七十七話 代償
「おい紅星」
長年連れ添ったオンボロでポンコツな脳味噌をフル回転させて思考する。
とりあえず、今日の内に月夜先輩との蹴りはつけておきたい。
「聞いているのか? 紅星」
月陽先生は月夜先輩の姉だ、充分敵と考えてもいいだろう。安易に信用しては背後からやられかねない。
だが、先程の表情と言葉はとても嘘とは思えない、こういう時雨乃が居れば便利なのだが。
「おいー、紅星ー? どうしたー?」
そうだった、雨乃で思い出した。
昨日すっごいダサい所見せたままだったんだ、うっわぁ嫌われてたらどうしよう。あとから来たあの二人の方がカッコイイじゃん、追い払ってんだから、俺とか登場してフルボッコだぞ?
「紅星夕陽? どうした? 体調でも悪いのか?」
つうか、昨日の爆発は何だったんだ?
あれピエロもくたばってたから俺がやったのか? なにアレ流星一条? 自爆宝具的な何か? すんごい痛かったぞアレ。
しかも肩のあたりに変なアザ出来てるし、微妙に形がかっこいいやつ。
「おい! 紅星!」
「うぉ!? なんすか、でかい声出して」
「聞いているのか?」
「あー、はいはい聞いてます、聞いてますよ?」
「じゃあ、なんの話してたか言ってみろ」
「アレですよね、えっと……あ、そうだ。あの暴漢は四天王の一人にすぎなかったんですよね?」
「なんの話をしているんだお前は」
生徒指導部長が頭を抱えて溜息を吐いた。
すいません、考え事の方が忙しかったので。
「まぁ、先生、紅星も昨日の事件のショックで混乱しているんですよ」
ここで月陽先生の助け舟が出た。やっぱこの人が敵とは思えん、優しいし。
「むぅ……そうですかね? まあいい、昨日の傷が痛むようならば直ぐに保健室に行きなさい、先生方には欠席扱いにならないように私が言っておく。ところで、傷は痛むか?」
えぇ、痛むでしょうね、今から。
てか、暫くはサボり放題なのか……? ピエロいいやつ?
「ありがとうございまーす」
「そして、今回の件はあまり口外するな。学校側から注意喚起はするが、襲われた生徒の名前は出さないようにする、お前も言いふらしたりしないように」
「はーい」
「それじゃ、教室に戻りなさい」
時計に目を向ければ十一時五十五分、そろそろ時間だ。
「先生、傷が痛むんで少し保健室に行っていいですか?」
「……いいだろう。担当の先生には私の方から言っておく」
「失礼しました」
心の中でガッツポーズをしながら、保健室まで早歩き。
「とっとと保健室に行かねば!」
時間が無い、下手したら廊下でくたばる可能性もある。
というか、昨日の惨劇なら見て間違いなく死ぬ程痛い、嫌だなぁ、まじで憂鬱だ。
保健室に入室すると相も変わらず先生は居ない。
時計に目をやれば十一時五十九分と四十九秒、残り十一秒で痛みが倍になって押し寄せてくる。
保健室のベッドに横になり、枕に顔を埋めた。
五、四、三、二……一。
「ガッ……!?」
覚悟はしていたものの、全身に走った痛みに声が漏れた。
「あ、あ、あ……? あぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」
間抜けな叫びが溢れ出す。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
「あ……がっ!? ぐっふぅぅ、あっ、あっ、あぁぁぁぁ!!」
声を出さずに居られない、痛みが心まで支配する。
指先は痙攣するように震え、視界はブレて定まらない。
背面はハンマーで殴られ続けるような痛み、震える指先は爪の間に針を刺され続けるように痛い。
顔はグッチャグッチャになっていると錯覚するほど熱を灯し、脚には亀裂が入るような鋭く鈍い痛みが加わる。
地獄だった。
