六十三話 To lose
入口から中に入った先はサンゴメインらしい。
「ここが入口で三階で下に二階、一階と続くんだって」
気がつけば繋いでいた手は離れ、俺の右手だけが虚しくもぶら下がっていた。
「サンゴに囲まれた浅い海を方言でイノーって言うらしいよ」
楽しそうに俺に説明しながら、子供達が居ない端っこのスペースに雨乃がしゃがむ。
「雨乃、ナマコいるぞ触ってみ」
「え、普通に嫌なんだけど、ヌルってしそう。夕陽が触んなよ」
「お前、自分が嫌なことは人にするなって習わなかったのかよ」
苦笑しつつ、恐る恐るナマコに指で触れてみる。
うぉ、なんだこれ。思ったより固いぞ、もっとべチョッとかヌチャッとしてると思ってたから意外だ。
「触ってみそ、雨乃ちゃん」
「さ、次行くわよー」
人に触らせておいて俺を置いていく雨乃の後を追うように歩き出す、突如として眼前に広がったのは巨大なサンゴの水槽。
「本当はココって日差しが降り注いで綺麗らしいな」
曇っていても、普通以上に綺麗ではあるのだが、いかんせんこれ以上綺麗なものが見れると思うと残念ではある。
「またいつか来ればいいじゃない。熱帯魚の所いこ」
「おう、それもそうだな」
サンゴから移動して熱帯魚の海水槽まで足を進める。
約二百種の展示されてる熱帯魚、全ての水槽は繋がっているらしく奥に進む事に廊下は薄暗くなる。
「あの赤いのがヒメフエダイっていうのよ」
「お前は博識だな」
「あら、夕陽が無知なだけじゃなくて?」
「無っ知無知ってか」
「ちょっと何言ってるか分からない」
「酷い!」
サンゴ礁の生き物を解説するフロアはスルーして、個水槽のフロアに移る。
「なんつーか、こう、なんだ」
薄暗く、されど美しい水槽の数々が並ぶのをみて、それを讃える言葉を出そうとするが喉のすぐ側まで来ていて出てこない。
「幻想的?」
「そう、それ」
幻想的だ、そうだ幻想的なのだ。
「レアな生き物もいるらしいわよ」
「綺麗だなぁ」
「2階に降りましょうか、夕陽」
「おう、そうしようか」
2階に降りる事に深海に近ずいていく仕掛けらしい、よく作られているものだ。フラヲ改はくたばれ、深海は嫌いだ。
「『黒潮の海』だって」
「シアターもあんのか」
「シアター行く?」
「ぶっちゃけ言うと立ち止まるより、見てまわりたい」
「そうね、私も同感」
次はサメ博士の部屋というフロアらしい。
「サメェェェェェェ!」
「うわぁ! どうしたの夕陽」
サメである、男心をくすぐるのはサメとロボと仲間集結と相場が決まっているのである。
「古代ザメ・メガロドンだってよ! なぁ! かっこよくね!」
「全長十六メートルだって、夕陽なんて丸呑みね」
「お前も丸呑みだな」
下らないことを言いながら標本を軽く流す、雨乃は鮫肌に触れて「少しづつ触り心地が違うのね」と俺よりも楽しそうにニコニコしていた。
「さぁ! 夕陽行くわよ!」
サメルームを出た瞬間、雨乃の表情がガラリと変わる。
ソワソワしていたと思ったら、急に俺の手を小走りに走り出した。
「どったの雨乃さん」
やっべぇー、手汗でそう。
急に繋がれちゃうとビビるんだよ、ノミの心臓なめんな。
「うぉぉ」
そんなことすら忘れてしまうぐらい、圧巻の光景がそこにはあった。
「「ジンベエザメだぁー」」
思い出のジンベエザメ。
ガキの頃二人で、地元にあった水族館に雨乃と俺とで行った時にジンベエザメのぬいぐるみを買ったのだ。
