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Evening Rain  作者: てぇると
文化祭編

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九十二話 九回裏

電話があった。

迷いはなかった。

だから俺は、拳を握りしめた。




・・・・・・・・・・・・・



身体が文字通り釣り上がる。

上からなにかに引っ張られているように身体が宙を浮いた。


「あと5分って所かな? 君のヒーローは未だに来ないね?」


まるで、雪にでも触るような優しい手つきで私の首を抑えながら、ピエロマスクの嘲るような声だけが断線しそうな思考の狭間に届く。


「来る……絶対に……ッッ……先輩は」


激痛が脳の奥深くを襲えば、その度に大切な何かが抜け落ちる。


「健気だねぇ。彼も罪な男だ、まるで一種の洗脳だね」


言い返したいが言い返す気力がない。

首にかかった縄がゆっくりと締まっていくような感覚だ。


「どうだい? 記憶が抜け落ちていく感覚は? 死ぬほど気持ち悪いだろう?」


「はな……せ!」


じたばたと足を動かそうとしても、ピクリと動くだけで力はこもらない。

諦めない、最後の最後まで。

きっと「 」が助けに来てくれるから。


あの時、「 」で私と夏華を「 」と一緒に助けてくれたみたいに。


「おっ、記憶が抜け落ちているのに気がついたのかい? その顔からすれば、さしずめ彼のことが思い出せないのだろう」


彼……?

それは「 」の事だ、ほら忘れてなんかない。


「さてと、質問をしよう。君の大好きな彼の想い人の名前は?」


そこで、思考が止まる。

思い出せないのだ。

なんで? なんで、なんで?

嫌だ……嫌だ、忘れたくない、忘れたくない!


「いいねぇ、その絶望した表情」


大切な思い出がモザイクで埋め尽くされていく。

あの人も、あの人も、あの人の顔も名前も思い出せない。

みんなで夏に行った「 」も、初めて彼と出会った「 」も全部全部全部、白く塗りつぶされていく。


「嫌……だ」


自然とその声が漏れていた。


「嫌だ……嫌だ」


私の悲鳴を聞いて、ピエロは愉快そうに笑い声を挙げた。


「嫌だよぉ……忘れたくないよ」


「ハハハハ! 思ったよりギブアップが早かったねぇ」


だから

たすけて、「 」


「もう時期終わる、絶望を抱えたまま消えるといい」


たすけて

たすけて

たすけて


「助けて……!」


叫ぶ。


「助けて……!」


精一杯声を張り上げて、届くように。


「お願い……!」


その名を叫ぶ。




「夕陽先輩ッッッッ!」



そして---



「大丈夫、ちゃんと聞こえてるよ」


優しい声音が脳内に届いた。



「よぉ、クソ野郎」



真上から声が聞こえる。

頭の上で怒りを孕んだ声が響く。


「君は出たがりだね。君の出番は今日は無いよ」


声の場所は真上。

校舎の3階の窓ガラス。


「うるせぇ、大人しくその手を離せ」


「カッコつけて登場したところ悪いが、もう間に合わない。今からどんなにショートカットをしようが間に合わない。残り30秒で彼女の記憶は全て消える」


そんな言葉がぐわんぐわんと揺れる脳内で響く。

だけど、絶望はない。


赤みがかった太陽を一つの影が遮る。

その影は勢いを増してコチラに降ってくる。


「ッッ!? 3階だぞ!?」


ピエロマスクの驚愕した声が響く、避難しようとして、私の首から手が離れた。


ドンッッッッ! と轟音のような着地音がすぐそこで聞こえた。

避難したピエロと私の間に割って入るように着地した先輩の足元から土煙が立ち込めた。


「なぁ、ピエロマスク」


静かな声が聞こえる。


「お前……勿論覚悟はしてるんだろう?」


いつになく恐ろしい声音を聞きながら、私は静かに意識の轡を緩める。


「先輩……大好き」


静かに、瞼を閉じた。




・・・・・・・・・・・・・



「驚きだね、まさか出張ってくるとは」


「何もおかしくないさ、ヒーローは遅れてやってくるもんだろ?」


横たわった冬華を抱き起こして、避難させながら怒りを抑える。


「君は……死ぬほどムカつくな。イラつくんだよ、そのヒロイックは」


「気が合うな。俺も今……死ぬほどイラついてる」


頬の涙の跡を見て、血管が切れそうになる。

雨乃が襲われた時と同じぐらいの熱が全身を襲う。

なんで、コイツがこんな目に合わなきゃならない? なんで、雨乃があんな目に合わなきゃならない?


