四十九話 Angry!
「痛ってぇぇぇぇぇぇぇッッ!!!」
保健室に絶叫が響く。
「ったく、うるさいわね。我慢しなさい」
「いや違う! そこダメだって! 痛ったい! マジやめろ!」
「せんぱーい、大人しくしてくださいってば」
後ろから冬華に両手を拘束され、血が滲む傷口に慣れた手つきで消毒液付きのガーゼを押し付けられる……いや違う、消毒液付きのガーゼで傷口を抉られているのだ。
「痛ったい! 死ぬ! 拷問だろうが! これ拷問だって!」
俺はこの世でブロッコリーと消毒液が死ぬほど嫌いだ。
消毒液の匂いと痛みは未だに慣れない……と言うより、ガキの頃に消毒液を塗られすぎてトラウマである。
「喧嘩なんかするから、そうなるのよ」
「そうですよー、先輩はお馬鹿ですねー」
「冬華はまぁいい! お前は俺に言えねぇぞ、俺の怪我の四割はお前だからな」
「知らない」
「大体、貧乳って言ったからって怪我させまくる事ねぇだろうが」
雨乃:ビーストは超強かった。
反撃できないのもあるが、有り得ないぐらい強い。
「まーた貧乳って言ったんですか先輩ぃ」
呆れた顔と声で冬華が馬鹿を見る目で俺を睨む。
あ、君も発展途上でしたね。
「冬華ー、そいつ今バカにしたわよ」
「残念ですが私は少しづつ育ってきているのです!」
「へぇー、良かったな」
「興味なさげ!?」
雨乃さんだけ裏切られたみたいな顔してるのが地味にツボ。
さてと、消毒も終わったし上に行くか。
そんなことを思っていると、雨乃が大きなクシャミをした。
「風邪でも引いたか?」
「引いたかもね、誰かと違って馬鹿じゃないから」
「当回しに俺が馬鹿って言ってんのか?」
「べっつにー。はい、動くなー」
グイッと俺の頬を引っ張って、絆創膏をペタペタと貼っていく。
相当箇所、傷が入っているようで絆創膏の枚数も自然と増えていく。引っかき傷とかは雨乃さんだけどな。
「雨乃先輩、その絆創膏ってー」
「うん、私のよ」
ペリっと新しい絆創膏を取り出して、俺の頬に貼りながら雨乃が答える。
「どこぞのバカが怪我ばっかしてくるからね。私の鞄には絆創膏と消毒液とガーゼを常備してるの」
「へぇ、どこぞのバカですかー。一体どこのおバカさんでしょうねー? ねぇ、先輩」
「どこの馬鹿だろうなぁ」
いやぁ、本当にどこの馬鹿だろうなぁ。
多分、優しくて勉強ができるカッコイイ人だと思う()
※※※※※※※※※※※※※※
「おかえり、傷は?」
「雨乃が消毒してくれたんで、まぁ」
科学準備室に入室するなり、月夜先輩が片手をあげた。
雨乃は雨乃でどっかに行った。
帰りに迎えに来いと言っていたが、ぶっちゃけ何処にいるか分からん。
「おっす、先輩」
「冬華とお前みたいな奴が同じ一年だと思うと、なんか嫌だわ」
先程まで殴り合いをしていた相坂はあっけらかんとした表情でニヤニヤと笑っていた。
「あ、相坂 空」
「お、暁 冬華じゃねぇか」
「なんだお前ら知り合いか?」
二人は顔を見合わせると「あ」と声を漏らして指を指しあっている。
「「いや、全然。噂だけ」」
あー、お前ら髪の毛の色特殊だし噂にもなるか。
「コイツは、丸くなった代わりに二年と三年の特殊な先輩と仲がいいって言われてるんすよ。あと、夕陽先輩と付き合ってるて」
……噂ってそっちかよ。
つか、初耳なんだけど?
そんなことを思っていると、後ろから邪念が。
「……まずは外堀から」
「噂の出所はお前かよぉぉ」
「なーんちゃって、嘘ですよー。この前のデートを誰かに見られてたみたいで」
「あー、そりゃしゃあないわ」
皆さんゴシップ大好きですもんね。
しかも、それが目立つ冬華とかなら当然ピラニアみたいに食いついてくるだろう。
「そんで、月夜先輩。こいつの症状は?」
会話を切り上げて、椅子に座る。
「彼、相坂 空君の症状は『言語理解』」
「「言語理解?」」
俺と冬華の声が重なった。
なんだ、言語理解って。
「簡単に説明すれば、彼は動物の考えていることを理解できる」
似合わないなぁ。
こんな見るからにヤンキー感あふれる奴が動物の考えていることが分かるって。
「まぁ、言い換えれば雨乃ちゃんの動物版だね」
「あぁ、それわかりやすい」
雨乃の症状は動物には効かない。
その代わりに人の考えていることは理解できる。
それの動物版ということは、動物の考えていることは分かっても、人の考えていることは読めないということか。
「今回も君のお陰だよ、夕陽君」
ニヤリとニヒルに笑う月夜先輩の足を机の下で蹴って睨む。
この野郎、事前説明の一つぐらいしろ。
「夕陽先輩、さっきはすいませんでした」
バッと頭を下げて相坂が謝る。
「あ? どうした急に」
「いや、やっぱり強かったなと思って」
「強くねぇっての。結局、勝負はついてねぇし」
「いや、俺の負けです」
……何だこいつ、急に殊勝な態度になったぞ。
悪い気はしないが、なんか気持ち悪い。
「あー、はいはい。んじゃ、俺の勝ちってことで」
「うっす。これから、よろしくお願いします」
「はいはい、よろしくな相坂」
まぁ、別に悪い奴じゃないらしい。
喧嘩に勝ったってのも有るだろうが、それ以前に根はしっかりしているのだろう。あと、動物好きに悪いやつは居ない……気がする。
「さてと、後は相坂君のデータを纏めるだけだ。そうそう、彼も暁姉妹と同じタイプの症状持ちだった」
「条件タイプ?」
「うん、動物に触れないと症状は発動しないらしい」
それにしても、随分と症状持ちの例が増えてきたな。このまま行けば、症状の解消もできそうじゃないか?
