五十一話 聖戦・前編
「ブベラッッッ!」
ズドンッッと胃の底を破壊しそうな程の音と共に、南雲の身体が空中に浮き、回転しながら地面に転がった。
「「「「……」」」」
相坂、瑛叶、月夜先輩、そして俺。俺達四人は眼前で起こった、その信じられない光景を見て、沈黙した。
「次ぃー」
ポーン、ポーンと柔らかいはずのボールを片手で弄びながら、地獄の悪鬼のような顔をした紅音さんが笑う。
「逃げろ……」
ボソリと俺の呟いた独り言に、みんなが呼応する。
バッ! と4人全員が別々の方向に走り出す。
南雲には申し訳ないが、奴の死は我々の心身を引き締める犠牲となったのだ。
「チッ……! なんでこんな事に!」
燃えるように照りつける太陽を背に、俺は一目散に草むらに飛び込んだ。とりあえず、ヤバい。
死にたくなければ必死に逃げるしかない。
「南雲……お前の事は忘れない」
心の中で十字架を切りながら、奴の死を弔う。
終業式が明日に迫った夏のこの日、俺達哀れな野郎共は恐ろしい女子共から逃げるのだ。
そう、これは聖戦である。
ケイドロという名の、聖戦だ。
ことの発端は数時間前に遡る。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
終業式が明日に差し迫った今日。
雨乃の体調も回復して、珍しく全員が化学準備室に集まった。
南雲と相坂、瑛叶と夢唯に陸奥、冬華と夏華、月夜先輩に紅音さん。そして、俺と雨乃。
そんなハチャメチャなメンツの中、女子の誰かが口を開いた。
「そう言えば、少し太った。夏までに痩せたいなぁ」
この化学準備室に居る女子陣は基本的に皆んなスタイルがいい。特に数名、胸の部分が過疎ってる奴もいる。
その何気ない一言から、女子陣の会話が発展していく。
「夏までに痩せたいですよね!」「プールか海に行きたいー!」「私は……別に」「雨乃ってば愛想なーい」「ボクは日焼けしたくないんだけど」「よし! じゃあ皆で海行くか!」等など、会話が続いていく。
そこまでは別にいい、我々男子陣も男子陣でアホみたいな会話に花を咲かせていた。
そんな時だった、またもや誰かが発言した。
「今日って折角早く終わったんだから、皆で遊ぼう『ケイドロ』とか久しぶりにしたいね」
その瞬間、俺を含め三人の男子の身体が動いた。
俺と瑛叶と月夜先輩だ。
「「「……」」」
月夜先輩は何気なく立ち上がり、瑛叶は電話が掛かってきた風を装って、俺は静かに地面を這いつくばって。
だが、そんな哀れな俺達を女子達は見逃さなかった。
「あらー? どこに行くのかしら、夕陽?」
「月夜ー、止まれ」
ガシッと月夜先輩の肩を紅音さんが、這いつくばる俺の足を雨乃が踏んで強制的に歩みを止めさせる。
「すまん! 夕陽ッ!」
一人だけで無事だった瑛叶が全力でドアを目指そうとするが、それも阻止される。俺の手によって。
「なぁ親友、相棒おいて逃げるとかどういうわけ?」
「親友? ははっ! どちら様でしょうか!? 良いから俺の足を掴んでる両手を離しやがれクソ野郎!」
「一人だけ逃がすくらいなら全員で死んでやる! もしくはお前が死ね!」
「うるせぇ! 離せこの馬鹿野郎! 馬鹿が移るだろうが!」
「お前も俺も大して変わんねぇだろうが!」
一人だけ逃亡するために、親友の両手を踏みつけるクズ野郎を確保しつつ。仕方がないと腹をくくった。
こうなりゃ、やってやるしかねぇ……!
「おい、夕陽」
「なんだ南雲」
ゲシゲシと瑛叶に蹴られながら、南雲の方に首だけ傾ける。
「何でそんなに怯えてんの?」
「武者震いだ」
「堂々と嘘ついてんじゃねぇよ」
「嘘じゃないもん! ほんとだもん!」
「うわ、きも!」
うるせぇ、ほっとけ!
誰一人、この部屋から逃げられると思うなよ。全員道ずれにしてでも死んでやる。
「よし! 男子共も楽しそうだし、そろそろ移動するか公園に」
「紅音さん、マジでやんの……?」
二カッ! と男らしい笑みを浮かべるゴリラに確認を「紅音さん、夕陽が今ゴリラって言った」雨乃ぉぉ?