「なぁ、ピエロ。俺は生まれて始めて……本気で人を殺したいって思ったよ」


拳を固く硬く握りしめて足に力をこめる。


「僕は君で二人目だよ。人を殺したいほど憎んだのはね」


ピエロが右手を翳す。


「死ね」


その一言と共に、鉄骨がどこからとも無く射出された。


「ッッ!」


身体を限界まで捻りそれを交わすと、第二射がすぐそこまで迫っていた。

避けきれない、直感が告げる。


「グッッツボッ!?」


一瞬で壁に全身が叩きつけられて。

ものの数秒でスタートラインまで戻される。


「ッグ……まじかよ」


唇の端から零れ落ちる血を拭い、ふらつく視界で敵を定める。

まだ、身体は動く。


「僕は、君を誤解していた」


目に見えない空気圧が迫る。

全力で横っ飛びして、受け身をとっても地面から這い出てきた石の柱が腹部を叩きつける。

空中に躍り出た身体、息ができない、思考ができない。痛みはないが意識が覚束無い。


「それ……でも」


負けられない。


ゴミのように地面に叩きつけられて、呼吸をやっと取り戻す。

揺さぶれた脳内が逃げろとSOSを叩き出す。

必殺技なんてない、使えるのは痛みを飛ばすゴミみたいな症状だけ。


「だけ……ど!」


地面を爪で抉る。

頬に涙の跡を残す彼女の顔を見て、決意が固まる。

泣き叫ぶ雨乃の顔を思い出して、覚悟を決める。、


「もう、終わりだ」


無情な声が脳に響く。


「終われねぇんだよ」

「負けちゃいけねぇんだよ」


言葉を吐き出しながら、立ち上がる。

迫る鉄骨を朧気に見つめながら、避けもせず口を開く。


「ヒーローは負けない」

「お前みたいなやつに、負けちゃいけない」


すぐそこまで『死』が迫る。

喉元にかかった死神の鎌を噛み砕く。


「人の痛みが分かんねぇお前(怪物)には負けられないッッ!」


言葉と共に鉄骨に向かって右拳を穿つ。

衝撃音なんか響かない、そこには虚無があった。


「……ははっ」


口からは笑みが零れる。

そうか……これは全部まやかしだ。


「お前なんか、敵じゃねぇッッ!」


ダンっと力を込めて走り出す。


「人間の認識はそう簡単には覆らない、いくら理解しようともね」


右腕を振るう。

それだけで、数多の鉄骨が俺目掛けて降り注ぐ。


「撃ち落とすさ、全部」


こんなものはまやかしだ。

鉄骨なんて一つもない。


「お前を全知全能に見せるその症状の正体、俺は分かったぞ!」


手が鉄骨に触れる、その瞬間に鉄骨が砕け散る。


「冬華や夏華の症状の上位互換に過ぎない」


距離は近い、まだ走れる。


「クソ! これだから頭の回るバカは!」


「お前は虚像を見せつけて、受け手側に『本物』だと認識させる」


言わば蜃気楼。

この幻想を壊すのは容易い。


「認識したが最後、虚像は実態を得る!」


鉄骨が現れた瞬間、俺は危機感を感じた。

その危機感が虚像に実態を与えたのだ。


「なら! これはどうだ!」


今度は左手が振るわれる。

だけど、残念ながら、その痛みを俺は知っている。


「避けるのはイージーなんだよ」


軌道線上から身を屈めてやり過ごす。

空気圧はもう頭上を通り過ぎた。


「なんだその回避能力は!」


「あん? ただの臆病だよ」


昔から痛みを喰らい続けてきたせいで、悪意を持った攻撃の二発目は何となく分かるのだ。

南雲と喧嘩する時もそうやって、喧嘩してる。


「やっと、テメェを捕まえた!」


身体をスライドさせたまま跳ね上がり、ピエロマスクに馬乗りになった。


「くそ! 離せ!」


ジタバタと抵抗するピエロの顔面に一発拳を叩き込み、一瞬だけ動きを止める。


「その陰気臭いマスク、剥がしてやるよ」


ピエロマスクを剥がした後に待っていた顔を見て、思わず身体が硬直する。


