五十話 Love call
今日は雨が降った。
ザーザーと激しいと音を立てて雨が降り続ける。
陰惨な空から、生ぬるい空気から、雨が降る。
昨日までの天気予報では確かに晴れだった。
だからなのだろうか? こうして、雨乃が風邪を引いて寝込んでいるのは。
彼女が風邪を引く時は、いつも必ず雨が降った。
※※※※※※※※※※※※※※※※
「じゃあ、すまないけど宜しくね夕陽」
「えぇ、分かってます」
いつもならとっくに学校に出発している時間に、俺は玄関で雨斗さんを送り出していた。
「何かあったら僕に連絡してくれ」
「はい」
「それじゃあ、行ってくるよ」
音立てて閉まったドアをボーッと眺めた後、ゆっくりと階段を上がり雨乃の部屋をノックする。
「入るぞー」
中から「うん」と言う声が聞こえたのを確認して中に入る。
「具合は?」
「さいあぐ」
鼻が詰まっているせいで上手く言葉が出せないのか、言葉が濁っている。
「だろうな。ほら、ティッシュ」
机の上に置いてあった箱ティッシュを渡すと、色気もクソもないレベルの音を立てて鼻をかむ。
「色気もクソもねぇな」
「病人に何を期待してんのよ」
そりゃそうだ。
「夕陽まで学校休む必要無かったのに」
ボヤくように呟く雨乃を無視しながら、俺は本を広げる。
「そんな状態のお前を放っておける訳ねぇだろ。姉ちゃん達が居たなら話は別だが」
あの姉共は昨日家に帰ったら『また遊ぼう!』という書き置きを残して家に帰りやがった、あっさりしすぎたろ。
「ただの風邪……」
「それでもだろうが、何かあったらどうする」
(キツい、身体の節々が痛い)
雨乃が体調を崩すと、雨乃の思考が俺に流れ込んでくるようになっているのだ。そして、体調を崩している間は俺の思考が読み取られることは無い。
月夜先輩が言っていた、症状持ちの親と子の関係なのか?
「身体が痛いのか?」
「……人の思考を勝手に読むなぁ」
「流れてくるんだからしょうがないだろ」
「ばーか、ばーか」
ズズっと鼻を鳴らしながら雨乃が子供のような声を漏らす。
風邪とか引いちゃうと、なんか子供っぽくなるよなぁ。少し分かる……馬鹿だから風邪引かないけど。
「いいから寝ろ」
「暑いー」
「クーラー付けてんだろ」
「あーつーいー!」
「冷えピタ貼ってやるから、ちょっと待ってろ」
事前に置いていた薬箱から冷えピタを取り出して立ち上がる。
「見下すな」
「どうしろと?」
言いながら、何となく前髪をかき分けて雨乃のデコに触る。
熱っつ! なんだこれ、大丈夫なのか!?
「あー、夕陽の手冷たい」
「もっと冷たいの貼るからな」
「おーう」
こう見ると、体調崩した雨乃って可愛いな。
顔とか紅いし、鼻声だし、ボーッと潤んだ目に鼻声と子供っぽい言動。いつものクールな雨乃とのギャップがすごい。
「冷えピタちょうだい」
「あいよ」
慣れない手つきで、恐る恐る雨乃の額に冷えピタを綺麗に貼ることに成功する。湿布にしろ冷えピタにしろ、綺麗に貼れると気持ちいいな。
「あー、気持ちい」
「そうか。じゃあ、寝ろ」
「んー」
大人しくなった雨乃のベッドの下に腰掛けて、持ってきていた本を開く。
奥手な大学生が、思いを寄せる天然な後輩と関係を結ぼうと四苦八苦すると言う内容の小説だ。最近、映画化した。
小説の中の恋模様を見て、ふとした考えが頭をよぎる。
いやー、まじで外堀は埋まってる気がするんだけどなぁ。
雨乃、ぶっちゃけ俺のことどう思ってるのだろうか? 多分、好意的な感情だとは思うんだが。
「ひーまー!」
「うるせぇ! 考え事してんだから寝てろ!」
ジタバタとベッドの上で手足を動かしながら雨乃が喚く。コイキングかお前は!
(ひーま! ひーま! 構って! 構ってー!)
