八十話 痛みの記憶
「うっわぁ、酷いなぁ君ってやつは」
後方では月夜先輩の間の抜けた声が聞こえる。
未だにビリビリと刺激の残る手を摩りながら、ぶっ飛んで動かないピエロマスクに注意する。
「どう? 何の躊躇いもなく無防備な男の顔面に鉄パイプ叩き込んだ気分は」
「何の躊躇いもしてないわけじゃないっすよ? ほんのちっとは躊躇いました、えぇマジで」
倒れる南雲を抱き起こしながら、月夜先輩の方へと戻る。
「夕……陽? 夕陽……か?」
霞んだ声で南雲が言葉を紡ぐ。
「お前は……手ぇ出すな。これは……俺の……俺の喧嘩だ」
「何言ってんだ阿呆。テメェ、昨日俺の折角の見せ場を奪ってくれただろうが、そのお返しだ」
「馬鹿野郎が……負けんじゃねぇぞ」
鼻で笑って、南雲はそう吐き捨てた。
あぁ、負ける気なんざ毛頭ないさ。
「夕陽君、起き上がったよ」
その声に頷いて月夜先輩に南雲を預ける。
「気分はどうだ? クソピエロ」
「……っ! やってくれるじゃないか、流石の僕でも昨日の今日で起き上がって来るとは思わなかったんだが。君、さては化物だろう?」
「人間だよ人間。ちょっとばかし痛みに強いな」
「ほざけ。昨日、あれほど痛めつけられても尚立ち向かってくるなんて、君は本当に馬鹿で愚かだな」
「そんな照れんなよ、昨日も今日も俺からラブコール貰えて恥ずかしいんだろ? 気にすんなよ、もっとぶち込んでやっから」
自分でも口角がつり上がっているのがわかる、どうやらリベンジマッチに俺の冷めた思考とは裏腹に身体は燃え上がっているようだ
「君は「バカは死ななきゃ治らない」という諺を知っているかいッッッッ!」
一瞬だった、まさに閃光。
目に見えぬ速度でピエロマスクが眼前から姿を消した。
「知るかバカ」
吐き捨てるように呟いた。
姿は見えぬものの、確かにその男の舌打ちが聞こえた。
「眠れ」
ビュンッッ! 空を斬る音が鼓膜を揺らす。
冷たい思考回路、それが『回避不能』を叩き出す。
だが、湯だった身体の方は違った。
「そんな言葉は知らないがなぁ、知っていることなら確かにあるぜ? 例えばそうだな、痛みの記憶とか?」
ピエロの拳が先程まで俺の立っていた場所に伸びる。
だが、もうそこには俺はいない。
「なっ!?」
驚愕が聞こえる。
前のめりになった体制のまま、ガラ空きの鳩尾に全力の拳を叩き込んだ。
「ごッッ──!?」
「なぁ、お前は知ってるか? 「油断大敵」って言葉を」
重い感触が拳に伝う、それをそのまま振り払うイメージで電力で振り抜いた。
「な、なにが? くっそ……」
腹部を抑えながら、ピエロマスクは呻く。
「ふざけるな、このクズがァァァ!」
叫びが反響する、二発もやられてピエロマスクは半狂乱。
「くたはれッッ!」
ド三流のような台詞とともに、腕を振るう。
それだけで、不可視の一撃が放たれる。
まともに喰らえば悶絶は不可避、ボロボロのこの身体じゃ意識さえ奪われかねない。
「……」
ニヤリと笑う。
自然に抜けた身体の力が、この場においての最適解を叩き出す。
「は……?」
ピエロの間抜けな声が心地いい。
「悪いな、俺はこの痛みを知っている」
そのまま走り出す。
何度も何度も、ピエロは腕を振るう、まるでそれしか脳がない猿のように。
「全部、知っている」
横腹を狙った攻撃を身体を捻って躱す。
顔面を狙った一撃を腕で軌道を逸らして受け流す。
足元を狙った爆発を地面を転がって回避する。
「クソっ! クソっ! くそぉぉお!」
破壊が生まれる、悲劇が生まれる。
その度に、その隙間をくぐり抜ける。残り数メートル、ピエロマスクまで残り数メートル。
「クソがァァァァ!」
背後で何かが飛んでくる音がする。
「やっべ──」
回避不能。
今度こそ、回避不能。
