七十一話 寒空
「それじゃあ、文化祭はカフェでいいですかー?」
文化委員の女子の甘ったるい声を何とか寝惚けた脳味噌で聞き取って、皆と同じ様に了承の声を出した。
「ねっみぃー」
夢唯に付き合わされて、徹夜でゲームの協力プレイに勤しむべきでは無かった、現在進行形で死ぬほど眠い。
「おい、夕陽」
「あー?」
そろそろ本格的に寝に入るかと思っていたのに、前方から声を抑えた瑛叶に話しかけられる。
「なに?」
「カフェってあれ、メイド服とか着るのかね?」
「知らんけども、着るんじゃね?」
「メイド服よりチャイナ服がいいんだよなぁ」
「エロいから?」
「エロいから」
こいつの頭の中には煩悩しかないのか?
「つか、俺お化け屋敷が良かったわー」
声量を上げて瑛叶が声を上げたら、回りの馬鹿共も「それなー」とか言い出し始める。一回決まった後に言うのは面倒臭い奴の典型だなーと思いながらも、どうでもいいので顔を伏せた。
「なぁ、夕陽」
「今度はなんだよ、こちとら眠いんじゃボケ、眠らせろ」
「お前、女装すれば?」
「死ね」
中指を立てて舌打ち混じりに顔を伏せる。
とっとと放課後になれ、雨乃との関係修復に少しでも時間を裂きたいのだ! このぼんやり頭ではダメなので、少し眠って思考をクリアにして事に当たろう。
そう思って睡眠に入った俺は、手の施しようのないアホだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※
唖然、まさに唖然。
目の前の状況に茫然自失、意味が分からない。
黒板に書かれてある言葉を目を擦って見返すと、そこにはでかでかと『2年4組ハロウィンカフェ男子責任者・紅星 夕陽』そう書かれてあった。
「どんまい、ゆっひー」
化猫モードの陸奥に肩を叩かれると、俺の手から通学カバンが滑り落ちた。
「なんで!? なんで!? なんでワタシなのぉぉおぉぉ!」
「ゆっひー、テンパりすぎておねぇみたいになってる」
「どういう事なんだ!? ま・じ・で!」
勢い余って極至近距離まで陸奥に詰め寄ると、落ち着けと言わんばかりに腹に正拳突きを貰いうずくまった。
「ゆっひー、6限寝てたじゃん? あの後ね、カフェの責任者を男子一名・女子一名出さなきゃ行けなかったんだよね。そしたら、瑛叶のアホが「夕陽でいいんじゃないっすかー」って」
「ちょっと待ってろ」
バッグを置いて、屈伸してアキレス腱を伸ばす。
息を整え、クラウチングスタートの構えをとってドアの先を睨んだ。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッッ!」
廊下を駆け巡り、階段を飛び跳ねる。
注意する先生を振り切って、手を振る後輩には鼻息で返答して、上履きすら履き変えずに部活棟のサッカー部の部室まで駆け抜けた。
「フンッッ!」
力いっぱいドアを開けると、スパイクを履き替えていた瑛叶が目の前にいた。
「あ、やっべ」
「死ねぇぇぇぇぇええッッッ!」
拳に力いっぱい殺意を込めて、ゴンさんばりの威力で瑛叶の腹部めがけ解き放った。
「ゴフっっ!」
「──てめぇの罪を数えろぉ」
「ちょ! ちょ待って! や、やだなー、夕陽君。僕達親友だろ!? 笑って流せよ。な!? な!?」
「貴様のような屑と親友になった覚えも、これから先なる覚えもないわ。死してその罪を精算しろ」
「口調が世紀末覇者みたいになってっから! ひぃぃぃ! お前、そのキレかた殿堂入り間近のポケモンのセーブデータ消した時ぐらい怒ってんじゃん!」
「てめぇはさぁ、人が雨乃と仲直りするために放課後に時間を裂こうとしている時に、とんでもねぇことしてくれたなぁ?」
「ちょ! 痛い! い、痛い! マジやめて! サッカー部だから! オスグット蹴るのやめて!」
