八十六話 Lament
あれから早いところで既に五日が経過した。
姉達の策略によって撒いた種は順調に芽を開きつつある、おかげでコチラの悪評より向こうの悪評の方が目立っている。少し気の毒に思いつつも、雨乃に手を出したんだからしょうがないね☆
瑛叶のやつは女子連中とやはり何かあったようで、波崎の標的は俺から瑛叶に逸れたようだ、おかげで瑛叶の愚痴が増えた。
「紅星ー、ボンドがたりねぇぞ!?」
「紅星君、予算ってあといくらぐらい?」そ
「紅星、先生達が実行委員のことについて話があるって呼んでたぞ」
「夕陽、今日の晩御飯何がいいー?」
実行委員になった挙句この始末だ、最後の一個はチキン南蛮がいい。
「だぁっ! うるせぇ! 聖徳太子じゃねえんだぞ!? 一人一人順番に喋れぇぇぇ!」
クラスメイトの男子連中にはちょっかいをかけられ、女子連中には予算がー、材料がーと責め立てられ、遊びに来たピンクな後輩にはじゃれつかれ、幼馴染には横腹を抓られるしまつである。
「あぁ、疲れた」
陸奥に押し付けて華麗にエスケープをかまし、祭りの熱気に当てられる廊下を一人目的地もなく歩く。
本日は快晴、雲一つない秋と冬の中間の丁度いい気温……となれば行く場所は一つだ。
「やっぱ先客がいたか」
「ん、お前もサボりに来たのか」
火のついていない煙草を咥える南雲が呑気な表情で休んでいた。
「怪我の具合は?」
ドサッと隣に腰掛けて空を仰ぐ。
「回復速度がおかしいんだよ、肋骨も一週間も経たずに治りやがった」
「いつからミュータントになった?」
「お前、なんかしたろ?」
「何のことだか」
俺がそういうと笑って煙草に火をつける。
煙草の箱から飛び出した仲間はずれの一本を俺の前に差し出すと、アイコンタクトで「吸うか?」と問いかける。
「……たまにはいいかもなぁ、悪ぶりたいお年頃だし」
一本摘んで唇で挟むようにして咥えると南雲がそれに火をつけた。
「人生で何本目の煙草だ?」
「五本目だよ」
五本も吸えば吸い方の容量は得る、噎せないかと問われれば未だに噎せるのだが。
「文化祭実行委員二人がこうやって立ち入り禁止の屋上で煙草吸ってんのがバレたら停学だな」
「無期限停学もありえるなぁ」
ケラケラと笑いながら煙草の炎を燻らせる。
やっぱり、何度吸っても煙草に慣れる気配が無い。
「どうでもいい話していいか?」
南雲が哀しさを孕んだ声で問いかける。
「俺達の会話なんて八割はどうでもいい話だろうが」
「俺さ、チームのリーダーを引き継ごうかと思って」
「……へぇ」
忘れがちだが南雲は不良グループのボスである、それもそこそこ続いてるグループの。
「なんだ、知ってたのか?」
「いや、まぁ、時期的にな」
「俺らもあと一年か二年経てば高校卒業だしなぁ。まぁ、それが理由じゃねえんだよ」
「夢唯か?」
「あぁ」
俺が煙草の火を消そうとしていたのに気がついたのか、簡易灰皿を差し出してくるのでありがたくそれに煙草を捨てた。
ヤニ臭くなった口内を洗うように、買ってきた水を飲みほした。
「なんか言われたのか?」
「いや、なんも言われてねぇよ。なんも言わねぇからこそ分かるものがあったんだよ」
そう言って南雲は煙草を地面に擦りつける。
「危ないことはしてほしくないって、怪我してほしくないって思われるのはおかしなことか?」
その目が俺を射る。
『お前にも当てはまることだ』と南雲の目が物語っている。
「アイツらに随分と心配をかけたな、俺もお前も」
「……かもな」
心音が加速する。
あぁ、コイツはこうやって少しずつ大人になっていくのか。
「俺の青春は時期に終わる」
「中二チックな言い回しだな、夢唯のが移ったか?」
「だな、移っちまってる」
ゲラゲラ笑いながら、南雲は次の煙草に火をつける。
「お前も、終わらせ方は考えとけよ。いつまでも、そうやって馬鹿みたいに傷つくのも終いだろう」
「お生憎様、この生き方しか知らんもんでね」
「ばーか」
「知ってるよ」
雨乃の顔が脳裏によぎる。
雨斗さんにも釘を刺された、雨乃にも泣かれた、俺自身はどう思っているのだろうか? よく考えたことは無い、振り返るのが恐いのかもしれない。後ろを向けば突き進んできた今までが無駄になってしまうかもしれない言い知れぬ恐怖がある。
「煙草はいつ辞めるんだ?」
「値上がりしたらな」
「またそれかよ」
だから、俺はまた誤魔化す。
煙草の煙のようにユラユラと揺れて、この不安感が俺の心から消え去るまで目をそらし続ける。
※※※※※※※※※※※※※※※※※