「せめて一発ッッ!」
全力でピエロマまでの距離を詰める。
だが、昨日の痛みで今更になって足が上手く動かなくなる。
「ッ! ちくしょう、今更かこの野郎」
叫んで走る。
声を絞り出す、目指すは体育祭の時の最高速度。だが、背後の飛来する鉄パイプが気掛かりで仕方がない。
「夕陽君ッッ! 振り返るな! 鉄パイプは僕がなんとかする」
「アンタ、どうするつもりだ!?」
「いいから行けッッ! 僕の切り札!」
「……チッ! あぁ、もう! 背中は任せたぞッッ!?」
堪えろ、この痛みを飲み干せ。
操れる、巻き込め、飲み下せ、溜め込め。
「まだだッ! これならどうだぁぁ!」
ピエロの声と同タイミングで背後の鉄パイプと何かがぶつかる音がする。
「何するつも……」
ザクッッと嫌な感覚が足に伝う。
刺さっていたのはナイフ、まるで初めからそこにあったようにそのナイフはそこに刺さっていた。
鮮血が傷口から滲み出る、真っ赤な血が走る俺の足にまとわりつくように溢れ出る。
「……痛みはねぇよ」
吐き捨てる。
言葉を、思いを、痛みを吐き捨てる。
灼熱が太腿から全身に伝う、違和感が思考回路をジャックする。
それでも、俺は走らなければいけない。
「ぶちかませ、夕陽君ッッ!」
言われなくてもそのつもりだ。
固く硬く堅く拳を握る。
「まずは一発、借りは返すぜ」
空を斬る。
全身で空中に躍り出る。
「クソがッッ……」
最後の抵抗とばかりに腕を振るおうとする。
だが、もう遅い。もう、手が届く場所に、拳の届く場所にいる。
「グッッッッボッォ!!」
顔面の中心点に全力の拳を叩き込んだ。
何かがひしゃげる感覚が拳から全身に伝わってくる。
口や鼻から溢れ出た嫌に暖かい空気が拳を撫でた。
「はァ……はァ……はァ」
燃え尽きるような疲労感を吐き出す。
足に伝う違和感の権化を取り除こうと、太腿に刺さったナイフに指先が触れた瞬間、それは砕け散った。
「夕陽君、アイツは」
右肩を抑えながら、月夜先輩がコチラにゆっくりと歩いてくる。
「知らん、くたばったんじゃないっすか?」
転がった鉄パイプを拾い上げ、拳の感覚を確めながら、ピエロマスクに近ずいていく。
「……君、まさかその鉄パイプで」
「起き上がったらボッコボコにしてやろうと思って」
「うっわぁ、君って怖い」
言葉とは裏腹に、月夜先輩も武器になるものを探していた。
「さーてと、どんな面してやがるんだ」
ピエロマスクに手を伸ばす。
その時、突然、虚空から伸びた腕が俺の手を鷲掴みにした。
「……君は」
背後の月夜先輩が声を漏らす、驚きというより悲しみを孕んだ声で。
「お久しぶりっすね、王子様。相も変らず……いや、男前が上がったすかねぇ?」
白と黒の髪の毛のショートカット、不思議系巨乳美女、晃陽。
洗脳の症状を使用する『敵』
「それ以上は黙ってられないっすねぇ。大人しく、この場は引き下がって貰えませんか?」
「……悪いけど無理だな、こいつはココで潰す」
「あーりゃりゃ、怖い怖い」
晃陽の力は体躯に比べて強い。
手を引き剥がそうとしても、その手が剥がれることは無い。
「晃陽……君は」
「あぁ、アンタもいたんすか? 臆病者の人殺しさん」
「ッッ! 違う、僕は……」
「まぁいいですよ、今は貴方よりこの人を助けるのが本懐ですし」
睨み合いが続く、そして腕を掴まれていることに気がついた。
「……あっ、やっべ」
全力で腕を振るって晃陽の手を無理矢理引き剥がした、おかけで肩が少し痛い。
「……月夜先輩、引きますよ」
少し考えて呟いた。
借りは返しておきたい、後が怖いから。
それに、南雲の容態も気になる、こいつをどうにかしてピエロを月夜先輩に引き渡すのには少々時間がかかりそうだ。
