九十三話 九回表
万雷の喝采があった。
盛り上がり続ける会場の熱気にクールぶりたいお年頃なこの俺、夕陽さんも呑み込まれ、テンションアゲアゲで楽しんでいた!
「やばい、超楽しい」
俺が呟くと隣の瑛叶もウンウンと頷く。
そしていつの間にか来ていた南雲がニヤリと笑う。
「レベルの高い女の子見たら、そりゃテンション上がるわなぁ」
「おいコラ彼女持ち」
「俺の彼女、そういうとこ理解あるから」
ドヤ顔でそういったものの、背後の夢唯が「調子にのんなよー」と言えばスグに言うことを聞いていた。
あぁはなるまいと瑛叶と目配せして頷き合いながら、我らが雨乃さんの登場を待つ。
「にゃー、にゃー」
「あーん?」
背後から、陸奥の文字通りの猫撫で声が発せられ、振り向くと耳を掴まれる。
「雨乃、どんな風だった? 準備してた時」
その言葉で、一瞬だけ思考が詰まる。
姉達と一悶着あって、そして……多分、アイツは。
でも、それは俺の口から語るべき言葉じゃない、ソレは雨乃が言うべきことなのだ。
「この世で一番綺麗だった」
取り繕わないその一言が、周りの友人連中の顔を凍りつかせた。
「お前、ほんとに夕陽か!?」
「どういう意味だ瑛叶ゴラァ!」
「ハートチキン夕陽がそんな惚気を出すなんて……」
「たまにゃ、俺だってデレるっての」
なんか背筋の辺りがこそばゆくなって身悶える。
ニヤニヤ顔のアホ共を睨みつけながら、ステージ上に目を向ける。
紅音さんの無駄にカッコイイMCは会場の熱気をコレでもかと上げ続ける、オーバーヒートしちまいそうだ。
「なぁなぁ、夕陽」
「なんだ、指さして」
南雲が指差す方向に目を向けると、関係者以外立ち入り禁止のはずの二階、機材などを置いている通路にカーディガンを発見する。
「私服先輩ってば、クールだな」
「あの人はイケメンだからなぁ。心底ムカつくな」
「心が歪んでるよねお前。てか、なんか一人で寂しそうだな」
指をさす方向の月夜先輩は頬杖を付いてステージ上を見つめているようだ。
遠い為、全てが見える訳じゃないが、あれは多分寂しいんじゃない。
「あの人は今、多分幸せを噛み締めてんだろ」
「幸せ?」
「分かんねぇならいいよ」
多分、ステージ上で楽しそうにMCをする紅音さんをゆっくりと眺められる事が嬉しいのではないだろうか。あの人はあの人で、目測不明な程の闇を抱えている、それを唯一癒せるのは、紅音さんなのだろう。
「そろそろ、雨乃じゃね!?」
瑛叶が叫ぶ、今ステージ上にいる女の子が退けば、次はいよいよ雨乃の番だ。
「ゆー先輩」
盛り上がる会場の歓声を掻き分けて、俺を呼ぶ声が聴こえた。
「ゆー先輩!」
「夏華か? どうした?」
人混みを掻き分けて、声の波を割り切って、コチラに来たのは息を切らした夏華だった。
「冬、こっちに来てませんか!?」
「いや、見てねぇけど。お前ら見た?」
俺が問いかけると、みんな見てないと首を横に振る。
「居ないのか?」
「はい! トイレに行くって、それっきりなんです、心配で……」
夏華がそう言うと、あっけらかんと南雲が安心させるような言葉を吐いた。
「こんだけ人が多いんだ、お前が見つけらんなくて、どっか入口付近で待ってるんじゃないか?」
そんな南雲の言葉に夏華はブンブンと首を振る。
その表情にはいつものおちゃらけた様子は一切無く、真剣さが滲み出ていた。
「脳の奥で……響いたんです! 『助けてって』冬華の声が!」
夏華が叫ぶと同時に、二つの音が同時に鳴った。
紅音さんの気合いの入ったMCが雨乃を呼ぶ声と、瑛叶のスマホが最大音量で鳴る音が。
「瑛叶、その番号……」
瑛叶のスマホを覗き込むと、ピエロマスクと初めて衝突した時に表示されていた例の電話番号。
白と黒のツートン巨乳の電話番号。
「お前にだよ、多分」
瑛叶はそう言って、スマホを突き出す。
それを受け取って、スマホを耳に近付けると、いつもより余裕の無い声が聴こえた。
『もしもし! 夕陽さんですか!?』
「あぁ、俺だ」
『本当にもう時間が無いので結論から言います、このままじゃ冬華さんが死にます』
思考が凍結した。
どういうことだ? 冬華が死ぬ?
凍りついた脳とは別行動な眼球はステージ上に現れた彼女を捉える。
彼女の登場と共に、会場は今日一番の喝采に包み込まれた。
『どうしますか、夕陽さん』
その言葉が脳の中で反芻する。
胸の奥ではいつものように蠱惑的な笑みを浮かべる、小悪魔系後輩の顔が離れない。
どうするかだって?
決まってんだろ、そんなの!
