九十四話 琥珀の月
「お願い?」
彼女願い?
この白黒ツートンカラー巨乳の黒幕女が俺にする願い? 一体なんだ……それ。
「貴方の二つ目の症状に纏わる事です」
「……お前、やっぱ知ってんのか」
「ええ。それで、お願いってのは……私の中に蔓延る痛みを取り出して欲しいんです」
苦痛に顔を歪めながら、彼女は頭を下げた。
「……蔓延るってどういうことだ」
「ずっと痛いんす……貴方に会ってから、頭の奥が鈍く酷く痛むんすよ」
「……恋じゃね?」
俺が軽口を叩くと、彼女は露骨に頬をふくらませた。
「夕陽さんのことは好きっすけど、そういう事じゃないんすよ」
「ふぅー、俺モテ期。病院には行ったか?」
ぶっちゃけ、医者に見てもらうのが一番だ、俺ごときが引き受けても痛みの元凶は取り外せない。
「何度も見てもらってます、処方された痛み止めを飲んでも微塵も良くなりません。検査しても、特に変わったところはありませんでした」
「ったく、しゃあねぇな」
雨乃の元に向かおうと立ち上がるついでに、彼女の頭に手を乗せる。
「ぶっちゃけ、お前が敵か味方か分からんぐらいには色々と手伝ってもらってるしな。こんぐらいで借りが返せるのなら」
そう言って、症状を発動した瞬間だった。
「---は?」
グラりと視界が酷く歪む。
なんだ……これ、なんなんだ?
初めての感覚に半端じゃない拒絶感が全身をおそう、意識は俺を置き去りに何処かに行きそうだ。
「晃……陽?」
嵌められた、感覚的にそう思った。
どこまで優しくされても、どこまで彼女が俺の助けになろうと、それでも本質的には奴の手先。
地べたに身体を転がして、少ししか動かない首を傾けて彼女の方に視線を動かせば、そこには晃陽も倒れていた。
「あ……あぁぁぁ……嘘……嘘だッ! こんなの……嫌ぁ、いやぁァァァァァ!」
一体……何が起こってる?
壊れる神経が全身を粒子にするような頭痛を与える。
『僕が___で___必ず_______!』
「なんだ……この声!」
知らないビジョンが流れ込む。
聞きなれたようで聞き慣れぬ声が響き渡る。
『うん_____ならできるよ!』
『この___を上手く___ば、みんな______』
『お兄ちゃ____ヒ______だね!』
クソ……なんなんだこのビジョンは。
知らない、俺はこんな記憶知らない。
『お前は____ず、この僕が』
『殺す____絶対に__殺す』
殺意が、悪意が、敵意が、痛みが全身をくまなく蹂躙する。
ブレる視界が夢と現実の狭間を滅茶苦茶に壊し続ける。
歪む視界の先には動かない晃陽。
俺も、もう意識が……飛びそうだ。
「なんなんだよ……ちくしょう!」
『クソォ! クソォ! 覚えていろッッッ! 何年……何十年かかろうが! 僕が必ず……必ず! お前を殺すッッッ!』
見知った人物のその怒号を耳にしながら、俺は再び意識を手放した。
・・・・・・・・・・・・・
「おめでとー!」
「よくやったぁぁぁ!」
「よかったですね!」
私を取り囲んだ皆んなが口々にそうやって褒めてくれる。
頭の上に乗ったティアラのような物がその証拠、私はミスコンで勝ったのだ。
みんないる、みんなみんないる。
大切な友人も、可愛い後輩も、優しい先輩も、少し意地悪な小姑も。
でも、彼が居ない。
紅星 夕陽だけが、ここにいない。
知っている、きっと誰かの為に何処かに行ったことは分かってる。アイツの挙げた右拳がシッカリと見えていた。
「なぁ、夕陽の野郎どこいったんだ?」
瑛叶が辺りをキョロキョロしながらそう言えば、みんなも同じように探している。
「アイツ……腹痛てぇって言ったきりどっか行きやがって」
「雨乃がせっかく勝ったのにー!」
「ゆー先輩酷いですねぇ」
みんな口々にいつものようにバカをバカにしているが、何かがおかしい。
私がステージ上からチラっと見た感じだと、みんな知っていたはずなのだ。夕陽が何処かに、誰かのために行くことを知っていたはずなのだ。
「何か……おかしい」
違和感が脳裏を過ぎる。
ページを切り離されたように彼が居ない。
あまりにも、この退場は不自然すぎる。
アイツの存在だけが朧気にされたように、まるで皆んなが下手な芝居をしているように。
「……アイツ、大丈夫かな」
誰にも聞こえない声で、私はそう呟いた。
・・・・・・・・・・
その物語は、物語というにはあまりにも恐ろしく、悲しく、冷たくて悲劇的。
登場人物はみんな愚かで、ヒーロー役なんていやしない、酷く醜い三文芝居。
そのくせ、絶望だけは一丁前で、救いなんて一つもなくて、舞台が終わったその後には虚無と悲しさだけが渦巻いている。
