七十二話 喧嘩
しっかりと呼吸を整える。
眼前にある家が、今では魔王城のようにも見える。
今日は雨斗さんも琴音さんも帰ってこない、いつも通りの2人っきりなのだが、それすらも緊張の原因であった。
向き合うと決めた、気持ちを考えると決めた、雨乃の症状を当てにするのもやめた。
言いたいことは言葉に出して、分からないなら分かるまで話し合えばいい。ガキの頃にやっていた事だ、今の俺に出来ぬ道理はないだろう。
「ただいまー」
廊下の電気はついていない、二階に上がる階段の電気もついていない。リビングの方では何かを洗う音が聞こえる、つまりは雨乃はリビングにいるのだ。
鍵をかけて、絶好のチャンスに思わず神に感謝する。まぁ、特にこれといって信仰している神はいないが。
「おかえり」
リビングのドアを開けると、丁度料理が終わったのかエプロンを外している雨乃が無愛想な面で出迎えてくれた。
「おう、ただいま」
長い沈黙、そして。
「もうすぐご飯できるから手洗ってきたら?」
「あ、あぁ、そうだな」
相槌を打って、早々に戦線を離脱した。
無理無理無理無理! あれは無理だ、無茶だ。
あっれぇー? 俺って今までどんな話で雨乃と喋ってたってけ? どんなテンポで会話を弾ませていたっけ?
暫く話さないだけで、ここまでキツくなるとは思わなかった。冷水に顔を晒して思考をクリアにしながら溜息を一つ。
学校の男子共が雨乃と喋れない訳が分かった気がした、ありゃ無理だ。関係が深い俺でもこのザマだ、関わりのないポっと出の奴らが会話を成立させられる確率は極めて低い。
思ったよりも強敵だ、ひのきのぼうで果たして魔王は倒せるか?
やって見なくては分からない、縛りプレイも脳死プレイも大歓迎、クリア出来るなら手を尽くそう。
だけど、それでも、胃はキリキリと傷んだ。
※※※※※※※※※※※
カチャっと椀に箸が当たる音が響く
久方振りの雨乃との食事、されど以前のような楽しげな雰囲気は微塵もない。
あるのは恐ろしい程の静けさだけ、呼吸音すら気になるほどに精神的に参ってしまう。
件の雨乃と言えば、先程から俺と目を合わせないように立ち回っていやがる。おいこら、見てんだろ、話聞け。
「……なに? じっと見て」
悶々としながら、飯を食べ終え食後のコーヒーを口に含んだ。
そして、突然振動したスマホの音を勝手に心の中で開戦のゴングとし口を開いた。
「なぁ、雨乃」
「……なに?」
ブラックコーヒーが苦いのか、それとも俺の話を聞きたくないのか、苦い顔をしながら雨乃が答える。
「あのさ、お前さ」
「うん」
「もしかして怒ってる?」
「……別に」
いや、もう怒ってんじゃん。
その態度が完全に怒ってるんですよ雨乃さん。貧乏揺すりと頬杖をついた状態で耳横の髪を掻きあげるその仕草、怒ってる時の雨乃の反応だ、それも最上級でキレてる時。
「……」
「……」
冷やかな睨み合いが続く。
「別に怒ってないから気にしないで」
「じゃあ何で冷たいんだよ、そんなに」
「別に、普段と変わらないじゃない」
吐き捨てるような雨乃の言葉を聞いて、思わず鼻から笑いが零れた。
「……言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ!」
バンっとテーブルに身を乗り出して、珍しくも激昴した雨乃が大声を出した。
「何ヒステリック起こしてんだお前は、意味わかんねぇって言ってんだよ」
「意味わかんないって何が!? 私なんにもしてないのにさ、夕陽が私が怒ってるとかイチャモンつけてくるからでしょ!?」