「大丈夫だよ、どうせケイドロでケリをつけるから」
「あ、死んだ」
哀れみの視線と声が月夜先輩の方から投げられる、熨斗つけて返してやりたい気分だが、今はそんな余裕はない。
「んじゃ、やるか! 男女対抗ケイドロを!」
女子陣のテンションが上がるたびに、我々のSAN値が下がっていく一方だった。あぁ、胃が痛い。
「んじゃ、前回通りのルール。女子が警察側で、男子が泥棒なー」
紅音さんが足で捕獲されたあとの泥棒の牢屋スペースを区切りながら呑気な声を上げる。
ケイドロ……それは、警察と泥棒の2グループに別れてやる鬼ごっこのようなものだ。
警察側の勝利条件は、泥棒側全員を捕まえて牢屋に入れること。泥棒側の勝利条件は時間一杯逃げ切ることである、因みに一度捕まっても逃走中の泥棒が牢屋にタッチすれば牢屋にいる泥棒は再び逃げることが出来る。
「そんじゃ、二分やるから逃げていいぞ。範囲はこの公園だけな」
屈伸をしながら、紅音さんが宣言した。
俺達男子はとりあえず、全力で距離を取って作戦会議を開始する。
「どうするよ、夕陽」
「今回は三十分だろ? 隠れて逃げ切るしかねぇよ」
「見張り番は誰がやると思う? 瑛叶君」
「順当に行けば陸奥じゃないっすかね? 夢唯のやつは運動神経無さすぎて使いものになりませんし」
俺達三人が草木に隠れながら、作戦会議をしているというのにヤンキー二人はボケっとしているだけだ。
「おい南雲、相坂! 死にてぇのか!? 作戦会議に参加しろ!」
「いやー、ぶっちゃけケイドロって言ったて相手女だろ? やる気起きねぇって、なぁ空」
「夕陽さんには悪いっすけど、俺もぶっちゃけって感じです。実際、男子対女子とか俺達が勝つ未来しか見えねぇっす」
どうでもいいけど、相坂が俺のことを呼ぶ時に「夕陽先輩」から「夕陽さん」に変わってるだと!?
「月夜先輩、あの2人」
「あぁ、死ぬだろうね」
月夜先輩と瑛叶が物騒な会話をしているが、全面的に賛成である。なんせ、女子と言っても一人一人が一騎当千のゴリラだ。勝てる未来が見えない。
「おっ、始まったみてぇだぞ」
南雲がそう言いながら、ニヤリと笑う。
「まぁ、見てろって。幾ら紅音さんって言っても、流石に負ける気が──」
盛大なフラグを立てながら笑う南雲の側頭部に何かが突き刺さったのはその時だった。
「ブベラッッッ!?」
そして、冒頭に戻る。
※※※※※※※※※※※※※※
「夕陽さん……」
抑えた声量で、後ろから声がかかる。
振り向くと青い顔をしてしゃがむ相坂が近づいてきていた。
「おう、無事だったか」
「南雲さんは?」
「多分死んだ」
南雲が死んだッッッ! この人でなし!
「夕陽さん、このケイドロって……」
「あぁ、洒落にならん。真面目にやらんと死ぬ」
なんせ相手はあのゴリラだ、真面目にやっても死ぬ可能性がある。
「あの、クソ柔らかいボールで人間の身体って飛ぶんすね」
「あぁ、身体だけじゃなく意識も飛んでたけどな」
ポケットからスマホを取り出して、カメラを起動する。
「盗撮……?」
「ばっか、違ぇよ! カメラのズーム機能使って牢屋がどんな状況か見るんだよ!」
こいつさては俺のこと変態だと思ってやがんな? まったく、とんでもない誤解である。
「どんな感じっすか?」
牢屋にはぶっ倒れてる南雲と、その頭を突っつく夢唯。その光景を微笑ましそうに見る陸奥が居た。
南雲、死んでねぇよな?