「スグに向かう! 場所は何処だ!?」
電話口に向かって叫ぶと、少しだけ向こう側の晃陽が笑った気がした。
『すいません、急すぎて私も場所は分からないんです。ただ、兄さんの症状の中に人避けの症状があったはずっす。嫌な感じの方に突き進めば出会えるかと』
「わかった、ありがとな」
そう言って電話を切った。
迷う余地はなかった、きっと雨乃ならば「行け」というはずだから。きっと、雨乃ならここで行かなきゃ、俺を叱るから。
ステージ上で微笑む彼女を一目見て、フッと淡い息を吐き出した。
「……瑛叶、魔法使いの役、帰ってくるまで預けていいか?」
頭に乗ったパーティ帽を瑛叶に預けながらそう言うと、瑛叶はニヤリと笑う。
「負けんじゃねぇぞ」
「あぁ、分かってる」
それだけ言って、会場から飛び出そうとした俺の腕を陸奥が険しい表情で掴んだ。
「どこ行くの、夕陽」
「離してくれ、陸奥。時間が無いんだ」
「……目立つのが嫌いな雨乃がなんでミスコンなんかに出たか夕陽分かってる!? 」
陸奥の怒りは本物だった。
当たり前だ、自分の親友の決意が思いが踏みにじられようとしているのだから。
「ねぇ、夕陽!」
陸奥の怒声を片手で制す。
「分かってるよ。ちゃんと、分かってる」
アイツがミスコンに出る理由も。
その為に、俺の姉達と向かい合った理由も。
それだけじゃない……彼女が、ずっと俺の側に居てくれている理由も、何となくだが理解しつつある。
気が付かないフリをして、鈍感を装って、やり過ごしただけなのだ。
「でもさ、行かなきゃならないんだ」
だからこそ、行かなきゃならない。
彼女が俺に重ねる理想像を守るために。
俺が彼女の思いに答えるために。
それに、なによりも
「俺の事をさ……本気でヒーローだって言うアホがいるんだよ」
冬華の笑顔が脳裏を過ぎる。
雨乃のためだけじゃない、俺は俺を信じる冬華の為に拳を握らなきゃならない。
「行かなきゃいけないんだ、他の誰でもない俺が」
俺は何がおかしいのか、微笑みながら言葉を紡ぐ。
「だって……俺はアイツのヒーローなんだから」
『だって……先輩は私のヒーローですから』
心の奥を冬華のその言葉が暖かくする。
気がつけば、陸奥の手は俺の腕から離れていた。
「あっそ、じゃ、行ってきなさいバカ」
「おう」
ありがとうと口の中で呟いて、夏華に向かい合う。
「冬華のことは任せとけ、何があっても連れ戻す」
「はい、信じてます先輩」
その言葉を噛み締めて、人ごみを掻き分けて走り出す。胸の奥では何かがずっと燃えている、メラメラと留まることなく燃えている。
体育館から出る寸前で、一度だけ振り向いた。
ステージ上の雨乃は世界一綺麗で、世界一可愛くて、彼女の微笑みがあれば何でもできそうに錯覚する。
そんな彼女は、出口の俺に気がついたのかゆっくりと片手を挙げた。
「……雨乃」
アイツ、粋な真似しやがる
だから、俺も片手を挙げて走り出した。
もう何の愁いもない、もう何の後悔もない、もう何の思い残しもない。
嫌な感じのする方に、ひたすら走っていく。
間に合え、間に合え!
階段を駆け上り、ここじゃないのかと舌打ちを繰り出して数段飛ばしで駆け下りる。
校舎を左へ右へ、無駄に広いこの学校に悪態つきつつ、時間を気にしながら全力で人の居ない校内を駆け回る。
そして、やっと、何かが流れ込む嫌な感覚に襲われる。ここから先は踏み込んではいけないと、ここから先は通れないと、本能のようなものが危険信号を繰り出す。
いつもなら引き返していたかもしれない、だけど今の俺は引き返さない、引き返せない。
溢れ出す冷や汗を手の甲で拭って、一歩ずつ歩みを早めて進んでいく。
そして
「助けて……!」
声が聞こえた。
「お願い……!」
声のする方に全力で駆けゆくと、窓の外に見知ったピエロマスクを発見した。
「夕陽先輩ッッッ!」
あぁ、間一髪で間に合った。
安堵が胸を包み込む。
窓枠に足をかけながら、大丈夫だと声を掛ける。
そして、現状を目にして胸の奥からフツフツと殺意にも似た怒りが湧き上がる。
「よぉ、クソ野郎」
向こうはなんか言ってやがるが、全然まったく聞く耳は持たない。
「うるせぇ、大人しくその手を離せ」
俺がそう言うと、ピエロマスクは勝ち誇ったように間に合わないと声を張り上げた。
間に合わない? 正気か? ここまできて、逃がすわけねぇだろうが。
窓枠に掛けていた足を支えに、身体を窓の向こうに踊らせて、勢いをつけて飛び出した。
雨乃を庇った時にも味わった浮遊感が身体を包むが、不思議と微塵も恐怖はない。
降ってくる俺を避けようと回避行動を取ったピエロとゆっくりと倒れる冬華の間に割って入るように着地すると、盛土がブワッ! と土煙を上げながら弾け飛ぶ。
「先輩、大好き」
絞り出したような彼女の声を聞きながら、俺は呼吸を整える。
土煙が晴れゆく向こうに鎮座する、悪意の張本人を睨みつけて。
「クッソタレ、お前は絶対に許さねぇ」
独りごちるように、その言葉を吐き出したのだ。
・・・・・・・・・・・・
事の顛末を思い出しつつ、俺は静かに自分の過ちに気がついた。
ここで冬華を帰しても、アイツらに問い詰められて思い出しちまうんじゃ?
「……なぁ、晃陽」
「他の方達の洗脳なら、既にもう終わってます」
「早くね!?」
「こうなることは分かってましたからね。まぁ、終わった直後のどさくさに紛れたんで、雨乃さんは無理でしたけど」
「お前……ほんとナイス」
全身を迸る違和感を噛み締めながら、体制を起こして晃陽に向かい合う。
すると、彼女は少し暗い表情で口を開く。
「夕陽さん……貴方に、お願いがあります」
まだ、もう少しだけ、俺の苦難は続きそうな雰囲気だった。




