五十九話 分かれ道
静かに目が覚める。
泳ぐ視線先にあった時計の針は、もう12に迫りそうだ。
深く息を吐き出して、だるい身体を起こすと、見慣れない廊下を歩きリビングを目指す。
「おはよー」
「ん、遅かったわね夕陽」
リビングには大画面でドラクエをする母親だけが居た。
他は誰もいないらしい。
「みんなどこ行ったん」
「アイツは仕事、夕璃と夕架と雨乃は買い物」
えー、置いていかれたのか俺。
観光とかしたかったんだけどなぁ、酷いなぁ。
「夕帆は彼女を迎えにいった」
「あ、今日来んのか」
「私はドラクエしたいから家にいるけど。夕陽はどうする? どっか行くならお金あげようか」
「こんな土砂降りの天気で外出たくない。なんか適当にダラダラして過ごす」
「そう。あぁ、冷蔵庫に夕帆が作っていったサンドイッチがあるから食べていいわよ」
おう、と返事だけして冷蔵庫の方にふらふらと足を伸ばす。
冷蔵庫の扉を開けると不自然なほどの冷気が顔を包む、中には水だしコーヒーのボトルとサランラップがしてある如何にも美味そうなサンドイッチがあった。
「ご飯食べる前に顔洗ってきたら?」
「ん、それもそうだな」
どうにもいつもとペースが違う。
自分の家のはずなのに、他人の家に住んでる気分だ。
冷水を顔にぶつけ、水気をタオルで拭き取ると持ってきていたラフな格好に着替える。
「いただきまーす」
リビングに再び戻り、適当なとこに座ってサンドイッチを食べ始める。
「……美味い」
「夕帆は何でもできるからねぇ、流石私の息子」
ここにも息子いるんだけどなぁと思いつつ、水だしコーヒーをズズっと啜る。
「ねぇ、夕陽」
「どうした」
サンドイッチが無くなりかけた頃、唐突に動いていた画面が停止され、母さんがコチラを見る。
「あんたさ」
何気なく、さり気なく、いつものように母さんが笑う。
「向こうからコッチに戻ってこない?」
「……は?」
あまりにも突拍子もないその提案に思わず身体は強ばり、目覚めかけていた思考回路は停止する。
それって、どういうことだ……?
「だから、星川家に住んでるでしょ? 今現在」
「あぁ」
「だから、この家に引っ越してこない? ってことなんだけど」
「それはいつの話だ?」
「直ぐにってのは手続きとかあって無理だろうから。夕陽がいいなら冬休みからでも」
つまりは友達を先輩を後輩を知り合いを幼馴染と別れて、この家で暮らせということだ。
「なんで……それを唐突に?」
「別に唐突じゃないわよ。ずっと思ってたの、夕陽があの街に、雨乃の所に残りたいって言った時から」
「どういうことだよ」
「夕陽は『雨乃が立ち直るまでは』って言って残ったじゃない?」
その時の光景が直ぐにフラッシュバックする。
症状が落ち着かず、暴走を繰り返し雨乃の心や精神が壊れて行った、あの時期のことだ。
「でさ、まぁ色々あってここまで話が流れたけど、見た感じ雨乃もキチンと立ち直ってるじゃん」
「いや、でも、友達が」
「今の時代、会うのは簡単でしょ? 今生の別れじゃないのよ、別に。電話をあればLINEもある、会いたいなら新幹線に乗ればすぐに行ける」
「……まだ向こうでやり残したことがある」
頭をよぎるのは月夜先輩、白黒の髪の晃陽。
心中に巣くう、言葉に出来ぬ不安と焦り、何かが起こる気がしてならない。
「それは、夕陽がやらなければならない事?」
その言葉に息が詰まる。
不思議と視線は逸れ、血管の動きが加速する。
「アンタの変わりは別にいるわよ」
ろくに答えも思いつかないまま、次の逃げ場を確保するように掠れた声で言葉を絞り出した。
「……でも、雨乃が」
「雨乃は夕陽が居なきゃ生きていけないほど弱くはないわよ」
逃げるように呟いたその一言を魔王は見逃さず、ピシャリと言い切った。もう、俺に作れる逃げ場はない。
「夕陽自身はどうしたの? 雨乃が、友達がって理由を作るんじゃなくて、夕陽自身が残りたい確固とした理由はあるの?」
考える、激しく脳内を回転させながら、目の前の魔王を黙らせるような答えを選び出す。
そもそも理由なんて、あるのだろうか。
ただ、別れたくない友人が居る、幼馴染が居る。
そして、雨乃が居る。
それだけじゃ駄目なのか? というか、なんで俺はこんな追い詰められてんだ? 別に後ろめたい理由なんざ微塵もないだろう?