「一辺地獄を見ろ」
「ちょ、まっ、おいお前ら助けろ! ゆっくり後ずさるな! ちょ、マジやめて! ごめんなさい! 学食奢るから! 焼肉定食奢るからぁぁぁぁ!」
悲鳴と返り血をあびながら、クソ野郎を殴り続けた。
サッカー部の部室には、血でできた水溜まりと、そこに横たわる女運無し男の屍が転がっていたという。
・・・・・・・・・・・・・
「お、おかえり。ゆっひー」
「おう、ただいま。……ウェットティッシュ持ってる?」
「ウェットティッシュじゃ返り血は取れないよ?」
恐る恐る差し出されたウェットティッシュで顔を拭きながら、雨乃の方に視線を送る。
「……あれ?」
「「私先に帰るから」以上」
「ちょっくら瑛叶殺してくる」
「はいストーップ。今から二学年の各責任者で各クラスで何するか発表しに行かなきゃ行けないのよ」
「ちくしょぉぉぉ! 仲直りさぁーせーろーよぉぉ!」
「はいはい、後で愚痴聞いてあげるから、行くわよー」
ゴリラ(空手部)に首根っこ引っ掴まれて、会議室に連行される。
室内に入れば、見知った顔もチラホラ、その中には意外な人物も居座っていた。
「へぇ、めっずらしいな。引きこもりの夢唯が居るなんて」
「グェェ」
夢唯のフードの上に体重をかけると、カエルを押し潰したような気持ちの悪い声を上げた。
「お、重い!」
「んで、なんでお前いんの?」
頭から体重を外してやって、近い椅子を引っ張り出して座りながら質問すると、照れくさそうに頬をかきながらそっぽを向いた。
「そっからは俺が回答してやんよ。夢唯がな? せっかくだから高校生らしい……」
「ちょ、南雲! 言うなぁぁ」
「せっかくだから高校生らしい事をしてみたいってことで、文化祭のクラス責任者に立候補したわけよ」
「へぇ、腐った魚の骨でいい?」
「え、なに? 投げつけんの?」
「今俺は荒んでんだよ、いつもなら茶化すけども、今の俺には嫌がらせにしか見えない」
顔を覆って蹲ると、陸奥を含め3人から肩を叩かれた。
「最近の夕陽は見ててボク辛い」
「あぁ、まさに悲惨だな」
「人間こうなっちゃお終いだよねー」
「おいこら、貶めるのか優しくするのかどっちかにしろや」
俺の人生最近いつもこうだ、誰もお前を愛さない()
「先生来たから座んなきゃ」
俺・南雲・夢唯・陸奥の順に並ぶと、早速先生の注意事項が開始されたが、俺も南雲も相方任せで小声で喋り始めた。
「つか、なんでヤンキー君いるんすか?」
「あ? 夢唯に「将来のことを考えて、真面目にして」って結構本気で言われちまってなぁ。最近、授業もちゃんと出てる」
「禁煙は?」
「値上がりしたら辞める」
「絶対やめねぇなお前」
「頑張るよ、ぼちぼちな」
ふぅーっと息を吐き出して、ケラケラと幸せそうに笑った。
先生に睨まれたため、話は中断したものの、その南雲の幸せそうな姿を見て、少しだけ安堵して、少しだけ妬んだ。
どうやら思いの外、俺の心には余裕が無いらしい。
親指の腹でこめかみを軽くグリグリして溜息を吐き出した。
とっとと、仲直りして今まで通りの日常を送りたいのだが、如何せん怒ってる理由も分からなければ、つまらんプライドが邪魔して謝ることも出来ない。
くだらん男のくだらんプライドだと自らを嘲笑した。
だけど、何故だかそのくだらんプライドが大切にも思える、実に意味の分からん思考回路だ。
イカレ狂った思考と浮ついた心、修復不可能なまでの精神状態、今の俺ではろくな答えは叩きだせまい。
ならば、外部から知恵を借りるのが一番の解決策だろう。
恥を偲んでここは数少ない彼女の友人で、親友であるところの夢唯か陸奥に相談するのが一番の解決策だろう。
だが、如何せん気は進まなかった。
※※※※※※※※※※※※※※
日暮れと共にカラスが鳴いた、やかましい鳴き声で人目を憚ることもなく、遠慮なしに鳴いた。
