八十一話 Madness
「さて、夕陽。僕は少し怒っている」
治療(と言っても症状のせいで速攻で傷が言えるので応急処置程度)を終わらせた直後、雨斗さんは顔を険しくして声を出した。
「……はい」
「二日続けての大怪我。夕陽じゃなければ死んでいてもおかしくない」
「お父さん、もっと言って。その馬鹿にもっと言って」
ガシッと俺の肩を半端ないぐらい強い力で握りながら、雨乃の威圧感が俺を襲う。
くっそ……逃げ場はねぇのか。
「いいかい? 僕は君の両親……つまりは夕紀と輝夜から君を預かって、本来ならば両親の元に居るはずの君をこちらの家で生活させている」
雨斗さんは頭を抱えながら溜息と共に言葉を吐き出した。
「そんな君がこう何度も大怪我をされては、僕は彼等になんと言えばいい? 最悪、夕陽が連れて帰られるということも十二分にありえる」
……まったくその可能性を考慮していなかった。
まぁ、でも、心配せずともあの両親だ、万が一にも怪我したぐらいじゃ怒らんだろう。
「というわけで、先程夕紀から連絡が来ている」
ポーンっとスマホを放られて、それを寸前の所でキャッチする。
「もしもし……」
『おーう、夕陽か』
「おう、俺だよ」
間の抜けた声で電話口の向こうの親父が答える。
『まーたやらかしたみたいだけど? なんか巻き込まれてんのお前』
「巻き込まれてるって言うか、自ら首突っ込んだって言うか。まぁ、自分でやらかした」
『……まぁ、ぶっちゃけ言うとな? 輝夜さんがだいぶ怒ってる』
「はぁ? なんでまた」
『あのなぁ? お前が輝夜さんにどんなイメージを抱いているのかはある程度は分かるけど、自分の息子が救急搬送されたって聞いて慌てない親がいると思うか?』
まぁ、そうか。
でも、あの母さんだぞ? 怒るのか?
『つーか、お前は親に人並以上に愛されてるって理解しろ、輝夜さんお前が今日も怪我したって聞いて一瞬泣いたぞ』
「泣くの!? 母さんって泣くの!? マジで!?」
『なんで興奮してんだよお前』
あの人って泣ける人なの!? 泣くの!? マジで!?
『まぁ、輝夜さんはお前に怒ってるけども、俺としてはあんまし怒ってない。お前が怪我する時はいっつも何かしら理由があっての行動だからな。なんかあんのか?』
「……まぁ、色々な」
『そうかー、うーん』
電話口の向こうでは唸る声が聞こえる。
『なぁ、夕陽。その痛みに後悔はないか?』
「ない」
『その傷に迷いはないか?』
「微塵もない」
『何があっても肯定できるか?』
「できるよ」
全て即答、当たり前だ迷いなんかあるもんか。
『あっそ……分かった、輝夜さんの方は俺がなんとか上手いことしてやろう』
「……? なんかあったの?」
『輝夜さんがな、お前を家に戻した方がいいんじゃないかって言ってたからな。まぁ、そっちの方は気にすんな』
「ありがとうごぜぇます!」
『ったく、バカ息子め』
なんか知らんうちにとんでもない事態になりかけてたけど、何とかなって良かった。
『だけどな、夕陽。身の振り方は考えろよ? 次、お前が大怪我で入院とかいう事態になったら今度こそヤバい』
「……あぁ、気をつけるよ」
『じゃあな。楽しめよ』
そう言って親父は一方的に電話を切った。
音のしなくなったスマホを雨斗さんに渡す。
「夕紀は何だって?」
「こっちは何とかするから気にするなって、あと楽しめって」
「はぁ、アイツらしいな。まぁ、夕陽も言われただろう? 君が次やらかせば──」
そこで言葉を被せて雨斗さんの言葉を遮った。
雨乃に余計な心配はかけたくない、なによりこんな事が知られては首輪の一つでも付けられかねない。
「分かってます、今度からは気をつけます」
「……?」
後ろでは雨乃が首を傾げている。
ちくしょう、可愛い。
「夕陽、僕は君の親じゃない。けれどね、僕は君を本当の子供と同じくらい愛しているし、気にかけている。次からはそこら辺を理解して行動してくれ。いいね?」
「……はい」
雨斗さんの説教はいつもこうだ、怒られるより破壊力があるし納得してしまうし反省してしまう。
「もう行きなさい、お説教は終わりだ」
そう言って微笑む。
頷いてから立ち上がって扉に手をかけた。
「……雨乃は少し待ちなさい、話がある」
「ん? 分かった。先いってても、夕陽」
「おう」
なんの話だろうか? 俺から目を離すなとかだろうか?