「……なんで俺こんなに質問攻めにあってんの?」
「ただ、私が気になるからよ。まぁ、それに戻ってきて欲しいってのは本当よ? さっき言った通り、夕陽に理由がないなら戻ってきてもらう」
「理由ね、理由か」
呟いて整理する。
理由さえ述べれば、別に引っ越さなくていいってことか。
「雨乃だ」
「だから雨乃じゃ……」
言いかけていた母さんの言葉を遮る。
「雨乃が心配だからじゃない。俺が雨乃と居たいから引っ越したくねぇし、戻りたくもない。てか、こんな中途半端な関係性で離れるなんて死んでも嫌だ、論外だ」
「……雨乃が夕陽の事が好きって確証はある?」
「あ? 知らない、そんなこと。俺は雨乃みたいに人の心が読めるわけじゃないからな。だけど、嫌われてはないし他のやつよりは好かれてる、多分だけど」
普通なら嫌いな奴と同居なんて絶対嫌だろう、ハッキリした性格の雨乃なら尚更、俺が嫌いならばハッキリと言うはずだ。
「もし雨乃が夕陽以外の子が好きだとしたら? もし夕陽よりもカッコよくて頭もいい子が雨乃ことが好きだとしたら?」
「知らん! 今現在、自惚れだろうがなんだろうが雨乃に一番近い男は俺だ。そんなもしもなんて考えたくもないし、そんな奴がいたとしても譲る気持ちは微塵もないね!」
雨乃の隣に俺以外のヤツがたってる未来なんて考えたくもないし、雨乃がそっちの方が幸せかもしれなくても、俺はソレを割り切れるほど大人じゃない。
「だから、こっちに戻るのは嫌だ。雨乃と、あの家で生活したい。ぶっちゃけ、ひとつ屋根の下とかいう美味しいシチュをみすみす逃がすとかありえない」
俺がそう言い切ると、デカい溜息とともに頭をかいた。
「夕陽はあれね、本当にアイツにそっくりね。ほんと、今の一連の発言聞いててビックリするわよ」
呆れながら母さんはテレビ画面に向き直り、ゲームを再度スタートする。
「いいわよ、連れ戻すのは諦める」
「なんかやけにあっさりしてんな」
「いや、普通に呆れただけよ。良くも悪くも、アンタが一番アイツの血が濃いんだなぁと。昔のアイツ見てるみたいで、引き戻すのが無駄な気持ちになった」
「親父はそんなに強情だったのか?」
「私のことが好きなら橋の上から飛んでって冗談で言ったら「OK分かった、こっから飛べば付き合ってくれんだな」って言って橋の上から川に飛び込んだりした」
えぇ、馬鹿なのか?
