜を揺さぶった。
本当に止められる前に急がなければならない。
「じゃあ行ってきます」
玄関に手をかけて1度だけ振り返る。
不安そうな顔でコチラを覗く彼女の顔が嫌に脳裏に張り付いた。
ぐらぐらと運ばれる車内の中で、静かに振り続ける雨と雨音を感じ取る。
以前、なにかのサイトで見た『ドグラ・マグラ』の文にあった「脳髄は物を考える処に非ず」という言葉。
それが、なにかの鍵になるのではないかと思い、空白の日記帳の最後のページ、雨乃へのメッセージの下にその言葉を書き綴る。
さて……と、これですべての下準備は終わりを告げる。
残りは彼女との打ち合わせを終わらせれば、仕込みは終了の時を迎える。
ハッピーエンドに至るため、俺は如何なる苦渋も受け入れる覚悟である。
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そこまで読んだユウヒは並々ならぬ吐き気を覚え、トイレに駆け込んだ。
おぞましい何かがあった、恐ろしい何かがあった。
「なんなんだ……何がしてぇんだ! 『俺』は!」
自身を苛む名状しがたい嫌悪感を吐瀉物と一緒に便器の中に吐き出して行く。
紅星夕陽の正体に気がついてしまった。
自分のうちに巣食うバケモノの正体に気がついてしまった。
「なにが……ヒーローだ」
誰もいない空間に怒声が響く。
「こんなもん……ただのゴミ野郎じゃねぇか」
傷つく人が居ると知りながら、涙を流す人が居ると知りながら。
それでもなお紅星夕陽は背を向けた。
あの日記を見て一つだけユウヒは気がついた事があった。
「あのクソみたいな日記は、このために書き記された物だったんだ」
下唇を噛みしめる、悍ましい自分に牙を立てる。
鮮血が唇から流れ出した。
「あのクソ野郎は……こうなることすら計算してやがったんだ」
紅星夕陽は偶然記憶が消えたわけでも、不意に何者かの手によって記憶を改竄されたわけでもないのだ。
初めから記憶が消える前提で準備していた。
「なんかの間違いだと、なにかの世迷い言だと思ってたが、いよいよ信じるしかない」
症状のことももう一人の月夜先輩のこともユウヒは本当の意味で理解した。
「……一番のクズは星川を置いて消えちまったお前だよ、紅星夕陽」
鏡の中の自分にそう吐き捨てるように呟いた。
鏡面の自分が嘲笑っている気がして壁を全力で殴りつける、それでも馬鹿野郎の虚像がまとわりついて離れない。
フラフラと彷徨うような足取りでやっと自室に入る。
「星川になんて説明すっかなぁ……つーか説明するべきなのか?」
カーテンを閉めながら呟くと、背後から声が掛かった。
「私がなんだって?」
「うっをぉぉ⁉︎」
「ぷっ、何よその顔」
「気配を消すなよ、マジでビビるから。つーかノックしろ」
はいはいと呆れたように笑いながら、雨乃が笑う。
溜息をつきつつも、ユウヒも気分を入れ替えるようにベットに腰掛ける。
「なぁ、一つ聞かせてくれ」
声に力を込める、感情を抑えつける。
「症状と紅星夕陽について」
無色透明な男は向かい合う。
灰色の自分と信じられないような現実と。
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私は夢を見る。
夜行性の儚い儚い夢を見る。
カフェテラスでコーヒーを啜りながら何かを綴る彼の顔を。
数時間後には消えてしまうかもしれないのに、死んでしまうかもしれないのに、それでも尚笑う彼に視線が吸い寄せられる。
まるでこれは遺書だ、長い長い遺書じゃないか。
『なんて顔してんだお前は』
彼が笑う。
彼の指先が伸びてきて、溢れそうな雫を拭う。
これでいいのか? と私が問えど、彼は笑うばかりだ。
悔いはないのか? と私が問えど、彼は首を横に降るばかりだ。
『心配するなよ、俺ってやつは昔から運だけはいいんだ』
はぐらかすような心地のいい戯言を吐き出すばかりだ。
決して真摯に応えようとはしない、本当はたまらなく怖いくせに、本当は逃げ出したくせに、本当は不安で仕方がないくせに。それでも尚、なぜ笑うのだろうか?
逃げ出しったって誰も文句なんか言わない、きっと彼女ならば逃げ出して欲しいと願うはずなのに、そんなことは知ってるくせに。
それでも、彼は笑うのだ。
『ヒーローってのはな、精一杯の虚勢を張って愛や正義なんて一銭の足しにも、腹の足しにもならねぇような綺麗事を謳うんだ。なぜかわかるか?」
最後の一ページに手を掛けて、子供のような笑顔で笑う。
私が首を横に降ると勝ち誇ったようにニヤケながら口を開く。
『そっちの方が諦めて捻くれちまうよりカッケェからだよ』
だから……
『任せとけ、必ず……必ずだ』
泣きじゃくる私の頭を撫でながらヒーローは笑う。
『必ずお前も助けるよ、約束だ』
優しい声を聞きながら私は夢から起き上がる。
「必ず……私も助けるよ」
叶わぬ恋と知りながら、されど私は立ち上がる。
優しい夢は終わらせて、いい加減ハッピーエンドに至るべき道筋をカレの為に作らなければいけない。
「さぁーてと、やりますか!」
ラスボス退治のお時間だ。
二週間ほどお休みしましたが、お陰様でevening rain一年です! もうじき終わりますが新作共々よろしくお願いします!