「そういう所だろうが! なんで今日はそんなにブチ切れてんだよバカ!」
「なっ! 夕陽にバカとか言われたくないんだけど!」
違うだろうが、俺が言いたいことはそんなんじゃねぇだろうが。
必死に自分で自分にブレーキをかけようとするが、もう収まりが効かない、理性という名のブレーキはイカれている。
「あぁ! くっそムカつくなお前!」
「こっちがムカついてんのよ! バカ!」
「テメェのその空かした面が気に食わねぇ! 言いたいことがあるならはっきり言えよ! わっかんねぇんだよお前は!」
「だから何もないって言ってんじゃん! アンタって本当にしつこいわね! この、クソ男!」
「遠回しにそれっぽい態度取れば俺が気づくと思ったか? 分からねぇんだよ、こっちはキチンと言ってもらわないと! 俺に非があるなら謝る。だけどな、お前がその理由も話さねぇではぐらしてるからこんなことになってんだろうが!」
「なに!? 私のせいって言いたいわけ!?」
喧嘩は爆発的にヒートアップする。
お互いもう歯止めが効かない、言っていいことと悪いことの区別も付かずに言い合いは加速する。
全然関係ない昔の事象や、ちょっとした文句や愚痴すらも火を燃え上がらせるガソリンとなる。
そして、決定的な一言を雨乃が放った。
「──ッッ! アンタの顔なんて二度と見たくない! 死ね! バカ!」
小学生のような幼稚な罵倒、だが今の俺には十分にクリティカルダメージをたたき出す。
「──あぁ、そうかよ」
吐き捨てるように舌打ちを繰り出して、リビングの扉を力いっぱい閉める。激しい破裂音にも似た爆音と共に扉は閉められた。
そのまま、俺は階段を駆け上り上着を羽織った。
あぁ、クソ、ムカつく。
死ぬほどムカつくあの女!
行き場のないムカムカをどうにかしようとするも、それすらも叶わない。ただただ怒りが募るだけ。
財布だけをポケットにぶち込み、そのまま靴を履いた。
背後からはリビングの扉を開けてコチラに向かってくる雨乃の足音が背後で感じられる。だが、振り返らない。
「ねぇ、夕陽……?」
俺はその声に、問に答えない。
今応えると、何を口走るか分かったもんじゃない。
「──じゃあな」
靴紐を結び終わると、静かに立ち上がり言葉を吐いた。
酷く冷たいドアノブを捻りながら、引き締まった寒さが支配する夜の街に足を踏み出す。
「夕陽!?」
門扉を潜る前、一度だけその言葉に振り返ると、目のギリギリまで涙を溜めた雨乃がコチラを見ていた。
あぁ、くそ。
話し合う筈だっただろうが、仲直りするはずだっただろうが、考える筈だっただろうが。
自分の愚かさに、馬鹿さ加減に心底腹が立つ。
雨乃にそんな面させるために話し合いを開始したはずじゃないはずなのに、何やってんだ俺は。
何も言うことなく、一歩また一歩、深く濃い夜闇に身体をさらけ出し、夜の街に自分を溶かすように歩き出す。
あわよくば、こんな自分も一緒に闇世の中に消してくれ。
※※※※※※※※※※※※※※
暫く寒空の下に身を晒せば、夜の寒さが身体の熱を絡めるように奪い取っていった。
ヒートアップした脳味噌は今ではすっかり冷却されて、自分の愚かさを鼻で笑えるぐらいには機能は回復していた。
「……なにしてんだ」
「よっ!」
時刻は九時を回ったころ、人も街灯も多い駅前にて震える身体でとある人物を待っていたのだが、その人物は俺の予想よりも速く駅に降り立ってくれた。
「何も聞かずに泊めてくんね? 瑛叶」
パンっと両手を合わせて頭を下げる。
「ったく、しゃーねーなお前は」
すると、ヒヒッと幼さを感じさせる笑みを浮かべて俺の頭を軽く叩くと「行くぞ」と言って歩き出した。