「マンタだ、マンタもいるわよ!」
「いるな、マンタいるな」
「ジンベエザメ! でかい!」
「でかいな!」
「黒潮の海って日本で一番大きい海流で、海水温が高いから生態系が豊かなんだって」
「Google先生?」
「イエス」
「よし、次はアクアルームに行くぞ」
「おー!」
やばい、楽しい。
なんか手も繋ぎっぱなしだし、超楽しい。
「アクアルームって上に水槽があるのよね?」
「ジンベエザメが上を通る」
「ジンベエザメ!」
様々なアングルから見れるとかヤバすぎ、素晴らしい。
ジンベエザメは素晴らしいなぁ、可愛さとカッコ良さを兼ね備えてる感凄い。
「「うぉぉぉぉ」」
つい、感嘆の声が漏れる。
なんつーか、素晴らしく美しい
「あ、上ジンベエ通ってる!」
「すげぇ! マジすげぇ!」
「夕陽、写真撮ろ!」
「おう!」
パシャパシャとスマホで写真を撮って一通り笑って喋って満足した。ふぅーっと心の奥底から湧き出るような満足感とか幸福感を息と一緒に吐き出した。
楽しいなぁ、心底楽しい。
「カフェ行こうか」
「喉乾いたし、甘いものも食べたいしね」
さほど離れてない位置にある水族館に併設されたカフェに足を踏み入れた。中からは大水槽が見渡せるようになっていて、それが独特のオシャレさを醸し出している。
「アイスコーヒーと紅芋アイスを二つずつください」
「夕陽、お金」
「いや、別にいいよ。俺が払うから」
お金を払って商品を受け取ると、丁度老夫婦が大水槽に近い席から離れたのでそこに座った。
「良かったわね、ちょうど空いて」
「そうだな」
少し興奮して茹だった脳にアイスの甘みと冷たさがよく染みた、雨乃の方にちらりと目を向ければ美味しそうにアイスを食べつつ、大水槽で泳ぐ魚達を眺めていた。
何気なく大水槽とは反対に目を向けると、夢唯と南雲が楽しそうに雑談していた、向こうは俺達に気づいてない。
「雨乃、ほら」
「ん? あ、夢唯と南雲」
「付き合ってんのかね?」
「さぁ? 夢唯ははぐらかして教えてくんないのよ」
唇を尖らせて雨乃が不満そうな声を漏らす。
だが、それでも心なしか嬉しそうに言葉を続けた。
「まぁでも、あの子がああやって私達以外に楽しそうな顔して笑ってるのは何だかいいわね」
「南雲と相性がいいんだろうな。アイツぐらい強引な方が夢唯も考える余裕が無くて丁度いいんだろ」
「あら、何処ぞの誰かさんも十二分に強引だと思うのだけれど」
「さぁ、どこ誰だろうな」
少なくともチキンの称号を甘んじて受け入れている俺には関係の無い話だろう。
「あの2人似合ってるわね」
「だな」
アイスで緩みきった口の中がコーヒーの苦味でリセットされる気がしたのだが、喉奥から湧き出るような甘ったるさが消えずにいた。
「……ねぇ、夕陽」
「ん?」
「アンタッてさ……その」
「なに? どしたの」
妙に歯切れの悪い雨乃に不信感というか不安感を覚えつつも、コーヒーを口に含む。
「冬華の事、好きなの」
「ゴホッ! やべぇ、変なとこ入った」
突飛な質問に慌てふためいてコーヒーが器官につまって噎せる。
「わぁ! ちょっと大丈夫!?」
「大丈夫だ、問題ない」
なんで? どうしてこのタイミングでその質問!?
いや、別に好きじゃないんだよ? だけど可愛いなぁとか可愛いなぁとか可愛いなぁとか思っちゃうじゃん?