「思考までうるせぇ!」
雨乃が偶に「心の声がうるさい」っていう時の気持ちが良くわかるなぁ。確かにうるさいなコレ。
「子供じゃねぇんだから、寝ろ。寝らんと直らんぞ」
「動画みたい」
「目が疲れるのでダメです」
「本読みたい」
「目が疲れるのでダメです」
「学校行きたい」
「そもそもマトモに動けんだろうが」
「じゃあ遊んで」
「寝ろって言ってんだろ……」
日頃の雨乃からは想像出来ないほどの退化だな、これはこれで可愛いけども。
薄手のタオルケットを喚く雨乃の上からかけて、俺も元いた場所に再び腰を下ろしたページを開く。
物語は前半の終盤辺りなのか、登場人物達が一同に乗り物に会し、ヒロインの女の子とお爺さんが酒の飲み比べをするシーンだ。
「夕陽……暇だから、その本の音読して」
「学校の教科書じゃねぇんだから」
大体、小説の音読とか嫌だ。
「雨乃……大人しく寝ろって」
「きじゅい」
「また鼻か」
ティッシュを鼻のところまで持っていってやると雨乃はチーンっと、遠慮なく鼻をかんだ。
「寝る……」
そう言い残した雨乃は数分もしないうちに小さな寝息を立てて熟睡を始めた。
「やっと寝やがった」
溜息混じりにそう呟いて、静かにドアを閉めてリビングに降りる。
冷蔵庫の扉を開けて水を一口口に含んで、そこで気がつく。
「冷蔵庫の中身が……」
ないだと!?
やらかした、昨日買い物行ってないからないのか。
雨乃に雑炊でも作ってやろうかと思ったが米も卵も無い、そもそも俺の昼飯が無い。
「買いに行くか」
思い立ったが吉日、イヤホンを指して近所のスーパーまで着の身着のまま食材を買いに出かける。
ムワッとした空気と雨独特の匂い、どす黒く曇った空からは魔王でも落ちてきそうな感じである。落ちてくるなら巨乳の美少女がいいです!
「〜〜ッ♪」
曲に合わせて鼻歌を奏でながら、土砂降りの街を歩く。
雨乃は素うどんとお粥が大嫌いなので、風邪をひいたら雑炊を作ってやるしかない。
「以上で967円になります」
卵とパックご飯の袋詰め、アイスとかその他諸々を買い込んでも千円超えないとか、流石地域密着型スーパーだ。
袋を受け取って店の外に出ると、ゲリラ豪雨並に雨が酷くなっていた。台風でも来てんじゃねぇのか?
「はぁ……だるいんッ!?」
言いかけたと同時に轟音が辺りに響いた。
そして、もうピカっと光り再びの轟音。
「まずい……!」
卵に気を使いつつも、全力で来た道を引き返す。
やばい、やばい! 雷が只でさえ苦手な雨乃なのに今は風邪ひいて色々弱ってるし、家に一人っきり!
「あー、ちくしょう! タイミング最悪だろうがァァァァ!」
イラつきを引きずって全力で駆ける。
傘を閉じて握りしめ、スーパーの袋は中身グッチャグチャ。
玄関の鍵を開けてドアを乱暴に開ける、袋を玄関において階段を駆け上がって雨乃の部屋のドアを開ける。
「雨乃!?」
部屋にいたのは、毛布に包まって涙目でカタカタと小刻みに震える小動物感漂う雨乃だった。
「ゆうひぃぃぃ」
「JKが泣くなよ……」
「本当に怖かったぁぁ」
「あー、はいはい」
泣き続ける間も、外では雷が鳴り続ける。
閃光の後に、すぐさまズッシリと重い轟音が響く。光った後、数秒後に落ちているので、そこそこ近くらしい。
「どこいってたのぉ」
「買い物だ。食うもんねぇからな」
「……お腹減った」
泣いても、震えても、怖がってもお腹は減るのね。
「雑炊作ってくるから、ちょっと寝てろ」
アイスとか溶けてるんだろうなぁ、卵も割れてなきゃいいけど。
そう思いながら立ち上がった俺の服の端っこが思いっきり引っ張られ、体の重心が崩れる。
「うぉ!?」
「……待って」
「お前なぁ、引っ張るのやめろよ!」
我ながらビビるレベルの低い声が出ただろうが!