季節と共に日没の時刻も早まるものだが、十月だというのにも関わらず、六時を過ぎれば気がつけば辺り一面薄暗くなっている。
首筋に張り付いた寒気に思わず身体を震わせて、手元にあったコーンスープの缶を振った。
「寒そうだね、ゆっひー」
「おっせぇんだよ、陸奥」
「めんごめんごー、ちょっち顧問と話してたからねぇ」
部活がないらしく、相談を聞いてもらうのにもピッタリだと思い、一緒に帰らないかと誘ってみると、一瞬間抜けな顔をして直ぐに「あぁ、そういう事か」と自己完結してくれた。
説明の手間が省けるのはいい事だ、本当に。
「今年の十二月はとてつもなく寒くなるらしいね」
「まじでか」
日常会話を楽しみつつ、横断歩道を信号点滅前に渡り切る。
腕時計に時間を落とせば、最寄りの駅までいく車線には幾許かの余裕があるようだ。
「コンビニ寄っていいー?」
「時間に余裕ありそうだからいいぞ、なんか買うのか?」
「小腹が空いたからチキンでも……と思ってね、奢ったげよっか?」
「おう、頼む」
「雨乃が相手だったらゆっひーが出すんじゃないの?」
「でもお前は雨乃じゃねぇだろ」
気だるげに呟くと、隣の陸奥が軽く微笑んだ。
「な、なんだよ」
「いやー? 喧嘩してても好きなんだなーと思ってさ」
「好きなのは好きだけど、イラッとくるのはイラってきてる」
「まぁ、ゆっひーからしたら意味わからん怒り方だよねぇ。雨乃は」
「……アイツが怒ってる理由、お前知ってんのか?」
「さぁ、どうでしょう」
唇に指を当ててウィンクを一つ、陸奥はいたずらっ子のように微笑むだけで何も言ってはくれなかった。
俺に答えはくれなかった。
「まぁ、自称敏感が聞いて呆れるよねぇ」
意地の悪い笑みを浮かべて、責め立てるようにおちょくり始める。
「事実敏感だろうが、他人の気持ちには」
「そうだね、敏感だね。他人の気持ちには」
「……何が言いたい?」
「なーに、距離が近過ぎるのも考えものだと思っただけよ。少なくとも夕陽にとって雨乃は『他人』なんて言葉で言い切れるほど浅い関係じゃないはずだけど?」
「……」
言われた通りだ、雨乃は他人なんて言葉で言い切れるほど浅い関係じゃない。
「瑛叶や南雲がさ、ゆっひーの肩を持つように。私や夢唯はついつい雨乃側に意見が偏っちゃうのよ。だから、ぶっちゃけゆっひーにはイラッとくることもあるのだよ」
「さいですか」
すっかり空になったコーンスープの缶を沈黙を埋めるために傾けた。
「もっとさ、雨乃の気持ちをあげてよ夕陽。雨乃なら言わなくても分かるからとかじゃなくてさ、雨乃の目を見て気持ちを考えてあげてよ。じゃないと、あの子が可愛そうだから」
「……善処するよ。出来るだけな」
「出来るだけ……じゃなくて、やらなきゃ駄目なの」
「ったく、次から次に厄介事が増えてくなぁ」
口元から変な笑いが零れ出た。
雨乃の気持ちを考えろ……か、下手すりゃ一番めんどくさいことかもしれない。
偏屈で鉄面皮で死ぬほど面倒くさくて、泣き虫で強がりで見栄っ張りで俺と同レベルのアホの気持ちを考えるなんて考えただけでも思考回路がパンクしそうだ。
だけど、やるしかない。
とっとと仲直りして、次から次に降り掛かる厄介事を蹴飛ばして。
目指すのは一片の曇もないパーフェクトゲームだ。
「てい」
陸奥のほっぺたをぐいっと抓る。
「いひゃい!」
パッと手を離すと陸奥は後ずさりしながら野獣のような眼光で俺を睨みつける。
「唐突になに!?」
「いんや、確認したかっただけだよ」
「確認?」
心底不思議そうに小首を傾げる陸奥を追い越しながら、ニヤリと笑った。
「やっぱし、抓るんなら雨乃の頬が一番だ」
寒空の中、コーンスープの缶をゴミ箱に放り投げながら吐き捨てるように言い放った。