「君は思ったより臆病なんだね」
いつもの放課後、二人しかいない部室で月夜先輩が驚いた様にその言葉を吐いた。
「臆病ですよ、昔からね」
「少なくとも太腿にナイフの刺さった状態で突撃かます人間を臆病とは言えなくないか?」
「アドレナリンドバドバでしたからね。あっ、ども」
差し出されたコーヒーを口に運ぶ、苦味が口内を一通り嬲ると少しだけ安心感が湧き出てきた。
「君ほど臆病とかけ離れた人間も居ないだろうと思っていたよ僕は」
「臆病……ってよりは怖いんですよ、振り返って後悔するのが」
「後悔が怖いのかい?」
「えぇ、たまらなく怖いですね。痛みよりも何よりもソレが一番怖いです」
後悔ほど身を蝕むものは無い。
あの時ああしていれば……そう思うことが、たまらなく恐い。
今でも夢に見る、あの日雨乃に手が届かなかった世界のifが、後悔に顔を歪ませる自分自身の表情が何よりも恐い。
「だから傷つくのかい?」
「誰かが傷ついて後悔するよりは、自分が傷つくほつがいい」
「狂っているね、君は」
「……」
狂ってなんてない、正常なことだろう?
自分の範囲内の人達には傷ついて欲しくないなんて思うのは当たり前の事だろう。
「……君の在り方は酷く歪だ、本当は気がついているんじゃないかい?」
「黙れ」
聞きたくなかった。
「君が傷つけているのは自分なんかじゃない」
「黙れよ」
聞くに耐えない、これ以上は。
「分かっているんだろ?」
「やめろ」
嘲るような声が耳にこびりつく、脳に焼け付く。
「知っていて、分かっていて、それでも君は向き合わない」
「頼む……やめてくれ」
灼熱のような吐息が肺から溢れる。
「自己犠牲? 違うね」
「頼む、頼むからやめてくれ、これ以上は……」
握った拳が震える。
噛み締めた顎に砕けそうなほど力が入る。
「君の行動が傷つけているのは──」
「黙れって言ってんだろッッ!」
反射的に月夜先輩の胸倉に手を伸ばす。
だが、それすらも予測していたように月夜先輩は俺の手を掴んだ。
「黙らないよ、僕は! このままじゃ、君は僕と同じ過ちを犯す」
「……」
「最近、ようやく分かったんだ。紅音が君を特に気にかける理由も、雨乃ちゃんが僕に必要以上の敵愾心を持つ理由も」
やめろ、聞きたくない。
それを自覚してしまったら俺の中で決定的に何かが変わってしまう。
「彼女たちは気がついていたんだ、僕達より早く。本能的に分かっていたんだよ」
膝から力が抜ける。でも、月夜先輩は膝をつくことを許してはくれない。向き合えと、目が語っている。
「君も僕も危ういんだ、酷く危うい。僕達の在り方は酷く歪で危ういんだ」
「俺は……」
「いい加減向き合うべきだ、君が犠牲にしているものの正体に。その酷く歪な在り方に」
「違う……俺は……」
言葉が出てこない。
呂律が回らない、頭はグラつき心音は加速する。
気がつくのが恐ろしい、向き合うのがおぞましい。
分かっている、分かっているんだ。
「君には僕のようになってほしくないんだ。君も見ただろう? あの化物を、アレが君の……僕達の末路だよ」
ピエロマスクの化物。
月夜先輩が行き着いた終着点、そしてこのままでは俺もそこに辿り着くのだろう。彼は知っているのだ、愚者の末路を。
「あ……ぁぁ……ぁぁぁあ」
声にならない声が漏れる。
手足の震えが止まらない。
「君は僕より深刻だよ夕陽君。でも、君は僕とは違う、君には雨乃ちゃんがいる」
「俺は……俺は……」
罪の正体が顕になる。
世界で一番醜い自分の内側が、明るい世界の一歩手前まで飛び出ている。
目を背けていた罪が、押し付けてきた罪が、気がつけば爪先から頭の先まで身体を蝕んでいた。
「……すまない、僕が口を出すことじゃなかったね」
月夜先輩は掴んでいた手を離すと、哀しそうに笑う。
「すっかり冷めてしまった、コーヒーを淹れなおそう」
「……今日は帰ります」
バッグを取って逃げるようにドアに手をかける。
「夕陽君、迷ったら誰かに話すといい。君の周りには優しい人が沢山いる」
背後からかけられたその声に、逃げるように駆け出した。
「はぁ……はぁ!」
階段を数段飛ばしで降りる、廊下を全力でかける。
「違う……俺は……」
壊れた玩具のようにそのセリフだけをリピートする。
いつの間にか乗っていた電車は、いつの間にか駅までついていた。
走る元気はとうにない、ふらつく足で駅のホームに降り立った。
すれ違ったサラリーマンが俺の顔を見て眉をひそめる、いったいどんな酷い面をしているのだろうか?