『どうだったかな』
客席で一人、何も出来ずに呆然と眺める俺に声がかかる。
『酷い話だ』
吐き捨てるように呟いた。
破綻している、この物語は破綻している。
『だけど……所詮は夢だよ』
『夢は夢でも悪夢だな』
大事なものが無くなって、それでも涙は流せない。
『僕にとっても悪夢だね』
『誰にとっても悪夢だよ』
どんなに悔しくても、歯を食いしばる事が許されない。
『アンタは……何を思って、この物語を書いたんだ?』
怒りはなかった。
ただ単に気になった、こんな破綻した物語を書いたソイツの思考が。
『さぁ……? もう、覚えてないよ』
だけど……と彼は続ける。
『初めはね、願いだったんだ。子供の無垢な願いだったんだよ』
『それがこうなったのか』
『あぁ、今では醜悪な欲望だ』
されど、彼に迷いはなかった。
塩っ辛いポップコーンも甘ったるいジュースもない、舞台の上は静かで暗い。
拍手喝采もなければ、啜り泣く声も聞こえない、暖房も冷房もなく、ただただ虚しい。
だだっ広い客席で、いくつかの言葉を交わす。
この言葉に意味は無い、この問答に意味は無い。
俺が彼の過去を思うことにも、俺が彼女の明日を案ずるのにも、きっとなんの意味も無い。
悲劇の上に悲劇を重ねた彼等の溝は、三流ヒーローには荷が重い。
『君の始まりも願いだろう』
『俺は今でも変わらんさ』
『本当に?』
『あぁ、ガキの頃から何一つ変わらんバカの願いだ。変わったとするならばきっと、視点だよ』
軽く笑いながら、俺はゆっくりと立ち上がる。
『もう行くのかい』
『あぁ、アイツが待ってるからな』
『帰り道、お足元には気をつけて。一度転べば底なし沼だよ、ヒーロー』
『あぁ、気をつけるよヒール』
俺は彼の隣を通り過ぎる。
なんの意味も無い問答を切りやめて、虚構の劇場を後にする。
その前に、俺は1度だけ立ち止まる。
『なにか、忘れ物かい?』
『いや、宣戦布告』
静かに息を吸い込んだ。
『次の物語は、テメェの思い通りにはさせねぇよ。三流のヒーローでも、やれることはあんだろ』
『あぁ、楽しみに脚本を拵えて待っていよう』
彼女と彼の悲劇を知って、1つだけ決意ができた。
砕けゆく景色に目もくれず、歪みゆく世界にたちどまらず、ただ出口を目指す。
「俺が悲劇を終わらせる」
ただ一つの決意を胸に、虚構の劇場をぶち壊した。
・・・・・・・・・・・・・
目が覚めると既に辺りは暗く、肌寒い。
地面に倒れていたはずなのだが校舎に寄りかかって眠っていた、身体には晃陽のコートが掛かっていた。
肝心の彼女はもう居ない、少しだけ荒れた校舎裏には俺だけが居た。
静かに息を吐く。
叫びたい気持ちをぐっと堪えて呼吸をする。
「クソッタレな悲劇だな」
煙草でも吸いたい気持ちだ。
寄りかかった冷たい壁が気持ちいい。
「ボロボロだな、俺の身体」
全身は痛むが、不思議なことに身体は動きそうだ。
とっとと、雨乃達の所に行かなきゃなぁ。
「なーにしてんの、ゆーひ」
「なにやってんの、アンタは」
顔を上げれば姉二人。
いつもならば軽口叩くところだが、胸クソ悪くてそれどころじゃない。
「ひどーい顔だね」
「ほんとに顔色悪いわよ」
だろうなと、笑って呟く。
顔色が悪くないわけない、クシャクシャと自分の髪を掻き毟って、今にも泣きたい気持ちを堪えた。
「なぁ、姉ちゃん達」
湿っぽい息を吐き出して顔を上げる。
「俺が怪我したの、黙っててくんね?」
次やらかせば強制帰還。
そして、今の俺の身体はボロッボロだ。
ところどころ服も破け、土埃にまみれて、ところどころから血が出てる。
充分、アウト判定喰らう。
「「報告なんてしないわよ」」
姉二人の重なった声に少しだけ驚いた。
何ふっかけられるかと覚悟していたんだが。
「私達はね、お母さんの娘であると同時にアンタの姉なの」
「おねーちゃんはね、弟を守るんだよ」
俺の頭を優しく叩きながら笑う。
「アンタが本気でやってること、邪魔するほど姉ちゃん達は野暮じゃないっての」
ぐしゃぐしゃに頭を撫でながら、姉達は笑う。
「……おい待て、何つけてる!?」
髪から伝う感覚の異常にビビると姉達は真顔で「ワックス」と口を揃えた。
「アンタ、そのまま出ていくつもり?」
「お姫様にはねー? おーじさまがいるんだよ」
そうか、もう後夜祭の時間なのか。
「ほいっ、完成! 後は顔を拭いて、土を払って」
目の前に出された鏡の前にはいつもと違う俺がいた。
俺が自分で髪の毛いじっても、こんなふうにならんぞ!?