まぁいいか、後で雨乃に聞けばいいし。
「とりあえず南雲の所に行くか」
やつの病室は雨斗さんが気を利かせて個室にしてくれたらしい、しかもいつもの俺の部屋に。
適当にノックして中に入ると、俺に気づいた南雲が片手をあげる。
「グッドタイミングだな。夢唯が中々こねぇから暇してたんだよ」
「思いの外元気そうで安心したよ」
「お前の方が元気じゃねぇか。よくもまぁ、足を刺されてそんなにピンピンしてんな」
「外傷ならすぐ治るんだよ、症状のせいか知らんがな」
「骨折も直ぐに治ってたじゃねぇか」
「いや、昨日は左肩の骨折、今日は拳の骨の骨折。一週間もかかるけどな」
「一週間程度で治るなら充分すげぇよ、しかも今日も折れた左肩振り回してたじゃねぇか、痛むだろうに」
「痛みは明日の俺がなんとかすんだろ」
明日も地獄確定だな。
まぁ、明日は幸いにも休みだし? なんとかなるか。
「お前の方は?」
「右肩の脱臼、打撲多数、肋骨にヒビ……と数えればキリがねぇな」
「大怪我じゃ──」
言いかけたその瞬間、病室の扉が爆発したと錯覚されるぐらい轟音が病室を蹂躙した。
「はぁ……はぁ……南雲ぉ!」
部屋に侵入してきたのは夢唯、その後ろには慌てた雨乃。
「おぉ! 夢唯、遅かった──」
「この阿呆ッッ!」
乾いた音が病室に響いた。
夢唯が南雲の頬を全力でビンタしたのだ、夢唯以外はポカーンとしている。
「なんで! なんで! なんで、ボクに一言の相談もしてくれなかったんだ!? なんで勝手にボクの為に危険な目に遭うんだ!?」
胸倉を掴んで涙を流しながら夢唯が涙を流す。
「いや……それは、なんつーか」
あまりの剣幕に南雲もタジタジである。
「この阿呆! 夕陽が馬鹿なら君は阿呆だッッ!」
えぇ、この流れで俺に罵倒……?
「君が……南雲が大怪我を負ったって聞いて、ボクは胸が張り裂けそうだった。やめてくれよ……頼むから……危ないことはしないでくれ」
ベッドの脇にへたりこんで、夢唯は嗚咽を漏らした。
「……悪かったな。カッコつけたかったんだよ」
南雲はそう言って嘯いた。
嘘つけ阿呆、お前はカッコつけたかったんじゃなくて、余計な不安を夢唯に与えたくなかっただけだろうが。
「南雲に何かあれば、ボクは……私は辛いよ。大好きだから、死んだらどうしようって、何かあったらどうしようって思うのはおかしい?」
「……悪い」
「悪いと思うなら、私に隠し事はしないでくれ。私は君の彼女なんだから」
ゆっくりと立ち上がる。
雨乃は俺の意図に気づいたのか静かに微笑んで頷くと、ゆっくりと扉に手をかけた。
スピー……夕陽はクールに去るぜ。
「おい、夕陽!」
「……なんだよ」
せっかくカッコつけて帰ろうとしてたのに。
「ありがとな」
「夕陽、南雲を助けてくれてありがとう」
夢唯と南雲に素直に礼を言われて、ちょっとっていうか本気で照れる、こういうのには慣れてない。
「あぁ、ったく、調子狂うなぁ」
振り返って南雲の方に歩み寄り、適当な身体の一部に触る。
「おい、夕陽?」
「半分だけだぜ? これ以上吸っちまうと俺が死にかねん」
「は? 何言ってんだ?」
そう言えばコイツらには二つ目の症状、説明してなかったか。
まぁ、めんどくさいしいいか。
「じゃーな。お二人ともお幸せに」
「じゃあね、夢唯・南雲」
雨乃と一緒にそう言って病室を出た、室内からは「ば、ばか! そういうのじゃないからな!?」という叫び声が聞こえた。
「それにしても夢唯が自分のことを私って言ったり、彼女宣言したりするとはなぁ」
「あの夢唯がねぇ。人って変わるのね」
「南雲さまさまだなぁ」
幼馴染の成長に少しこそばゆい思いを感じながら、暖房で茹だった廊下を歩く。
「……ねぇ、夕陽」
「ん?」
振り返ると、少し雨乃が離れていた。
少し離れた位置から雨乃が神妙な面持ちで声を上げた。
「夕陽はなんで、南雲の痛みを奪ったの?」
雨乃が訪ねてきたのはすごく簡単な問だった、今更何言ってんだ。
「当たり前だろ? アイツ、結構痛がってたし」
当たり前の回答を雨乃に返した。
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夕陽の言葉が理解できない。
何を言っているのだろうか?
