七十話 Autumn colors
緑色に力強く光っていた草木は赤く色付き風に揺れる。
開けた窓の網戸から勢いよく風が頬に当たれば、少しだけ身震いするような寒さが全身を包んだ。
「秋だな」
誰にともなく呟いて、冷蔵庫からアイスコーヒーを取り出した。
いつもならリビングにいそうな彼女も、夏休みを経て部屋にこもりがちになってしまった。
今では、あまり会話もない。
幼馴染というのは気心知れた中である。
何をしたら喜ぶか、何を言ったら怒るか、ある程度は完璧に把握しているので、あまり喧嘩は起こらない。
だが、一度喧嘩に火が付けば収まりが効かなくなることもしばしばあるのだ。まさに、今がその状態である。
「めんどくせぇなぁ」
俺としても結構今現在怒っているのだ。
夏休みのあの旅行の後から妙に当たりの強い彼女に対して、ついイラッときて心無いことを言ってしまった事実もある。
なので、物凄く話しかけづらい。
そんな訳で、俺と雨乃は喧嘩を繰り広げていたのであった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「んで、それを後輩女子に相談ですか。そうですか」
パクっとパフェを口に運んで冬華が馬鹿を見る目で俺を見てきた。
「うるっせぇなぁ、しょうがないだろ」
「てか、何したか分かんないですか?」
「心当たりが微塵もねぇ」
夏の旅行後からだから、それも、あるとしたら旅行中。
思い当たる節はあるものの、あれだけで口を聞くのも嫌になるほど嫌われるのだろうか?
「女の子は以外に繊細ですからね。あ、もちろん私も」
「口の端に生クリーム付けるやつが繊細ねぇ」
「……人それぞれですよ」
さいですか。
まぁ、あの女も別に繊細じゃない訳でもないか。
「それにしても数回振った女子をカフェに誘って期待させておいてした話が違う女の話ですか、そうですか」
「夢唯とか陸奥とかに相談するのはなんか照れくさいし、南雲と瑛叶と話すと脱線するし。紅音さんとか月夜先輩はなんか癪だし、夏華は茶化すし、と来たら?」
「先輩に気があって、休日に誘い出せば間違いなく乗ってくる後輩女子を選んだわけですか。うわぁ、先輩さいてー」
頬についたクリームを拭き取ってゴミを見る目を向けてくる。
「……その気持ちを利用してないといえば嘘になります」
「正直なのは先輩の美徳です、なので許しちゃいまーす! パフェ奢ってくれるみたいですしね?」
……財布に金入ってたかな。
「まぁ、とりあえず謝ってみればいいのでは?」
「理由がわからない限り謝りたくない。なんか気持ち的に」
「じゃあモノで釣るとか?」
「モノで釣れるような女なら、あそこまで孤立せんだろうよ」
「いつもの調子で話しかけるとか?」
「話しかける前に心読まれて避けられる」
「……もういっそ押し倒す?」
「意味分からん」
この後輩は時として予想外の答えを、意味の分からない思考回路で導き出す時があるのを最近嫌というほど理解した。
短く溜息を吐き出した、最近の俺は溜息ばかりの気がしてならない、幸せが多分数十年分逃げている。
「溜息しちゃうと幸せが逃げますよ?」
「迷信だろ、それ」
「いやぁ、意外にそうとも言いきれないですよ? 落ち込んだ心のままでは前に進めないですからね」
「だからいいことが無いってか」
「イエス!」
やばいな、俺。
宝くじが当たるぐらいのラッキーがないと立ち直れんぞ。
「まぁ、文化祭もありますし? どんな鉄面皮な女性でも祭りの熱気に当てられれば少しはチョロくなるんじゃ?」
「文化祭……文化祭ねぇ。文化祭かぁー、やっぱそこか」
「えっと、確か3年が校舎外に出店だして、2年生が教室内で出来る出し物、1年が特に何も無いんですよね?」
「おう、そうなるな」
「先輩達はなにするんですか?」
「今んとこ出てるのはカフェかお化け屋敷だな」
お化け屋敷をする場合は4クラス打ち抜いて本気で作ると言う案も出ているので、作業は面倒くさそうなのだ。
だが、カフェはカフェでもハロウィンカフェ、飾り付けや傷メイクなるものも拵えなければならぬとなると、これまた作業量が増える。
「文化祭って準備期間中に作業せずに駄べってる時が1番楽しいと思うんだよ」
「体験したことないんで分からないんですけど、言いたいことは理解出来ます」
去年は雨乃達と回ったけど、仲直りしないと野郎二人と……いや、南雲は夢唯と回るから、実質瑛叶と二人きり?