「雷が落ちてる。私風邪ひいてる。怖い」
「し! る! か!」
「置いてくの? こんなに可愛い私を」
(無理、怖いよぉ。雷、怖い)
首をコテンッと傾けながら何でもないふうに言う雨乃も、内心ヤバいぐらいビビってるらしい。
「……動けそうか?」
その質問に首を赤べこ並みに振る雨乃にクスリとしつつ、手を差し伸べる。
「飯作って食うまで下に一緒に行くか? 俺がいれば、そんなに怖くないだろ?」
「うん、分かった」
(やった! やった!)
どうでもいいけど可愛いですね君。
なんかガキのお守りしてるみたいで、ついつい甘やかしてしまう。
「なぁ、なんでタオルケットを頭から被ってんの?」
雨乃の手を引きつつ、階段を降りながら素朴な疑問を口にする。
頭の先からタオルケットを全身を覆うように被せ、ひょっこり顔だけ出している。
「……何となく?」
「あっ、そう」
なんか調子狂うなぁ。
玄関から袋を取って、中身を確認すると卵は無事だった。アイスは溶けているがクーリッシュなので丁度いいかもしれない。
「ほら、手を離せ」
雷が落ちるたびに強く握られている手を振りほどいてキッチンに立つ。繋いでいた右手には、未だに雨乃の体温が残っていて、妙に照れくさく感じる。
「私が作ろうか? 夕陽、料理できないでしょ?」
(何が入ってるか分からないから食いたくない)
「失礼だな! とりあえず寝てろ病人。俺の家事スキルはA+だ」
得意料理はカップラーメンと袋ラーメンです!
「……むぅ、分かったわよ」
(まぁ、偶にはこういうのも良いかなぁ)
「まぁ、任せとけよ」
クックパッドは最強なの! 誰にも負けないんだから!
まぁ実際便利だよなぁ、俺みたいな料理初心者でも指示に作れば良いだけだから簡単だ。
端末で画面を表示しつつ、腕を動かす。勿論、雨乃に対する気配りも忘れない。あら、なんという気配り上手! きっといい旦那になりますわよ、お買い得ですよ! そこで昼ドラ見てる貴女!
「夕陽ぃ、鼻水止まんないー」
「ティッシュを鼻に詰めてろ」
「私の可愛い顔が台無し」
「ティッシュ詰めても充分可愛いから安心しろ」
「口説いてる?」
(マジで!?)
「口説いてねぇっての」
グツグツと雑炊を作っている鍋が煮えてくる。
いやぁ、我ながらここまで上手くいくとか思わなかったわ。
「そろそろ出来るぞ」
「はーい」
出来上がった雑炊を皿に二人分よそい、スプーンと水をお盆に載せてソレをリビングのテーブルに置く。
一息つくように、雨乃の隣に腰掛けて手を合わせる。
「「いただきます」」
熱々の雑炊を口に入れると塩分控えめな優しい味が口いっぱいに広がった。以外に美味しい、さすが俺。
「……美味しい」
(悔しい!)
「お前、そんなに俺が美味いもん作るのが気に食わんのか」
「なんか、料理は私の仕事って感じだから負けた気がする」
「お前の料理の方が美味いよ」
「口説いてる?」
「口説いてねぇって」
昼ドラを見ながら雑炊を食べ進める。
雨乃も食欲が湧いてきて、キチンと食べれるってことは調子は戻って来てるってことか。
「「ご馳走でした」」
手を合わせて食べ終わる。
うん、まじで美味かった。雨乃に振られて一人暮らししても大丈夫な感じだ。クックパッド最強。
手早く皿を洗い、テーブルを拭いて、キッチン用品を片付ける。その後に水と雨乃に薬を出すのも忘れない。
「……あんがと」
薬を口入れて、水で流し込んだ後に雨乃がそう言って頭を下げた。
「いいってことよ。日ごろ迷惑かけてるし」
「ほんとにね!」
(人の気も知らないで、好き勝手やるのは……)
はい、重々反省しております。
って言っときゃいいだろ。
「さ、寝ろ」
「……歩くのダルいからおんぶして?」
「あざとい。歩けるんだから歩け」
「ひどーい!」
「お前背負って階段登るとかキツいだろうが! それともお前は女の子はヘリウムガス並みに軽いとか抜かす気か?」
「ぶー! ぶー!」
「はいはい、なんとでも」
アホみたいに騒ぐ雨乃に呆れつつ、腕を引っ張って立ち上がらせる。そんだけ騒げるなら元気なんじゃね?