一年分の痛みが押し寄せた『あの日』と変わらぬ、常軌を逸した痛みに身体が悶え狂う、踊り狂う。
脳味噌は沸騰しそうなほど熱く暑く熱く溶け、細胞の一つ一つが刃のように身体を虐め続ける。
やめろ……やめろ……やめてくれ。
全身に迸る痛みに懇願せど、その願いは届かない。
これは代償なのだ、先送りにした代償。料金を後払いにした愚か者のツケが倍になって押し寄せただけの自業自得な叫び。
耳が聞こえない、ビーッという無機質な機械音しか判別できない。手には既に感覚はなく、脳はついに思考を放棄する。
終末に一人取り残された気分だ、この鮮烈なる痛みは俺の肉体だけではなく心まで酷く蝕む。
「……陽? ……んで! ……やく! 夕……!?」
うっすらと開いた瞼の隙間から懐かしい少女を見た気がした。
茹だった鼓膜にいつかの彼女の声が聞こえた。
感覚のない指先に優しいし幼馴染の手が触れた気がした。
────そして、暗転。
※※※※※※※※※※※※※※※※※
目が覚めると時刻は四時を回ろうとしていた。
四時間も気を失っていたのかと自分に悪態をついて溜息を一つ吐き出した。
気を失う前程では無いものの、未だに後払いの痛みが全身を蝕んでいる。
「目……醒めた?」
声の方向に首を傾けると、雨乃が俺の手を握って椅子に腰掛けていた。というか、右手の感覚がない。
「学校は?」
「サボっちゃった」
「そっか、サボっちゃったかー」
いたずらっ子のように笑う雨乃を見ていると、俺も少し笑ってしまった。
「身体は……大丈夫?」
「痛いなぁ、まだ」
嘘をついたところで、バレることなので正直に白状した。
静寂が場を支配する。
「ごめんね、夕陽。私の……私のせいだ」
小鹿のように震えながら、雨乃は声を絞り出した。
「いや、普通に違げぇよ。完全にピエロが悪い」
「でも……私の不注意だし、夕陽を追い出したのも私だし」
「あぁ、それはお前が悪い」
「……」
「まぁでも、俺も悪い。お前が何怒ってたかは知らんが、多分俺も悪かったんだろう」
「ごめん、夕陽」
また、沈黙。
そして同時に吹き出した。
「あーあ、ったく、仲直りなんて超簡単じゃねぇか」
「そうね」
仲直りするきっかけになったピエロには少しだけ感謝を……やっぱやめた、全身痛いし。
「昨日、ありがとね」
「……超カッコ悪かったけどな」
「何言ってんのよ、超かっこよかったわよ」
そう言ってニコッと笑う。
やめてくれ、マジでやめてくれ、素直に褒められるのに慣れてないから顔から火が吹き出しそうだ。
「あ、本気で照れてる」
「うるせぇ、ほんとうるせぇ」
毛布で顔を隠そうとして気づいた、右手が動かない?
その事実に気づいた時、右腕が震え出した。
「……雨乃、ちょっと右肩捲ってみてくれ」
「私の?」
「いや、俺の」
子首をかしげながら、右肩の袖を捲った雨乃の顔がそこで固まった。
「……なにこれ」
痣が不可思議な形を作っていた。
その形はまるで亀裂のように肩の上から手首の一歩手前までぐにゃぐにゃに伸びている。
「症状関係よね、これ?」
言葉を零したのは雨乃だった。
俺もそう思った、ピエロとの間に起こった不可思議な爆発に多分深く関わっている。
「……ピエロ、ピエロか。なぁ、雨乃」
「だめよ」
即答だった。
この女、すっかりいつものペースを取り戻してやがる。
「なぁ、話ぐ……」
「いや」
「そう言わずに、な?」
「だめ」
禅問答である、水掛理論である、このままじゃ埒が明かない。
「ちょっとトイレに」
ベッドから動こうとした瞬間、首元に何か鋭く冷たい物が当たった。
「あ、雨乃さーん?」
「だめよ、動いちゃダメ」
「ちょっとー? これなにー?」
「動かないでね? 私もコレを動かしたくないから」
ハイライトOFFだと……!?