「くっそ……」
誰もいない道でその声が響く。
「くっそぉ……」
電柱に背中を預けるように、家の付近で蹲る。
手で顔を覆って、溜息を漏らす。
あぁ、そうか。
向き合わなければ行けないんだ。
南雲が向き合って答えを出したように、月夜先輩がトラウマを掘り出してまで向き合えと伝えたように。
「……」
それでも、重すぎる。
今更、向き合うにはキツすぎる。
『紅音 夕陽』それはヒーローや英雄の名前じゃない、それは卑しくておぞましい怪物の名前。
自覚すれば自覚するほど自尊心が牙を向く。
「ふざけんな……」
声が漏れた。
行き場のない思いが形を得た。
「ふざけんなァァァァァァッッ!!」
慟哭が夕闇に轟く。
自分に向けた叫びが静かな街に響き渡る。
「ふざけてんのはアンタでしょ」
ペチンっと頭を叩かれた。
まだ、聞こえないはずの声が聞こえた。
「近所迷惑よ、ばーか」
俺の前に立ち止まり、馬鹿みるいつもの目で俺を見下ろした少女はにやりと笑う。
「そこ、さっき犬がおしっこかけてたわよ」
「うぉっ!?」
嘘だろ!?
「嘘よ。まぁ、機敏に反応できるなら大丈夫か」
そう言って俺の頬に両手を伸ばして思いっきり抓った。
「うるっさいのよアンタの思考は。今日は特にガンガンするわ」
「いで、いでででで!」
「反省しろ馬鹿。距離あっても動揺すれば届くっての」
「すまん……」
ここまで届くとは思わなかった。
「ほら、ぼさっとしてないで帰るわよ」
「……おう」
「最近頑張ってるからチキン南蛮作ってあげたわよ」
「……おう」
雨乃の後ろをゆらゆらとついて行く。
「アンタが考えること、何となく分かるわ」
「雨乃……俺は」
「あー、あー、聞きたくない聞きたくない」
耳に手を当てて俺の声をシャットダウン。
「有耶無耶なまま絞り出した『ごめん』なんて言葉、聞きたくない。そもそも、ごめんって言葉が嫌いなのよ」
鼻で笑いながら雨乃が口を開く。
「いいのよ、今更だから。向き合ったら私としては上々、よく考えて答えを出して、その答えをいつか聞かせてね」
それじゃ……それじゃ、あまりにも俺に甘すぎる。
思わず立ち止まった俺に合わせるように、雨乃も立ち止まり振り返り、俺の手を取って引き寄せた。
「知らなかった? 私ね、アンタには甘いのよ、ビックリするぐらいね」
頭と頭がぶつかりそうな至近距離で雨乃の言葉が脳に響く。
「馬鹿は馬鹿なりに考えて答えを出して、そうやって自分の中で蹴りがついたら真面目に話しましょ」
「……ありがとう」
「私も、その時になったらちゃんと話すから」
そう言って、俺の頬から流れた涙を指で拭き取った。
「久しぶりに見たわ、夕陽の泣き顔」
「うるせぇ、みんな」
「ふふっ、ほんとに泣き虫ね夕陽」
いつぶりだろうか、こうやって涙を流すのは。
溜め込んでいたものが吐息となって溢れ出る、胸の奥にあった何かが形を得て目から溢れる。
笑いながら俺の顔を覗き込み、指で俺の涙を拭う彼女に対しての後ろめたい気持ちが少しだけ薄れる気がした。
「さ、帰りましょ? 夜は冷えるわ」
「あぁ、そうだな」
ゆっくりと歩き出す彼女は俺の歩幅に合わせてくれる。
いつだってそうだった、そして多分これからもそうなのだ。
夕闇は既に消え失せて夜が本格的に動き出す、冷たく凍えそう風が一迅駆け抜ければ、茹だった脳味噌は少しだけ理性を取り戻した。
振り返ればそこには俺が立っている、真っ黒な髪の俺がコチラを見つめる、『それでいいのか? また逃げるのか?』と問いかける。
「うるせぇバカ、雨乃が待つって言ったんだ」心の中でそう吐き捨てて、黒髪の自分に別れを告げる。
住宅街の街灯が寄り添って歩く二人の横顔を優しく照らしていた。