「平気で人前で私のことを愛してるって言ったり、「俺の子供を産んでくれ」とか割と本気でセクハラみたいなこと真顔で言ったり、「自惚れだろうがなんだろうが、輝夜さんに一番近い男は俺だー」なんて言ったり」
その声はへの字に曲がった口元とは裏腹に驚くほど優しい声音で、昔を懐かしむように呟いた。
「つまり、何が言いたいかというと。あの大バカの血を引いたバカがそんなに言い張る時点で、説得できるはずもないってことは分かってんのよ。まったく、雨乃も大変ね、20何回も告られると思うと同情する」
なんだ、母さんもちゃんと親父のことが好きなのか。
魔王、魔王と思っていたが、存外まともに恋をして丸くなった普通の人間なのか。
「振られること前提で話を進めんな。雨乃は母さんと違って捻くれてないから10回以内で済む」
「夕陽が振られる前提で話進めてるじゃない。あーあ、まったくもって不愉快だわ」
「不愉快って言ってる割には顔がふやけてんぞ母さん」
「あー、不愉快だ不愉快だ。夕陽、私を不愉快にさせた罰としてケーキ買ってきなさい、ホールで」
「この雷雨の中買ってこいとか鬼か」
「アイツは台風の日に私がケーキ食べたいって呟いたら普通に買ってきたわよ」
「いや、そんな馬鹿野郎と一緒にされても……」
「まぁ、頑張りなさいな。諦めなければ振り向いてくれるわよ。私がアイツに振り向いちゃったみたいにね」
そう言って、母さんはとても優しい笑顔を浮かべて呟いた。
※※※※※※※※※※※※※※※※
「忘れもんないか? 夕陽、雨乃」
父さんの声に頷き、荷造りを終える。
昨日の追い詰められたVS.母さんを乗り越え、兄貴の美人な婚約者に驚き、結局騒ぎまくってあまり寝ないまま帰りの朝を迎えた。
「夕陽」
兄貴に呼ばれ、荷物を玄関に下ろして振り向くと小さい小包が投げられた。
「うぉ、なんだこれ」
「去年、誕生日のプレゼントやってなかったの思い出してな? 昨日、買ってきたんだよ。帰りの新幹線で開けてくれ」
ありがとうと礼をして、荷物の中にしまう。
楽しみだな。
「じゃあ、次は年始に私達がそっちにいくから。雨斗と琴音に宜しくね、2人とも」
「うん」
「はい」
「ゆーひ、なんかあったらおねーちゃん達に電話してね? 助けてあげる」
「え、嫌だ。どうせお前らなんでも言うこと聞けとか言ってきそうだし」
夕璃と夕架とかいう悪魔に魂を売るほど切羽詰まってない。
「うわー、流石バカ弟。雨乃はなんかあったら連絡してねー? あと、化粧品とかいいのあったら送るから」
「ありがと夕架!」
何のことか分からんが、雨乃と姉二人の間で謎の繋がりが増えたらしい。
「夕架と夕璃ね、化粧とかメイクとかの会社に入るのを目指してるんだって」
俺の疑問を読んだのか、雨乃が補足して教えてくれる。
だから化粧品とか送ってもらえるのか。
「よし、じゃあ駅まで車で送ってやる。そろそろ行こうか」
親父にそう言われ俺達は荷物をもって、玄関の外に出た。
「「いってきます」」
ただ何となく、打合せしてはいないけれど俺達二人はこの言葉を選んだ。
「「「「行ってらっしゃい」」」」
締めかけた玄関の向こうから聴こえてくる声を聴きながら、俺達は紅星家を後にした。
車で十五分か二十分ほど移動して、駅に降り立った。
「さんきゅ、親父」
「ありがとうございます」
「おう、気をつけて帰れよ。夕陽、下らんことでもいいから連絡しろよ?」
「おう、気が向いたらな」
「とか言ってるから雨乃、頼む」
「はい、一週間に一回は連絡させます!」
勝手に決められてしまった。
まぁ、下らんことでもいいならいいか。
「「それじゃ」」
そう言って親父から背を向けた時、背後から声がかかった。
「夕陽」
「ん? なんか忘れた? 俺」
「言い忘れた事があってな」
こいこいと手を子招くので、親父の方に足を向ける。
「いいか、夕陽。お前は馬鹿だ」
「お、おう」
「だから一つだけ、一つだけ貫きたいことを決めて行動しろ。くよくよ迷うと後悔が生まれる、足を止めれば誘惑が聞こえる、後ろを振り向けばやり直したくなる。そう思いたくなきゃ、自分が信じた方に進め」
ガシッと俺の頭を掴んで、親父はいつになく真剣な表情でそう言った。
「いいか、それが馬鹿野郎の流儀だ」
「馬鹿野郎って所には引っ掛かりを覚えるけど。まぁ、了解。悩まねぇし、挫けねぇし、止まらねぇよ」
「おう、んじゃ行ってこい」
バンっと背中を叩かれて、雨乃の方に押し出される。
「じゃあな、ありがとう父さん」
「死ぬ気で楽しめよ、夕陽」
あぁ、と呟いてクスリと笑う。
そんな俺を不思議そうに雨乃が見つめるが、何でもないよと言って駅のホームに向かって歩き出す。
どうしようもない馬鹿野郎と、どうしようもない魔女の血を継いでるんだ、大抵のことは何とかできる気がする。
そう思いながら、俺は新幹線に乗り込んだ。