「アイツ、結構痛がってたし」?
「……どうした? そんな青い顔して」
なんで夕陽はその発言の異常性に気が付かないの?
なんで当たり前のようにそんなことが言えるの?
「夕陽だって、怪我してるでしょ? それも、南雲と変わらないような大怪我を、なのになんで? 痛いはずでしょ?」
「あぁ、痛いな。でも、それだけだろ?」
本当に意味が分からないのか、首を傾げながら即答した。
「……死ぬかもしれないんだよ? 痛みで、死んじゃうかもしれないんだよ!?」
何度もベッドの上で踠き苦しむ夕陽の姿を見てきた、何度も何度も、私に悟られないようタオルを噛んで痛みに耐える夕陽の姿を見てきた。
「どうした、大きい声出して? あぁ、お前にも不安かけたからなぁ、悪かった悪かった」
私の本気が伝わってないのか、夕陽はヘラヘラ笑いながら私の頭に手を伸ばした。
「大丈夫だよ、俺は死なないようにできてるから」
脳が、言葉を理解するのを放棄した瞬間だった。
やっぱり違う、夕陽と私じゃ何かが違う。
なんで当たり前のように他人の痛みを引き受けることができるのだろうか? なんで本気で死なないと思っているのだろうか?
「さっ、帰ろうぜ? 俺腹減ったわ」
夕陽の瞳には私は写っているのだろうか?
この馬鹿には世界がちゃんと見えているのだろうか?
当たり前のように自分を蔑ろにして、当然のように自分の優先順位を下げて、それを自己犠牲だなんて微塵も思っていない。
この男は狂っている、私の想い人は壊れている、私の幼馴染はズレている。
「どした? 具合悪いのか?」
「……いいや、大丈夫だよ」
静かに呟いて夕陽の伸ばした手を掴んだ。
握っていなければ遠い所に言ってしまいそうだった。
大きいはずの夕陽の手が酷く脆く感じる、夕陽の大きい背中がハリボテのように感じる。
「ねぇ、夕陽」
「なに?」
「ちゃんと、私は見えてるよね?」
「どうしたお前? なんかあったか? 見えてるに決まってんじゃん」
「……そう、ならいいけど」
ケラケラと笑いながら話をする夕陽の話がまったく頭に入ってこなかった。
頭の中で繰り返されるのはお父さんの言ったセリフ。
『いいかい? 夕陽はね、少し人とはズレている。彼のあり方は酷く歪だ。彼は姉や兄の方が異常だと言っているけどね、赤星家で最も狂っているのは紛れもなく彼だよ』
お父さんはそう言って、私の手を握って一言付け加える。
『彼から、目を離さないことだ。後悔したくないのならね』
あぁ、やっと分かった。
本当にコイツは狂ってるんだ。
だったら私がどんな手を使ってでも戻さなきゃ、夕陽を繋ぎ止めなきゃ。
私が夕陽の為に出来ることを考えながら、薄ら寒い病院の外に夕陽の手を強く握って歩きだした。
これは私の小さな抵抗だ。