目が据わってやがる、この女本気だ。
「いや、でもトイレに」
「漏らしなさい、全部拭いてあげるから」
「それなんて羞恥プレ……ッッ〜!?」
叫んだ瞬間、腹部が鈍く痛み蹲る。
「そのざまで外に出ると? 死ぬ気なの? 馬鹿なの?」
「おう、馬鹿だよ」
痛みにひたすら悶えながら体制を起こすと、雨乃の両手が俺の頬をガシッと捉える。
「今回、私は怒っています」
「ふぁい」
「自分の不甲斐なさと、夕陽の馬鹿さ加減にです」
「ふぁい」
ギュッと俺の頬を握る手は次第に弱くなっていく、それに引っ張られるように雨乃の声も小さくなっていく。
「死んじゃうかと思いました、今回も」
「……」
「私は嫌です。夕陽が居なくなるのは、嫌です。絶対に何があっても嫌です、容認できません」
唇を噛み締めながら、少女は嘆く。己の不甲斐なさを、ただ悔しそうに嘆く。
「夕陽が傷つくのが嫌です。本当は危ないことにだって首を突っ込んで欲しくないし、こうやって……こうやって毎度毎度入院する度にこれが最後であって欲しいと思います」
伸びた手は解け、俺の胸ぐらを掴むような形になる。
「夕陽の叫び声は何度聞いたって辛い、夕陽が苦痛に顔を歪めるのはもっともっと辛い。そうやって、私の前でだけ強がろうとするのはもっともっともっと辛い」
懇願に近かった。
涙に濡れた無垢な瞳が俺を見据える、まるで俺の罪が顕にされている気分だ、ずっとずーっと目を背けてきた罪が。
「だからさ……もうやめよう? そうやって、傷つくのはもうやめよう? 普通にさ……楽しく生きよう。夕陽が、そんな感覚が麻痺してしまうぐらい痛みをおう必要なんてないの、夕陽だけが傷つかなきゃいけない理由なんてないの」
雨乃の頭が俺の胸部にコツんと当たる。
酷く痛かった、今までのどんな痛みよりも一等痛かった。
「誰かのために傷を負う必要なんてないの。誰かの痛みを背負う必要なんてないの。夕陽が、後送りにしないといけないような痛みなんて本当はないの。もう、傷つかなくていいんだよ、夕陽」
彼女の喉から嗚咽が漏れた。
それは麻薬のような言葉だった。
ずっと、ずっと隣で俺のことを見てきた彼女だからこそ言える、この言葉。無責任などではない、彼女なりの覚悟の言葉。
「ごめん、雨乃」
優しくその頭を撫でつけて、グイッと離す。
赤く腫れたその瞼から彼女の想いが伝わってくる。
酷い男だ、全くもってクソ野郎だ。
雨乃にこんな言葉をかけられてもなお、俺は自分の生き方を曲げることが出来ずにいる、優しい嘘の一つもついてやれない自分がいる。
痛みと共に生きてきた人生だった。
痛みで学んだことが人一倍あった、誰かの痛みで気づいたことが幾つもあった。だから俺は、こんな自分も嫌いになれなかった。
鈍く痛むこの痛みすらも、身体に残る傷すらも愛おしいと思ってしまう自分がいた。
「どうしようもないなぁ」
ポツリと言葉を吐き出した。
鈍く痛む身体、鋭く痛む心。
その全てを引きずってゆっくりと立ち上がる。
「今日やるって決めたことがあるんだ」
「行かないでよ……夕陽」
力なく袖を掴む幼子のような彼女の腕を振りほどいて、愚かなる大馬鹿者は歩みを進める。
「大丈夫だよ、雨乃」
優しい嘘はつけない、代わりに真実を伝えよう。
唇に手を当てて、精一杯茶化すように嘲て言葉を紡ぐ。
「俺は、死なないようにできてるから」
いつもは泣かない彼女は、今日はよく涙を流す。
泣きながら笑って、笑いながら泣いて、彼女は微かに微笑んだ。
「ばーか」
壁にかけてある学ランを羽織る、震える指じゃボタンは止められなかった。
「行ってきます」
病室を抜けたあと、雨斗さんや顔見知りの看護師さんに見つからないようにスパイばりの動きで病院から飛び出すと、聞きなれたバイクのエンジン音が響いた。
「乗ってくか?」
そう言って、南雲は俺にメットを放る。
「行き先分かってんのか?」
投げられたメットを被りながら、尋ねるとヘラヘラ笑う。
「地獄までだろ?」
「いいや、学校まで」
「そーかい。じゃあ、しっかり捕まってろ」
爆音を放ちながらバイクが車道に飛び出した、学ラン1枚では十一月の寒さは身体にこたえる、ボロボロの身体じゃ特に。
惚けた脳味噌を冷気が冷やす。
これでいい、きっと彼女が気に入ってくれている俺はこんな生き方しかできない俺だから。
くっさいエゴイズムを振りかざしながら、心を切り替えた。
※※※※※※※※※※※※※※※※
階段を上る。
僕はまたひとつ階段を上る。
足取りは重く、身体はもっともっと重い。
冷たさを求め、屋上の階段を登りきり、屋上の扉に手をかけた。
ドアを開けると紅く燃える夕日が視界をジャックする。
暴風のように吹き荒れる冷気が全身を掴んではなさない。
そして、声が響いた。
「よォ、先輩。待ってたぜ」
その男はそこに居た。
風の強い屋上の手摺に腰掛けて、不敵に笑う。
「ちょっとばかし付き合えよ」
トンっと地面に着地しながら、男は笑う。
どこまでも強気に不敵に豪気に笑う。
ボロボロの身体で、痛みを引きずってなおも笑い続ける。
「いつかの放課後みたいにさ」
紅星夕陽は紅く燃える夕日を背にして、この場所にたっていた。