その事を伝えると、月夜先輩は半笑いで首を振った。
「無理無理、全然分からない」
「えぇー」
ちょっと期待したのにぃ。
「相坂」
「なんすか?」
「お前の近くに他の症状持ちって居たりする?」
「あー、知り合いじゃないんですけど。一人だけ、心当たりが」
そうして、相坂が語り出した人物の特徴は。
『女』『白と黒の髪』『胸がでかい』『黒のフード』
「月夜先輩……これって」
「晃陽で間違いないだろう」
てか、どうやって晃陽は症状持ちの情報を掴んでるんだ?
俺達が相坂に接触する前には相坂が症状持ちであることを知っていたのか?
「相坂、その女に何かされなかったか?」
「あー、急に手を握ってきて何か呟いてきましたよ。すげぇ、背筋がゾッとしたんで振り払って逃げましたけど」
「「ナイス判断!」」
月夜先輩と俺の声が重なった。
『洗脳』本気で厄介すぎるな……早々に対策を建てなきゃ、雨乃達が巻き込まれるかもしれない。
「……相坂君、明日から放課後数日間、ここに足を運んで貰ってもいいかな?」
月夜先輩がそう聞くと、相坂は二つ返事で了承した。
「南雲さんからは協力しろって言われてるんで、全然大丈夫です」
二カッと爽やかな笑顔で笑う。
まぁ、人懐っこいっちゃ人懐っこいかな?
「さてと、本日はお開きだ」
月夜先輩はそう言うと、クーラのボタンを押して停止させる。
「続きはまた明日」
キザなウィンクと共に、その日の情報交換はお開きとなった。
※※※※※※※※※※※※※※※※
「ってのが、事の顛末です」
「ふーん。相坂って子は、別に悪い子じゃないんだ」
ゆらゆらと電車に揺られながら、本日の話し合いを雨乃に報告する。雨乃は鼻水を取りながら軽い返事を返す。
「まぁ、不良軍団に可愛がられるような奴なら、それなりに人懐っこいだろうさ。俺を挑発したのも、南雲が吹き込んだらしいからな」
あの後、下駄箱で頭を下げてもう1度謝罪してきた。
とりあえずは南雲は殴ろう。
「ったく、アンタッてば喧嘩すんなって言ってんのに」
あー、怒ってるなぁ。
雨乃が俺のことを呼ぶ時に「アンタ」っていう時は、結構怒ってる時だけだからな。流石は雨乃検定初段の俺だ、狂いは無い。
「うわ、きもっ」
「何その反応、すげー傷つくんだけど」
軽口を叩きながら、電車の窓の向こうに目をやると丁度日が暮れ始めた。この時期は、六時半をすぎていても明るいなぁ。
「そろそろ、夏休みね」
「だな」
「……あのさ、夕陽」
「ん?」
少しソワソワした様子で雨乃が口篭る。
「夏休みにあるお祭りなんだけ……」
言いかけて突然、雨乃が「くしゅんっっ!」と大きめのクシャミをする。
「だめだ……鼻がムズムズする」
「ほら、チーンてしろ。チーンって」
ティッシュを差し出すと、むーっとした顔で受け取りながら雨乃が鼻をかんだ。
「……子供扱いするなぁ」
「ぶっちゃけ自立してない俺達は子供です」
「そういう問題じゃないってば。もういい、ブロッコリーだ」
「お前その困ったらブロッコリーって思考回路マジやめろ」
最近の食卓のブロッコリー率の高さが……。
てか、こいつの困ったらブロッコリーの思考回路は励ましたい時は松岡〇造とかと大して変わらん気がする。
「そうだ! ブロッコリーに消毒液かけて出せばいいんだ」
「おい待てこのサイコパス女!」
「だって1番効果が大きいでしょ?」
それ死ぬだろ。
消毒液にブロッコリーって、死ぬだろ。
「喧嘩すんなって言ってんのに喧嘩するし」
「すみませーん」
「反省してないわよねアンタ」
「してるしてる、欠片ぐらいはしてる」
STAP細胞レベルではしてる。
「STAP細胞ってないってことだろうが!」
ぎちぎちと俺の頬に痛みが走る。
「抓るな、抓るな」
「反省しろ! 心配したんだから!」
「あー、はいはい。反省した反省した」
「アンタのその「言っときゃいいだろ」って態度、本当にムカつく!」
怒りが溜まってんなぁ。
「誰のせいだと思ってんの、このバカ」
溜息混じりで、雨乃がボヤく。
「……本当に心配したんだから、危ないことすんのは止めて」
「……はいはい」
車輪の音が不意に止まり、外を見れば降りる駅だった。
クシャミをしながら不機嫌気味な雨乃が俺を軽く睨む、はいはい分かったよ、すいませんね。
「反省してるー?」
「STAP細胞ぐらいは」
「そのネタはもういいっての」
言いながら帰り道を歩く。
夏の風が吹く夕暮れの帰り道は雨乃と俺の声で溢れていた。