「悪いな、急に」
「もう慣れてっからいいよ。家の親もお前になら色々気を使わなくていいって日頃から言ってるしなー」
瑛叶の父は俺の父親の後輩らしい、正確に言えば雨乃の両親と俺の母親も当てはまるが。
俺達3人は親繋がりで幼馴染なのだ。
「てか、泊まるのは良いんだけどさ」
「おん」
「LINEなりTwitterなりで連絡しろや」
「スマホ忘れちった」
「……どんだけド派手にやり合ったんだお前ら」
「馬鹿じゃねぇのか良い歳こいて」と親友に本気で呆れられて、立つ瀬がなくなる。
「持ってんのは?」
「財布(六百円)と貞操」
「ほんと情けないなお前」
「うるせぇ死ね」
横を歩く瑛叶の尻に軽いケリを入れながら頭をかいた。
「あぁー! ちくしょう! マジでむかつくあの女ァァァ!」
「なにやってんだ、お前マジで」
噴き出しながら、瑛叶がゲラゲラ笑う。
「部活後で疲れってけど、愚痴ぐらいなら聞いてやるよ」
はぁっと溜息を吐き出しながら、オーバーアクションで瑛叶が肩を竦めた。
「……ほんっっっっと、なんでお前に彼女できねぇんだろうなぁ。良い奴なのに」
「本当それな、俺が一番思ってるからソレ」
瑛叶の家に向いながら、風呂入ったか? とか、何食った? とか意味の無い下らない会話を続ける。
その下らない会話が荒れ果てた精神状態には何よりも有難かった。
※※※※※※※※※※※※※
やってしまった。
ソファの上で体操座りして自分の愚かさを攻める。
「なにやってんの私」
絶対に言っちゃいけないことを言ってしまった、夕陽が悪い訳じゃない、下らないヤキモチを妬いて八つ当たりを繰り返した私が前面的に悪いのだ。
小学生のような罵詈雑言、会話内容は子供の頃から進歩してない。
「夕陽……スマホも持たないでどこ行くつもりだろ」
その時だった、テーブルの上に置いておいたスマホが鳴った。
「……?」
相手は瑛叶、送られてきたのは画像。
陰鬱な気持ちを引きずったままでLINEのトークを立ち上げて画像をダウンロードすると、不機嫌そうな姿でコーヒーを買っている夕陽の後ろ姿が送られてきた。
『現在、お宅のお馬鹿さんは俺が責任もって保護してるから御心配なく』
可愛い犬が親指を突き立てるスタンプと共に、そんな文章が送られてきた。
間違いなく、このスタンプの趣味は元カノの趣味だろうなぁとか場違いなことを思いつつ、ホッと胸をなで下ろした。
「夕陽は瑛叶の家か……安心した」
『長引くと面倒臭くなるぞ、この馬鹿は特に。今もボソボソ自問自答してるし』
この文を打っている瑛叶の呆れ顔がまじまじと浮かぶ。
私と夕陽の喧嘩の内容を聞いて「ガキか」とでも思っているのだろう、全くもって情けない。
『ありがとう、頼んだ』と一言送ってスマホを閉じる。
「なーにやってんだ私」
頑張って話しかけようとしてくれた夕陽に対して、何故かイラついてキツく当たった。
それだけじゃない「死ね」とも言ってしまった。
「……絶対怒ってる」
どんなに酷い喧嘩をしても「死ね」なんて言ったこと無かったのに。
「……はぁ」
騒がしいアイツの居ない、この広い家は恐ろしい。
背筋を意味の分からない寒気が襲う。
居るだけで、良かったのだ。アイツが居る、それだけで満たされいたのだ。
壊れた物は治らない、だけどまだ私達は何とかなる。
素直に、許してくれるまで謝ろう。頑張って話し合おう、面と向かって「嫌い」だと言われても仕方ない。
「あぁぁぁぁ! ほんっとにもう」
頭の中に渦巻く無限のような最悪を振り切って、私は自分の頬を叩いた。