「折角、そこにコイツがいるんだぞ!? そこで気絶してるんだぞ!? この気を逃したら、何人の症状持ちが犠牲になると思っているんだ!?」
「目的を見失うなよ、先輩。俺達がここに来た理由はなんだ? 南雲を助けに来たんだろうが。ボロボロのアイツを病院に連れていくのが先決だ」
「……だが、こいつを野放しにしておけば」
「顔も名前も知らんヤツなんざ後回しだ、俺達はヒーローでも主人公でもねぇんだよ」
「そんなことは……そんなことは僕が……僕が1番分かっている!」
「じゃあ考えろよ。ボロボロの南雲を直ぐに病院に連れていくのが先か、そこの骨の折れそうな巨乳を時間掛けてどうにかしてピエロを潰すのが先か」
俺は知っている。
万人を救う力などないことに、眼前の少女一人満足に救えなかった愚か者が自分だということに。
高望みすれば大切な何かを失ってしまう。南雲の容態は多分かなりヤバい、骨が4~5本折れていてもおかしくない。
「……分かった、今は君に従おう」
静かに月夜先輩が目を伏せる。
現状、俺の怪我の具合と月夜先輩の怪我の具合を考えても晃陽には多分勝てない、あの女は身体を相当鍛えている。
「仮は返したぞ、晃陽」
「えぇ、確かに。まぁ、安心してくださいよ、このケガじゃ暫くは派手に行動できないと思うっすからね」
月夜先輩と共に南雲を抱えて林を早々に離脱する、背後では不意に気配の消える感覚がした。
※※※※※※※※※※※※※※※※
医者の人達に南雲を任せ、俺も治療に向かおうと廊下を歩く。
先に治療の終わった月夜先輩は病院の下まできた紅音さんと夢唯を迎えに玄関まで行った。
「夕陽」
後方から声がかかる。
声音で一発で雨乃だと分かった、それと同時に言い知れぬ恐怖感が背筋をおそう。
「ひ、人違いです」
「……今ならまだ許してあげる」
「はろー、雨乃! 奇遇だな!」
「奇遇だな! じゃないでしょこのバカ」
バンっと小説で頭を叩かれた。
「……南雲は?」
「先生達に預けてるよ、今から俺も治療」
「あんた……太腿」
太ももに巻き付いた薄い白布に滲んだ血を眺め、雨乃が声を震わせた。
「あ……あぁ、ズブっとやられた」
雨乃は下を向いて表情を隠し、俺の手を取った。
「……早く治してもらいにいこう」
「あっ、おい、強い強い。どうしたんだお前?」
雨乃は俺をグイグイ引っ張って奥へ奥へと進んでいく。
「いいから行くの! バカ!」
子供のように雨乃が声を張り上げる。
不意に上がった顔に溜まっていたのは涙、俺の手を握る雨乃の手が小刻みに震える。
「……何でお前が泣いてんだよ」
「泣いてない! 馬鹿!」
「調子狂うなぁ」
なぜ泣いているのかよく分からないが、とりあえずこういう時は頭を撫でておくものとラブコメで言ってた、今はそれに倣うとしよう。
「触んな、馬鹿がうつる」
嗚咽混じりの熱っぽい息を吐き出しながら、雨乃が俺をキッと睨む。その眼力に思わず身じろいだ。
「……悪かった、反省してる」
その眼力に負けて、大人しく謝罪を述べた。
「心が篭ってない」
ジトーっと粘着質の瞳が俺を捉えて逃がさない、どうやら口ばかりの謝罪を読まれてしまったようだ。
「心配かけて悪かったな」
雨乃の頭をぐしゃっとしながらそう言って、手を振りほどいて歩きだした。後ろからは雨乃の足音が聞こえてくる。
「……なんで泣いたか、分かってんじゃん馬鹿」
聞こえるか聞こえないかぐらいの声量で、雨乃が呟いた。
「うっせぇ」
お返しとばかりに、俺も同じような声量で呟いた。
不思議と誰もいない廊下には、二人分の足音が響く。
片方はぎこちなく、片方はやけに力強い、俺たちの足音が響く。
「あーあ」
流石に雨斗さん怒るだろうなぁ。
不安と憂鬱を溜息に込めて吐き出して、大人しく扉をノックした。