そうは思いながらも、先程と同じように階段を登り雨乃をベッドに寝かせる。
「ちょいと失礼」
雨乃の髪をかき分けて、額に触れると朝よりは熱は引いていた。
「おや……すみ」
既に眠いようで、ベッドに入るなり直ぐに可愛らしい寝息を立てて眠りについた。
「ふぅ」
ため息をつきながら、買ってきたフリスクを口に入れて直ぐに噛み砕く。ミント独特の鼻から抜けるような香りが身体を包んだ。
それにしても雷の日に雨乃を置いて買い物に行ったのは不味かったなぁ。雨乃が雷を嫌いになった原因のあの日も、丁度風邪を引いていたし、多分今日泣いた理由はトラウマがフラッシュバックでもしたのだろう。
苦しそうな寝顔で眠る彼女の頭を、今がチャンスとばかりに静かに撫でつけて、細かく震えるその手に恐る恐る触れる。
日頃ならば、手に触れるなど無理な話だが、風邪を引いて弱っている今日ぐらいは別にいいだろう。
「大丈夫だよ、今は俺がいる」
眠っていることを知っていながら……知っているからこそ、キザったらしいセリフを口にすることに成功する。
少しでも、雷に怯える彼女の心が解せればいい。少しでも、強ばった彼女の寝顔が緩めばいい。
そう思いながら、俺は彼女の手を取って静かに目を閉じた。
※※※※※※※※※※※※※※※
私が目を覚ますと、まず眼前に広がった光景は夕陽の寝顔だった。
私の手を握り、ベッドの端に顔を置くような不自然な体制で眠っている。多分、疲れて眠ってしまったのだろう。
「ありがとね」
眠っているのをいいことに、彼の頭を静かに撫でる。男のくせに妙にサラリとした髪の毛についつい笑みが零れた。
体調は順調に戻っている、いつも通りの私だ。
ただ、熱が出ていて意味不明な言動をとったり、夕陽に甘えたりしたのを思い出すと、数時間前の私を3回ぐらい殺したくなる。
それはさておき、外を見れば雷も雨も形を潜めたようで、比較的静かな夜が窓の外に広がっている。
突然だが、私は雷が嫌いだ。
小学生の頃……夕陽がまだこの家に住んでなかった時に私は今日と同じく風邪をひいた。
この無駄に広い家には人は私以外おらず、すぐ近くでは雷が鳴り響き続けていた。怖がりな私は1人で毛布にくるまり、両親が帰ってくるのをじっと待っていた。聞こえる音は雷と豪雨の音だけ、車の音は一向に聞こえない。
『怖い、助けて』
まるで、世界でも滅ぼされたような気持ちになった。
誰も助けてくれない、誰も慰めてくれない、誰も一緒に居てくれない。その時、開くはずのない私の部屋のドアが空いた。
「雨乃、大丈夫?」
その少年は頭の先から爪先までビショビショになって、いつもと同じ笑顔で私に語りかけた。
「なんで……?」
何に対する疑問だったのだろうか? 何故ここに来たのか? 家の鍵は? それとも『何でいつも、私がピンチの時に表れるの?』そう思った私の疑問を晴らす答えを、少年は持っていた。
「何でって」
雷が響くなか、少年は手を差し伸べながら笑う。
「お前、助けてって言っただろ?」
今でも、私は忘れられない。
そんな少年は歳をとって大人になる途中でも、その形を保ち続ける。バカをやって、アホをやっても、必ず私を助けてくれる。
今日だって、いつだって。
私の大切な英雄でヒーローで王子様。
白馬には乗ってなくても、誰にも勝てなくても、正しくなくても。
私にとっては些細な問題なのだ。
『いつも、隣に立っていてくれる』
私の手を握る、そんな優しい彼……夕陽が私はきっと好きなのだろう。そう思うと熱がぶり返したように顔が熱くなる。
まだ気持ちを伝えるには勇気がいる。
近すぎるゆえに、遠回りして空回りしてでも手を伸ばしてしまう。
どうやら、私の恋はマンガや小説のようにトントン拍子に進んでくれないらしい。
「あーあ」
ため息を漏らしながら再び静かに目を瞑る。
願わくば、夕陽も私に恋心を抱いてくれれば良いのになぁ。
手を繋いだまま、私も直ぐに夢の世界にダイブした。
五十話到達、ありがとうございます!