「俺達を追っかける鬼は」
「暁姉妹と紅音先輩、それと雨乃先輩っすね?」
「だろうな」
まぁ、四人の逃走者に四人の追跡者と考えれば妥当っちゃ妥当である。まぁ、個人的な戦力差を抜きにした数の問題になればの話だが。
「脅威は紅音先輩ですね……」
生唾を飲み込みながら相坂が呟く。まぁ、実際自分達のリーダーがああも簡単にぶっ飛ばされたらヤバいと思うだろうな。
「まぁ、ぶっちゃけ紅音さんは怖くない」
「へ?」
「あの人って良くも悪くも猪突猛進なんだ。つまり、目に付いたものしか追跡しない」
イノシシとゴリラが混ざって、人の血を混ぜた生物が紅音さんだと思う。
「いいか? このゲームでいちばん怖いのは……」
俺が話の続きを口にしようとした瞬間、横合いから俺の台詞が引き継がれる。
「雨乃だ、あいつは人の心を読むって症状で、まるでそれをレーダみたいに使って俺達の位置を探り当てるんだ。あのド貧乳が一番厄介だ……でしょ? ゆーひぃぃぃ!」
声の主は雨乃だった。
不味いと脳がSOS信号を発信する、全身の細胞が警報を鳴らす。
「相坂ッッッ! 逃げろ!」
「うっす!」
バッ! と草むらから一目散に飛び出して、二手に別れるように全力で駆ける。二手に分かれることより、鬼の判断を鈍ら……
「ゆーひぃぃぃぃぃぃ!!!」
「そんなこったろうと思ったよ、ちくしょうめッッッ!」
遊具の隙間を縫うようにジグザグに走る。
だが、雨乃さんは体力ある運動神経いい系のヒロインなのだ! つまり、俺と足の速さは大して変わらない!
「誰がド貧乳だ!」
「事実だろうが!?」
滑り台の階段を駆け上がり、その頂上から砂場にジャンプする。追った来ていた雨乃は頂上に到達した時に俺の罠に気づいた。
「ス、スカート」
そうなのである。これは女子の服装を最大限利用した逃走方法、この滑り台の頂上から着地するのは結構な高さがある。
別に飛び降りた時にパンツ見えたらなぁ、なんて思ってないです!
「なーんて言うと思った?」
雨乃は何の躊躇もなく、滑り台の頂上から砂場に飛んだ。
おいおい、マジかよ。なんだ今日は、お客様感謝デーか何かか?
そう思いつつ、めくれ上がったスカートの中身に目が吸い寄せられる。そこに鎮座していたのは。
「短パンだと!?」
この女ッッッ! スカートの下に短パン履いてやがった!
「夕陽って馬鹿なの!? 常識的に考えて、スカートの下に直パンの分けないじゃん! 変態!」
「お前、男のロマンをなんだと思ってやがる!? 謝れ! 少しでも期待した俺に謝れぇぇぇッッッ!」
「なんで逆ギレの上にガチギレしてんのよ、この馬鹿!」
「男はみんな変態じゃボケッッッ!」
返して! 俺の純情返して! 無垢な男の子の夢と希望を返せよ!
「あっ」
馬鹿な会話で雨乃の気を引きつつ、間抜けな声を突然漏らした雨乃に訝しげな視線を送る。その時だった、ゆっくりと後退していた俺の頬を何かが掠めたのは。
「みぃーつけたー」
紅い悪魔がそこに居た。
「おいおい、冗談だろ……」
「次の被害者はお前かァ? お前はどんな顔で死ぬのかなぁ?」
「ちょっと待って紅音さん! なんかキャラがおかしい!」
「紅音さん、逃がさないでねそのバカ。ジャーマンスープレックスかけたいから」
「雨乃さぁぁぁん!? ジャーマンスープレックスとか死にますからね!?」
クソッ! ボールで頭部をやられるか、ジャーマンスープレックスで首をやられるか……。
ちくしょう、マシな選択肢が一つもねぇ! どのみち死ぬ!
「あっれぇ? ゆー先輩じゃないですかー?」
「あっ、ほんとだー。せんぱーい」
「冬華ー、右に回ってー」
「分かってるよ夏華」
ニコニコと笑いながら、俺の進路を完全に遮断するような位置取りをする。
なん……だと? 前門の紅いゴリラ、後門の貧乳ゴリラ。右の小悪魔系ゴリラ、左の悪魔ゴリラ。
「お、お、落ち着け」
自分に言い聞かせるように言葉を繰り返す。素数は……駄目だ、最初の方しか分からない。そうだ! 自問自答して落ち着こう!
Q.この状況を説明しなさい。
A.絶体絶命or四面楚歌。
「せいかーい」
雨乃が拳をゴキゴキさせながら笑う。
紅音さんがボールを握りしめながら笑う。
冬華が瞳の光が消えた目で笑う。
夏華が心底楽しそうにゲラゲラ笑う。
「あぁ、ちくしょう」
──神様なんて嫌いだ。
後編に続く