それはいやだ、めっちゃ嫌だ。こうなったら、みんな寄せ集めて男子集団で回るか。
「せんぱーい、好きなんで付き合ってくださーい」
「唐突にどうしたお前。あと、お断りします」
「チッ、攻略難易度高すぎですよ先輩」
「おう、最難関だよ」
適当なこと呟きながら、ココアを一口含んだ。
ココア特有の甘ったるい匂いが鼻から抜けるのに合わせて、ほうっと息を投げ出した。
「そう言えば、うちの文化祭って後夜祭あるんですね」
「いまどき珍しいよな、後夜祭あるなんて」
文化祭目当てでウチの学校に入る生徒も居るなんて噂があるぐらいだし、他校の生徒からは羨ましいとも言われる。
「まぁ、俺は初参加だけどな。後夜祭」
「何でですか?」
思い出したくも無い、忌々しい後夜祭。
「三勝二敗」
「へ? 三勝二敗って」
「南雲との戦績」
「ま、まさか……先輩」
「そのまさかだ」
去年の後夜祭は喧嘩して指導室で過ごしました。
だいたい、祭りの熱気に当てられて南雲が喧嘩を吹っ掛けてきたのが悪い、何が「祭りの花は喧嘩!」だ、お陰で雨乃に激しく怒られたのだ。
「指導室に入れられて30分説教&校則書写。帰ってからガチ切れの雨乃に説教、珍しく雨斗さんにも怒られた」
「うわぁ、先輩マジですか」
「今年の後夜祭は南雲に近づかない、絶対に」
「触らぬ神に祟りなし……ですね」
そうだなぁ。
そうケラケラ笑いながら呟いて、最後の一口を飲み込んだ。
※※※※※※※※※※※※※※※※
重苦しいドアに手をかける、憂鬱なる我が家にとっぷりと日の暮れた頃に適当な場所で時間を潰して帰宅した。
「ただいま」
「……おかえり」
カーディガンに眼鏡と三つ編みの雨乃がマグカップ片手に仏頂面で俺を出迎えた。
「……どこにいたの?」
「えっと、冬華とカフェで駄べって適当に書店回って帰ってきたという感じかね」
「……あっそ、ご飯は用意してるから」
「あ、悪い。待ったか?」
「いいよ、私はもう食べたから。温めて食べて、その後は食器は片付けといて。おやすみ」
「お、おう。おやすみ……」
それだけ言うとまるで逃げるように、足速に階段を上って行く、バタンとしまるドアの音が薄ら寒くて、背筋がゾクッとした。
「あーりゃりゃ、2人とも喧嘩しちったのー?」
「……いたんすか、琴音さん」
「居るよー、私の家だしね。それに、夕陽の家でもある」
「そっすね」
「とりあえず、ご飯食べれば?」
「そうします」
手招きする琴音さんの方にとぼとぼと歩きながら、上着を脱衣所にシュートした。
「んで? どったの、夕陽くん」
「どうもこうもねぇっすよ、理由の分かんない冷戦が続いてます。このままじゃ、俺死んじゃう」
両手をあげて降参のポーズを取る。
「なんか思い当たる節は?」
カシュッと子気味のいい音を立てながら、琴音さんの手の中のビールの缶が泡を吹いた。
「……思い当たる節はあるものの、それで怒るのは意味が分からないって感じですね」
「何があったか話す気は?」
「……絶対無理です」
なんて言うの? 雨乃の実の親に「おたくの娘さんに壁ドンかまされ、そのまま顔がくっつきそうなほどの距離で抱き抱えました。だけど、その後に辛そうな顔で泣かれました」と言えばいいのか?
ふざけんな、無理ゲーだろうが!
俺の人生いつもこうだ、誰も俺を愛さない。
「どうしたの夕陽くん。唐突に顔を抑えて蹲って机の下に潜り込んで」
「少しそっとしといてください、自分に嫌気が指して」
「おお、悩め悩め若人よ! 悩んで悩んで悩み続けろ! まぁ、チミのお父さんは全く悩まなかったけど」
「でしょうね」
「まぁ、それが原因で……プッ」
噴き出したかと思うと、ビール片手にゲラゲラ笑い始める
「だめだ……お腹痛い。そうだ、そうだった! 文化祭の時期だったのよ、夕紀が高校の屋上を爆破しようとしたのは」
「ぶっっっっっ!?」
親父が!? 高校の屋上を爆破!?
「……あ、ダメだこれ。夕紀から口止めされてるんだった」
「え、えぇ!? 言ってくれないんすか!?」
「うん、言ったら怒られるからね。特に、夕陽くんにだけは言うなって口止めされてる」
「ヤベぇ! 超気になる!」
「はいはい、とりあえずご飯食べちゃいなさーい」
雨乃とのいざこざよりも、ぶっちゃけ親父の屋上爆破事件の方が気になる。どうせ下らないだろうから、その話を聞いて現実逃避したい。などと下らないことを考えつつ、電子レンジにご飯を入れてボタンを押した。
※※※※※※※※※※※※※※
あの後、散々琴音さんを問い詰めたものの「言えぬ」の一点張りで結局分からぬままだった。
風呂上がりの濡れた髪を揺らしながら階段を登っていると、目の前の扉が開いた。
「お、おう」
「ん、おう」
いつものように不貞腐れた顔で俺を階段の頭上から見下ろす。
「そこ、邪魔」
「わ、わるい」
「いいわよ、別に」
はァっと軽い溜息を吐いて、軽く身体を交わした俺の隣を摺り抜けて下に降りていく。一度も振り返らずに。
すれ違った瞬間、またもや何故か寒気がした。
なぜだか最近気分も悪い、雨乃とすれ違う時間が増えた、その度に楽しかった最近の出来事が嫌がらせの様に頭の中で駆け巡る。
「最低の気分だ」
聞こえないように吐き捨てて、クソみたいな現実から目をそらすようにして階段を登った。
自室のドアノブに手をかけた瞬間、階段の一番下から返答の求めてないような、ぶっきらぼうな声が聞こえた。
「……髪、ちゃんと乾かしなさいよ。風邪ひくから」
「……! あ、あぁ、ありがと」
「おやすみ」
それっきり、声は聞こえなかった。
真っ暗な自室に入るなり、ベッドに飛び込んだ。
「ふぅー、ったく」
やはり、彼女も彼女で思う所があるのだろうか。
くだらない意地を張るのは、もうそろそろ終わらせてもいいのかもしれない。
「……髪、乾かさなきゃ」
溜息とともに立ち上がり、ドライヤーに手をかけた。