「月夜……先輩?」


本人としか思えない。

そっくりとかいう次元じゃない。

金の髪の月夜先輩がそこにいた。


「甘い」


その一言と共に、再び俺の体は宙をまった。

地面に撃ち落とされて、ゆっくりと顔を上げる。


「月夜と呼ぶな、僕はアレとは違うんだ」


金髪を風になびかせて、男は血液混じりの唾を吐き出す。


「僕の名前は、月詠(つきよ)だ。月を詠むと書いて月詠。それが僕の名だ」


そして、月詠はゆっくりとコチラに歩み寄る。


「今度こそ終わりだ。殺しはしない、意識は戻らないかもしれないがね」


その細腕の何処にそんな力があるのか、俺の首を掴み軽々と持ち上げながら、睨みつける。


「サヨナラだ」


あぁ、サヨナラだ。

九回裏のサヨナラ満塁ホームランだ。


「奇跡ってのは、自分でおこすもんだぜ?」


決めゼリフと共にゆっくりと足を月詠の腹に当てる。

俺の予想通りなら、これで()()()()()()が起こるはず。


「何を言って--」


言いかけた月詠の口が止まる。

衝撃音に掻き消される。


「ばーか」


シャレにならない程の爆音と共に、「痛み」が全身を支配した。









目が覚めると膝の上。

柔らかい感覚が後頭部にあった。


「おはようございます、先輩」


ぽたぽたと涙を俺の顔に落としながら、冬華が顔をぐしゃぐしゃにして笑う。

可愛い顔が台無しだと、軽口を叩こうとしたが喉に引っかかった血液がそれを阻んだ。

空を見あげれば夕暮れ、あれから時間が経っているようだが冬華も俺も無事だということは、あの野郎は逃げたらしい。


「お前……が……ごほ……ゲホッ! あー、無事で良かったわ」


咳き込むついでに血液を吐き出した。

全身の節々が酷く痛む。


「こんな時まで私の心配ですか……先輩、ボロッボロですよ?」


「心配すんな、いつも通りだよ」


やっとまともに喋れるようになって、自覚する。

今度は守れた。

今度はちゃんと守れたのだ、失いたくないものを。


「カッコよすぎです……また、惚れちゃうじゃないですか」


「罪な男だな、俺も」


そうやって、軽口を叩くと冬華は幼子のように泣きじゃくる。

顔に落ちてくる涙を払って、体制を起こすと、すぐに冬華が俺の胸に抱きついてきた。


「ごめんなさい……ごめんなさい、先輩! わだしのせいでぇ……ごめんなさい……ごめんなさい」


「泣くなって! 女の子がしちゃいけないほどグロテスクな顔になってるから」


「怖かった……怖かったよぉ……」


ひっぐ、えっぐと泣きじゃくりながら、俺の制服で鼻水を拭く後輩の頭を撫でる。

そして、優しく囁いた。


「いいか……夢だったんだよ。全部……全部夢だったんだ」


怖い思いなんかしていない。

大切な奴が傷つく様なんて見ていない。

そう言い聞かせる。


「夢……?」


「あぁ、夢だったんだ。お前は、トイレでうたた寝をしていた。そこで見た夢だ、いいか? トイレでうたた寝をしていたんだ」


優しく、言い聞かせる。


「夢……? トイレ……うたた寝……? アレ……? 私、なんで……」


そうやって、冬華は静かに眠りについた。


「ありがと、助かったよ」


冬華の背中を優しくさするソイツに声をかける。


「洗脳しときましたんで、余程のことが無い限りは思い出しません」


「助かるよ、晃陽(あさひ)


その名を呼ぶと、嬉しそうに白と黒のツートン巨乳は笑う。


「結婚してくれてもいいっすよ?」


「寝言は寝て言えっての」


冬華を晃陽に預けて、地面に大の字に寝転がる。

そして、数時間前に思いを馳せる。

一本の電話が掛かってきた、ミスコン会場、言わば九回表に。

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