「ほら、たってー」
「お姫様が首を長くして待ってるわ」
痛む身体に鞭打って、伸ばされた手を掴み立ち上がる。
「俺は魔法使いだぜ?」
笑いながらそう言うと、姉達は笑う。
「魔法使い役ならもう定員オーバーよ」
引っ張られるように早足で校舎裏から連れ出される、転けそうになりながら、よろめきながら、俺はグラウンドの端っこに飛び出した。
「「だって、もうあんなにいるから」」
指を刺される方向に目を向ければ、踊る人達の一角で騒ぐ集団がいる。
というか、なんか揉めてね?
姉達に押されて、どんどんとその集団に近ずいて行く。
「お前らはお呼びじゃねぇんだよ!」
紅音さん達が、雨乃を踊りに誘おうと群がるアホ共を食い止めていた。
南雲とか紅音さんとか、もはや脅しに近い。
その二人だけじゃない、瑛叶や冬華、夢唯に月夜先輩、陸奥や夏華も一緒になって雨乃の周りを取り囲んでる。
「何やってんだアイツら……」
「ね? 魔法使い役、いっぱいでしょ?」
「多すぎるよ」
気がつけば笑が漏れていた。
中心で佇むお姫様は、少しだけ楽しそうに笑っている。
そんな彼女と目が合った。
「「行ってこーい!」」
バンっと姉達に背中をぶっ叩かれる。
少しだけよろめいたけど、転びはしなかった。
「雨乃ぉぉぉぉぉぉ!」
精一杯、腹から声を絞り出した。
俺が声を張り上げると、おかしなほどの静寂が波のように広がった。
俺がが少し動けば虫のような人の群れはモーゼの十戒のように割れて、彼女まで一直線の道ができる。
一歩踏み出した。
月夜に照らされた彼女はまるで妖精のようで。
もう一歩踏み出した。
触れれば今にも崩れそうで、風が吹けば砂の城みたいに消え去りそうで。
あと一歩だけ踏み出した。
みんながみんな口を閉ざして、俺達の一挙一動に注目している。
フードを被った僕っ子も、荒々しさを残す阿呆も、快活そうな化猫も、爽やかな親友も、口うるさい後輩達も、赤髪のお嬢様も、おしゃべりな道化も、魔王的な姉達でさえも、みんな口を閉ざして見守っている。
彼女が微笑むと、心音が加速する。
彼女が息を呑むと、茹だった脳味噌が沸騰する。
走り出しそうな脚を押さえつけ、今にも抱きしめたい衝動を無視して進む。
「ねぇ──」
柔らかい声音が鼓膜を揺らす。
「いつまで、待たせる気だったのかしら」
悪戯っ子のように笑う彼女の笑みを見て、俺は安息した。確かにあったのだ、ここにあったのだ。
求めていたものも、探していたものも、懺悔の対象も、守りたかった女の子も、果たしたかった約束も。
なによりも、変わらぬ俺のたった1つの願いも。
いつのまにか気持ちの悪い呪いのような雑念は消えていた。
いつのまにか全身を這う痛みは根こそぎ滅ぼされていた。
「少しだけ、待たせたか?」
「来ないかと思った」
会話を交わして、視線を交える。
意思を通わせあって、想いを確認し合う。
微笑みながら差し出された手を取った。
琥珀の月の下で、俺も彼女に倣って静かに微笑んだ。