だった告白されて振ったのにまだアタックしてくんだよ? 可愛いと思わない方がおかしいと言うか。
「それで好きなの? 冬華のこと」
「可愛いよなぁ、うん好きだよ? 人として」
よし、完璧な受け答え。
だが、逃げられない。
「異性として」
「グッふぅ」
思わず口から変な声が漏れる。
雨乃尋問官は蛇のような鋭い眼光で俺を見つめる、大水槽と相まって、さながらウミヘビだ。
「好きなの?」
「……分からん。嫌いじゃないのは間違いない、いい子だし可愛いし。だけど好きかと問われればよく分からん」
もうなんか嘘ついてもバレそうなので正直に言うことにした。
「そう」
「あぁ」
「夕陽ってさ、冬華に告白されたんでしょ?」
「そうだな」
何故か目を合わせるのが嫌になって、大水槽に視線を送る。優雅に海中を漂う彼等とともに俺も泳ぎたかった。
「ねぇ、アンタってホモ?」
「……頭痛くなってきた」
バカだ、この女バカだ。
一緒に生活してんだから「もしかして私のことが」ぐらい思えや! 何考えてんだマジで。
ラブコメしろよ、ちょっとは脳内ピンク色に染めろよ! なんでソッチに方向を傾けるんだよ。
「な、なによその反応!」
「なんで冬華振ったらホモになんだよ」
「普通に考えてあんな可愛い子に告白されたら付き合うでしょ!?」
「お前のいいたいことは分かるが、普通に考えて他に好きなやつがいるからだろうが」
「……瑛叶?」
「……帰ろ」
「冗談だって」
いや、声音がガチだった。
「アンタと瑛叶って異常に仲いいじゃん? ずっとアンタを見てる身からしたら疑ってもおかしくないってか」
「アイツと俺は親友です、残念ながら! 俺が好きなのは女なの!」
「よかった、安心した」
そう言って心底安心した表情で笑った。
……もう嫌だ、めんどくせぇぞこの女。
「いいか? 俺には好きな女の子がいるの! ホモじゃない!」
「へ? 好きな女の子いるの?」
「……あぁ、いる」
何言ってんだ俺は。
くっそ! こうなったらさり気なーく、さり気なーく雨乃って言うことをアピールしつつだな。
「……そっか、そうだよね。うん、分かった」
「へ?」
「さ、次のフロアに行こう夕陽」
雨乃はニコッと笑いそう言った。
そして俺には分かったことがある、雨乃は俺の事が異性として好きではないのかもしれない。
※※※※※※※※※※※※※※
夕陽の一言が頭の中を駆け巡る。
『好きな人がいる』
どこの誰なのだろうか。
「あぁぁぁぁぁ」
トイレに行ってくると夕陽に伝え、誰もいないのをいい事に洗面台の前で声を漏らした。
「あのバカ」
オシャレして髪も整えて、どさくさに紛れて手を繋いだりと作を弄した結果がこれだ。
冬華ジャないとしたら誰なのだろうか? 私の知ってる人?
「雨乃せーんぱい!」
「きゃあ!」
腰のあたりを不意に抱きしめられ変な声が漏れた。
「可愛い顔が台無しですよー」
「ビックリさせないでよ冬華!」
「てへぺろ。それで、どうかしたんですか?」
この娘には話すべきか……
「さり気なーく夕陽に恋の話を振ったら好きな人がいるって言われて頭の中がカオス」
「あっ、あー、はいはい。そういうパターンですか、そうですか」
何故か冬華は『まじかお前』みたいな残念な子を見る目で私を見てくる。
「え、何か知ってるの冬華?」
「え、まぁ知ってますし分かってますよ? 先輩の好きな人」
「誰? 可愛い?」
「てか、雨乃先輩も知ってる人です。まぁ、後は夕陽先輩から聞いてください」
私の知ってる人!? 誰なの!?
私、友達全然居ないから必然的に絞られてくるんだけど。
「あと、先輩に好きな人が居るぐらいで立ち止まってちゃ、先輩は私が貰っちゃいますよー」
「な!」
「それじゃ、可愛い顔が台無しなんで笑顔で出てきた方がいいですよん」
そう言って冬華は手を振ってトイレから出ていった。
「冬華+まだ見ぬ敵とかしんどい。あのバカ、一緒に生活してるんだから私の事を好きになってくれればいいのにぃ」
虚しい叫びはバカには届かない。
一つわかったことがある、私は夕陽に異性として見られてないのかもしれない。




